恩返しのこと・二編
「申し訳ございませんが、ゼフォル様もロゼ様もただいま留守にしております」
「また明日お越しください、レオスフォード殿下」
深々と頭を垂れる双子に、レオスフォードはたまらず嘆息を落とした。
異界の旅人に関する新しい情報がないものかとギルドに赴いてはみたものの、肝心の二人が不在ではどうにもならない。この二人はゼフォルの補佐をしているらしいが、ゼフォルに口止めをされているのか、あるいはまだ少年少女ゆえに情報自体を与えていないのか、何を訊いてもいつも知らぬ存ぜぬを貫き通す。ギルドの職員としては、口が堅いという事は何にも代えがたい重宝する才能なのだろうが、一刻も早く情報が欲しいこちらとしては辟易してしまう。
もう一度問いただそうか、とわずかに思案したが、垂れた頭を微動だにせず、その姿勢を維持したまま自分と対峙する双子の様子に、まるで帰れと言われているような気になって、レオスフォードは二度目のため息を落とした。
「─────判った、また明日来る」
諦観して踵を返し、レオスフォードは重い足取りで階段を降りる。
(……三日しかないのに、今日一日を無為に過ごす事になるのか)
まだ三日ある─────そう思う反面、たった三日しかない、とも思う。そう思うと焦燥感に駆られて、居ても立っても居られないのだ。
(……私もリシュリット殿と同じように、瞬時に移動が出来ればどれほどいいか……)
門の番人であり半妖精族でもあるリシュリットは、通常十日はかかる道のりでも瞬時に移動が出来た。門の番人だけが立ち入ることを許された異界の門がある異空間を通り、任意の場所へと渡る事ができる。
────ただ、それは何一つ制限がないわけではない。リシュリットが移動できるのは、盟友の契りを交わした者がいる場所にだけ。そして今現在リシュリットと盟友の契りを交わしているのは、各国の王とレオスフォード、エルファス、そしてカッティだけだった。
(それでも兄上のところに瞬時に飛べれば、三日の猶予は八日に延びる)
五日猶予が延びるのはかなり大きい。八日あればそれこそ、フリューゲルの街の家という家を一軒一軒捜索すれば、必ずどこかで見つかるはずだ。
思いながらレオスフォードは、もう一度嘆息を漏らした。
これは思ったところで決して現実にはならないものだ。自分が異界の門がある異空間を通れるわけでも、三日の猶予が八日に延びるわけでもない。どれほど仮定の話を挙げ連ねても、できないものはできないのだ。
無意味な事に思考を張り巡らせた自分に自嘲気味な笑みを落としながら、ちょうど階段を降り切ったところで、レオスフォードの耳に何やら喧騒が届いて、自然とそちらに視線を向けた。
「だから!!!俺たち金が必要なんだって!!!」
「そうは言われましても……!この案件は貴方がたの等級ではお受けできないものになっておりまして……!!」
「それはもう何度も聞いたってば!!!でも三人いるんだから何とかなるだろ!!!」
「ですから人数ではなく等級の問題なんです……!!」
カウンターを挟んで押し問答をしているのは、どうやらギルドの職員と、ギルドの仕事を請負に来た『渡り鳥』らしき三人組────とは言え、彼らのそのずいぶん細身な体躯からして、およそ荒くれ者という感じではない。唯一、前で声を張り上げている二人に頭を抱え、困惑と呆れを多分に乗せたため息を落としている後ろの男だけは、細身ではありながらずいぶん鍛えているのか筋肉質な体躯で、まだ『渡り鳥』だと言えなくもないだろうか。
何にせよ、ギルド内に屯する連中とは、またずいぶんと毛色の違う三人組で、何故だか妙にレオスフォードの気を引いてわずかに注視した。
「じゃあ場所だけ教えてくれよ!!俺たちで勝手に行くから!!」
「そ、そういうわけにはいきません…!!この花がある場所は魔獣の森の入り組んだ場所にあって、強い魔獣も多く出没する場所なんです…!!危険な場所なんですよ……!!」
「平気だって!!俺たち逃げるのだけは得意だから!!!」
あっけらかんと得意げに逃げる事を前提に話を進めようとする、三人のうち一番年若く見える少年の言葉に、後ろで聞くともなく聞いていたギルド内の荒くれ者達から、どっと笑い声が上がる。これにはさすがに後ろで耳を傾けていた筋肉質の男も、頭を抱えて盛大にため息を落とした。
「……もう諦めろ、コーディ。無理なもんは無理なんだ」
「じゃあ、どうすんだよ、兄貴!!?俺たち金なんて持ってないんだぞ!!!」
「だからって危険を冒してどうする?分不相応な場所に行って命を落としたら、シャレにならんぞ」
「う……っ!!……それは……そうだけど……!!」
「……じゃあ金はどうやって用意するんだよ、兄貴?俺たちに出来る事なんてこれしかねえだろ?」
「……そりゃあ、そうだがな」
兄貴と呼ばれた男は、苦虫を潰したような顔で頭を掻く。
どうやら話を聞く限り、この三人組はとにかく金に困っているようだ。大金を欲して、手っ取り早く等級の高い仕事を請け負おうとしているのだろう。
(……ギルドにありがちな話だな)
誰も彼もが、金に群がろうとする。真っ当に仕事をする事を嫌い、手っ取り早く金を稼げる事を求めるあまり、自分の命よりも金を優先させようとする、愚か者────ギルドはそういった者たちの吹き溜まりと言ってもいい。全員とまでは言わないまでも、それでもその大半が欲に目が眩み、金のために命すら厭わない者たちで溢れ返っている。
(……だから等級制度を設けているのに、それすら無視するのか)
兄のように望まぬ死を突き付けられている者がいる一方で、こうやって金などというくだらない物のために、その命を蔑ろにする者たちがいる─────その事実が腹立たしく、憎らしい。
レオスフォードは途端に興味が削がれて、呆れたように息を吐きながら足を進ませた。カウンターを通り、ちょうど彼らの横を通り過ぎる刹那、押し黙っていたコーディと呼ばれた少年が、喉の奥から振り絞るように落とした声が、レオスフォードの耳を掠めた。
「………じゃあ俺たちはずっと、あいつの厚意に甘えるしかできねえのかよ……っ!!」
「………コーディ」
「あいつには得なんて何もないのに…!!俺たちみたいなどうしようもない奴にも親切にしてくれて……!!面倒まで見てくれて……!!不治の病に冒された親父の命まで救ってくれた……!!」
「……!」
コーディの言葉に、レオスフォードの足がピタリと止まる。そのまま素通りするはずだった足はすっかり前に進む気力が萎えて、後ろ髪を引かれるように体が硬直したようだった。
そのレオスフォードの背に、不甲斐ない自分たちを責めるような少年の声が絶え間なく降り注ぐ。
「……なのに……なのに俺たちはあいつに恩返しも出来ねえのかよ……!!このままずっと甘え続けるしかないのかよ……!!?そんなの俺は嫌だ!!!俺はあいつと対等な人間になりたいんだ!!あいつの隣に立っても!!恥ずかしくない人間になりたいんだよ!!!なのにこれじゃあ俺たちいつまで経っても、あいつと対等な立場になんてなれねえよ!!!」
「……はあ。…………そう言われてもな、コーディ。出来る事と出来ない事が─────」
「俺たちにはこの命と丈夫な体がある!!!だったら、それを使うしかねえだろ!!この命を懸けてでも、あいつから受けた大きな借りを返す!!!その覚悟を持って腹を括れよ!!!兄貴!!!!」
「……っ!」
その少年の男気溢れる言葉に、兄貴と呼ばれた男は返答に窮してたまらず口を噤んだ。代わりに先ほどまで少年と一緒にギルド職員に食って掛かっていた、わずかに少年らしさが残る優男の瞳が、なぜだか爛爛と輝いている。
「そうだよ!!兄貴!!!コーディの言う通りだ!!!!やっぱりコーディはかっけえよ!!!!」
「………………頭が痛い…」
そう、げんなりしたように嘆息を落とす兄貴のため息よりもなお、盛大なため息をレオスフォードは落とした。
─────関わるつもりは、毛頭なかった。
そもそもそんな事にかまけている時間的余裕などない。そんなものに貴重な時間を費やすならば、それこそ自分一人でもこの街を片っ端から駆け巡って異界の旅人を探す方が、よほど有意義な時間の使い方だろう。
そう頭では理解しているのに、心はそう簡単に彼らに対してそっぽを向いてはくれなかった。
─────『不治の病に冒された親父の命まで救ってくれた……!!』
この言葉が、嫌に胸に刺さる。
漆黒病に冒された兄と重なって離れない。
きっと自分も彼らと同じ立場なら、あのコーディと呼ばれた少年とまったく同じ事を思っただろう。
レオスフォードは今度は諦観のため息を落として、止まったままの足を動かし踵を返した。
「……どこに行きたいんだ?」
「……え?」
「どの案件だ?詳しく教えてくれ」
唐突に現れたレオスフォードにコーディ達は目を丸くして唖然とし、対するギルド職員は口を挟んできたのが第二皇子だと判ってぎょっとした。
「……誰だよ?あんた?」
小首を傾げてそう問いかけるコーディになおさらぎょっとしたギルド職員は、慌ててコーディを窘めようとカウンターから軽く身を乗り出す。瞬間、余計な事は言うなと言わんばかりのレオスフォードの強い視線に押されるように、たまらず口を噤んだ。
「ただのお節介焼きだ。────それよりも依頼内容を教えてくれ」
「は、はい……!」
問われたギルド職員は慌てて手に持っている依頼票を、レオスフォードに見えるようにカウンターの上に置いた。
「────青い龍爪花の採取、か」
依頼票に目を通しながらぽつりと落としたレオスフォードの呟きに、ギルド職員は頷く。
青い龍爪花は非常に珍しく、滅多に見られない貴重な花だ。白や赤など他の色もあるが、それらはどこにでも咲く凡庸な花だった。ただ青い龍爪花だけが、特別なのだ。
青い龍爪花だけが特別だと言われる所以は、多々ある。その希少性もさることながら、その根には鎮痛、解毒、抗炎症などの確かな薬効があり、薬草としても非情に優秀な花だ。だが何よりも特筆すべきは、その稀に見る美しい花姿だろう。その花弁はその名の如く龍の爪を彷彿とし、そして青い龍爪花だけが仄かに淡く光る。その青い炎さながらに淡い光を湛えた凛と咲き誇る姿は、観賞用としてもとても人気が高い。それゆえに非常に高価な花だった。
「この青い龍爪花が咲くのは決まって今の時期だけ、そして群生している場所は必ず魔獣の森の北側フリューゲル近郊と決まっております。ですが今の時期はほとんどの魔獣が出産を終えて子育て期に入っている時期。どの魔獣も神経が過敏になって獰猛になっているので、魔獣の森に足を踏み入れること自体、とても危険なのです…!」
心得ていると言いたげに一つ頷いて、レオスフォードは訊ねる。
「この案件の等級は?」
「─────黄玉です」
ギルドの等級はその熟練度によって八つに分かれ、それぞれの等級に応じた依頼を受けられるようになっている。
経験値の浅い初心者を月長石とし、そこから経験値を積み、状況判断能力や剣術、魔法などの技量を考慮して、適宜等級の見直しが実施されている。
等級は月長石から始まり
橄欖石
柘榴石
石英
緑柱石
黄玉
鋼玉
そして最高位の金剛石────計八つだ。
当然、全員が月長石から始まるわけではない。ギルドに登録する時点での各々の能力によって、相応の等級が割り振られるのだ。
このギルドの等級は各国共通で、最高位の金剛石に到達している者は数えるほどしかいない。それを鑑みても上から三つ目である黄玉の等級案件は、かなりの上級者でないと完遂は難しいだろう。
「……ちなみに彼らの等級は?」
レオスフォードのその問いに、ギルド職員はちらりと三人組を一瞥しながら答える。
「……コーディ様とアレン様は橄欖石、そして後ろにおられるジオン様がその二つ上、石英となっております」
「…………初心者に毛が生えた程度じゃないか」
「何っ!!!?」
「初心者に毛が生えた程度で悪かったなっっ!!!」
レオスフォードは思わず目を点にして呆れたようにそう言葉を落としながら、失礼な言葉に憤慨する二人に視線を向ける。
中級者である石英のジオンはまだしも、よくもまあこの実力で黄玉の依頼を受けようと思ったものだ、と内心で呆れたように嘆息を落として、レオスフォードはギルド職員に向き直った。
「……判った、私が引率しよう」
「…!……ですが」
「この時期の魔獣の森には何度も足を踏み入れている。一人で入る事も多い。問題ないだろう?」
そのレオスフォードの言葉にわずかに思案する仕草を見せてから、ギルド職員は答える。
「……無礼を承知で申し上げますが、お一人で戦われるのと誰かを守りながらの戦いとでは、その難易度はもちろんの事、立ち回り方もまた変わってきます」
「…!」
「特に殿─────」
「レオでいい」
「……レオ様は普段守られながら戦われる事も多く、逆に誰かを守りながら戦われた事はおそらくないに等しい。────違いますか?」
「……違わないな」
「レオ様の実力はもちろん承知しております。ですが初心者二人を抱え、残るお一人も中級者ではレオ様にかかる負担があまりにも大きい。この案件を無事に完遂するためにはせめてあとお一人、緑柱石以上の方の引率者を付けていただきたい」
そのあまりに正鵠を得たギルド職員の見識に、レオスフォードは内心で痛いところを突かれたと思いつつも、その見事な判断能力に感嘆を漏らして、にやりと笑う。
「────なるほど、さすがはギルドの職員だな」
ギルドの職員は、ただ等級にあった依頼を渡すだけが仕事ではない。
依頼内容によってどういう能力が必要かを正確に判断し、そしてその依頼を受ける全構成員の等級や能力値などから、依頼完遂が出来るかどうかを見定める力が必要になる。この能力が欠落していると、依頼を請け負う『渡り鳥』たちの命に関わる。彼らは『渡り鳥』の命綱なのだ。
その命綱であるギルド職員の言葉だからこそ、レオスフォードはどうしたものかと後ろで耳を傾けている三人組を振り返った。
「────だそうだ。どうする?諦めるか?」
「…!!?やだよ!!!何で諦めなきゃなんねえんだよ!!?あんた、強いんだろ!!?」
「お強いどころかレオ様の実力は金剛石に匹敵いたします。……残念ながらご登録はされておりませんが」
「『渡り鳥』稼業も悪くはないが、如何せんそれが許される立場にはないからな」
軽く笑い含みに告げるレオスフォードと残念がるギルド職員を視界に入れながら、コーディはなおさら鼻息荒く食ってかかった。
「なら、こいつで十分じゃん!!そんなに強いなら────」
「強ければいいってものじゃない。死にたくなければギルド職員の忠告は真摯に受け止めろ」
「う……っ!」
ぴしゃりと告げられてすっかり閉口するコーディに、レオスフォードは小さく息を吐きながら提案する。
「…私一人なら難なく行ける。お前たちを守りながら行くより容易いからな。お前たちさえ良ければ、代わりに採取してきてもいい。───どうする?」
その提案に目を爛爛と輝かせたのはアレンで、反面コーディは目を見開いた後、切歯扼腕するように歯を食いしばって悔しそうに俯く。
「こう言ってんだからやってもらおうぜ、コーディ!!別に俺たちが行かなくたって─────」
「俺たちが行かなきゃ意味ないじゃん!!!」
「…!」
「誰かに採ってきてもらった物渡したって、そんなの恩返しになんねえだろ!!!俺たちが自分で頑張って行くからっ!!!そうやって採ってきた物に価値があるんだろ!!!」
「─────…」
コーディの言葉にアレンは虚を突かれて瞠目し、次いでその通りだと言わんばかりに目線を落とす。一瞬でも他人に頼ろうとした自分を恥じ入るように俯くアレンと、行きたいのにその実力が伴わない自分を不甲斐なく思うコーディを一度、互替りに見てから、レオスフォードは心得たようににやりと笑った。
「君ならそう言うと思った」
「……え?」
怪訝そうに振り返るコーディに何やら任せろと言いたげな視線を送って、レオスフォードは唐突に声を上げる。
上げた相手は、聞くともなしに話を聞いていた、事情を理解したであろうギルドに集まる傭兵────もとい『渡り鳥』たちだ。
「────というわけだ!今ここにいる緑柱石以上の渡り鳥で我こそはという者はいないか!?」
急に矛先が自分たちに向かって、一瞬のうちにギルド内は騒めく。狼狽えるように互いの顔を見合わせて、皆が皆一様に困惑したような表情を取ったのは、仲間を募ったのが他ならぬ第二皇子だと理解しているからだ。
ここアレンヴェイル皇国は、他の国と違って皇族や貴族が平民に対して気安い。この第二皇子も、護衛も連れず街を練り歩くはギルドにしょっちゅう顔を出すはで、『渡り鳥』の間でも顔はよく知られていた。だが、だからと言って恐縮しないわけでも、緊張しないわけでもない。皇族だと判っているから、そして他ならぬレオスフォードの実力が金剛石に等しいと知っているから、なおさら立候補など恐れ多くて、誰も彼もが躊躇したのだ。
そんなどよめきと困惑の空気が流れる中、躊躇なく挙がる手があった。
「では俺が行きますよ」
「ギルバート様…!」
立ち上がってレオスフォードたちに歩み寄ってくるその青年に、ギルド職員は安堵を多分に乗せた声音で名を呼ぶ。
「俺の等級はちょうど黄玉ですから、問題はないでしょう?レオ様」
やけに含みを持たせて名を呼ぶ相手に、レオスフォードもにやりと笑って首肯を返す。
「ギルバートなら申し分ないな。───これでいいか?少年」
了承を得るように、レオスフォードとギルバートはコーディを見下ろす。
小さく華奢な自分とは違って、その長身で分厚い衣服の上からでも判る鍛え抜かれた体躯は、どう見ても屈強な戦士にしか見えない。
コーディは答えを欲するように、カウンターの向こうにいるギルド職員に視線を向けた。
苦笑と共に了承の意を込めたギルド職員の頷きを見て取って、コーディはようやく瞳を爛爛と輝かせた。
「行こう!!!青い龍爪花を採りに!!!!」




