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魔法のこと・前編

「…ここ、お前のねぐらか?黒虎こっこ


 その背から下りて問う律に、黒虎は肯定を示すようにクオンっとひと声鳴いて自慢げに尾を振った。


 黒虎に任せるまま連れてこられたのは、固い岩場をくり貫いたかのように作られた洞窟の中。律は黒虎の背に取り残されたままのリッカを抱えて下ろしてやると、その洞窟内をくるりと見渡した。


 律やリッカにとっては小さいわけでも大きいわけでもなかったが、体の大きな黒虎が入ると途端に窮屈に感じる程度の広さだ。出入り口から少し中に進むと下に向かって洞窟が続いているおかげで、風や冷たい外気が中に入りにくく暖かい。それでも陽が落ち始めて急激に気温が下がり始めた所為か、パーカー一枚だけを羽織っている律には、身を切るほどの寒さが堪えて仕方がなかった。思わず身震いをする律に気づいて、リッカは気が咎めるような視線を律に向ける。


「…!…ああ、黒虎の背に乗って風を受けたから体が冷えたんだろ。気にすんな」


 強がって笑顔を見せる律の声は、寒さで歯の根が合わないのか震えているように聞こえる。なおさら罪悪感に襲われてジャンパーに視線を落とすリッカの姿が視界に入って来て、律は慌ててリッカの前に膝をついた。


「だから気にすんなって。お前も体が冷えただろ?リッカ。…少し待ってろ」


 言ってリッカの返答も待たぬまま、律は背負っていたリュックを下ろす。中をまさぐりながら黒虎へと視線を向けた。


「黒虎、お前火は大丈夫だよな?」


 それにはこくりと頷きを返す。


「よし、何か燃やせる物────…!ああ、打ってつけの物があった」


 取り出したのは、こちらに飛ばされる直前あの編集者に突き返された自身の小説。ちょうど燃やして処理してしまおうと思っていただけに、これほど相応しい物はないだろう。何よりここではただ重たいだけで何も役には立たない。せめて火にくべるくらいは役に立ってもらおうと律は迷う事無くそれを使う事に決めて、すぐさま火を起こせるものを探し始める。


「んー…マッチかライター…あったかな…?」


 役に立ちそうな物は、使うかどうかは別にして何でもリュックに入れる癖が律にはあった。タバコを吸わない律だが何かの折に入れてはいないかと抱いた淡い期待は、どうやら儚く消え失せたらしい。


 律は途方に暮れたようにため息を落とすと、もう一度黒虎を振り返った。


「黒虎、お前火吹けたりしないか?」

「あの…火を起こすなら僕が……」

「…!出来るのか?」

「はい、それくらいなら…」


 おずおずと名乗り出て、リッカはあの騎士たちが唱えていたものと同じ言葉を口にし始める。謳うように、だがあの騎士たちとは違ってずいぶん短いその詠唱が終わると、紙束に小さな炎がポウ…っと揺らめき始めるのが見えた。そうして律が書いた小説を糧に次第に大きく育つその炎を、律は恍惚な瞳で眺めて感嘆の息を落とす。


「すっげえっ!!リッカ、お前魔法が使えるのかっ!!?」


 子供のように瞳を爛爛と輝かせて声を上げる律に驚いて、一瞬体がビクリと強張った後、リッカは苦笑交じりに答える。


「……え…っと、…日常生活に必要な程度の簡単な魔法なら誰でも……」

「へえ…!誰でも魔法が使えるのか。凄い世界だな」

「あ…でも本当に小さな魔法だけで、さっきの騎士様みたいな強い魔法は魔力が高い人じゃないと…!」


 褒められる事がそうなかったのだろう。慣れないのか面映ゆそうに頬を赤らめ、ひどく狼狽するリッカを律はくすりと笑う。


「…!ああ…!薪をくべないと紙じゃすぐ燃え尽きるな。リッカと黒虎はここで待っててくれ。木の枝を拾って来る」

「あ!僕も行きます!」

「そうか?じゃあ黒虎は火を見ててくれ」


 クオン、と鳴く黒虎を確認してから、律はリッカを伴って洞窟を出る。

 陽はもうほとんど姿を隠して、辺りは薄暗い。リッカに「離れるなよ」と言い置いてから、わずかに見える視界を頼りに二人は木の枝を拾い始めた。そうしてすぐさま、律は小さくため息を落とした。


 しゃがみ込み木の枝を一つ二つ手に取りながら、律の頭の中に嫌な光景が浮かんで離れない。黒虎の背で振り返った時、遠くに聞こえた喧騒と悲鳴、そしてそこから彷彿とさせる陰惨な現場を頭の中で勝手に想像して、それが嫌に気が咎めて仕方がないのだ。


(……大丈夫だよな……?…きっと大丈夫……いやいや、あれは怪我人が出ただろ……せめて人死にが出てないといいんだけど……。……異世界に来た初日に殺人犯として指名手配されるなんて冗談じゃないぞ)


 ただ彼らから逃げるだけのつもりだった。

 だからこそ黒虎に人を傷つけるなと指示したのだ。

 目算が外れたのは、黒虎の実力を読み違えた事だろう。


(…まさか、あんなに黒虎が強いとはなあ……そりゃそうか、魔獣の王だもんな。あいつはあいつなりにちゃんと加減してくれたんだよな……)


 となれば、誰から見ても悪いのは他ならぬ自分だろうか。


 その結論に至ってたまらず二度目のため息を落とす律の背を、リッカはちらりと一瞥した。しばらく眺めた後、わずかに逡巡しながら遠慮がちに口を開いた。


「………あの人、悪い人には見えませんでした。…どうして逃げたんですか?」


 あの人───おそらくレオスフォードと呼ばれたあの男の事だろう。そう理解して、律は返答する。


「…そうだな、悪い人間じゃない」

「じゃあ───」

「リッカ、よく覚えておけ。…人が掲げる正義には二種類ある。一つは頭の固い正義、もう一つは頭の柔らかい正義だ」

「……あの人の正義は、頭の固い正義……?」


 小首を傾げながら、それでもおずおずと答えたリッカの返答に、律は小さく笑い声を上げた。


「リッカは頭の固い正義を悪だと判断したんだな?」

「…?……違うんですか?」


 その問いかけには是非を答えず、律はくすりと笑って話を続ける。


「頭の固い正義ってのは、自分の中に絶対に譲れない一本筋を通している奴の事だ」

「……一本筋…?」

「どんな状況だろうがどんな立場だろうが、情に流されず自分の中の正義に頑ななまでに忠実に従う事が出来る奴の事だな。よく言えば『芯が強い』、悪く言えば『融通が利かない人間』」

「…じゃあ、柔らかい正義は?」

「その時々によって柔軟に正義を翻す事の出来る人間の事だ。どうしても譲れない一線ってのはあるが、状況を読み各々の立場を考え、自分の中の正義を折ってでもそれが最善と思えば躊躇なく実行できる。…あいつの正義は間違いなく、後者だろう」

「…正義がころころと変わっちゃうんですか?」

「悪いように聞こえるか?」


 それにはこくりと頷く。


「…そんなに簡単に正義が変わっちゃったら、正義じゃないような気がします…」

「…そうだな。正義と信念は近しいものがある。それがころころと変われば名ばかりに聞こえるだろうな。───だが、似て非なるものだ」

「…?」

「あいつはおそらく国の中枢に近い立場にある奴だろう。身なりもいいし他の連中に一目置かれていた。だからあいつにとっての正義は、国に害が及ぶかどうかで決まる」

「…!」

「リッカが言うように、基本的にあいつは悪い人間じゃない。むしろこちらの意を汲んで最善の道を探そうと尽くす人間だ。だけど、それがこと国の有事に関わる事案になれば対応が変わる。どれほど非情だと罵られても、それが国やいては民の為ともなれば、躊躇なく実行に移す事ができる────それがあいつにとっての正義なんだよ」

「……コッコの…ことですか…?」

「…あいつにとって───いや、この世界の人間にとって黒虎は…ヘルムガルドは悪以外の何者でもないんだろうな。どれほど俺に懐いたと言っても、いつまた牙を剥くか判らない。だったらそうなる前に、討てる時に討つ───そう考えるのは当然だろ?」

「そんな…!コッコは悪い子じゃないのに…!」

「俺たちにとっては、な」

「…!」


 律の言葉にリッカは目を見開き、項垂うなだれるように肩を落とす。


 思えば自分も、ヘルムガルドに対して同じ感情を持っていた。それが覆ったのは、他ならぬ律と出会ったからだ。そうでなければ今も自分はヘルムガルドを悪だと決めかかっていただろうし、何よりそのヘルムガルドに喰い殺されていただろう。


 それに思い至って恥じ入るように俯くリッカの頭を、律は撫でる。


「そんな顔するな。そもそも正義なんてのは掲げる人間の立場や思想によって変わるもんだ。…絶対的な正義も、そして絶対的な悪もこの世には存在しない。…覚えていろ、リッカ」

「…リツさんの言う事は難しすぎて、僕にはよく判りません……」

「いつか嫌でも判る時がくるさ。…さて、そろそろ黒虎のとこに帰るか」


 じゃないと、あいつが心配する。

 そう言い添えて踵を返す律の後ろ姿を、リッカはただ黙って眺めていた。


**


「はあ…!……あったかいな…!」


 おきぜる音がこだまする洞窟内に、心底感じ入ったようなしみじみとした声が響く。洞窟の中央に火を焚き、出入り口を黒虎が寝そべって塞いでくれているのでかなり暖かい。なおかつ黒虎の腹にもたれた上に尻尾にまで巻かれているので、夢見心地な事この上ない。


 その幸福感に浸る律に、黒虎が嬉しそうに顔を擦り寄せてきた。


「ありがとな、黒虎」


 言って、隣で同じように黒虎に包まれているリッカを振り返る。


「リッカは寒くないか?」

「はい、コッコのおかげでぬくぬく────」


 言い差したリッカの言葉を遮ったのは、洞窟内に大きく響いたお腹の音。その音の主が盛大に赤面を取るので、律は思わずくつくつと忍び笑いをしてリュックに手を伸ばした。


「そうだよな、何も食ってないんだから腹も減るよな。……大したもんはないけど、こんなのでもいいなら食うか?」


 言ってリュックから取り出したのは、何やら色とりどりの鮮やかな絵が描かれた包みにくるまれた、手のひらほどの長方形らしき何か。見た事もないそれにリッカは小首を傾げて、恐る恐る手に取ってみた。


「………これ、何ですか……?……リツさんの世界の食べ物……?」

「そ。シリアルバー」

「……?……シリ……アル……?」

「栄養補助食品ってやつだな。手軽に栄養が補給できる」


 へえ、と感嘆に似たため息を落とすリッカを眺めながら、律は複雑な眼差しをそのシリアルバーに向ける。


 執筆を始めると食べるのさえ億劫になるから、いつも大量のシリアルバーをリュックに入れていた。執筆以外の事に時間を取られる事が煩わしいと感じて、料理を作る事も食べる事さえ時間が惜しいと思ってしまう。とはいえ何も食べないというわけにはいかないので、結局パソコンに向かいながら片手間に口に運べるシリアルバーを重宝したのだ。だから無くなりそうになるとまた大量に補充し、今回もちょうど補充したばかりだった。


(……皮肉だよな…。もう執筆する事なんてないから、大量に買って後悔してたんだけど…)


 まさか異世界でもこうやって重宝するとは。

 事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだと心中でこぼして、律は未だ不思議そうにシリアルバーを眺めているリッカからそれを奪い取る。


「開けてやるから待ってろ、リッカ」


 言って袋から取り出すその所作を爛爛とした瞳で眺めるリッカの様子がたまらなくおかしい。やはりくつくつと忍び笑いを落として、袋から取り出したシリアルバーをリッカに手渡した。それを恍惚な瞳で眺めた後、リッカは意を決して一口かじる。


「…っっ!!!?美味しい…!!リツさん、これ美味しいです…!!こんなに美味しいもの食べたの、僕生まれて初めて…!!」

「んな大げさな…」


 花が綻ぶような笑顔を見せてはしゃぐリッカに苦笑を落としつつ、律は一心不乱に食べるリッカを視界に入れた。


(…よっぽど腹が減ってたんだろうな……)


 少なくとも初めてリッカを見た時、大切に育てられた印象は皆無だった。むしろ食事も満足に与えられず労働を課し、何かにつけてしつけと言う名の体罰を与えられた印象しかない。


(……挙句の果てに、いらないからとこの森に捨てられたのか……?)


 連れはいないのかと訊ねた時の、リッカの気まずそうな表情が頭から離れない。あれが暗に捨てられたからだと告げているようで、苦いものが胸中に広がるのだ。


 律はまるで小動物のように頬張るリッカの姿がどこか幼い頃の自分と重なって見えて、愛憐の情が沸々と自身の中で生まれてくるのを自覚した。それにわずかに自嘲気味な笑みを落として、もう一度リッカへと視線を戻す。


「そんなに急いで頬張るな。まだたくさんあるからゆっくり食え」

「…!?ま…まだ食べてもいいんですか……?」

「好きなだけな」


 やはり恍惚とした瞳を向けて来るリッカを笑って、律は後ろにいる黒虎にも声を掛ける。


「黒虎、お前も食べるか?」


 それにはかぶりを振るので、律は訝しげにリッカに訊ねた。


「…これ、魔獣は食べられないのか?」

「あ…いえ。魔獣は食事を摂りませんから」

「食事を摂らない?じゃあどこから栄養を摂るんだ?」

「魔獣は闇を糧に生きると言われています」

「闇を糧に…?……まるで仙人みたいだな」

「センニン……?」

「あー…………山の中で修行して人間から神に昇華した存在?」


 微妙に違う気もするが、まあいいだろう。


「霞を食って生きるらしいぞ」

「へえ…!!リツさんの世界では人間が神様になれるんですか…!?」

「……………あくまで伝説上の存在な」


 落ちが付いたところで、律は煌々と燃える焚火を視界に入れる。リッカが、仙人と同じく空想上でしか存在しないはずの魔法で燃やしてくれた炎だ。


「……仙人は伝説上の存在だけど、ここでは魔法が当たり前のように存在しているんだな……」


 それも生活に密着した形で。

 本当に御伽話にでも迷い込んだような気になって感慨深げに声を落とす律を、リッカは怪訝そうに振り返った。


「……リツさんの世界には魔法がないんですか?」

「ないな。俺の世界は魔法じゃなく科学技術が発展した世界だ」

「…?カガク……?」

「そうだな……例えば───」


 言いながら律はパーカーのポケットから携帯電話スマホを取り出す。見た事もない形状の見た事もない材質で出来た平らな板に小首を傾げたリッカは、電源を入れた事で画面が急激に明るくなった事に吃驚して、体を強張らせながら勢いよく律に腕にしがみついた。


「ああ…悪い悪い。…驚かせるつもりはなかったんだけどな…」

「……え……えっと…それは……?」

携帯電話スマホっていう機械で……そうだな。…一言で言えば遠くにいる人間と会話ができる機械、かな?」

「…!?この小さな板で魔法が使えるんですか…!?」

「…………認識の相違があるな」


 とは言え、科学を知らない者にとってはこれも一種の魔法だろうか。

 そう内心で思いつつ、律は説明を始める。


「会話をするには電波ってのが必要だからこの世界では使えないんだけどな。でも他にも機能があって……ほら、リッカ。笑ってみろ」

「……?」


 小首を傾げつつ、リッカは言われるがままぎこちない笑顔を作る。それに失笑しながら、律はカメラ機能を自撮りモードに切り替えて自分とリッカを写して見せた。そこに写る信じがたい光景に、リッカは目を白黒とさせる。


「…!!!!!???え…!?何で…!!?僕とリツさんが板の中に…!!?」

「…これはその一瞬を切り取り記録として残せる『カメラ』って機能で写したもの────『写真』だ」

「……一瞬を……切り取る……」


 口の中で小さく反芻して、リッカはおもむろに恍惚とした瞳を律に向ける。


「…すごい……!!これがリツさんの世界の魔法なんですね…!!」


 『科学』と言い直そうとした口を噤んで、律は諦観を込めた笑みを落とした。幼い子供の夢を壊すのは野暮というものだ。なので結局────。


「……ま、そういう事だ」


 そう笑い含みに首肯を返すしかなかった。


「…お前の世界の魔法とはずいぶん違うか?」


 問われてリッカは頷きを返す。


「はい、この世界の魔法は精霊がいないと成立しませんから」

「精霊?火の精霊とか水の精霊とかか?」

「知ってるんですか?」


 二次元で主に、と心中で呟きつつ苦笑交じりに肯定を示す。


「…僕たちは精霊と一時的に契約を交わす事で、自分の魔力を代償にその時だけ精霊の力を貸してもらえるんです」

「契約……あの詠唱か?」

「はい。あれは精霊の言葉をうたに乗せて、契約の文言を唱えているんです」

「へえ…。……あれ、綺麗だよな」


 呟くように告げながら、律は耳の奥に残る詠唱の旋律を思い出す。どこか異国情緒溢れる独特な旋律に乗って、何処とも知れぬ不思議な発音の言葉で綴られる詠唱は、どこか妙に懐古の念を彷彿とさせた。その心地よい響きに酔いしれるように恍惚とした表情を落としながら、律は尋ねる。


「…あれ、何て言ってるんだ?」

「僕のは簡単な言葉です。『火の精霊よ、我に恩恵を与え給え』」

「力じゃなくて恩恵なんだな?」

「はい。『聖女に見放された世界』は、精霊の恩恵と慈悲によって生き長らえていますので」

「……なるほどね」


 得心したように、律は頷く。

 言わば精霊は、この世界にとって神にも等しい存在という事なのだろう。その精霊と繋がる事が出来る唯一の詠唱に、律の好奇心はくすぐられ大いに興味が惹かれた。


 律はもう一度、耳の奥に残るリッカの詠唱を思い起こしてみる。


「え…っと、何だっけ…?……ティア…エラ……?ディ……?」


 たどたどしくリッカの詠唱を復唱する律に小さく笑みを落として、リッカはもう一度できるだけゆっくりと唱えてみる。そのゆっくりとした発音ですら律の耳では半分も聞き取れず、喋る事はなおさら難易度が高そうで、律は悄然と肩を落とした。


「………よくそんな複雑な発音が出来るな。俺の舌はそこまで複雑な動きは出来ないぞ…」


 舌を噛むどころかりそうだと悪態をく律に、リッカは苦笑を返す。


「……赤ん坊の頃から普通に耳にする言葉なので……」

「だから慣れてるんだな…」


 諦観のため息を落としながら、律は続ける。


「…そもそも魔法を使うたびに詠唱を唱えなきゃならないってのも不便だよな」

「それは……確かにそうですね……」

「複雑になればなるほど詠唱が長くなるんだろ?あの騎士たちが使ってた魔法みたいに」

「はい」

「せめてもっと簡潔なものだったらいいのにな。例えば────」


 何気ない会話のつもりだった。

 ゲームや物語の中で長い詠唱を唱えて戦う姿に、いつも違和感を抱いていた。それを唱えている間に攻撃されるだろう、と。

 だから、魔法が当たり前の世界で軽い笑い話として話題にしたつもりだった。

 自分が、それを口にするまでは────。


「『火の聖霊よ、力を貸せ』とか────」


 そう律が口にした途端、目の前の焚火の炎が一瞬にして燃え盛り、狭い洞窟内に炎の渦が形成された。突然の事に律は慌てて立ち上がりリッカを自身の後ろに寄せ、そんな二人を庇うように黒虎が前に立ちふさがった。


「…!!!?何だよ…!!これ…っっ!!?」

「リツさん、何をしたんですか…!!?」

「何にもしてねえし、出来るわけねえだろ…!!魔力なんてないんだから!!!」


 そう、魔力なんてあるはずがない。

 魔力という概念は二次元にのみ存在するもので、現実にはあるはずもないものだ。

 だが今現実に起こっている事は、明らかに『魔法』と呼ばれる事象だろう。


 律は火炎の渦によって立ち込める洞窟内の暴風から顔を庇うように腕を上げ、思わず叫ぶ。


「『いい加減、治まれよ…っっ!!!』」


 洞窟内にこだました律の叫びに呼応するように炎はすぐさま小さくなって、先ほどまでと同じくただの焚火としての様相を呈する。まるで先ほどの猛火が嘘のように普通に揺らめくその炎を、二人と一匹はただ呆然と眺めていた。


 そうしておきぜる音だけが響く静まり返った洞窟内で、律はゆっくりとリッカに顔を向けた。その視線の中に「お前か?」と問われているような気になって、リッカは慌てて頭を振る。同じく黒虎に向けた視線もかぶりを振って返されて、律は今ではもうあたかも普通の焚火のように揺らめく炎を、再び視界に入れた。


 その耳に痛いほどの静寂の中で、茫然としたリッカの声が響く。


「…………リツさんってもしかして………とても魔力が高いんですか……?」


 その問いかけの答えは、もう決まっていた。


「…………んなわけねえだろ……」


 ────そう、思いたい。

 律は心中で、そう呟いた。


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