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恩返しのこと・五編

「まだ怒ってるのか?ユーフィム。いい加減、機嫌直せよ」


 食事を摂り終えた後も、未だ頬を膨らませるようにそっぽを向いて頬杖をつくユーフィムに、律は呆れと辟易をふんだんに乗せたため息を落とす。


 昼食を作っている間も、そして食べている時でさえユーフィムは隠す事なく不機嫌を露わにしていた。そうして今も不機嫌だと語っているその背に、内心面倒な奴だと愚痴をこぼしつつ、律は続ける。


「また漆黒病を治す機会があれば、次は見せてやるって言ってるだろ?」

「─────そっちじゃない」

「?じゃあどっちだ?」

「そう意味じゃなくて!」


 辺りをきょろきょろと見渡してお決まりのボケを返す律に、ユーフィムはそう怒鳴り返してから再び頬杖をついた。


「────何で俺に黙って、一人で勝手に街に行くかな」


 やはりふてくされた子供のように頬を膨らませながら言ったユーフィムの言葉に、律は目を瞬く。


「約束したっけ?」

「だからしてないってば!」


 約束はしていない。

 してはいないが、すればよかったと今更ながらにユーフィムは後悔する。


 律は大雑把なように見えて、意外と律儀な性格だ。

 やると言えばどれほど忙しくても必ずやるし、何かしらの施しを受ければ、恩義を感じて必ず何らかの形で恩を返す。そんな義理堅い律の性格を思えば、約束を反故にする事は決してないだろう。


(……って言っても、もう遅いんだけどね……)


 ふてくされた顔を継続しつつ、ユーフィムはそう内心で嘆息を落とす。


 二日ほど前から森の出入り口を見張っている人間がいる事は知っていた。自分の姿が彼らに見つかるぶんには一向に構わないのだ。元客亭購入時に自分も立ち会ったのだから、ここを出入りしても何らおかしくはない。むしろ自分に注意が向かえば、それだけ異界の旅人である律を見落とす可能性が高くなる。そう思ってユーフィムは街の様子を窺うついでに、これ見よがしに自分の姿をさらけ出していた。


 ─────なのに、それらの無駄な画策はものの見事に水泡に帰した。


 もともと律が街に出かける時は一緒について行って、言葉巧みに誘導し彼らに見つからないようにするつもりだった。外套のフードを目深に被して髪色が見えないようにし、何をするにも自分が出張って律は人目のつかない所に置くつもりだった。そうして何食わぬ顔で元客亭に戻る─────そう考えていた計画は見事に崩れた。


 勝手に街に出かけた律の姿は、間違いなく彼らに目撃されただろう。何しろ律本人には、隠れるという意識はまったくないのだから。彼が見つからないように行動したとは思わないほうがいい。森を見張っている連中だけではなく街中にも目撃者は多数出ただろうし、今頃はもう異界の旅人が見つかったと第二皇子側に報告が上がっているかもしれない。


 本来の目的である『異界の旅人を隠す』という事が出来なくなった以上、ユーフィムにできる事はたった一つだけだった。


 ─────彼の能力をひた隠しにし、彼が奪われないように常に傍にいる事。

 ただし、律にそれを悟られないようにする事が大前提だが────。


(………リツは意外と勘が鋭いからなあ。それが一番の難題だろうね……)


 ため息を落とすユーフィムが内心でそんな事を企んでいるとは露知らず、律はカイルの昼食を乗せた盆を手に取った。


「親父にこれ持ってったらギルドに顔出しに行くんだけど、お前も来るか?」

「へえ………じゃあ俺も─────って、何でギルドっっ!!?」


 思わぬ単語が律の口から出てきて、ユーフィムは思わず目を丸くして立ち上がる。


「さあ?なんか俺を血眼になって探してんだってさ」

(…………それは知ってる)


 正確には第二皇子が、だが。

 それでもギルドは今や第二皇子の手足となって異界の旅人を探している、言ってみればユーフィムにとって敵陣にも等しい場所だ。そこに向かうと言った律の言葉に、ユーフィムは耳を疑った。


「定住先も決まったから住所の変更もしなきゃならないし、お前が来ないなら俺一人で行ってくるけど?」

「あー………………明日にしないかい?」

「何でだよ?」

「………………何となく?」


 いい言い訳が思い浮かばないユーフィムは、ぎこちない笑顔と共にぎこちない答えを返す。当然それで納得がいくはずもなく、律はため息を一つ落とした。


「そういうわけにはいかねえだろ?定住先が決まったらすぐに報告に来いって言われてたのに、忘れてた俺が悪いんだから。これ以上、事が大きくなったら厄介だろうが」


 もう大騒動に発展してる、と心中で突っ込みを入れつつ、ユーフィムはそれを呑み込んでしどろもどろとギルドに行かなくて済む言い訳を考える。


「じゃ……じゃあ夕方にしない?今ジオン達がいないし、子供たちの面倒を見る人間がいないと困るだろう…!?」

「…………それはそうだな」


 と同意を示しつつ、律は細めた瞳で、平静を装いつつ内心焦っているユーフィムを凝視する。


「…………………」

「…………………」

「…………………」

「……え?何……?」

「…………お前、なんか企んでんだろ?」

「!!!!?」


 急に核心を突かれて、ユーフィムにはもう平静を装う余裕はない。ぎくりと体が強張り、目は宙を泳いでいる。

 隠さなければと思った矢先の事、下手を打った自覚はあるが、まさかこれほどまでに早く露見するとは─────。


「…………………えー……別に企んでは────」


 ない、とは言えない。

 律には嘘はけない。彼に問われれば、黙秘する事は出来ても嘘は言えないのだ。もっと言えば、『言え』と命ぜられれば黙秘する事さえ叶わず、もう本当の事を言うしかない。


 ユーフィムは無言という名の小さな抵抗を見せて、貝のように押し黙った。その間も内心の焦りが表に出るように、額に冷や汗を滲ませるユーフィムに、律はさらに追い打ちをかける。


「……………お前、前に言ってたよな?俺が言った事には逆らえない、って」


 なおさらユーフィムはぎくりと体を硬直させた。内心で、それ以上は言わないで、と懇願するように、あるいは祈るように何度も心中で呟きながら、耐え難い沈黙を続けるユーフィムの顔には、滝のように冷や汗が止めどなく流れている。そんな彼をしばらく視界に留めてから、律は呆れたように、だがそれ以上に仕方なさそうに大きくため息をいた。


「………まあ、別にいいよ。何企んでても」

「─────…え?」


 思わぬ言葉に、ユーフィムは鳩が豆鉄砲を食ったような表情を落とす。


「お前にはお前の事情があるんだろ?ユーフィム。やり方は下手くそだけど、お前ずっと必死だからな。……遊びや思い付きでやってるんじゃない、お前にとっては大事な事だって判るからさ」

「─────…」

「でもまあ、俺が思い通りに動くとは思うなよ?ユーフィム」


 にやりと笑って、律は盆を片手に食堂を出ていく。呆けたユーフィムの見開いた目が、食堂を出ていく律の背から離れなかった。


(……………何で……)


 問いただす事だって出来たはずだ。彼の手にかかれば口を割らせる事など造作もない。なのに、彼はその手段を使わなかった。─────それはまるで、彼に自分と信頼関係を築くつもりがあると公言されているような、そんな気がしてならなかった。


(……………何でこんなに優しいかな……)


 ─────人間は嫌いだ。

 誰も彼もが自分の一族を敵対視する。有り余るほどの力があるからと、自分たちの安心と安寧を得たいがために一族に多くの制限をかけた。


 自分たちの利しか考えない人間。

 姑息で卑怯な人間。

 力が弱く矮小な存在のくせに、自分達よりも弱者を作って自らの立場の安定を保たないと気が済まない、醜い生き物─────。


 だからユーフィムも、内心では人間を見下した。人畜無害の笑顔を顔に貼り付けて人のいいふりをすれば、この無駄に小綺麗な顔も相まって誰も彼もが容易く騙された。そうして心の中では人間を嘲笑ってきたのに─────。


 律だけは、他の人間とは違う。彼はいつも、欲しい時に欲しい言葉をくれた。

 声がどうと言う話ではない。きっと彼にこの不思議な声がなかったとしても、自分は律に心を開いただろう。


 そう思えるほど彼の心根はいつでも誠実で優しく、真っ直ぐに自分を見返してくれるから────。


 ユーフィムは胸の奥から湧き出る高揚感を何とか抑えつつ、だが抑えきれなかったわずかな高揚感に促されるように慌てて駆け出した。


「─────待って、リツ!!俺も一緒に行く!!」

「…!ははっ!!子供かよ」


 瞳を燦燦と輝かせて駆け寄ってくるユーフィムを笑って、二人は階下にあるカイルの部屋に向かう。道中、ユーフィムは窓の外に広がる森が視界に入ってきて、わずかに思案した後、ちらりと律を視界に入れて控えめに訊ねた。


「あー……あのさ、帰って来る時、森の中で誰かに会わなかった?」

「…?いや?」

「─────…そうか」


 ほっと胸を撫で下ろしつつ、ユーフィムは再び思案する。

 コハク─────いや、今はカッティと呼ばれた彼らが元客亭から去って程なく、律は帰ってきた。彼らは間違いなく第二皇子の手の者だろう。『ギルドが異界の旅人を血眼になって探している』という情報を律が得た事を鑑みると、あるいはその情報源が彼らではないかと疑ったが、どうやら違うようだ。


(………できればコハクたちとリツは会わせたくない)


 コハクには悪いが、会わせるわけにはいかない。

 なぜ第二皇子が異界の旅人を探しているのか────その理由を律が知れば、彼の性格上、決して無下にはできないだろう。二つ返事で皇都に出向き、そしてそのまま律の身柄はここアレンヴェイル皇国のものとなる。


 それだけは、絶対に阻止しなければ─────。


「会わせたくない奴でもいるのか?」

「え…!!?」


 唐突に声をかけられて、ユーフィムは思案から急激に呼び戻され飛び跳ねるように律を見返す。またもや心中で呟いた独白に応えるかのような律の言葉に、たまらず目を丸くするユーフィムを、律は吹き出すように笑った。


「お前って隠し事できないよな」

「…………それは君に対してだけだよ。普段ならもっと上手くやれる」


 バツが悪いのか面映ゆいのか、自分でもどちらなのかよく判らない心情を隠すように、ユーフィムは頬を膨らませる。


 ─────そう、普段ならもっと上手くできるはずだ。

 頭が切れるというわけではないが長く生きた分、知恵もついて決して悪いわけではないと自負している。だが如何せん、律の前では嘘がけない。嘘が吐けないという制限がある以上、上手くできるはずがないのだ。


 これは不可抗力なのだと言わんばかりに不機嫌を露わにするユーフィムをもう一度笑って、律はカイルの部屋のドアノブに手を置いた。


「親父、生きてる─────…か?」


 いつも通りカイルの生死をたずねる言葉を口にして開いた扉の先から、突然子供の泣き声が聞こえてきて、二人は仲良く目を瞬いた。


「……………うわあ、親父。子供泣かせるなよ」

「大人げないなあ」

「………………勘違いにも程があるぞ」


 ギロリと二人を睨みつけるカイルの手には、数日前律が買ったウサギのぬいぐるみがあった。訝しげに眉根を寄せる律を尻目に、カイルはしくしくと泣き続ける幼子に声をかける。


「このぬいぐるみも可愛いだろ?これじゃ嫌か?」

「……かわいいけど……やっぱりねこちゃんがいい……!」


 嗚咽交じりにそう答える幼子に、カイルは心底困ったようにため息を落とす。律は持っていた盆を卓の上に置いてカイルに訊ねた。


「猫?一体何の話だよ?親父」

「……ああ。どうもな、お気に入りのぬいぐるみをあの教会に置いてきたらしくてな」

「教会に?」


 そうおうむ返しする律の服の袖を、子供たちの中で一番年長の少年エリンが控えめに引っ張る。


「……あの猫のぬいぐるみは、コーディ姉ちゃんが一生懸命作ってくれた物なんだよ、リツ兄」

「…!」

「ルゥが眠る時はいつも一緒に寝てたんだ。ここに来てからウサギと一緒に寝てたんだけど、やっぱりコーディ姉ちゃんが作ったあの猫のぬいぐるみが恋しくなったみたい」

「─────…」


 エリンの言葉に、律は目を瞬いて思い出す。

 確かにあの時は突発的な引っ越しだったので、取るものも取らず、といった感じだった。もともと彼らの荷物自体少なかった事もあって、購入して揃えればいいと思ったことも事実だ。だがそれは律の事情であって、子供たちがそれらの事情を全て飲み込んで承諾したわけではない。


 きっと思い入れのある物だってあったはずだろう。何よりあの不器用なコーディが子供たちのことを思って作ったものだ。おそらく子供たちにとって、それに代わるものなどあるはずがない。


 律はコーディが慣れない裁縫に四苦八苦しながらぬいぐるみを作る姿を思い浮かべて、頭を掻きながら盛大にため息を落とした。


「………よかったな、ユーフィム」

「え?」

「お前の望み通り、ギルドに行くのは先送りになりそうだ」


 呆けたように律を見返すユーフィムに苦笑を返しつつ、律は泣きじゃくる幼子ルゥの頭を優しく撫でて膝をついた。


「ごめんな、ルゥ。ルゥの大事な友達、教会に置いてきちまったな」


 泣きながらこくりと頷くルゥに、律は続ける。


「今から俺たちでルゥの友達を迎えに行くから、もう泣き止め」

「…!…………ほんと……?」

「ああ」


 大きく頷いて律は立ち上がり、ベッドに座る黒虎こっこに手を伸ばす。黒虎はそれだけで何をすればいいのかを察して、すぐさまその手を伝って律の肩に自身の居場所を移した。その黒虎の姿を追うように振り返る律に、ユーフィムは目を瞬きながらしどろもどろと訊ねる。


「……迎えにって……まさか教会に……?いや………待って───『俺たち』…って?」


 律と黒虎の事だろうか?─────そう思って問うたその質問に、律はにやりと返した。


「もちろんお前も来るよな?ユーフィム」


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