ギルドのこと・終編
「…まあ、そう気負わんでくれ。話を聞くだけだ」
そう言って二階の一室の扉を、ゼフォルは開く。
ゼフォルの執務室と応接室を兼ねているのだろう。奥には人間の物よりもずっと大きな机と椅子が、そしてその手前には、ゼフォル専用と思しき大きなソファと客人が座るソファが大理石のテーブルを挟んで向かい合わせに置かれている。
部屋に入ると、顔も背格好もよく似た男女が恭しく頭を垂れて迎え入れてくれた。見たところ、まだ少年少女といったところだろうか。その二人にロゼは軽く手を掲げ顔を上げるように示唆すると、それを見届けたゼフォルが豪快にソファに腰を下ろした。
「座ってくれ」
「………そのソファ、よく壊れねえな」
「ははははっ!!言ってくれるなっ!!!これはドワーフが作った特殊なソファだ。儂が座ってもびくともせんよ」
ゼフォルに促されるままリッカと共にソファに腰かけて、律は相変わらず歯に衣着せぬ物言いをゼフォルに投げる。その態度に少年少女は目を丸くして、同じくゼフォルの後ろに控えたロゼはくすくすと笑い声を落とした。
「やっぱり、あんたドワーフなのか。何でそんなに大きいんだ?ドワーフは普通子供くらいの背丈しかないはずだろ?それともここじゃ、それが普通なのか?」
「…儂は正確にはドワーフと人間の混血児だ。確かにリツの言う通り、通常ドワーフは子供くらいの背丈しかない。混血児はそれよりも少し大きくはなるが、それでもせいぜい人間と同じくらいか少し小さくなるのが普通だな。…儂は突然変異というやつだ」
「へえ…!」
「……それで?」
「……?」
「リツの世界にも、ドワーフがいるんだな?」
にやりと笑ってそう返すゼフォルに律はわずかに目を見開いた後、バツが悪そうに視線を逸らして諸手を上げるように告げる。
「あー……いるとは言っても空想上の存在なんだけど………やっぱ名前でバレるか。俺が異界の旅人だって」
「名前だけではないぞ。ちょうど今、二日前に異界の門が開いて旅人がこの世界に訪ったと情報が入ったところだったからな。…聞けば迎えに来た者たちを振り切って逃げだしたらしいな?勝手の判らん世界に来たというのに逃げ出す馬鹿がいるとはと呆れていたところだ」
「ははは……」
返す言葉もなく苦笑を返しながら、律は自身の鞄にちらりと視線を落とす。
ゼフォルの様子を見るに、どうやら黒虎の情報は伝わっていないらしい。
(………ギルドに入ってから、黒虎の奴ずっと気が立ってんだよな……)
時折小さな唸り声が律の耳をかすめるくらいだ。それは律が嘲笑を受けた所為か、あるいは律の感情に感化された所為かは判らない。それでも黒虎が堪りかねて鞄から出やしないかと、律は内心気が気ではなかった。
(……頼むから出てきてくれるなよ)
心中でそう嘆息を落とす律の名を、ゼフォルがおもむろに呼ぶ。
「─────…ナルカミ=リツ。……百年前に訪れた異界の旅人も似たような名だったな」
「…!そうなのか?……じゃあ百年前の異界の旅人も俺と同じ日本から?」
「そうとは限らんぞ。世界は無数に存在するからな。リツがいた世界とよく似た文明を辿った世界があってもおかしくはない」
「…!その設定、面白いな!!」
「…!」
爛爛とした瞳で思わずそう零した律に、ゼフォルは一瞬目を丸くして闊達な笑い声を上げる。
「『設定』と来たかっっ!!!面白い事を言う人間だ!!」
(………しまった。癖で思わず……)
やはりバツが悪そうに、律は目線を逸らした。
パラレルワールドはよく耳にするが、ゼフォルが口にしたのはパラレルワールドとはまた少し違う世界観だ。よく似た世界だけれども、並行していない世界─────…。百年前の異界の旅人を自分がいた世界から来たと考えるよりも、そういう世界から来たのだと考える方が、より面白い。
思わずそう考えてしまうのは、律が未だにこの世界を現実のものと捉えていないからだろう。世界設定作りに関する講釈を始めなかっただけまだましだろうか。
思ってどこか気まずそうにそっぽを向く律を笑って、ゼフォルは改まったように居住まいを正した。
「改めて自己紹介しよう。儂はフリューゲルのギルド長ゼフォル=グランベリーだ。この子たちは儂の補佐をしてくれているマナヤとカラナ」
名を呼ばれて、二人は順に小さく頭を垂れる。性別が違っても並ぶ顔の造形がひどく酷似しているところを見ると、どうやら二人は一卵性双生児なのだろう。少女がマナヤ、少年がカラナと言うらしい。
「ロゼは─────」
「私は先ほど、簡単ではありますが自己紹介を済ませました」
「そうか」
一つ頷いて、ゼフォルは本題に入るようにその大きな顔を律に近付ける。
「さて、リツよ。お前は一体何者だ?」
「…?……さっき言っただろ?異界の旅人だって」
「……それだけか?」
「それ以上に何があるんだよ?」
「………ふむ」
ゼフォルの言わんとしている事が判らず小首を傾げる律をしばらく眺めて、ゼフォルは後ろに控えるロゼに声を掛けた。
「……ロゼよ。さっきお前はリツをオーブで調べたと言ったな?」
「……はい」
「魔力がないこと以外に、何か変わった事は書かれていなかったか?」
「……それが……」
言葉尻を濁しながら、ロゼは律をちらりと視界に入れる。
「……スキルをお持ちのようで……」
「スキル?…珍しいな。どういうスキルだ?」
「『言葉綴り』と『文字綴り』。心当たりはあるか?ゼフォルのおっさん」
ロゼの代わりに答えた律に向き直って、ゼフォルは眉根を寄せながらその大きな顔を傾げる。
「……『言葉綴り』と『文字綴り』─────…聞いた事もないな」
「……そか。ちなみに百年前の異界の旅人にはどんなスキルがあったんだ?」
「何も持っていなかった。むしろ持っている者の方が圧倒的に少ない。スキルというのはかなり稀有なものだからな。これは『神からの贈り物』と呼ばれている」
「……『神からの贈り物』」
「代わりに奴にはこの世界にはない知識があった。…異界の旅人は皆そうだな。この世界の常識がないゆえに突拍子もない事を思いつき、とんでもない事を成し遂げる」
ゼフォルの口から出た『奴』という言葉に、律は反応を示す。
この親しげな呼び方は、実際に会った者しか口にしない言葉だ。
「…会った事があるのか?その異界の旅人と」
「会ったも何も、奴がこの世界に来て最初に面倒を見てやったのは儂とロゼだ」
「……………待った。二人って今何歳だ?」
「儂は百五十を過ぎたところだな。ロゼは─────」
「私はそろそろ三百を迎えますね」
「…………」
「どうした?リツ」
「………いや、この世界の寿命ってどうなってんのかな、って………」
外見がドワーフそのままのゼフォルはまだ判る。だが人間にしか見えないロゼにまで破格の年齢を告げられて、律はたまらず頭を抱えた。
もしやこの世界の人間は、自分がいた世界とは違って皆ロゼのように長寿なのだろうか。
そんな事を考えるリツの内心を悟って、ゼフォルはまた闊達な笑い声を上げる。
「そうではない!ロゼも人ではないという事だ!」
「………え?」
「……どうぞご内密に」
目を丸くして向けてくる律の視線に対して、ロゼは自分が何者であるかも告げず古代中国の礼である拱手のように間口の広い裾の中に合わせた両手を隠して鼻先まで上げ、小さく頭を垂れた顔をわずかにそれで隠す。それがいかにも、それ以上は訊いても答えないという拒絶を表しているようで、律は苦笑交じりに了承を示した。
「……それにしても『言葉綴り』────…か。『言葉』と言うからには『声』も関係してくるのだろうな……」
「…!思い当たる事があるのか?」
「……いや、思い当たるというよりも……」
言い淀んで、ゼフォルはちらりと律を見下ろす。
「……リツよ。お前は不思議な声をしていると言われた事はないか?」
「…?不思議な声?…………してるか?リッカ」
眉根を寄せながら、律は隣で大人しく座って話を聞いていたリッカに訊ねる。少なくとも律は、現実世界で自分の声をそう表現された事はない。思った通り頭を振るリッカから次に双子に視線を向けても、互いに顔を見合わせて頭を振るだけ。同じく頭を振るのだろうと思って視線を向けた最後の人物は、だが想像とは違ってゼフォルの意に賛同するように首肯を返した。
「……私も、ゼフォル様に同意いたします。リツさまのお声で話しかけられると、どうしても無下には出来なくなるのです……」
先ほどの一件がまさにそうだった。
薪をくべに行きたいのに、行けない。律に待ってくれと言う事も出来た。なのにどうしても律の声を聴くと、そちらを優先しなければという思いに駆られるのだ。
「……あの感覚は、何と説明すればよいのか……」
「お前の声は妙に心地がいいのだ」
「……ええ。だからこそ阿ってしまいたくなる……」
「…そう、お前の声はな、リツ。妙に幸せな気分にさせる声なのだ」
二人そろって互いの言葉を肯定するように、しきりに頷き合う。意気投合したように話が弾む二人を訝しげに眺めながら、律はやはり隣のリッカを振り返った。
「………そうか?」
「……えっと……リツお兄ちゃんの声は好きだけど……」
返答に困って、リッカは言葉尻を濁す。
決して律の声が嫌いと言うわけでも耳障りが悪いというわけでもない。律の傍にいると幸せな気分になる事に違いはないが、それは律の声にそう感じているのではなく、自分を受け入れてくれた律の存在そのものに幸せを感じているのだ。それはおそらく、今二人が口にした感覚とはまた違ったものなのだろう。
そう推測して、それをどう説明したものかと思案するリッカの顔を、ゼフォルはその大きな顔で覗き込んだ。
「ああ…!やはりそうか…!幼子よ、お前はシラハゼか…!」
「…!?」
言いながらゼフォルは、リッカが被っていたフードをその大きな指で軽く外す。露わになった銀の如き白髪に爛爛と瞳を輝かすゼフォルとは反面、リッカは大きな瞳をさらに見開かせながら慌ててフードを被り直した。
「……シラハゼ?……そういえば昨日お前を探してた連中も、リッカの事をそう呼んでいたな。シラハゼって何なんだ?」
「シラハゼは滅多にいない希少な存在でな、シラハゼは────」
「僕はシラハゼなんかじゃありません…っっっ!!!!!」
ゼフォルの言葉を遮るように、リッカは大声を上げる。シラハゼである事を証明するその白髪を誰の目からも隠すようにフードを強く握るリッカの、その怯えたような様子に律は眉根を寄せた。そうして言葉を掛けようと口を開いた律を、ゼフォルは小さく手を上げて制する。
「…………そうか。……リッカよ、お前はヴィヴァーチェ王国の生まれなのだな?」
「…!」
「……ヴィヴァーチェ王国?」
「西に位置する国でな、音の精霊の恩恵を受けた土地で通称『音の国』と呼ばれている。この世界の音楽は全てこの国から生まれていて、魔法を行使する時に詠う詠唱もこの国から生まれた。高名な音楽家を多く輩出し、街並みも随一と呼ばれるほど綺麗なんだが、反面この国は人種主義の思想が強く単一種族を至上とする考えが根強くてな。異界の旅人やシラハゼを穢れと蔑んでいる」
「…!………穢れ…?」
目を見開いて、律は小さくなるリッカを視界に入れた。
だからなのか、と思う。
だからあれほど、体中に痣や傷があったのか────。
「……可哀想にな。シラハゼは穢れなどではない。頭もよく純粋で、とにかく心が優しい。この国では異界の旅人と同じく『幸福の使者』と呼ばれている。……だからそんなに恥じたような顔をするではない、リッカよ」
目尻にしわを寄せ穏やかな笑みを浮かべながら、ゼフォルはリッカの頭を優しく撫でる。その大きく厳つい顔とは裏腹に、その表情はひどく優しい。それに促されるように顔を上げるリッカと目が合って、律も同じくにこりと笑顔を見せた後、問答無用でフードを外した。
「…あ……っっ!!?」
「言っただろ?せっかくそんなに綺麗な髪なのに隠すのは勿体ないって」
「………でも」
「見せてろよ、リッカ。ここにはお前を蔑む奴はいないし、いたら俺が蹴り飛ばしてやる」
「…!」
目を見開いた後、一瞬泣きそうになるのを堪えて、リッカはややあってからこくりと頷く。
「シラハゼが何かも知りたいけど────」
「…!!?」
「…リッカが言いたくなったら教えてくれ」
びくりと強張るリッカをくつくつと笑って告げる律に、リッカはやはり小さく頷いて縋るように腕にしがみついた。それをまた笑ってくれるのが、たまらなく嬉しい。
「お前は甘えん坊だな」と笑って、リッカの小さな体を自身の膝の上に乗せてくれる律に、リッカはふにゃりと笑顔を返す。そんな二人の様子を微笑ましそうに眺めながら、ゼフォルは「話が逸れたな」と前置きをして話を続けた。
「リッカは本当に、リツの声に何かを感じたりはしていないのか?」
「……はい。リツお兄ちゃんは大好きだけど、ゼフォルさん達が言うような感覚は僕には何も……」
「………そうか」
残念そうに息を吐くゼフォルを怪訝そうに眺めながら、律は訊ねる。
「……何か判ったのか?」
「まったく」
間髪空けずに返ってきた期待外れのその返答に、律は大いに肩透かしを食らってじとりとした視線を送る。
「……何だよそれ」
「いや、思っていたものとは違うようでな……」
嘆息を落としながら、ゼフォルは不思議そうに小首を傾げるリッカを視界に留めた。
(……この子がそうだと言ってくれれば、儂の勘も当たったやもしれんのだがなあ…)
シラハゼは必ず異種交配の先に生まれる存在だ。リッカがそのシラハゼだというのなら、彼の体には人ではない別の血が流れている事になる。ドワーフの血を持つ自分と人ではないロゼ、そしてリッカもまた律の声を異質なものだと捉えることができたなら、あるいは自分の推測は当たっていたかもしれない。だが残念ながら、リッカには理解できない感覚のようだった。
(…あるいは長い年月の中で異種の血があまりに薄まりすぎて、この感覚に気づけないか……)
思ってゼフォルは、たまらず大きくため息を落とす。
「……儂はあまり考える事が得意ではないからな……」
独白のつもりが思わず口に出してしまったゼフォルの言葉に、真っ先に笑い声を返したのは律だった。
「ははは!だろうな!」
「……失敬な奴だ」
苦虫を噛み潰したよう顔を向けて、ゼフォルは諦観したようにもう一度ため息を落とす。
「……まあ、いずれは判る事だ。また何か情報があればリツに教えてやろう」
「その時は情報料を取るんだろ?」
「おまけはしてやるぞ?」
にやりと笑ってそう応酬するゼフォルを、律はまた笑う。
ゼフォルの言い方から察するに、情報もまたギルドの商品の一つなのだろう。誰がどの情報を欲しているのかを常に把握する事は、ギルド長として当然だろうか。
「…ああ、そうだ。おまけついでに聞きたい事があるんだけど」
「何だ?判ることなら答えてやる」
「……異界の旅人を────つまり俺なんだけど、俺を迎えに来た連中で怪我をして帰ってきた奴は居るか?」
「…?怪我、か?……いや、そんな情報はなかったし、帰ってきた連中を儂も見たが特に怪我人がいたようにも見えなかったぞ?」
「……そか」
胸を撫で下ろすようにため息を落とす律の様子に、ゼフォルは眉根を寄せる。
「何だ?お前何かやらかしたのか?」
「…………教えてほしかったら情報料な」
「…!」
その見事な切り返しに、ゼフォルはまた闊達な笑い声を上げる。
「こりゃまいった!!!!!儂から情報料をせしめようという奴がいるとはな!!!!」
「…まあ代わりと言っちゃあなんだけど、もし異界の旅人の情報が欲しいと言う奴が来たら教えてやってくれ。もちろん、あんたが情報料を受け取ってくれていい」
「……何だ?逃げたわりに隠すつもりはないのか?」
「……まあ、怪我人が出なかったんならお咎めはなさそうだしな」
もし黒虎を捕らえようとするのなら、その時はまた逃げればいいだけのこと。さして問題はない。
「?…よく判らんが承知した。有効に活用させてもらおう」
小首を傾げながらも了承するゼフォルに一つ頷いて、律は次にゼフォルの後ろに控えるロゼに視線を移す。
「…それで、ロゼさん。ギルドへの登録の件だけど、俺はできるのか?それともできないのか?」
「…!」
真っ直ぐにロゼだけを視界に留めて返答を待つ律に、ロゼとゼフォルは目を瞬いて互いに小さく目を合わせる。なぜギルド長のゼフォルではなくロゼに伺いを立てるのか、律のその意図を測りかねながら、ロゼは躊躇いがちに口を開いた。
「……え、ええ……もちろん登録は可能です。リツさまは魔法をお使いになられますから。…早速ご登録なさいますか?」
「ああ、頼む」
「ではこちらにご記入を」
言ってロゼは、大理石のテーブルに一枚の紙と羽ペンを用意する。書かれている文字は読めないものの、おそらく登録に当って個人情報を記入するのだろう。それは判るが、いかんせんこの世界の文字は読む事も書く事も出来ない。律はバツが悪そうに視線を流して、リッカへと向けた。
「あー…、悪いけど代筆でもいいか?俺はこの世界の文字を、まだ読み書きできないんだよ」
「ええ、もちろん構いませんよ」
「リッカ、頼めるか?」
「…!はい…!」
瞳を爛爛と輝かせながら頷くリッカに文字を読んでもらい、必要事項を記入してもらう。これすらもギルドでは貴重な情報になるのだろうと何とはなしに思いながら、律は記入し終えた登録票をロゼに手渡した。
「…では確かに、ご登録を承りました」
「すぐにでも仕事を受けるつもりか?リツよ」
登録を終えて、もうすっかり用を済ませた気でいるのだろう。ソファから腰を上げてリッカと共に帰り支度をする律に、ゼフォルは訊ねる。
「いや、しばらくはこの街を見て回るよ。まだこの世界に来たばっかだし、知らない事の方が多いからな」
「…そうか。何か困った事があればいつでも来い。助けになってやる」
扉に向かう律の背に、ゼフォルはそう声を掛けた。
ギルドの長としてではない。そもそもゼフォルは、その外見とは裏腹に意外に世話好きな性分だ。加えて律自身を気に入った事も手伝って、ゼフォルはあくまで善意でそう口にしたつもりだった。
だがその言葉に、予想外な言葉が返ってくる。
律は扉に向けていた足を止めて振り向きざまに、にやりと笑ってみせた。
「それはどっちがだ?ゼフォルのおっさんか?それとも、ロゼさんか?」
「…!」
ゼフォルはロゼと二人しばらく顔を見合わせて、どちらともなく答える。
「…………どっちもだ」
「…………どちらもです」
同時にそう言葉を落とした二人を小さく笑った後、律は「じゃあ期待してる」とだけ返してそのまま扉を閉めた。ぱたりと閉じた扉をしばらく視界に留めてから、ややあってロゼはぽつりと呟きを落とす。
「………あの方は、どこまでお気づきなのでしょうね?」
「………さあな。何にせよ、食えん奴だ」
**
「ああ…!下りてきた…!」
階段を下りたところでカウンター越しにそう声を掛けてきたのは、ギルバードだった。律儀に律たちが帰ってくるのを待っていたのだろう。手持無沙汰でカウンターに肘をついていたギルバートは、律たちの姿を見止めて表情を明るくした。
「どうだった?登録は出来たかい?」
「わざわざそんな事を訊くために待ってたのかよ?暇な奴だな」
「君には訊きたい事がたくさんあるからね。…もちろん俺だけじゃなく、こいつらも」
「…!」
見ればいつの間にやら律たちを取り囲むように皆が興味津々な視線を送って来る。律はうんざりしたように、これでもかと顔をしかめて、煙たそうに虫を追い払うような仕草を見せた。
「…勘弁してくれ。あれだけ人を馬鹿にしといて、よくそんな事が言えたもんだな」
「まあ、そういうな」
「お前みたいな若い奴は大体、最初に洗礼を受けるもんだろ?」
「そうそう。特にお前みたいなガキはな」
「洗礼を受けたくねえんなら、もう少し見た目を強く見せるこったな!」
皆一様に自分勝手な事を口にする連中を睨めつけるように見渡した後、律は鼻で笑って応酬する。
「…はっ!見た目でしか相手の強さを判断できないってのは、自分を二流だって公言してるのと同じだぞ?」
「…!」
「悔しかったら、外見に惑わされない目を養う事だな。…行くぞ、リッカ」
その切り返しにギルバートだけはくすりと笑って、他は皆、返す言葉もなくじとりとした視線を律の背中に送っている。その中を悠然と歩きながら、律は先ほど小綺麗な男が座っていた場所をちらりと視界の端に捉えた。
(……あいつはもう出て行ったか)
あの異彩を放つ佇まいの、小綺麗な男。その男がいた場所は、もうすでにもぬけの殻だ。先ほど見渡した時にも、その男の姿は見当たらなかった。
(……意外にあっさり帰ったな)
いかにも自分に興味を持ったと言わんばかりの表情を向けてきていただけに、こうまであっさりとしていると返って底気味が悪い。何となく胸に苦い物が広がるのを自覚しながらギルドを出ようとした律の背に、ロゼの慌てた声が届いた。
「リツさま…!」
「…?ロゼさん?どうした?」
「すみません…!お訊きするのを失念しておりました…!」
「…?何を?」
慌てて階段を駆け下りてきたのだろう。小さく弾む息をわずかに整えてから、ロゼは訊ねる。
「リツさまの職業はどういたしましょう?」
「……職業?」
「剣を扱う方なら剣士、大剣を扱う方なら重剣士と、得意な武器によって職業を決めていただいているのです。討伐する魔獣によっては、武器や攻撃の種類によって相性の良し悪しがございますので」
「……なるほど。…ちなみにギルバートは?」
「俺は剣と魔法を扱うから魔法剣士だな」
「リツさまは魔法を使われるので、やはり魔法士でしょうか?」
それでは面白くない、と律は思う。
そもそも自分には魔法に必要な魔力がないのだ。結果的に魔法が使えてはいるが、魔法を専門に扱う魔法士を職業にするのは何か違う気がする。
かと言って剣や武器が扱えるわけでもない。自分が今使えるのは魔法のみなのだ。
(……スキルの特性が判れば、決めやすいんだけどな)
『言葉綴り』と『文字綴り』─────それがどういうスキルなのかは判らない。
だが、と律は黒虎がいるであろう鞄に目をやる。
(……黒虎は俺の言う事に三度従った。誰にも膝を折らないと言われた魔獣の黒虎が、だ)
それがこのスキルに起因する事ならば─────?
この推測があっているかは定かではない。
だが職業を決めろというのなら、『神からの贈り物』である稀有なスキルに因んだものが一番、正鵠を得ているだろう。
「…………よし、決めた」
かつては『言葉』によって世界を作り上げ、物語を構築していた。
一度は捨てたその『言葉』。
その『言葉』を扱う職業が、一番自分に適しているだろうか。
「俺の職業は『言霊師』だ」




