冷えた身体と少しばかりの炎
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身体を洗った後、湯船にどのぐらい浸かったかは覚えていない。
最初は少し熱かった湯が段々と温かくなっていき、少し冷えを覚えるほどぬるくなった。
そのせいで湯船から出ようとしても寒さで気が進まず、永遠に温かくならないぬるま湯にただただ浸かっていた。
くしゃみが出たタイミングで僕はやっと湯船から出る。
身体は震える。
何かに怯えているように。
でも、実際は身体が冷たくなっただけだ。
心身相関と言う言葉があるように、僕の心は身体と同じように冷え切ってしまった。
だからだろう。
さっきまでずっと考えていたことがなんだか馬鹿らしくなってきた。
「……文芸部の部室が元は文芸室っていう全く別のところで、そこで僕は一人の少女に会っていた。……なんて、明らかにラノベの読みすぎだよな」
身体を拭いて、服を着て、鏡を見る。
前髪のせいで視界は狭い。
それでも僕は鏡の奥の自分が非常にやるせない顔をしていることに気づいた。
「……これは確かに、楽も心配するわな」
今日は体育があったからだろうか。妙に足が重い。
階段を上るだけで息苦しくなる。
楽の言う通り、最近不眠が続いているし、少し早いけど今日はもう寝よう。
そうすれば足が痛いのも、一週間たまった疲れも、明日には無くなっているはずだ。
全部過去の出来事になって、やがて『そんなことあったけ?』と忘れることだろう。
布団を敷き、明かりを消す。
無意識状態になったのか、自然と思考が自由行動をして、次々に思い浮かんでは消えていく。
視界は暗い。当たり前だ。電気は消えている。
僕は瞼を閉じる。
さっきより濃い黒が僕の目の前を埋め尽くす。
やっと、今日が終わる。
──だから。
「……もう、いいよな」
あれは全部僕の妄想だったってことで終わりで。
この話をこれでおしまいにしても。
訳の分からないことに振り回されるのは……もう、疲れたんだ。
ヒーローになるべき人間は、少女が消えた当日から動き出せるような人間の役割だ……。
明日にはどうにかなってるとか、どこか他人任せになってるような背景キャラの役割じゃない。
……僕の役割じゃないんだ。
本当は分かっていたはずだった。
彼女が消えたくて消えたんじゃないって。
消えたくなくても……消えてしまったんだって。
じゃなきゃ「最後に」なんて言葉を使って身体が震えるわけがない。
じゃなきゃ律儀に──あんな寂しそうに「さようなら」なんて言うわけない。
でも文芸室が消えた日、僕にはどうすることもできなかった。
僕じゃない誰かが彼女を助けてくれるんじゃないかとか、明日には戻ってるんじゃないかとか、そういうことばっかりで、僕自身は彼女のために何もしていなかった。
──誰も見たことがない──
彼女が頼れる人間は僕だけしかいなかったのに。
きっと僕が翌日に忘却しはじめたのは、彼女がそう望んだからだ。
文芸室が消えた翌日、真っ先に忘れたことの一つが彼女のヘルプサインだった。
僕が罪悪感で押し潰されないように、唯一助けてくれるかもしれない手を、僕よりも小さな手で彼女は振り払った。
そんなことも思い出せずに、僕は彼女に何かをしてしまったとか、そういうことばかり考えて、振り払われた手を引っ込めてしまった。
全て思い出したとしても、今となっては後の祭り。
きっと彼女はもう──
「……なんで僕はその場で気づけなかった?」
後悔の念が一気に押し寄せてくる。
飲み込まれて、息苦しくなって、僕なんて死んだ方がマシなんじゃないか、そう思えてくる。
あの日、文芸部の部室の鍵を貰ったのが僕じゃない他の誰かなら、彼女を救うことはできたのだろうか?
……いや、もういい。もう、いいんだ。
──忘れてしえば、そんなことどうでもよくなるのだから。
人は頑張れば記憶返還をすることができると、僕は身を持って知っている。
きっと、一度できたんだから同じようにできる。
『今まで僕は帰宅最速記録を狙っていた』
楽に伝えた筋書き通り明日からそうして、大筆先輩にこの鍵は返そう。
テスト勉強……全然やってないな。
明日から本格的にやらないと。課題もあるし。
きっとそれで何もかも──
『──ここに来てくれてありがとう、霜月さん』
僕も君と出会えてよかった。
『──えぇーっ!? あ、あのいつも何も考えていなさそうな……読書だけが生きがいの霜月さんが!?』
僕の学校の楽しみは君と話すことだったんだけど。それは気づかなかったのかな。
『……どうせ霜月さんは私との会話内容なんて一言一句覚えていないんだ』
そのセリフだけは一言一句覚えているんだけど。
『──霜月さん、優しいもん』
……僕は優しくなんてない。
だからそんな風に言わないでほしかった。
『いくら私が可愛いからと言って約束通り私のことは詮索しないで下さいね』
一言ぐらい、助けてって言わせてあげたかった。
嬉しそうな彼女の笑顔が僕の目にまだ焼き付いている。
そのせいだろう。
さっきまで眠れそうだったのに、いつの間にか眠気は焼かれて蒸発していた。
「……これじゃあ、全部夢だったことにするなんて夢のまた夢だな……」
布団の中で僕は呟く。
小さく発した言葉は自分でも驚くぐらい僕の中で強く轟く。
……そうだ、できるわけない。
──たったの一か月。
僕の人生の中でも大した割合はしめていない。
それなのに今まで見つけられなかったものを僕にくれた。彼女は。
僕はまだ何も返せてないじゃないか。
──でも期待していないから、助けを求めなかったんだろ。
……そうかもしれない。
所詮、僕はモブに過ぎないから、戦力外通告を出されても不思議じゃない。
それでも僕は彼女に伝えなければいけないことがある。
一生この気持ちを抱えて生きていくには、少しばかり重すぎるから。
とは言え、この感情が恋だとはまだ断定出来ていない。
もし、彼女が本当に狐だったとするなら、この感情も化かされたことによる錯覚なのかもしれないから。
だけど、それを踏まえたとしても、僕はまた彼女と──
──明日晴さんと一緒にいたい。
もう一度、あと一度だけでもいいから僕は彼女に会って、そして──
──救い出してあげたい。
文芸室から。
外界から隔離された部屋から。
その囚われの身を。
僕みたいなやつはお呼びではないのかもしれない。
でも知るか、そんなの。
これは僕のわがままで自己中心的なな意志でもあるんだ。
そもそも惚れたら責任取ってもらう約束なんだから、そういう展開があっても面白いだろ。
モブルート的な。
それに、責任を取ってもらう条件は恋に落ちたらって条件じゃない。
相手に惚れているかどうかだ。
一人の女性のことでこんだけ悩めるんだったら、もうそれ、惚れる以外の何物でもないと僕は思う。
もしこれが嘘だったとしても──偽りのものだったとしても──仮初のものだろうと僕はこの気持ちを突き通して──
──嘘から出た真実にしてみせる。
きっと明日晴さんを助けるために僕はこの気持ちを貰ったのだから。
だから、絶対無駄にはしない。
──だけど、もう、彼女は完全に消えているかもしれない。
先ほどまでそう思っていたが、意志を持つことで意識が変わったのか。
綺麗ごとではなく、直感として。
僕が忘れない限り、彼女が消滅することはない。
文芸室が消えた時、彼女も消えたと自然と思ったように──それが当たり前のように僕の頭に植え付けられていた。
僕は目を瞑る。
瞼の裏の暗闇が少しだけ鮮明に見える。
その中に一瞬だけ──少しだけ光が見えた気がして、また瞼を開ける。
目には確かに残光が残っていた。
「……もう一度だけ」
その一度で救い出す。
もう身体は震えていなかった。
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