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漆黒病のこと・五編

 子供たちが食堂に入ると、部屋の隅で自身の手を見つめながら悄然と項垂うなだれるようにしゃがみ込んでいるコーディの姿が目に入った。その傍らには、オウルが腕を組みながら憐れむような苦笑をコーディに送っている。


「ねえねえ、コーディ姉ちゃん、どうしたの?」

「うわー!ねぇね、指が絆創膏だらけ!」

「また増えたんじゃない?」

「リッちゃんはお手て綺麗なのにねえ!!」

「~~~~~っっっ!!!!!」


 周りに集まって好き勝手言葉を投げて来る子供たちに、コーディの堪忍袋の緒がぷつりと切れる。


「うるさいなっっ!!!!これでも頑張ってるんだよ!!!何であいつは男のくせに料理が出来るんだっっ!!!」

「それは偏見って言うんだぞ、コーディ」

「いてっ」


 子供たちやアレンに次いで、リッカやジオン、黒虎と共に食堂に入ってきた律が、声を張り上げるコーディの頭をやはり軽くはたく。コーディははたかれた頭を軽くさすりながら、じとりとした視線を律に向けた。


「……お前何でそんなに手慣れてんだよっっ!!!母親かっっ!!!?母親なんだなっっ!!!?」

「あー母親か!いいな、それ。ここには母親代わりの人間は誰もいないもんなあ?」


 勝ち誇ったような視線をコーディに向けるその目は、いかにも『女なのに家事も出来ないのか』と馬鹿にしているように見える。見えるが正鵠せいこくを得た意見なので結局何も言い返せず、たまらず口を噤むコーディを、律はくすりと笑った。


「冗談だ。家事なんて慣れれば誰でも出来んだから、そう焦るな、コーディ」

「……!」


 言いながらすれ違いざまにコーディの頭をひと撫でする律に、コーディは唐突に面映ゆい気分に陥った。

 律はこうやって時折、急に優しくなる。口が減らないむかっ腹の立つ奴だと思っていると、途端に不意を突いて優しい声音でこうやって優しい言葉を掛けてくるのだ。


 コーディはみるみる顔が赤らんでいくのを自覚して、たまらず照れ隠しに怒鳴り声を上げた。


「こ、子ども扱いすんなよ…っっ!!」


 そんなコーディを笑って、律は手を打ち鳴らしながら周囲に集まる子供たちに呼びかける。


「さあ、さっさと座って飯を食え。せっかくの料理が冷めるぞ」

「はーい!!!!」

「ああ、待て待て。お前らは先に前掛けつけろ」


 着座してすぐさまスプーンを手に食べ始める子供たちのうち、まだ二、三歳ほどの幼児たちの手を慌てて止めさせて、律は用意してあった前掛けを順々に付け始める。


「えー!!おなかすいたー!!」

「早く食べたいー!!」

「お前らはまだ上手く食べられないだろ?服が汚れると落とすのが大変なんだぞ?」

「おなか空いたから次ボクにつけてー!!」

「やだー!!次はわたちの番だもん!!」

「こらこら、喧嘩するな。順番にしてやるから」


 食事の時はもはや見慣れた光景である。

 その幾度目かになる光景を、だがオウル含めジオン達はやはり感嘆と驚嘆が入り乱れたような眼差しで眺めていた。


「………相変わらず子煩悩だねえ」

「………だな」

「……あいつ、やっぱりどっかで母親やってたんじゃねえの?」

「同感」

「おい、お前ら何やってんだよ。早く食わねえと飯が冷めるぞ」

「………へーい」


 母親に呼ばれて渋々食卓に着く子供さながらに自席に向かうコーディとアレンの背を見つめながら、ジオンは呆れと共に何やら感じた事のない感情を込めたため息を落とす。


「………母親、か……」


 何とも言えないくすぐったい気分が込み上げてきて妙に面映ゆいと感じる反面、悪くないとも思う自分を笑って、ジオンも同じく足を進ませた。



 ────「…!どこに行くんだよ?リツ」


 食事も摂らずに席を立つ律に気づいたのは、コーディが『オムライス』と呼ばれる聞いた事も見た事もない料理を一口頬張った時だった。


「親父に飯運ぶついでに様子見て来る。お前たちは残さずちゃんと食べるんだぞ」


 そのまま親父の食事を乗せた盆を手に、そそくさと食堂を後にする律の背を眺めながらコーディはぽつりと呟く。


「……………あいつは世話焼きの鬼だな」


 同感、と心中で同意を示したのは、おそらく子供たちを除く全員だろうか。


**


「おーい、親父。生きてるか?」


 言いながら律は、親父────もといカイルに当てがった、ここで一番日当たりの良い部屋の扉を開く。真っ先に視界に入ってきた渋面を取るカイルの姿に律はくつくつと笑いを返して、ベッドに歩み寄った。


「…………それ、やめろ……」

「?何が?」

「………その呼びかけだ………部屋に入るたびに、いちいち言うな………」

「生きてんだからいいだろ?」

「………死んでたらどうする……?」

「縁起でもねえこと言うなよ」


 眉をひそめながら手に持つ盆を小さな卓に置いて、律はソファに置かれたクッションを手に取った。


「飯だぞ、ちゃんと食べろよ」

「…………食欲なんざ……あるか……」

「だめだ。食わなきゃどんどん体力が落ちるだろうが。無理してでも食え」


 嫌がるカイルを尻目に、律は食事を摂る準備を粛々とこなす。痩せ細ったカイルの体を抱き起こしその背にクッションを置くと、動かないカイルの手の代わりに器から粥を掬って口元に当てがう。カイルは心底嫌そうに顔を歪ませたが、食べろと促すようになおさら口元に近付ける律に止める気はないのだと悟って、カイルは降参したように口を開いた。


「……何で……ここまでする……?」


 そうカイルが億劫そうに言葉を落としたのは、粥をいくらか口に運んだ頃合いだった。

 問われた律は粥を掬ったスプーンをカイルの口元に運びながら、怪訝そうに眉根を寄せた。


「何の事だよ?」

「………お前……悪党が、嫌いなんだろうが……?」

「……ま、嫌いだな」

「……なら……わざわざ俺の面倒なんざ……見てんじゃねえよ……」


 偽善は御免だとばかりに眉間にしわを寄せて弱々しいながらも怒気を現わすカイルに、律は呆れたようなため息を返した。


「…親父はもう改心したんだろうが。心を入れ替えた奴にまで嫌悪を向けるつもりはねえよ」

「……改心したところで……過去がなくなるわけじゃねえだろ………」

「…そりゃあな」

「………お前の、言う通りだ………リツ………俺は………もう何人も殺した………両手じゃあ足りねえ…………そんな奴が………改心したくらいで………許されると本気で思ってんのか………?」


 消え入りそうなほど弱々しい声音で、だが反面、カイルの表情は険しい。それを受けて律は大きく息を吐いた後、手に持っている器を盆の上に戻した。


「やり直しちゃいけないって、誰が決めたんだよ?」

「…!」

「一度きりの人生だ。そりゃあ道を踏み外す事だってあるだろ。でも一度踏み外したらもう元の道に戻っちゃいけないのかよ?悔い改めて真っ当な道を歩いちゃいけないって、誰が決めたんだよ」

「…………殺した奴の家族は………黙ってねえぞ………?」

「だろうな。親父を殺したいほど憎んでる奴だって十中八九いるだろ」

「………なら…」

「でも俺が被害者の家族なら、こう思う。────『簡単に死なせてなんかやらない』」

「…!」

「死ぬのなんて簡単だよな。怖いのも痛いのも一瞬だ。それさえ耐えれば後はもう苦しむ事はない。────自分の家族を殺した奴があっさり死んで楽になろうなんて、思わせてたまるかよ。苦しくても泥水すすって、生きて生きて生き抜いて、自分の人生すべてを犠牲にして罪をあがなってくれなきゃ割に合わねえだろ?それほど罪深い事をしたんだって、その体に刻んで生きてくれなきゃ俺は満足なんてしないんだよ」


 言いながら再び粥の入った器を手に持って、律はひとさじ掬った粥を口元に寄せる。カイルは律が言った言葉を吟味するようにただ黙して律の顔を見返して、次にどれほど嫌がっても律が根気よく口元に寄せて来る粥を視界に入れた。


 ─────『生きろ』と言っているのだ。

 楽に死なせてなんてやらない。どれほど苦しくとも、生きて罪を購え。

 そのために、苦しくても無理してでも食え────。


 いかにもそう言っているような気がして、カイルはたまらず諦観を多分に含んだため息を落とした。


「……………お前は鬼だな………」

「そりゃどうも」


 やはり諸手を上げるように口を開くカイルに、律はにやりと笑みを返した。




「漆黒病は体中が痛いんだってな?」


 そう律がカイルに切り出したのは、粥を綺麗に平らげた後だった。


「…………痛いってもんじゃない………体中が……引き裂かれてるような…激痛だ………」

「親父は意外に我慢強いんだな。医学書を読むまでそんなに痛みがあるとは思わなかった」

「………は…っ。…………やせ我慢に……決まってんだろうが…………」


 そう鼻で笑うカイルの額には、それを証明するように脂汗が滲んでいる。こんな時でも憎まれ口を叩くカイルを笑って、律はおもむろにソファから立ち上がった。


「ちょっと診させてもらうぞ」


 言ってカイルの了承を得る前に早々に布団をはぎ、腹部が見えるように服をまくり上げる。痩せ細ってへこんだ腹部が露わになって、律はその腹をできるだけ優しく抑えてみた。


「……っっ!!」

「……ここが痛むか?」

「………ああ……!!」

「……ここは?」

「……つ……っ!!!」


 どこに触れてもカイルは痛みで顔を歪めるところを見ると、腹部はどこもかしこも痛みがあるのだろう。


「他にはどこが痛い?」

「………全身だ……!……腕も……足も……胸も……っ!!」

「背中もか?」


 それにはもう声を出す事も出来ないのか、ただ苦痛に歪む顔を小さく頷かせる。


(……漆黒病は闇に蝕まれて内臓が炭のように黒く変色し、その機能を著しく低下させる。最終的に心臓までそれが進行して死に至ると書いてあった。ならどうして腕や足まで痛むんだ?筋肉まで闇に侵食されるという事か?)


 心臓も言わば筋肉で出来た臓器だ。その心臓が闇に蝕まれるという事は腕や足の筋肉も例外ではない、という事だろうか。


「……もう少し我慢してくれ」


 言って、律は次に腕を軽く持ち上げる。やはり激痛で顔を歪め、痩せ細った腕にくっきりと隆起している筋肉に触れるとなおさらその度合いが強くなるのが見て取れた。


(……やっぱり筋肉も蝕まれてるのか)


 おそらく今カイルの体を切り開いて診て見れば、どこもかしこも炭のように黒ずんでいるのだろう。書物にあった、いわゆる末期の症状だ。カイルに残された時間は、おそらくほとんどない。それを再認識して、律は服を整えカイルの体に布団を戻した。


「……悪かったな」

「……………何だ……今度は医者にでも………なるつもりか………?」


 肩で息をしながらオウルと同じことを言うカイルに小さく笑って、律はやはりオウルに返した言葉と同じ返答をする。


「俺は聖女じゃないからな」

「………?………どういう意味だ……?………医者の真似事でもすれば……聖女になれるとでも……言いたいのか………?」

「その逆だよ」

「…………逆……?」


 なおさら判らないと言った風に眉根を寄せるカイルをくすりと笑って、律はカイルに訊ねた。


「親父はさ、聖女がどうやって治癒魔法を使っていたか知ってるか?」

「……………少なくとも……医者のように一人一人病状を診て……治癒魔法を使ったなんて……聞いた事もねえな………」

「だよな。文献にも聖女は手をかざすだけでその場にいる全員の病や怪我を治癒したと書いてあった。一人一人診てたんじゃ出来ねえよな、それは。────じゃあ親父は魔法をどうやって使うか知ってるか?」

「………当たり前だろうが………何年魔法を使ってると思う………」


 その返答に、律は首肯を返す。


「『想像すればいい』ってリッカに教えてもらった。それも具体的に。怪我が治るのを想像するのは確かに簡単だったよ。怪我は目に見えるからな。それが綺麗さっぱり治癒する様を思い描けばいい。だが病は勝手が違う。怪我とは違って視覚に映らないからな。どうしたってそれが治る様を想像する事が難しい。それを想像するには、まず罹患している病気の事を知る必要がある。その上で、どこまで病が進行しどこをどうやって治癒するかを知る必要があるんだ」


 だからあの時、光の精霊は困惑していたのだ。律の想像と実際のカイルの病状があまりにかけ離れていたから、どこをどう治癒すればいいのかが判らなかったのだ。


 これが正解なのかは判らない。後にも先にも治癒魔法を扱えたのは聖女だけで、その聖女はすでにこの世界にはいないのだ。聖女に関する文献に詳しい治癒魔法の使い方が記載されていないものかと淡い期待を持って読み漁ってはみたが、それに関連する記述はどこを探しても見当たらなかった。そもそも、その場にいる全員の怪我や病を治癒したと記載されているところを見ると、聖女には一目見て体の不調を見抜ける能力があったのかもしれない。


 どちらにせよ、この世界に治癒魔法の具体的な使い方を知る者はいないのだ。結局のところ、自分で模索してその方法を探すしかない。─────そうして思索の先に見つけた唯一の方法が、これだった。逆に言うと、これしか可能性を見出せるものが見当たらなかったのだ。


 律の説明に耳を傾けていたカイルは、その律のあまりに無謀な方法に、しきりに目を瞬いた。


「…………お前……一人治癒するたびに……そこまで労力をかけるのか………?」

「仕方がねえだろうが!俺は聖女じゃねえんだから!」


 呆れたような、あるいは馬鹿でも見るような目を向けるカイルに、律は不機嫌そうな声で幾度目かになる同じ台詞を吐き捨てる。


「もう金輪際御免だからな!こんな面倒臭い事…!」


 ぶつくさと愚痴をこぼしながら食器を片付ける律を何とはなしに視界に入れたカイルは、それでも律は目の前に病人がいればやはり同じ事をするのだろうと、内心で呆れたように小さく律を笑った。


**


「……またこんな時間まで起きているのかい?リツ」


 昼と同じように開け放たれた食堂の扉を軽くノックして、オウルが声を掛ける。やはり昼と同じく出窓の窓台に腰かけて、小さく灯された洋灯ランプの明かりを頼りに本に視線を落としていた律は、声を掛けられて落としていた視線をオウルへと移した。


「あれから一睡もしていないんだろう?リツ。食事もほとんど摂っていない。これじゃあ先に君が倒れるよ」


 ここに居を移してから────つまり彼らに拉致されたその日から、律は眠る事を一切やめ、食べる事は最低限に抑えた。それはそれらに費やす時間が惜しいと判断したからだった。その時間をすべて、書物を読み漁る時間に費やしたのだ。


 律が眠ることを止めたのは三日間。今日も一睡もしなければ、もう四日目に突入する。あまりに無茶をする律を見かねて、オウルはたしなめるために、ここに足を運んだのだ。


「……四、五日程度なら寝なくてもどうって事ねえよ。向こうでも散々してたからな」


 執筆に夢中になり過ぎると、食べる事も寝る事もなおざりになる。この程度ならば律にとっては日常茶飯事の範囲内だ。


 だがその返答にオウルは、うんざりしたようにため息を落とした。


「……どういう生活を送ってきたんだ?まったく……。君に倒れられたら俺が困るんだよ」


 言いながら律と同じく窓台に軽く腰かけるオウルに、律は怪訝な表情を返す。


「…?何で俺が倒れるとお前が困るんだよ?」


 問われたオウルは、その綺麗な顔にお得意の妖艶な笑みを乗せて律に顔を近付けた。


「君は、俺がもらい受けるから─────!」


 すぐさま律の手にある本がオウルの顔に押し付けられて、たまらずオウルの言葉はそこでプツリと途切れた。


「………君はどうして俺が笑うといつも顔に物を投げる?」

「だから!その笑い方やめろ!そしてその無駄に小綺麗な顔を俺に近付けるな!」

「………へえ、この顔が好みかい?」

「気持ち悪い事を言うな!見ろ!悪寒が走って鳥肌が立っただろうが!俺に男を愛でる趣味はない!!」

「……何だ、残念……」


 本当に心底残念そうに肩を落として寂し気な微笑を浮かべるので、何やら罪悪感が疼いて仕方がない。なぜ謂れもない罪悪感を抱かなきゃならないんだと心中で理不尽な怒りを抱きつつ、律は貞操の危機を感じてわずかばかりオウルと距離を取った。


「………お前まさか、男色家か………?」

「ん?……ああ!別にそういう意味じゃないから警戒しないでくれ」


 『もらい受ける』という言葉をそういう意味合いとして律は受け取ったのだろう。それを察してオウルは苦笑を交えつつ、否定を示すように軽く手を振って見せた。


「………だったら何で俺に近づいたんだよ?お前の目的は何だ……?」


 まるで強姦魔から身でも守るように警戒する律に苦笑を送りつつ、オウルは少し考え込むような仕草を見せる。


「それは─────…そうだな、今はやめておこう。どうせそのうち嫌でも判るから。特に君が本当に漆黒病を治癒する事が出来たその時は、ね」

「…?勿体ぶるな、言────」

「それ以上は言わないでくれ。君がしろと言った事に俺は逆らえない」

「……………は?」


 『言えよ』と言おうとした律の口は、すぐさまオウルによってその先の言葉を奪われる。そのオウルの告げた内容に、律は啞然と目を瞬いた。


「………どういう意味だ?それ」


 小首を傾げて怪訝そうな表情を向ける律に、オウルは不敵な笑みを返して告げる。


「……ひとつだけ教えておいてあげよう。─────君はいずれ、この世界の王になる」

「………………は?」

「それが成せるだけの力が、君にある事を忘れてはならない」


 静かに告げられた、オウルの予言めいた言葉────律は目を見開いて、わずかばかりの静寂が訪れた後、呆れたように鼻で笑う律の声が誰もいない食堂に静かに響いた。


「……はっ、何の冗談だ?それは。俺にそんな力があるわけねえだろ。仮にあったとしても俺は王の器でもないし、ましてや世界を統治するなんてはっきり言って御免だ。あんな割に合わない仕事、金積まれたってやるかよ」

「……………まるで王になった事があるような口ぶりだね?」

「……………んなわけねえだろ」


 言いながらバツが悪そうにオウルから視線を逸らしつつ、律は心中でやはり、二次元で主に、と人知れず呟きを落とす。


 律が描く小説は、主に国の栄枯盛衰を題材にする事が多かった。そのために帝王学まで独学で学び、国を統治するという事を架空の世界で何度もその頭に思い描いてきた。あくまで架空の絵空事だが、幾度も頭の中で想像していただけに、あたかも自分が経験した事のように感じてしまうのは、ある意味職業病と言わざるを得ないだろうか。


 まるでうっかり失言してしまったかのように冷や汗を流しつつ、未だ顔を背けたままの律を、オウルはくすりと笑った。


「……君は本当に、謎が多い人物だね」

「……そう言うお前もだろうが、どっかの誰かさん」


 負けじと応酬する律の言葉で、オウルは思い出したように問いかける。


「……そう言えば、そろそろ種明かししてくれないか?」

「種明かし?」

「どうして俺の名前が偽名だと判った?」


 ああ、と得心したように声を上げて、律はさもありなんと返答する。


「だってお前、どう見ても『オウル』って名前のつらじゃねえだろ?」

「………はい?」

「お前はどっちかって言うと、もう少し柔らかい音の名前の方が似合ってる」

「え…………?ちょ………待った…!………『オウル』って名前の面って、どう言う意味だ…?」

「『オウル』っぽい顔って事」

「……?……それってどんな顔────…いや、それよりも……まさかとは思うけど、偽名だと思ったのはただの勘……?」


 目を丸くして唖然としたまましどろもどろと問いかけてくるオウルに、律は小さくため息を返した。


「『名は体を表す』って言葉、この世界にはないのかよ?」

「………『名は体を表す』?」

「生まれた時から呼ばれ続けた名前ってのは、自然とその人物の本質を表す名前になるもんなんだよ」


 律の説明を聞きながら目をぱちくりとさせた後、オウルは小さく吹き出すように笑い声を上げる。


「……そんな馬鹿げた話…!それこそ絵本に出てくる夢物語のようだな…!それじゃあまるで、ただの言葉に力があると────」


 そこまで言って、オウルはぴたりと言葉を区切る。

 今目の前にいる人物が口にする言葉は、自分にとってまさに抗えないほどの力が宿る言葉だ。


 まるでオウルのそんな心中を肯定するように、律はにやりと笑う。


「俺のいた国に『言霊』って言葉がある。力を宿した言葉の事だ。昔から言葉を重んじてきた国だからな。言葉には魂が宿るって信じられてきたんだ」


 実際、日本語の語彙の豊富さや表現の多様性は、他の言語と比較してもかなり優れていると言ってもいいだろう。一つの色を表現するだけでも、日本語にはそれこそ様々な名称が存在している。それは言葉を重んじ、尊重して重用し続けたからこそ様々な言葉が生まれたのだと律は思っている。


「多分『名は体を表す』って言葉もある意味、言霊の意味合いが含まれているのかもな」


 言霊、と小さく口の中で反芻して、オウルはわずかに思案した後、誰にともなく小さく頷いた。


「なるほど………。じゃあ俺の名前を当ててみてくれ、リツ」

「………は?」

「俺の名前は『カノン』だ」


 有無を言わさず唐突に始まったオウルの実名当てゲームにやはり目を瞬いて、うんざりしたような表情でため息を返しつつ、律は答える。


「……違う」

「なら『ギムレット』」

「絶対違うだろ」

「『リュシー』」

「ああ、少し近いな」

「…じゃあ『リッカ』」

「舐めてんのか?」

「────『ユーフィム』」

「…!」


 律はその名前にピクリと反応を示す。


「いい名前じゃねえか。お前によく似合ってるよ」


 破顔して告げる律にオウルはやはり目をぱちくりとさせて、その綺麗な顔には似つかわしくないほど呆けた顔を作って見せた。


「……………え?………どうして─────」


 判ったのかと訊ねようとした口は、だが唐突に現れた小さなシラハゼによって噤むことになる。


「………リツお兄ちゃん………」

「…!リッカ、どうした?」

「………起きたらリツお兄ちゃんいないんだもん………」


 眠い目をこすりながら、リッカは寂し気な瞳をこちらに向けてくる。ベッドに律の姿が見えず、不安になって探しに来たのだろう。それが判って、律は小さく笑いながらリッカの小さな体を抱きあげた。


「………まだ起きてるの……?」

「いいや、俺ももう寝るよ」


 笑い含みにそう答えて、律は未だ呆けたままのオウル────改めユーフィムを振り返った。


「悪い、一旦部屋に戻る。お前も早く寝ろよ、ユーフィム」


 初めて自分の名を呼んで食堂を後にする律の背を眺めながら、ユーフィムは三日前のギルドでの一件を思い出していた。


 ロゼが律に職業を訊ねていたあの時、ユーフィムはギルドの外で何とはなしに中の会話を聞いていた。


 ────────『言霊師』


 律が答えた聞き慣れないその言葉に、一体どういう職業なのだろうと怪訝に思っていた。

 律の説明を聞く限りこの『言霊師』はさしずめ、言葉に魂を込め、言葉を操り、そして言葉をもって他者を従える事の出来る、唯一無二の職業だろうか。


 なるほど、と心中で呟いて、ユーフィムはひとりごちる。


(……これはまさしく、天職だ)


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