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恩返しのこと・一編

「異界の旅人の行方は判ったか?ザラ」


 レオスフォードの執務室へと向かう道すがら、そう問うた主の言葉にザラは悄然とかぶりを振った。


 異界の旅人が何者かに攫われてから、今日で六日が経った。

 ザラは毎日のように情報がないか足繁くギルドに通ったが、何一つ有益な情報は得られなかった。攫われたとおぼしき日以降、異界の旅人の目撃情報がギルドにもたらされたのは、同日彼らが泊っていた宿『エドゥルネ』に本人が直接やって来て、退去手続きをして帰ったという事だけ。それ以降の目撃情報は何一つない。


 異界の旅人とシラハゼの幼子の行方はようとして知れなかった。


「ギルドも困っているようですよ」


 嘆息を漏らしながら呆れたように告げるザラの言葉に、カッティは小首を傾げる。


「ギルドが?」

「情報の信憑性はギルドの信用にかかわりますからね。故意ではないにしろ結果的に我々に嘘の情報を売ったわけですから」

「なるほど」

「律儀にも情報料を返還してきましたので、こちらはカッティ様にお返ししておきます」

「……別にいいのに」

「そういうわけには参りません。金銭のやり取りは曖昧にせず、きちんと整えるべきです」


 ザラはれっきとした貴族の出だが、金銭の授受や取引に関する事には神経質なほどやたらと細かい。カッティはどちらかと言うとどんぶり勘定をする方なので、ザラのこういうところは少し窮屈に感じてしまうというのが本音だろう。


 半ばうんざりしたように金銭の入った革袋を受け取るカッティを見届けてから、ザラは言葉を続ける。


「それとギルドが困っている事がもう一つ」

「…何だ?」

「異界の旅人の魔法でつけられた暖炉の火が、六日経っても煌々と燃え続けているそうですよ。薪もくべていないのに」

「…!六日も…!?」

「どうやっても消えてくれないので、ギルド内を無人にするわけにはいかないのだとゼフォルの旦那がぼやいておりました」


 それにはカッティも苦笑を漏らす。確かに火が燃えている暖炉を放置するわけにはいかないだろう。


「……それにしても六日も魔法が継続しているのか。普通の人間には決して真似できない芸当だな」

「どれほど魔力の高い人間でも、普通は二、三日で魔力が尽きてしまいますからね。─────まあ、異界の旅人はカッティ様が予想なさった通り、魔力を保有していないそうですが」


 ザラの言葉に、カッティは首肯を返す。


 この六日間、カッティはザラにギルドで見聞きした事のすべてを報告しろと指示を出した。異界の旅人の情報はもちろんの事、ザラが無関係だと思われる事でもつぶさに報告しろと命じたのは、一見無関係に思われる情報でも精査した結果、異界の旅人に繋がる情報になり得るかもしれないからだ。


 おかげで異界の旅人に関する情報は、その行方以外すべてカッティの手の内に入った。魔力がない事、稀有なスキル持ちである事、そのスキルが『言葉綴り』と『文字綴り』という初めて耳にする未知のスキルである事─────。


 そしてそれ以上にゴミとおぼしき膨大な量の情報までもが漏れなくカッティの耳に届いた事は、ある意味ザラが優秀だと言わざるを得ないだろうか。残念ながら、それらが異界の旅人の行方に繋がる事はなかったのだが。


「────レオスフォード殿下のご様子は?」


 六日経っても行方の手がかりすら見つからない現状に小さく嘆息を漏らすカッティを視界に入れて、ザラは訊ねる。問われたカッティは、なおさら嘆息を深く落とした。


「……ずっと気が立っておられる。焦っておいでなのだろう」


 無理もない。十二年間、ただの一つもわずかな可能性を見出せなかった光が、小さく光った途端手のひらからこぼれ落ちたのだ。その絶望感は計り知れないだろう。


 何とか平静を装いつつ、それでもちょっとした事で苛立ちを示し、そんな自分になおさら苛立ちを覚えているようだった。


 そんなレオスフォードの心中をおもんばかって、ザラも同様に嘆息を漏らした。


「……エルファス殿下のご容態に変わりがない事だけが救いですね」

「……それもどれだけ余裕があるのかは判らないがな」

「……………縁起でもない事をおっしゃらないでください」


 苦虫を噛み潰したようなザラの顔に、カッティは困ったような笑みを返す。言いたいわけではないが、その可能性を無視するわけにはいかないのだ。余命三年と言われる漆黒病に罹患して、すでに十二年の月日が流れた。もういつ容態が急変してもおかしくはない。だからこそレオスフォードも、言いようのない焦燥感に駆られているのだろう。


「……ですが、これほど探しても見つからないという事は、異界の旅人はもうこの街を出て行ったのでしょうか?」

「いや、おそらくそれはない」


 断言するカッティに、ザラは小首を傾げる。


「考えてもみろ。あの教会には幼い子供たちの足跡がいくつもあった。そして漆黒病末期患者がいた事も確認済みだ。あの教会から、フリューゲルを除けば一番近い街までそりを飛ばしても三日はかかる。幼い子供たちと病人を抱えたまま、それほどの長距離移動は難しいだろう」

「では」

「この街に舞い戻っていると考えるのが妥当だろうな」


 そう思うと、自分がいかに失策をしたのかがまざまざと突き付けられるようで、頭が痛い。


(……異界の旅人が攫われたと判ってすぐ、フリューゲルの街をしらみ潰しに捜索すればよかった……)


 人員を総動員して街の隅々まで捜索する─────それを一度考えたにも関わらずカッティが実行に移さなかったのは、あまりに時間がかかり過ぎると判断したからだ。


 フリューゲルは魔獣の森近郊に位置する街のわりに、その規模はかなり大きかった。それは魔獣の森が今よりもずっと小さかった頃、この街が他国との国境にある街だったからだ。関所としての役割と、アレンヴェイル皇国の玄関口としての役割、そして魔獣の森から国を守る要塞としての役割がこの街に課せられた事で、自然と大きくなったと言われている。城壁で街全体を守った都城としての堅牢な顔は、その名残だろう。


 それほど広大な街を隅々まで捜索しようものなら、全人員を総動員しても、おそらく八日から十日はかかっただろう。その労力を考えると現実的ではないような気がして、カッティはその考えを頭の中から払拭したのだ。


(……だが異界の旅人を探し始めて今日で六日目。あの時決断を下していれば、どれほど時間がかかってもあと四日で居場所は特定できたはず。もっと言えば、もうこの時点で彼を見つけ出せている可能性も大いにあった。……明らかに私の失態だな)


 自嘲するようにため息を落とすカッティを一度視界に入れてから、ザラはまた自責の念に駆られているのだろうと予想しつつも、あえてそれには触れず話を続けた。


「……それともう一つ、ギルドで得た情報ですが」

「…何だ?」

「我々が今いる議事庁舎から北西に位置する小さな森の中に、建設途中の客亭かくていがあるのはご存じですか?」

「…ああ、確か建設途中で業者が倒産したと言う?」

「ええ、それです。その元客亭の建物を誰かが購入したそうですよ。それも現金一括払いで」

「それは豪気だな───と言うよりも物好きと評するべきだろうな。あそこを買い取り施工を開始して客亭としてのていを整えるとなると、どう考えても割に合わないだろう。採算が取れるとは思えない」

「ああ…!いえ、そうではなく!」


 ザラは慌ててかぶりを振って、言い添える。


「購入したのは業者や貴族ではなく、個人です」

「…!……個人?」

「自宅用として購入したそうですよ。どこの金持ちだと、ギルドでも話題騒然でした」

「─────…」


 ザラの言葉にカッティは目を見開いた。すぐさま思案するような仕草を取って、ちょうどレオスフォードの執務室の前で足をぴたりと止める。


「ザラ、後で私と一緒にその元客亭まで行ってくれるか?」

「…?それは構いませんが……?」

「確認したい事がある」


 それだけ告げると、カッティは執務室の扉を軽く叩いて扉を開いた。


「レオスフォード殿下、失礼いたしま─────」


 その開いた扉の向こう側に、銀白色に輝く長い髪をサラリと揺らしてこちらに顔を向けるリシュリットの姿が視界に飛び込んできて、二人は仲良く目を見開き狼狽した。


「…!!?も、申し訳ございません…!!リシュリット様がいらっしゃるとは知らず、ご無礼……を─────」


 言いながらカッティの視線は、リシュリットよりもその奥にいる人物に釘付けになった。


 この執務室の主、豪奢な机に座って手に持つ文を睨みつけるように苦渋と蒼白な顔で凝視している、レオスフォードの姿─────。


「……レオスフォード殿下?……どうなさったのですか?」


 そのあまりに血の気を失ったようなレオスフォードの様子に、カッティは躊躇いがちに声をかける。声をかけられてようやくカッティたちの訪問に気づいたレオスフォードは、平常心を呼び起こすように一度目を固く閉じてから、だがやはり眉間にあるしわを残したまま絞り出すように告げた。


「………兄上の容態が、急変した」

「…!!?」

「エルファス殿下のご容態が……!!?」

「ついひと月前までは以前とお変わりなく過ごされていたではありませんか……!!?」


 三か月に一度、レオスフォードは兄の様子を窺いに必ず首都ノーザンカエラに戻るようにしていた。それにはいつもカッティとザラも追従して、ついひと月前にもエルファスに会ったばかりだ。その時の彼は、確かに三か月前に見た時よりわずかに痩せて見えたが、それでも自身の足で歩いてレオスフォードたちを出迎えるほどには体調がいいように見えた。なのに、なぜ─────。


「それで……エルファス殿下のご病状は?…大丈夫なのですか?」


 わずかに逡巡しながらも、カッティは訊ねる。恐ろしい質問をしている自覚はあったし、レオスフォードの様子を見れば決していいようには見えなかったが、それでもわざわざ訊ねたのは、エルファスの容態如何によっては、ノーザンカエラに戻る準備など急を要する案件が増えるからだ。


 レオスフォードは答える代わりになおさら渋面を深くその顔に刻んで、文を握りしめる。その様子でもう余命は幾ばくもない事が窺い知れたが、言葉にする余裕がないレオスフォードの代わりにリシュリットが答えた。


「……シェラハザードの見立てでは、エルファス殿下の余命はもってあと八日ほどだそうです」

「八日…!!?」


 そのあまりに急な余命宣告に、二人は目を見開く。


「……では、遅くとも三日後にはフリューゲルを出立しないと……」


 エルファスの最期に立ち会えない─────そう続く言葉を、ザラは呑み込む。わざわざ言葉にしなくともこの場にいる誰もが判っている事だったし、何より明確に言葉にしてしまえばエルファスの死が唐突に現実味を帯びるような気がして、ザラは言葉にする事を躊躇ったのだ。


 わずかに沈黙が場を支配して、その静寂の中にやはり場にそぐわないほど柔らかで静かな声が響く。


「─────まだ三日あります」

「…!」

「この三日の間に、必ず異界の旅人を探し出しましょう。あの青年には漆黒病を治癒する手立てがあると、私は確信を抱いています」


 はっきりとした口調でそう言い切って、リシュリットは閉じたままの瞳をカッティへと移す。


「……貴方もでしょう?カッティ」

「…!」


 唐突に問われてカッティは目を見開きながらも、すぐさま覚悟を決めたように強い眼差しをリシュリットに返す。


 レオスフォードをぬか喜びさせたくはないと、思っていた。だが、もうそんな悠長な事を言っている場合ではない。たとえ自分の推測が間違いであっても、このまま何もしないでただエルファスの死を待つ事だけは避けたい。そうなれば必ず、自分だけではなくレオスフォードまで後悔の念が一生その心を苛むだろう。


 力強く頷くカッティを見て取って、レオスフォードもまた失いかけた決意を取り戻すようにおもむろに立ち上がった。


「……ああ、そうだ。あと三日もある。漆黒病を治す手立てがなかった以前とは違う。今は異界の旅人という希望の光が間違いなくそこにあるんだ」


 治せるかどうかは判らない。だが何もせずに指をくわえて兄の死を見届けるなど、自分の性分ではない。

 諦めないと誓ったのだ。兄にも、そして自分自身にも。


「─────足掻くぞ、私は。最後の最後までだ…!!」


 力強くそう告げるレオスフォードに、皆決意を新たにするように同じく首肯を返す。

 その瞳に映るのは、『異界の旅人』というわずかな光。


 まがい物の光かもしれない。

 徒労に終わるだけかもしれない。

 それでもこの十二年、ただの一度も光らなかった唯一の光だ。

 それを見逃すわけにはいかない。


 猶予はたったの三日。

 その三日に賭けるように、がむしゃらにでも足を進めるしかない。


 皆そう確認するようにもう一度頷き合って、一様に踵を返した。


「私はもう一度、森の教会に足を運んでみましょう。何か手がかりを見落としているかもしれません」

「承知した。そちらはリシュリット殿にお任せする」

「私とザラは北西の森にある建設途中の元客亭に行ってまいります。少し確認したい事がありますので」


 判った、と答えて、レオスフォードも剣を手に取った。


「────レオスフォード殿下はどちらに?」

「私はギルドへ行く」

「…!ギルドへは─────」


 言いかけたザラの言葉を、レオスフォードはやんわりと制した。


「判っている、お前が毎日通ってくれている事は。だが私は自分で見聞きしないと気が済まない性分だからな。それに─────」


 剣を腰に差して、レオスフォードは端正なその顔ににやりと笑う。


「状況は刻一刻と変わるものだ。常に同じと考えるな、ザラ」


**


「よお、親父。生きてるか?」


 いつもの声掛けをして部屋に入ってくる律を、ベッドに座ったままのカイルはやはり、じとりとした視線で迎え入れた。


「………生きてる」

「そりゃ、よかった」


 笑い含みにそう答えて、律はいつも通りカイルの食事を小さな卓に盆ごと置いた。


「調子はどうだ?親父」

「……悪くはねえな」

「痛みは?」

「綺麗さっぱりなくなった。……今までが嘘みてえにな」

「……そか、良かったな」


 肩の荷を下ろすように安堵のため息をいて、律はソファに腰を下ろす。


「でもまだ安心はできないからな。本当に完治したのか医者じゃない俺には判らねえし、それに漆黒病は生まれつき闇に対して敏感に反応してしまう体質の人間が発症するって書いてあったからな。闇がなくならない限り、またいつ発症するか判らねえから、少しでも体調に変化があれば言えよ」


 頷くカイルを待ってから、律はカイルに食事を手渡す。


 律が治癒魔法でカイルを治してから二日が経った。治癒をする前と違うのは、カイルはもう食事を摂るのに介添えを必要としない事。三年もの間、満足に食事も摂れず寝たきりの状態が続いたため、まだベッドから出られるような状態ではなかったが、それでも律に治癒してもらってからの二日間で、カイルは自分で食事が摂れるまでに回復したのだ。


「……それよりも、一体いつまで続けるつもりだ?」

「…?何の話だよ?」


 食事を摂りながら不満そうに、だが半ば諦めたように訊ねてくるカイルに、律は小首を傾げる。


「だからその呼びかけだ。部屋に入るたびに俺の生死を確認するな」

「ああ、それか。親父が全快するまで続けるからさ、我慢してくれ」

「…………意外に長いな」


 苦虫を噛み潰したような表情を取るカイルを笑って、律は食事を摂り終えた皿をカイルから受け取る。


「だいぶ食欲が戻ってきたな」

「……ああ」

「昼食からもう少し量と質を増やすか」


 カイルは食事を摂れるようになって日が浅い。まだ胃腸が弱っているだろうと推測してとりあえず粥を食べさせてはいるが、そろそろ栄養的にも他のものも食べさせた方がいいだろう。光の精霊の治癒魔法でも、痩せ細って衰弱した体や、失った血液を戻す事は出来ない。それらは物理的に摂取するしか治す術はないのだ。


 それでも胃腸は弱っているはずだから、消化が良くなるように野菜はくたくたによく煮て味付けはあっさり目に。粥ばかりで飽きてくる頃だろうから、うどんに似た麺料理もいいかもしれない─────そう思案しながら独り言を落とす律をちらりと一瞥した後、カイルは窓から見える子供たちの姿を視界に入れた。


「……俺はいいから、あいつらに飯を食わせてやってくれ」


 満足に食事を与えてやれなかった。日に日に痩せていった子供たちは、ここに来てからの六日間でようやく若干頬に肉が付いたように見える。それに安堵しつつ、だがそれでもまだ痩せ細っている彼らに少しでも多く食べさせてやりたい。自分の分を分け与えてでも─────カイルの子供たちに向ける眼差しから律はそう汲み取って、くすりと笑みを落とした。


「心配するなよ、あいつらにもちゃんと飯を食わせてる。チビ達の事よりも親父は自分の心配でもしてろ」

「……金は無尽蔵に出てくるもんじゃねえだろ」

「それこそ余計なお世話だ。他人の懐事情なんて病人が気にする事じゃねえだろ?親父はまず自分の体が良くなる事だけ考えてろ。ただでさえコーディ達やチビ達に、親父はいつ良くなるんだってせっつかれてんだから」


 笑い含みにそう答える律をしばらく見やって、カイルはおもむろに、だがゆっくり深々とこうべを垂れた。


「…!」

「…すまん、リツ。散々、迷惑をかけた。世話にもなった。受けた恩と金は必ず返す。だからせめて、俺の体が動けるようになるまで、あいつらの世話をしてやってくれねえか?……頼む!」


 そのカイルらしからぬ行動に律は思わず目を瞬き、だがすぐさまくつくつと笑い声を落とした。それが耳に届いて、カイルは下げた頭を渋面と共に上げる。


「………お前な、俺は真面目に頼んでんだぞ?」

「いやあ!親父って意外に義理堅いんだな!ってか親父らしくねえだろ?」


 笑い声を我慢しきれなくなったのか律は哄笑を上げながらそう言うので、カイルはさらに苦虫を潰したような顔を披露する。そんなカイルに、律はもう一度にやりと笑ってみせた。


「恩も金も返す必要なんてねえよ。家族の間で返すも返さねえもないだろ?」

「…!─────家族…?」

「ああ、そう言えば親父に紹介したい奴がいるんだよ」


 そう言って戸惑いを見せているカイルを尻目に、律はおもむろに立ち上がって窓を開いた。


「おーい!!リッカ!!」


 手招きされて、小首を傾げながらも嬉しそうに駆け寄ってくるリッカの体を、律は窓越しに軽々と抱き上げる。そのまま部屋の中に下ろされたリッカは目の前にカイルの姿を見止めて、なおさら訳も判らず小首を傾げて律の言葉を待った。


「親父も最初に見た覚えがあるだろ?俺の弟のリッカだ」

「弟……こっちの世界の、か?」

「ああ、もちろん血の繋がりはない。……リッカ、この人はコーディ達の親父だ。これからは、リッカの親父にもなってくれる」

「…!」


 当然のように落とされた思いもよらぬ律の言葉に、両者目を丸くして律を一度視界に入れてから、互いに互いへと視線を移す。そのちょうど視線が交わった瞬間、リッカはびくりと体を震わせて慌てて律の後ろへと逃げるように隠れた。


「…?…リッカ、どうした?」

「─────…」


 律の後ろに隠れたまま無言で律の服を握るリッカの姿に、カイルは小さくため息を落とした。


「……無理強いしてやるな、リツ。俺が怖いんだろう」

「…!……ああ、そか。……ごめんな、リッカ。ちょっと気が早かったな。親父は悪い奴じゃないからさ、少しずつ慣れていけばいい」


 リッカと目線を合わせるように膝をついて頭を撫でる律を上目遣いに見てから、リッカはその奥にいるカイルをちらりと視界に入れる。再び目が合ったところで今度は穏やかに笑いかけるカイルが妙に面映ゆく、たまらずうつむくリッカをカイルはもう一度笑った。


「ほら、みんなと一緒に遊んで来い」


 そう言って律は、再びリッカを抱き上げて窓の外に下ろす。わずかに逡巡しながらも小さく頷いて元いた場所に戻っていくリッカの背を見送って、律は後ろのカイルを振り返った。


「……悪いな、親父。リッカに悪気はねえんだよ。ただ─────…大人にいい思い出がないみたいでな」

「ああ、気にするな。……シラハゼだからな。色々怖い目にあっただろうし、実際怖い目に合わせちまったからな」


 力づくでかどわかして来たのだ。ただでさえ幼いのに、誘拐犯に懐けと言う方が無理があるだろう。

 そう言外に告げたカイルの言葉に、律は小さく目を瞬く。


「………親父にもリッカがシラハゼだって判るのか?」

「…?判るも何も見たまんまじゃねえか」

「見たまんま?」

「…何だ、知らないのか?シラハゼは色が白いんだよ。髪も肌も、それに目の色も必ず淡い色だ」

「へえ…!それでみんなリッカを見てすぐにシラハゼって判るんだな」


 思い起こせば誘拐されたその日でさえ、あのコーディがリッカをシラハゼと呼んでいた。外見的特徴がなければ、そうはいかないだろう。


 元いた世界のアルビノみたいなものだろうか、と心中で思案する律は、だがカイルの続く言葉に目を大きく見開くことになる。


「シラハゼは短命だって言うからな。お前がちゃんと守ってやれ、リツ」

「─────……待った、今何て言った?」

「…?だからお前がちゃんと守ってやれって─────」

「そこじゃなくてその前!!?」

「……シラハゼは短命─────…って、それも知らねえのか?」

「知るわけねえだろ!!俺はこの世界に来てまだ十日も経ってねえんだぞ…!!短命って何だ!!?体が弱いって事か!!?疾患でもあるのか!!?」

「……落ち着け、ばか」


 飛びつかんばかりに矢継ぎ早に質問してくる律に、カイルは呆れたようにため息を落として口を開く。


「まあ、生まれつき体が弱いシラハゼってのも一定数いるみたいだがな。でもリッカを見る限りそんな感じじゃねえだろ」

「……まあ、確かに」


 むしろこの寒空の中でも他の子供たちと同様に駆け回るリッカの姿は元気に見える。


「シラハゼが短命だって言われる所以ゆえんはな、その体の弱さよりもむしろ殺される確率が高いからって言った方がいいかもしれねえな」

「…!……殺される?」

「利用されるんだよ、シラハゼは。悪党にな」


 シラハゼは頭がよく多才である反面、情に厚く心が清らかで、人を疑う事を知らない。それゆえに、利用されやすいのだ。利を得るためにシラハゼを利用して悪事に手を染めさせ、用済みになれば殺す─────カイル自身滅多にいない稀有なシラハゼと遭遇した事はリッカが初めてだが、悪事の限りを尽くしていた頃はどこの誰それがシラハゼを利用して莫大な利益を得たという話は、幾度も耳にした経験があった。奴隷として高値で売り買いされる事も、悪事に手を染めていたカイルはよく知っている。


「幸いリッカは体が丈夫なんだ。お前がちゃんと守ってやれば問題ないだろ、リツ」

「─────そうか」


 ぽつりと呟いて、律は外で遊ぶリッカを視界に入れる。


 ─────『子供を引き取って世話をするって事は、そいつの人生丸ごと背負って責任を持つって事だ』


 自分で口にした言葉が胸に刺さる。

 元々そのつもりでリッカと一緒にいたのだ。

 この言葉をぞんざいに扱うつもりも、反故にするつもりもない。


「………そうだな」


 律は固い決意を乗せた瞳をリッカに向け、拳を固く握った。


「……よし、リッカに近づく奴は片っ端から黒虎こっこに襲わせるか」

「………やめておけ、この兄バカ」


 げんなりするように垂れたこうべに手を当てて、カイルは呆れたように盛大にため息を落とす。律は一事が万事こんな調子なので、本気なのか冗談なのか判断が付かない。


 律はそんなカイルを笑って、「冗談だよ」と返してから、食事の摂り終わった食器を乗せた盆を手に取った。


「─────そういえば、ジオン達がどこに行ったか知らねえか?朝飯食い終わってから見かけねえんだよ、三人とも」

「何だ?リツには何も言わずに出かけたのか?あいつらは。ギルドに行くと言って出て行ったぞ」

「ギルド?何しに行ったんだよ?」

「さあな」


 小首を傾げるカイルを怪訝そうに見返してから、律は困惑したようにため息を落とした。


「どうした?」

「買い出しに行きたかったんだよ。六日前に大量に買った食材がそろそろ底を突きかけてるからさ」


 この元客亭を購入した際、律は数日分の食材を大量に買い込んでいた。あれから一度も街に足を運んでいないので、もう現状ほとんど何もないといった状態だ。


 カイルは律が何を言いたいのかが判らず、眉根を寄せる。


「…?行ったらいいだろ?」

「チビ共がいるだろ?面倒見てもらいたかったのに、肝心な時にいねえんだから」

「あいつはどうした?確か……ユーフィムとか言う小綺麗な顔した奴だ」

「ユーフィムはいつもふらふらと出かけては、ふらふらと戻ってくるからな」

「つまり今は居ないんだな?」

「そゆこと」


 律の言葉に、カイルはため息を一つ落とす。


「さすがに今の親父に面倒見てもらうわけにはいかねえからなあ……。仕方がない、誰か帰ってくるまで待つか」


 嘆息を漏らしながら諸手を挙げるように部屋を出て行こうとする律の背に、カイルは若干面倒臭そうに、だがそれ以上に仕方がなさそうに息を吐いた。


「………あいつら全員、この部屋で遊ばせろ」

「え?」

「これだけ広けりゃ、ここで十分遊べるだろ。満足に面倒は見れねえが、外であいつらだけで遊ばせるよりはマシだと思え」


 その言葉を聞いて、律は待ってましたとばかりににやりと笑う。


「親父ならそう言うと思った。さすがは『親父』だよな」


 言って部屋を出ていく律の背に、目を丸くしながら小さく「………確信犯か」とカイルの呟きが聞こえたのは言うまでもない。




「じゃあ行ってくるから、ちゃんと親父の言う事聞くんだぞ?」


 はーい!と元気な返事を聞いて、律はリッカの頭を撫でる。


「すぐに戻って来るから、黒虎と一緒にいるんだぞ?」

「……うん、判った」

「…!待て、リツ…!まさかヘルムガルドも置いていくつもりか……!?」


 踵を返して出て行こうとする律を、カイルは慌てて呼び止める。それに律は、さもありなんと答えた。


「当たり前だろ?何かあった時、親父じゃ対処できないだろ?ベッドから出られねぇんだから」

「………いや、そりゃあそうだが………」


 肯定を示しつつ、カイルはしどろもどろと言い訳を探すように思考を彷徨わせる。そんなカイルを尻目に、律はリッカの肩にいる黒虎の頭を一撫でして最後に声を掛けた。


「黒虎、みんなの事任せたぞ。何かあったら手加減しつつちゃんと守ってくれ」

「…!あ、こら…!待て!!リツ!!」


 くおん、と了承を示す黒虎の鳴き声を聞いてから、やはりカイルの呼び止める声は聞こえないふりをして、律はそのまま踵を返す。カイルはその去っていく律の背とリッカの肩にいる黒虎を、ただただ成す術もなく、困惑を極めた瞳で互替かたみがわりに見つめるしかなかった。

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