表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/32

漆黒病のこと・二編

 なぜこうなったのだろう、と律は思う。


 ギルドを出て宿に帰るはずだった。なのに今自分がいるのは走るそりの中。足を縛られ、腕は後ろ手で縛られている。左には不安げな顔でこちらを見返してくる、同じく捕らわれたリッカの姿。そして右にはなぜか、その小綺麗な顔を綻ばせている、ギルドで見かけた小綺麗な顔の男────。


 律たちを連れ去った犯人ではない。彼の手足も律たちと同じく縄で縛られ、身動きを封じられている。なのに嬉しげに終始笑顔をたたえているその男に、律はうんざりとした視線を向けた。


「………何でそんなに嬉しそうなんだよ?」

「いやーまさかこんな形で君とお近づきになれるとは思わなかったからね」


 状況を見て言っているのだろうか?

 お近づきになりたいのなら、もっと別の方法がいくらでもあったはずだろう。なのになぜ、一緒に誘拐された現状を嬉しそうに『お近づきになれた』と表現するのだろうか。


 律は異常者でも見るような目を男に向けて、体をリッカの方へと寄せる。


「………あんた、まともな感覚してないだろ?この状況でよくそんな呑気な事言ってられるな?だからあんたみたいな手合いとは関わりたくないんだよ」


 明らかに嫌悪を示す律の言葉にも、男は声を上げて笑う。


「そういう君も、まともな感覚をしていないね?」

「…!」

「俺が見る限り、君は少なくとも怯えているようには見えない。そこの幼子とは違ってね」


 にこりと微笑みながら核心を突かれて、律はバツが悪そうにリッカを見下ろす。


 確かにこの男が言う通り、本来であればこの状況に怯えて然るべきなのだろう。リッカのように不安げな表情をその顔に浮かべて、これから自分の身に降りかかるであろう未来を脳裏に思い浮かべては肩を震わすのが普通の感覚と言うものだ。


 それができないのはきっと、失ったはずの記憶が蘇った時、今生きている自分と幼い頃の自分に埋められないほどの乖離を感じたせいだろうか。それ以来、自分が自分ではないような気がして生きている実感が湧かなくなった。この世界に来てからはまるで物語の中に迷い込んだような気になって、なおさらその感覚が顕著になったのだから当然だろうか。


(……まあ、余裕があるのは切り札があるからってのもあるんだけどな)


 思って律は、鞄にちらりと視線を落とす。ヘルムガルドである黒虎こっこが姿を現わせば、その瞬間から形勢はこちら側に大きく傾く事になる。それを思えば怯える必要もないだろうか。


 あとは黒虎が暴れない事を祈るだけ、と内心で思いつつ、律はリッカに向けた視線を男に返した。


「……こんな小さな子供と一緒にするなよ。一体いくつだと思ってんだ?」

「………十七、八?」

「二十三だ…!」


 やはり未成年に見えるようだ。こういう時は幼く見える自分の容姿が恨めしい。

 男は律が口にした年齢に驚いて、目をしきりに瞬いている。


「…………ああ、それはすまない。どうりで背が高いと思った。てっきり図体のでかい少年だとばかり」

「喧嘩売ってんのか?」


 不機嫌極まりない律の声を合図にするように、言い合う二人の前に一本の剣が鈍い光を伴って前の座席からするりと延びてくる。


「…おい黙れ!!!何を楽しそうに会話してるんだ…!状況判ってんのか…!!」

「お前ら攫われてんだぞ!!攫われたなら攫われた奴らしく、大人しく怯えてろよ!!」

「………攫った奴らに言われてもな?」

「………まあ、そうだね」


 そのあまりに緊張感の欠片もない返答に、剣を握る男とその隣で同じく律たちに怒鳴る少年とおぼしき男は、怒りを露わにしたその顔に不快さを深める。


「お前らなっっ!!!いい加減に─────」

「落ち着け、馬鹿」


 憤慨する二人を静かな声で制したのは、そりの手綱を握る男だった。


「でも兄貴…!」

「いいから好きに喋らせてろ。余裕を見せていられるのも今のうちだ。…要求を達成できなければ、殺されるのはこいつらなんだからな」


 ぎろりとした鋭い視線を律たちに一度向けて、男はすぐさままた前を見据える。律は前の座席に座るその三人組を精査するように視界に入れた。


 律たちを攫った三人組の男たち。

 兄貴と呼ばれた手綱を握る男と剣を握る男の間に、一番若いであろう男が座っている。顔半分が髪の毛で隠れている所為でよくは判らないが、並ぶ二人の男に比べて体つきがずいぶん華奢なところを見ると、まだ少年といった年齢なのだろうか。


(…兄貴って言っても、多分本当の兄弟じゃないんだろうな)


 どの顔も、お世辞にも似ているとは言えない顔だ。

 手綱を握る男は、兄貴と呼ばれている辺りおそらく一番年が上なのだろう。がっしりとした筋肉質な体に相応しく、その顔は無骨で勇ましい。反面、剣を握る男は優男のようで、少年に至っては色白で見ようによっては少女のようにも見える。


 他の二人を黙らせているところを見ると、おそらくこの兄貴と呼ばれた男が彼らを統率しているのだろう。

 思って律は、その男に狙いを定める。


「…なあ、『兄貴』」

「……何でお前が兄貴と呼ぶんだ…!?」

「だって名前知らねえし」

「……俺は─────」

「あんたの名前なんて興味もねえし」

「…っ!!!」


 人の神経を逆撫でするのが上手いなと内心で思いつつ、小綺麗な顔の男はただ黙って会話に耳を傾ける。


「要求って何なんだよ?」

「…!……行けば判る」

「金か?」

「……そんなものじゃない」

「『要求を達成できなければ』って言ったな?俺たちに何かをやらせたいんだな?」


 その質問には答えず、ただちらりと視界の端で律だけを捉える。


「……『たち』じゃない。俺たちが用があるのはお前だけだ」

「…!」

「その二人はお前の巻き添えを食ったんだよ。ご愁傷様!!」


 二人の会話に割って入った少年は、勝ち誇ったようにケラケラと笑う。

 そんな少年を何とはなしに見つめた後、律はちらりと小綺麗な男とリッカを一度視界に入れた。


「……巻き添えを食ったのか?」

「いや、俺は好きで巻き込まれたし」

「僕はリツお兄ちゃんと一緒がいい…!」

「─────だとさ」

「お前には罪悪感ってのがないのかよっっ!!!!」

「その言葉、そっくりそのままお前たちに返してやるよ」

「ぐ……っ!」

「……………もう絡むのはやめろ。多分、口じゃ勝てん……」


 ずっと律に翻弄されっぱなしの現状にいい加減うんざりしたのか、兄貴と呼ばれた男はげんなりと諦観するように少年に告げる。憤慨しつつ、やはり少年もうんざりして諦めたように前を向いたのを確認してから、律は再び訊ねた。


「……それで?今からどこに向かうんだよ」


 その質問には前にいる三人が同時に顔を見合わせてから、兄貴が答える。


「親父がいる場所」


**


 連れてこられたのは魔獣の森にほど近い場所。深い雪の中に打ち捨てられたようにひっそりと佇む、教会とおぼしき建物の前だった。


 人がおよそ住めるような感じではない。朽ちた廃屋という表現が一番的確だろうか。壁はあちらこちらにヒビが入り、屋根はどこもかしこも穴が空いているのか、薄いベニヤ板のようなもので、おざなり程度に補修されている。この極寒の土地では、おそらく雨を凌ぐ程度にしか役に立たない建物だろう。


 その廃屋の前で橇は止まって、律たちは半ば放り出されるように橇から降ろされた。唯一リッカだけは兄貴によってやんわりと降ろされたところで、雪の上で転がる律たちに冷たい声が降り注ぐ。


「中へ入れ」

「……どうやって歩くんだよ?足まで縄で縛られてんだぞ?」


 なおかつ腕まで後ろ手で縛られているので、起き上がる事も出来ない。兄貴は律と小綺麗な男を見下ろして不機嫌そうにため息を落としてから、橇を降りたばかりの二人に指示を出した。


「足の縄を解いてやれ」

「必要ねえよ」

「…!」


 すぐさま後ろ手に縛られた状態で、律は指を鳴らす。刹那、三人の自由を奪っていた手足の縄だけがぼうっと勢いよく燃えだして、しばらくぶりに自由の身となった。律はその解放感に浸るように、一つ息を落とす。


「…きつく縛りやがって。痛いのを我慢してたんだぞ。…リッカは大丈夫か?」

「う、うん…!大丈夫…!」

「…相変わらず見事だな、これは」


 小綺麗な男が律の魔法を見たのは、これで二度目。未だ信じられないその現象に感嘆のため息を落としつつ、彼は体を起こす。

 ようやく解放された腕をしきりに撫でる律たちのそんな姿を、三人はただ目を丸くして唖然と見つめていた。


「ま、待て…!!今何をした…!?」

「魔法を使ったに決まってんだろ」

「嘘だ!!詠唱唱えてねえだろ!!!」

「唱えなくても使えるんだよ、俺は。…判るか?逃げ出せるけど逃げないでやったんだ、感謝しろよ」

「…!」


 にやりと笑って告げる律に、三人は思わずびくりと体を強張らせる。すぐさま少年と優男が兄貴に詰め寄るように、あるいは懇願するように声を上げた。


「あ、兄貴…!やっぱりこいつらを親父に会わせるのやめようよ…!得体が知れない…!!特にこいつ!!!」

「………化け物扱いかよ」

「化け物より気味悪ぃじゃん!!!」

「コーディの言う通りだ…!親父に何するか判ったもんじゃねえよ…!!」


 ここまで連れてきておいてその言い草は何だ、と内心で憤慨しながら、律は呆れたように口を挟む。


「…『親父』とやらに会うまでは帰らねえぞ」

「…!何でだよ…!!?お前には関係ねえだろっっ!!!」

「関係はもうできただろうが。お前たちが俺をここに連れてきた時点でな」

「…!」

「人を拉致しておいて、すんなり帰ってもらえるとは思うなよ」

「…っ!下手に出てりゃ、いい気になりやがって─────」


 正論を吐く律に一瞬口を噤みつつ、すぐさま怒鳴り返すコーディと呼ばれた少年を制するように、兄貴が口を開く。


「……もとよりそのつもりだ」

「…!?兄貴…!!?正気か…!!?」

「化け物…?だから何だ、むしろ上等じゃないか。…化け物でもなければ俺たちの要求になんざ応えられんだろうが」

「…!……そ、それは……!」

「普通の奴には絶対無理な事だろ。なら、普通じゃない奴の方が都合がいい。……違うか?」


 諭されて、二人は気まずそうに目を合わしながら反論できずに閉口する。そんな二人から律たちに視線を戻して、兄貴は顎でしゃくって廃屋を示し、ふてぶてしく言い放った。


「……歩けるようになったならさっさと中に入れ。すんなり帰してもらえると思うなよ?」


 律の言葉をもじって返した兄貴のその台詞に律は軽く目を見開いた後、ギルドにいた連中よりも返しが上手い、と内心で褒めてにやりと笑う。


「…はっ!上等!」




 兄貴の言葉で腹を括った二人に半ばせっつかれるように、律たちは中へと足を踏み入れる。大きな扉をくぐったその先は、やはり思った通り壁は朽ちてヒビが入り、絶えず隙間風が吹き抜ける、そんな場所だった。


「……こんな所にお前らの親父がいるのかよ?」

「悪かったな!!こんな所で!!」

「…!…まさかここで暮らしてるのか?」


 コーディはそれには答えず、ただ不機嫌そうな顔だけを返す。それがいかにも肯定を示しているようで、律は軽く目を見開いた。


 見れば確かにコーディと優男の体の線は細い。兄貴の体躯は他の二人に比べればまだがっしりと丈夫に見えるが、よくよく確かめてみれば無駄な贅肉は一切付いていないように見える。筋肉がある分、細身な印象がないだけなのだろう。


(……いかにも困窮を極めたって感じだな)


 だがそれでも、彼らの要求は金銭ではないのだ。

 訝しげな律の視線は、彼らが向かう扉に嫌でも向けられた。その先に疑問の答えがあるであろう扉に手をかけ、兄貴は中の人物に声を掛ける。


「……親父、例の奴を連れてきたぞ」


 ゆっくりと姿を現わした、その一室。変わらず朽ち果てた様相で隙間風がどこかしかから吹き込んではいるが、暖炉に火をくべているおかげで外よりも幾分暖かい。置かれている家具は最低限の物だけ。部屋の中央に丸テーブルと椅子が二脚。ボロボロのソファとその前に置かれた、やはり朽ちかけ薄汚れたベッドのみ。そのベッドに、親父と呼ばれた人物はいた。


「………そうか……よくやった………」


 絞り出すように、吐息交じりの声でそう告げる。

 ベッドに横たわる、その人物────すっかり痩せ細った所為か頬はこけ、目は虚ろで余分な肉が全て削ぎ落されたかのように目が窪んでいる。実年齢がいくつかは判らないが、痩せ細った体躯とそれゆえに余った皮膚がたるんでいる所為で、律には老人のように見えた。


 その老人のように見える男は、窪んでぎょろりとした双眸を、ゆっくりと律に向ける。


「………俺を……治せ……!……今すぐだ……!」


 それに目を見開いて答えたのは、小綺麗な男だった。


「…!……病気か?…でも、なぜ彼に?医者なのか?君は」

「……そんなわけないだろ。…病気の治療をしてほしいなら医者を頼れ。俺に医学の知識はない」

「嘘をけ…!!俺は見たんだぞ!!!お前がそこのシラハゼを治したところをっっ!!!!」

「…!」


 コーディの言葉に、リッカは狼狽えたように目を見開く。


「そいつは手をかざしただけでシラハゼの怪我を治したんだ!!!!光を放って、それが消えた頃にはシラハゼの怪我は跡形もなく消えてた!!!見間違いなんかじゃねえよ!!!」

「あ…────」

「リッカ」


 青ざめた様子で何かしら言い繕うとしたリッカの口を、律はやんわりと制する。心配するなと言うように、にこりと微笑む律を視界に入れて、リッカはわずかばかりの安堵を得てほっと胸を撫で下ろしたようだった。


 それを確認してから、律はリッカに向けた視線をもう一度コーディに返す。


「それで?」

「…!……そ、それでって……!だから親父を────」

「残念だが俺には治せない。病気を治したいなら医者を当たれ。金がないなら貸してやる。……俺から言えるのはそれだけだ」

「……シラハゼの命と引き換えだ────と言ってもか?」


 静かに告げて、兄貴は手に持つ剣をリッカへと向ける。見ればいつの間にか唯一の出入り口である扉を優男が塞いで、剣をこちらへと向けていた。コーディもそれに続いて、腰に下げた短剣を律へと向ける。


「……逃げられると思うなよ…!親父を助けねえって言うなら、ここで全員殺してやる…!!!」


 一触即発の雰囲気。ピン…っと糸が張り詰めたような緊張感が漂うただ中で、律は大きく息を吐いた。


 ギルドからこっち、ずっと気が立っていた存在。

 それでもずっと耐えに耐えていた。だが、その寝た子を起こすようにこうも刺激されては、もう抑えも利かないのだろう。

 律が下げている鞄の中から大きな獣の唸り声が部屋中に響いて、その場にいた誰もが目を大きく見開いた。


「…!!?な、何だ…!!?」

「まさか…っ、魔獣…っ!!!?」


 正解、と心の中で呟きつつ、律はその唸り声の主の名を呼ぶ。


「……黒虎」


 名を呼ばれた事を、姿を現わしてもいいと判断したのだろう。黒虎は鞄から飛び出るのと同時に周囲の闇を吸い込み、身の丈三メートルの大きな体躯でリッカを守るように前に立ちふさがる。警戒を現わすように姿勢を低く身構え、周囲を牽制するようにひと声鳴くその黒虎の姿に、律とリッカ以外の誰もが慄然とした。


「!!!!?へ、ヘルムガルド…っっっ!!!!!!?」

「な、何でここに…っっ!!!!?」


 さっきまでの勢いはどこに行ったのか、皆一様に青ざめた顔でカタカタと肩を震わせている。ヘルムガルドと遭遇するという事は、その先に避けられない死が待っているという事だ。それを否応なく理解して、恐怖心に後押しされるように黒虎に向けた剣は、やはり震えで切っ先が定まらずふらふらと上下左右に揺れている。


 あれがもし黒虎に向かって放たれれば、きっと今の黒虎の怒りを抑える事はもっと難しくなるだろう。

 思って律は、ため息を落としつつ彼らよりも先んじて動いた。


「……落ち着け、黒虎。何も怒る事ないだろう?」


 言って、唸るヘルムガルドの頭をわしゃわしゃと撫でる律に、皆ぎょっと目を丸くする。


「俺もリッカもまだ何もされていない。…大丈夫だよ、こいつら見掛け倒しだから」

「…!」


 何も言い返せない事をいいことに、しれっと聞き捨てならない言葉を吐く律に渋面を取りつつ、やはりヘルムガルドの存在に委縮する彼らは固唾を呑んで成り行きを見守っている。


 黒虎は意外と落ち着いている律と怯え切った三人組を互替かたみがわりに見て、しばらく思案した後、警戒を解くように律の顔をぺろりと舐めた。


 その異様な光景に、見開いた目をゆっくりと三人互いに見合わせる。


「だから言ったじゃん…っっ!!!!こいつ化け物以上だって!!!!」

「あのヘルムガルドを従えてるんだぞっ、兄貴…!!!!手え出しちゃならないもんに手を出したんじゃねえのかよ…っ!!!?」

「…………早まったか?俺……」


 とは言え、もう取り返しはつかない。

 ここまで来たら、すでに無関係ではいられないだろう。

 恐る恐る向けられた三人分の視線に、律はただにこりと微笑む。青ざめた顔がなおさら青ざめたところで、抱腹絶倒の笑い声が一室に響き渡った。


「……こりゃまいった…っ!!まさかヘルムガルドまで従えてるなんて…!!君は毎回、想像の遥か上を越えてくるな…!!まるでびっくり箱のようだ…!!」


 涙まで溜めて爆笑するその小綺麗な男を、律は呆れと共に視界に入れる。


「………お前な、この状況でよく爆笑できるな?お前の頭の中どうなってんだよ?」

「いや、だって…!!状況も何もないだろう?もはや形勢は完全に逆転した。彼らに抗うすべはもうない。もちろん、拒否権もね」

「ぐ………っ!」


 的を射られて、返す言葉もない。不承不承ふしょうぶしょうと口を噤む三人組をちらりと視界の端に入れてから、律は彼らとは対照的に落ち着き払っている小綺麗な男に視線を戻した。


「……お前は黒虎が怖くないのかよ?」

「怖くないよ。だって何かあっても君が止めてくれるんだろう?」


 確かに、と内心で肯定しつつ、それを素直に返答するのは癪に障るので律は無言を返す。


「俺もヘルムガルドの頭を撫でてもいいかな?それとも君以外だと食べられる?」

「……黒虎、いいか?嫌なら嫌だとはっきり言えよ」

「………君はさらりと失礼な事を言うね?」


 黒虎はしばらく小綺麗な男を見つめてから、いかにも撫でてと言わんばかりにこうべを垂れる。その仕草がまた愛嬌があって愛らしい。


「あははっ!可愛いね!」


 思った律とまったく同じ感想を口にする小綺麗な男を、律は目を丸くして眺めた。

 ヘルムガルドは、この世界では畏怖の対象だ。誰もが黒虎を黒虎ではなく、ヘルムガルドとして見る。なのにこの小綺麗な男はにこやかに笑って、差し出された黒虎の頭を躊躇う事なく撫でている。


「いやーまさかこんな形でヘルムガルドとお近づきになれるなんてね」

(………変な奴)


 どこかで聞いた台詞を再び落とす彼を小さく笑って、律は硬直したように動かない三人組へと顔を向けた。


「さてと」


 急に矛先が自分たちに向いたのだと自覚してびくりと強張る三人に、律は告げる。


「…病気なら医者を呼んでやる。金はいつでも返してくれればいい。…情けはかけた、それでいいだろ?」

「………よ、よくねぇよ…!!!!」


 なけなしの勇気を振り絞ってそう声を荒げたのは、コーディだった。


「医者なんか役に立たねえよ!!!!!だからお前を連れてきたんだろっっ!!!!」

「……医者が治せるなら初めから医者を脅して連れて来るさ。親父の病は、医者じゃ治せない」

「…?……不治の病なのか?」

「─────漆黒病だね?それも末期の」


 答えたのは黒虎の頭を撫でる小綺麗な男。彼は黒虎の頭を撫でるのを止め、ベッドに横たわる病人を見据える。


「……漆黒病?」

「闇によって引き起こされる病だよ。体中が闇に蝕まれ、その機能が著しく低下し、最終的には多臓器不全で死に至る。罹患すれば三年以内に必ず命を落とすと言われる死の病だ。……彼は漆黒病に罹患してからどれくらい経った?」

「……もうすぐ三年だ」

「治療法はまだ見つかっていないのか?」

「見つかってはいるよ。ただそれが出来る人間が一人もいないだけ」


 その持って回った言い方に、律は眉根を寄せる。


「もったいぶるな、言えよ」

「……闇が原因なら闇を払えばいい。────つまり、聖女だけが使えるという光の精霊による治癒魔法しか、この病は治せない」


 小綺麗な男の言葉に律は小さく目を見開いて、ベッドに横たわる病人に視線を向けた。


(……なるほど、だから俺なのか)


 医者でも金銭でもない。律だけがこの病を治せる手立てがある。彼らはそれが、喉から手が出るほど欲しいのだ。

 得心したように息を一つ落とす律に、小綺麗な男は声を掛ける。


「……一応、念のため確認しておくけど、さっきそこの彼が言った事は本当の事かい?この子を光の精霊で治癒したって」


 その問いかけに、律は一度ちらりとリッカを見てから答える。


「……ああ、そうだよ」


 どのみち、もうすでにヘルムガルドという最大の秘密を明かしたところだ。そこに治癒が出来るという事実が加わったところで大した違いはない。


 律の返答に小綺麗な男は満足そうな笑みを浮かべ、三人組は希望を抱いたように瞳を爛爛と輝かせている。

 そして、ベッドに横たわりながら黙して会話を聞いていた人物も─────。


「だったら早く親父を─────」

「早く俺を治せ………!!……できるんだろ……っ!」


 コーディの言葉を遮って、病人とは思えないほどの凄みを持たせた声音で律に告げる。律に向けるぎょろりとした双眸には、希望とはまた違う光が宿っていた。


「……これでようやく……っ!!……この苦しみから……解放される……!!早く……しろ……!!」


 決して誰にも屈服しない、という光。

 自分の思い通りにならない者を力づくで屈服してきた、強者の光。

 ─────その目が、気に食わない。


 律は彼を見据えたまま、ベッドの脇まで歩み寄って酷薄の声音で告げる。


「……あんた、今まで一体何人の人間を殺してきた?」

「…!?」

「両手じゃ足りないんだろ?あんたの目は、殺人者の目だ」


 懇願するような瞳を向けてきたのなら、まだ治療をしようと思えたのかもしれない。

 横柄な態度ではなく、頭を下げ承諾を得てからここに連れて来られたのなら、同情も出来たのだろう。

 だが─────。


「やり方が気に食わないんだよ。拉致しておいて病を治せ?どの口がほざいてんだよ。今まで散々、殺してきた奴らの命乞いを無視し続けてきたんだろうが。なのに自分の命乞いは聞き入られると思ってんのか?」

「……は…っ!……何だ……懺悔をご所望か………?……さすが聖人さまだな……」

「悪党の懺悔なんかいらねえよ。どれだけ時間があっても足りねえだろうが。それに俺は聖人なんかじゃない。…懇願する相手を間違えたようだな?」

「…っ!!……さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって…っ!!親父はお前が思ってるような奴じゃねえよ…!!!」

「お前に親父の何が判る…!!知ったような口聞いてんじゃねえよ…!!!」


 律のあまりの言いように腸が煮えくり返ったのだろう。険しい顔で律をめつけ業腹ごうはらだと叫ぶように声を荒げるコーディと優男を、律は視界の端で捉える。


「……悪党のくせにガキを手懐けるのは上手いんだな?そうやって何も知らない子供を悪の道に引きずり込んで満足か?」

「…っ!この…っ!!!」


 侮辱の言葉を止めない律に、コーディはたまらず襲い掛かる。背を向けている律の肩を力の限り引いてこちらを向かせ、振り向きざまに律の顔を殴る─────はずだった。

 だがそれよりも早く、律は彼の顔を覆い隠す髪をさらりと掻き上げる。


「お前、女だろ?」

「…っ!!?」

「女にまでこんな生き方をさせてるのか?」

「…!ち、違う…!!!親父がやれって言ったんじゃない…!!!俺は好きでやってんだよ…っ!!!」

「そうせざるを得なかったんだろうが」

「…っ!」


 律の正鵠せいこくを得た言葉に、コーディはたまらず口を噤む。

 律はコーディの髪を掻き上げる手を離して、もう一度冷たい視線をベッドに横たわる男に向けた。


「子供はな、親が望む望まないに関わらず、その背を見て育つんだよ。子供を引き取って世話をするって事は、そいつの人生丸ごと背負って責任を持つって事だ。あんた、それが出来てるって胸張って言えんのかよ?」


 律のその問いかけに、男は答えない。ただ黙してぎょろりとした双眸で律を捉え、しばらく視界に留めた後、深呼吸にも似たため息をゆっくりと落とした。


「………だったら………そこのヘルムガルドに……俺を食い殺すように言え……」

「…!?親父…!!?何言ってんだよ…!!?」

「………こいつらは……勝手に俺についてきただけだ………は…っ!何が責任だ………好きで置いてんじゃねえのに……責任云々と言われたかねえよ……………散々、迷惑してたんだ……これでようやく……清清せいせいすらぁ………!」

「………いいのか?」

「……悪党に似合いな……終わり方だろうが……!」


 頬がこけた蒼白な顔に、男は精一杯の悪びれた笑みを浮かべる。

 律はその顔をしばらく眺めた後、諦観するようにため息を落として後ろにいる黒虎に声を掛けた。


「……黒虎─────」

「だめ─────っっっ!!!!!!」


 その律の言葉を遮るように、律たちの鼓膜を破らんばかりの大声音が部屋中に響き渡る。それも一人や二人ではない。十人近い者たちが同時に声を張り上げたような声。─────それもかなり幼い。


 目を丸くした律たちの視界に飛び込んできたのは、隣の部屋で聞き耳を立てていたであろう幼い子供たちの集団だった。勢いよく扉を開き、その勢いのまま親父と律の間にそれぞれが両手を広げて庇うように立ち塞がる。


「……お、親父を食べちゃだめっっ!!!!」

「親父は病気だから美味しくないもんっっ!!た、食べるなら!!!先に僕たちを食べて!!!!」

「ばかっっ!!!お前ら絶対に部屋から出て来るなって言っただろうが!!!!」

「だって!!!親父がヘルムガルドに食べられちゃうんだもん!!!!」

「だからってお前らが食べられていいわけないだろ!!!!」

「親父が死んじゃったら!!僕たちが食べられるよりもずっとずっと嫌なんだもん!!!!!!」


 気分はもうすっかり悪党になった心持ちである。

 律は自分を全く置き去りにして目の前で繰り広げられている光景を、呆れと共に眺めていた。


 そうして、思う。

 悪党の立場に持って行かれるのなら、それはそれで悪党の気分を味わってみるのも楽しいのではないかと。


 律は呆れ顔から一転、にやりと笑って見せる。


「…そうか。そんなに食べられたいならまとめて全員食い殺してやろう」

「ひ…っ!!」

「な…っ!!!ばか!!!よせ…っっ!!!」

「コーディ姉ちゃん…っ!!」

「こんなガキども食ってどうすんだよ…!!」

「…何だ?逃げるなら親父を食うぞ?」

「…!?だ、だめっっ!!!!」

「─────黒虎」

「よせっっ!!!」


 名を呼ばれて、黒虎は前に歩み寄る。それを受けて三人組は慌てて子供たちを庇うように前に覆いかぶさった。全員が恐怖に瞳を固く閉じ肩を震わせるその顔を、黒虎はその大きな口を開いてぺろりとひと舐めする。


「…!」


 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 体をびくりと強張らせた後、彼らは恐る恐る閉じた瞳を開く。その小さく切り取られた視界に真っ先に入ってきたのは、身を屈ませながら覗き込むようににこりと微笑む律の笑顔だった。


「お前ら、親父が好きか?」

「…!……大好き…っ!!だから!!親父を殺さないでぇ…!!」


 声をそろえて、ぽろぽろと涙を流しながらそう訴える彼らの姿に、律はたまらずくつくつと笑いを返した。


「卑怯だよな。こんな小さな子供に涙ながらに懇願されたんじゃ、聞かないわけにはいかないだろ。まだ脅迫されたほうがマシだな」

「………!」

「あんた、意外にいい父親やってんじゃん?」

「……………け…っ!………んなわけ…ねぇだろ………」


 鬱陶しそうに、だがそれ以上にバツが悪そうに顔を背けてポツリとそう呟く男を、律は笑う。そうして仕切り直すように屈ませた体を起こして、後ろにいるリッカに声を掛けた。


「……リッカ、いいよな?」


 リッカの承諾を欲したのは、『癒しの魔法は使わないで』と以前懇願されたからだ。優しいリッカのこと、おそらくこの状況で拒否はしないだろうと思った律の想像通り、問われたリッカは目を燦燦と輝かせて大きく頷く。


 二人のそのやり取りに今度は期待と希望に満ちた視線を揃いも揃って律に降り注ぐ彼らを笑って、律はベッドに横たわる男を見下ろした。


「ガキどもに感謝しろよ」

「………早く……しろ……っ!」


 相変わらず横柄な物言いで催促する男を、律は呆れたように眺めて嘆息を漏らす。長年の性格は、命が危険に晒されてもそう容易くは変わらないという事だろうか。


 何とはなしにそう思いながら、律は男の前に手をかざした。

 その律を、皆固唾を呑んで見守る。


 魔法の使い方はリッカに教わった。

 ただ想像するだけ。得意中の得意だ。


 リッカの怪我を治した時のように、律は頭の中に思い描く。

 病が治っていく情景─────。

 そうして、いつも通り言葉にする。


「…光の精霊よ、癒してくれ」


 その声に呼応するように、男の体を眩い光が包み込んだ。

 リッカを治した時と同じ、温かく心地いい光。

 皆、釘付けになったように目を見開いて、その光景を爛爛とした瞳で眺めている。


 ─────ただ一人、律だけが険しい表情を取った。


 す…っと光が消えた瞬間、ベッドに横たわる男は突然の咳嗽がいそうに体を横にして激しく咳き込む。同時に口から吐き出たのは、大量の血液だった。


「…!!?親父…!!!大丈夫か…っっ!!!?」

「何だよ!!?治ってねえぞ…っ!!!?」


 怪訝そうな視線が律に集まる。何よりも一番怪訝そうな表情を取っていたのは、律だった。


 リッカを治した時と同じようにしたつもりだった。

 同じように手をかざし、同じように想像をして、同じように光の精霊に願う。

 ─────なのに、何かが違った。

 何が違うのかは判らない。

 ただ一つ判ったのは、光の精霊がひどく困惑しているという事。

 それだけがなぜか、律に強く訴えかけてくるのが判った。


 訝しげに自身の手を見つめる律を、コーディは怒りを露わにした表情で問い詰める。


「どうなってんだよ!!!?お前…っっ、やっぱり親父を治すつもりがないのか…っっ!!!!?答えろよっっ!!!!」


 その質問に、律はただ沈黙を返した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ