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漆黒病のこと・六編

 律は元々、名称を考える事が苦手だった。それは名前よりも、世界設定やキャラ作り、ストーリーの方がより重要で、名前はあくまで便宜上つけているだけに過ぎないと、心の中で思っていたからだ。だからこそ、いつも名前を考える事に時間を割くのが勿体ないとさえ思っていた。


 そんな律が名前を決める時は、決まって直感で名付けるようになった。頭に瞬間的に思い浮かんだ名を、特に深く考える事もせずそのまま流用したのだ。


 だがそうやって半ば適当に決めたはずの名は、意外にも物語が進むにつれ、まさしくそのキャラに相応しい名に変わっていった。このキャラがそれ以外の名で呼ばれる事に、強い違和感を覚えるほどに─────。


 以来、律は自分の名付けの直観を信じるようになった。

 これもある意味『名は体を表す』という言葉が指し示すように、そのキャラの本質を無意識に理解しているが故の直観なのだろうと、律は思っている。


**


「毎日毎日、朝早くから精が出るな、ユーフィム」


 一度大きなあくびを落としてから、律は雪が積もっている寒空の下で剣術の鍛錬に勤しむユーフィムに声を掛ける。自身の吐いた白い息の向こう側に、まるで剣舞を舞っているかのように優美で、かつ剣先から足の先まで一糸乱れぬ洗練された動きを見せるユーフィムの姿があった。


 彼はしばらくそうやって剣を振った後、区切りのいい所で一連の動きを止めて軽く息を整え、ようやく律を振り返った。あれほど頑なに『オウル』という名を呼ばなかった律は、昨晩から何の疑いもなく自分の名を口にしている。


「……ただの日課だよ、やらないと居心地が悪いんだ」


 ユーフィムとここに住むようになってから、彼がただの一度もこの日課を怠った事がない事を律は知っている。毎日夜更かしをして書物を読みふけっている律は、彼の振る剣が風を切る音でいつも朝が来た事に気付くのだ。


「怖えな、あれがただの日課かよ」


 言いながら律は手に持っているタオルをユーフィムに投げ渡す。


「お前、相当強いだろ?」


 にやりと笑う律を視界に入れた後、ユーフィムは今渡されたばかりのタオルを視界に入れた。

 鍛錬を初めて、もう一時間は経つ。これほど寒い中であっても脇目もふらず鍛錬に没頭していると、驚くほど汗だくになる。それを拭けと言っているのだろうと理解して、ユーフィムはタオルで軽く顔を拭きながら答えた。


「……まさか。俺の取り柄をあえて挙げるなら、この顔だけだよ。俺は『何も出来ない一族の落ちこぼれ』だと散々陰口を叩かれて育ったからね」

「ははっ!ならその陰口を叩いた奴らはいずれ泣きを見るな」

「…………俺の話聞いてた?だから一族の落ちこぼれなんだってば」

「そんなわけないだろ。お前自分で気づいていないのか?」


 律は怪訝そうに眉根を寄せる。


 少なくとも日課と称する毎朝の剣の鍛錬を見る限り、彼が言うように『落ちこぼれ』と呼ばれるような拙いものでは決してない。それは剣術のいろはも知らない律から見ても、明らかに見て取れるほどだった。


 あれはまるで、二次元でよく描かれているような現実離れした動きだと言ってもいいだろう。一つ一つの動作に揺らぎがまるで見られず、卓越された重々しい所作と、反面まるで重力を感じさせないほど軽やかな動作─────決して現実世界では見る事の叶わないその光景に、律は腹立たしくも初めてそれを目にした時、一瞬で目を奪われた。そして今もまた、超人的な動きと絵に描いたような美麗さを併せ持つ彼のその剣技に、魅了されずにはいられないのだ。─────それを伝えるにはあまりに癪に障って仕方がないので、思うに留めたのだが。


 ユーフィムは律の表情から、いかにも才能があるのだと訴えているような気がして、わずかにうんざりしたようにため息を落とした。


「……ごくごく平凡な生まれのリツから見れば確かに強く見えるのかもしれないけどね」

「平凡で悪かったな」

「でも俺の一族はそもそも戦闘一族だ。この程度なら大したことはない」

「……ふーん、お前って自分を知らないんだな。それとも落ちこぼれだと言われ続けた所為で、そう思い込んでるのか?」

「……?」


 なぜだか説明をしても、律は自分の認識を改めるつもりはないらしい。ぼやきにも似た様子でため息を落としながら近づいてくる律に、ユーフィムは怪訝そうな表情を返す。そんなユーフィムににやりと笑って、律はユーフィムの胸の辺りに人差し指を軽く押し付けた。


「昨日のお前を倣って、俺からも予言してやるよ」

「……何を─────」

「お前の中には自分でも気づかない大きな力が眠ってる。お前みたいに得体の知れない飄々とした奴は大体強いって相場が決まってるからな。自分を弱いと思い込んでいる奴は特にだ」

「─────……」


 妙に確信めいた瞳でそう断定する律に、ユーフィムはたまらず目を瞬いた。そうしてすぐさま、胡乱うろんな目を律に向ける。


「……………それって一体どこの相場?」


 主に二次元の、と心中で答えつつ、まさかそれをそのまま口にするわけにもいかないので、苦笑で誤魔化しつつバツが悪そうに目を背ける。そんな律にやはり嘆息を送って、ユーフィムはことさらこの話題が嫌だとばかりに顔を背け、剣を鞘に戻した。


「……君は俺を過大評価し過ぎてる」

「そんな事はないぞ。俺は人を見る目だけは確かだからな」


 小説を書く上で否応なく養われた自分の唯一の特技を否定されたような気がして、律はわずかばかり不機嫌そうに返す。


「魔法の知識も豊富なんだろ?お前に教えてもらった字を読む魔法、リッカですら知らないって言ってたぞ?」


 ユーフィムに教えてもらった、読めない字を読む方法─────それは視界に入った文字を音の精霊が耳元で囁いてくれる魔法だった。その精霊の声が聞こえるのは、魔法を行使している人間にだけ。なので真夜中にこの魔法を使っても、周囲に声が漏れることはない。ここは幼い子供たちが多いだけに、なおさら都合のいい魔法だった。


 ユーフィムは律の言葉を聞いて、小さく「ああ…!」と声を上げた。


「あれは大昔によく使われていた魔法だよ。昔は今と違って識字率がかなり低かったからね。ほとんどの者が重宝してこの魔法で文字を読んでいた。─────今ではすっかり廃れた魔法だ」

「へえ……!じゃあ、あの時使ってた魔法は?」

「あの時?」

「あの廃屋を出て街に向かう時だよ。お前何かやってただろう?」


 朽ちた教会から出る準備を済ませて、皆で街へと向かおうとそりに乗り込んでいた最中、その橇の後ろで何やらブツブツと呟いていたユーフィムの姿を、律は記憶に留めていた。何か企んでいるのだろうと思いつつ、おそらく自分たちには害のないものだろうと推察して、律は特に咎める事も問いただす事もせず放置したのだ。


 ユーフィムは記憶を掘り起こすように視線を宙に流し、すぐに思い至って口を開く。


「ああ、あれはただ俺たちの足跡そくせきが残らないようにしただけだよ。後を追われると面倒だからね」

「……?誰が追っかけてくるんだよ?」


 意味深なユーフィムの言葉に、律は顔をしかめるように眉根を寄せる。そんな律にユーフィムは、やはり真面目に答える気がないのか、くすりと笑みを返した。


「さあ、誰だろうね?」

「……………お前はつくづく得体が知れないな」

「それはお互い様だろう?」


 ああ言えばこう言うところも同じだろうか。


 律は渋面を取りながら諦観を含んだため息を落として、すぐさま踵を返した。


「さて、飯作りに戻るか。お前も早く部屋に戻れよ」

「俺も手伝うよ」

「それより先に着替えてこいって。風邪引くぞ」

「手伝うってば」

「はいはい。じゃあ待ってるから、ちゃんと着替えてから来いよ」


 笑い含みに承諾して、律は後ろにいるユーフィムを振り返る事もなく手だけを振って玄関の奥に消えていく。そんな律の背を見送りながら、ユーフィムは自身が持つ剣に視線を落とした。


 ─────『俺は人を見る目だけは確かなんだよ』


 確信に満ちた律の瞳と、はっきりと断言した律の言葉が、ユーフィムの脳裏によみがえる。

 かつて自分は一族の期待を一身に受け、そして裏切り落胆させてきた。いつの日か律も、期待を裏切られたと落胆する日が来るのだろうか。彼から蔑むような視線を向けられる時が、いつの日か来るのだろうか。


 ユーフィムは来るかどうかも判らないそんな日を想像して、肩を落としながら嘆息を漏らした。


「………悪いけど君のその人を見る目、今回ばかりは曇ってるみたいだよ」


**


「『ユーフィム』って誰だよ?」


 食堂で食器を並べながらそう問うたのは、コーディだった。


 コーディは朝がどうしても弱いのか、なかなか早起きができない。なので何とかかんとか眠い目をこすりながら起きて重たい体を半ば引きずりながら食堂に向かうと、大体いつも子供たちの方が早起きで、すでに定位置に座って朝食を待つ子供たちが出迎えてくれる。そのまま厨房に向かうとすでに食事の準備が終わっているので、必ず朝食の時は食器を並べる事だけがコーディの日課になりつつあった。


 そんないつもの日課をこなしつつ、コーディは律が何度も口にしている聞き慣れない名をいぶかしんだのだ。

 その問いかけに律は無言で昨日までオウルと呼ばれていた人物を指差し、当の本人はやはり無言で手を上げる。


「……はあ?お前オウルじゃなかったのかよ?」


 呆れたように答えたのは、同じく椅子に座って頬杖をつきながら朝食を待っていたアレンだ。そのアレンの言葉に、コーディは大げさなほど目を見開いて声を荒げた。


「おま…っ!!俺たちに偽名名乗ってたのか……っ!!?」

「リツにはすぐにばれたけどね」

「何でばれたんだ?」

「さあ?オウルって顔じゃないんだって。意味判る?」

「はははっ!!何だよそれ!!!」


 同じく朝食の準備をしているユーフィムの説明を聞きながら、コーディはケラケラと笑う。そんなコーディを何とはなしに視界に入れながら、ジオンは怪しむような視線をユーフィムに向けた。


「なぜ偽名を使った?」

「……色々と事情がある。それに俺は俺の名前が嫌いなんだよ」

「贅沢だぞ。せっかくお前によく似合う綺麗な名前なのにもったいない」

「………………それ、男の俺に言う台詞?リッちゃんってば天性の人たらしだねえ」

「言ってろ。そしてその呼び方は禁止だ」

「子供たちはそう呼んでるけど?」

「チビどもはいいんだよ」


 やったー!と食堂中に子供たちの喊声にも似た声が上がる。コーディはその律とユーフィムのやり取りを何とはなしに耳に入れながら、何やらモヤモヤとした気分と同時に胸の内に苛立ちとも焦燥感とも取れる奇妙な感情が沸き起こるのを感じて、たまらず二人の間に割って入った。


「はいはいはいっ!!!じゃあ俺の本名当ててみろよ!リツ!!」

「コーデリア」

「…!!?」


 間髪空けずすぐさま言い当てられて、コーディは目を大きく見開いた。そして、おそらくばらしたであろう人物にめつけるような視線を向ける。


「兄貴!!アレン!!お前ら俺の名前リツに教えたな!!?」

「……そんなわけあるか」

「そうだよ、そんなの教えて何の得があるんだよ?」

「………じゃあ、親父……か?」

「親父がそんなのわざわざ俺に教えるかよ」

「…………じゃあ、何で?」


 戸惑いの中にわずかな期待を含ませて、コーディは律の答えを待った。─────…一体何に対してどんな期待をしていたのかコーディ自身も判ってはいないのだが、それでもなぜか爛爛とした瞳で律を見ているコーディに、律はそうとも知らずあっけらかんと答える。


「コーディが愛称になる名前ってコーデリアしか思い浮かばなかったんだよ」

「…!!!!!?何っっっっだ、その理由っっっ!!!!!」


 そのあまりにくだらない理由に、コーディは顔を真っ赤に憤慨する。オウル改めユーフィムへの対応とは何やら雲泥の差のような気がしてならない。いらぬ期待を抱いた自分があまりに馬鹿馬鹿しい─────と思いつつ、自分が何に期待をしたのかはおろか、何に対して怒っているのかさえもよく判らない有様なので、コーディはしかめっ面を取ったまま怪訝そうに眉根を寄せた。唯一その理由を感じ取ったユーフィムだけは食堂の端で忍び笑いをひた隠しているふりをしているので、それを軽く睨みつつ、コーディは再び朝食の準備を始めたのだった。



「─────さて、と」


 朝食の準備を終えて皆が食事を摂る最中、やはりほとんどその食事に手を付ける事もなく自席を立ち、律はカイルの食事を乗せた盆を手に取る。


「親父の食事、部屋に持って行ってくるから─────」

「─────リッカ、コッコ」


 律の言葉を遮るようにユーフィムはおもむろに二人の名前を呼び、指をパチンと鳴らす。それを合図に、リッカと小さくなった黒虎はおもむろに立ち上がった。


「─────は?」


 何が起こったのかと目を丸くしたのも束の間、すぐさま二人は律に飛びつき、それを見ていた子供たちも目を燦燦と輝かせて雪崩式に律に飛びついたのだ。


「うわ……っっ!!?こ、こら…!!ばか、危ない─────!!!」


 これにはさすがに律も予測が出来なかったのか、避ける暇もなく子供たちの雪崩攻撃を真正面から受けて、そのままバランスを崩し地面に倒れ込む。律が手に持っていた盆は、いつの間にやら傍に来ていたユーフィムが倒れる寸前にひょいっと取り上げて、そのまま同じように待機していたコーディへと手渡された。


「おま…!!ユーフィム!!!お前の差し金か!!!?一体何のつもりだっ!!?」

「だって昨日も結局一睡もしなかったんだろう?君に倒れられると困るんだってば」

「だからってリッカと黒虎を使うなよ!!!」

「リツお兄ちゃん、ちゃんと休んでご飯食べてよ……。倒れたらやだ……!」

「う………っ」


 リッカと同じく、くおん、と寂し気に鳴く黒虎の姿がなおさら律の罪悪感を刺激する。二人の、目を潤ませながらこちらを見つめて来る姿は反則ではなかろうか。


「これは俺が親父のとこに持って行くよ。俺たちも、お前に倒れられると困るんだからな」


 言いながら踵を返して有無を言わさず食堂を出て行くコーディの姿でさらに追い打ちをかけられて、律はたまらず諦観を含んだため息を落とした。


「………………判った、降参だ」

「……何も一睡もするなとは言っていないぞ?リツ」

「そうだよ、お前が倒れたら誰が親父を治してくれんだよ?」

「………だから、治すために時間を惜しんでたんだろ?」


 子供たちを再び食卓に着かせて、呆れたようにこちらを見てくるジオンとアレンに、律は言い訳じみた言葉を落とす。実際確かにカイルを治すために時間を惜しんだわけだが、そもそも『知識を蓄える』という行為自体が律にとっては寝食を忘れるほどの至福の時間なので、どちらかというとそちらに傾倒したと言ってもいい。その自覚があるだけに、律は多少バツが悪そうに言い訳だけに留めて、素直にもう一度子供たちに倣って食卓に着くしかなかった。


(……こうやってのんびり飯食うのも、久しぶりだな)


 食事を口に運びながら、律は何とはなしにそう思う。


 子供たちの面倒を合間合間に見ながらの食事だったので始終のんびりとはいかなかったが、食事の時間を削っていた律にとってはひどくゆったりと時間が流れているような気分になった。


 外を見れば日がわずかに昇り始めて、食堂に温かな日差しを提供してくれている。食事を摂って、さらに心地の良い暖かさに包まれた所為か律の睡眠不足の体が急激に休みを欲し始めた。気を抜けば瞼が閉じてしまいそうなふわりとした感覚に襲われる。見れば自身の肩に居場所を作っている黒虎も、温かい日差しに眠りを誘われて、うつらうつらと頭を揺らしていた。


 律は眠い顔にくすりと笑みを作って、呟くように言葉を落とす。


「黒虎も飯が食えたらいいのになあ」


 そう言い終えた直後、和やかだった食堂にコーディの悲鳴にも似た叫び声と、ひどく慌てた足音が食堂の中に響き渡った。


「リツ……っっっ!!!!リツ…っっっ!!!親父が……!!!」

「コーディ…!!?」


 騒然となって子供たちは食事を摂る手を止め、律やユーフィム、そしてジオンとアレンもまた息を切らしているコーディに慌てて歩み寄る。


「コーディ!!落ち着け…!!何があった!!?」

「親父が………!!また大量に血を吐いた……!!」

「!!?」

「どうしよう…!リツ…!!!親父が死んじゃうよ……!!!」


 へたり込むようにしゃがみ込み、そのままたまらずぽたぽたと涙を流すコーディをその場に残して、律の体は反射的にすぐさま階下のカイルの部屋へと向かっていた。

 

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