証
誤字がありましたら、報告してくれると幸いです。
昨日は頭が真っ白だったはずなのに、今は目の前が真っ暗になっているようだった。
ゆっくりと、彷徨うように歩いていた足が向かっている先は管理室だった。
旧校舎全体を把握している場所。
それだけじゃなく、生徒一人一人の証明写真なども管理している場所。
そこに向かう理由は一つだった。
……まだ、彼女が僕に偽名を名乗ったという可能性が残っている。
管理室。
「わしの聞き間違いじゃないのなら、全校生徒の証明写真を見せてもらってもいいか、と?」
僕のお願いを管理人は復唱し、それに僕は「はい」と答える。
「理由を訊いてもいいかな?」
「……人を探しててて、この学校に所属してるはずなんです。だから、お願いします」
僕は深く頭を下げる。
「流石に実物を手渡すわけにはいかんからな……」
……まあ、駄目だよな。
別の手を考えるかと思った後、「でも」という言葉で僕は頭を上げる。
「普段、わしが生徒の顔と名前の認識が一致しているかどうか、確認する為だけに使う証明写真のコピー……白黒だけど、それなら貸せるよ。何年生なのかな? 君が探しているその子は」
「それが、分からないんです。だから、全学年分お願いしてもいいですか?」
「おし、ちょっと待ってな」
管理人はすぐに三つファイルを僕に手渡してくれた。
時間が惜しいので僕は床にそのファイルを広げて、彼女を探す。
僕は彼女の狐面で隠れた部分を見たことがない。
だけどきっと、一目見れば絶対わかる。
そんな根拠のない自身だけはあった。
最初に僕が開いたファイルは一年生。
彼女が僕と同じ学年だとするなら、このファイルのどこかに居るはず。
いない。
……詮多索防止のために一年に成りすましてた可能性もある。
僕は続けざまに二年のファイルをとろうとして──やめた。
……いない。
いるわけがなかった。
もう、十分だった。
僕が昨日認めてしまったものを確かめるには。
見落としはない。
見落とすはずがない……惹きつけられるようなあの瞳を。
見落とすも何も、これらのファイルに彼女の証明写真は載っていない。
この学校全校生徒七百二人のうちの一人ではないのだ。彼女は。
明日は晴れる。
──そんな言葉が名前の由来である女子生徒は存在しない。
透き通った瞳と、対照的に藍のように濃く、長い髪。
そんな浮世離れした容姿とは対照的に、元気で明るくて……わかりやすい。
──そんな女子生徒もこの高校には存在していない。
存在していなかったのだ。
僕はファイルを三つにまとめて窓口へと返す。
「もういいのかい……?」
管理人も早いと思ったのだろう。
意外そうに僕に訊いてくる。
「はい、ここの生徒じゃない気がしてきて……すみません、わざわざ用意してもらったのに」
「そうか……また力になれることがあったら、頼りに来なさい」
僕は深々と一礼してから廊下に出る。
そこでたまたま歴史の先生を目にした。
ちょうど職員室から出てきたところらしい。
最後。
きっとこれで僕は確認を終了できるだろう。
「すみません、先生。今、お時間いいですか?」
「大丈夫だけど、どうかした?」
「いつも何時ぐらいに部室に着いているのかと思って」
「何時……大体、ホームルームが始まる時間ぐらい、かな」
「その時に、女子生徒が睡眠研の前を通りませんでしたか? 長い髪の」
時間帯的にだったら見ているはず。
だがやはり先生は、はてと首をかしげる。
「見てないわね。睡眠研の奥に来るなんて霜月君ぐらいじゃない?」
バレていた。
「扉の音もたまに聞こえるよ。でも、それが霜月君だって気づいたのは、いつかの金曜日だったかな? たまたま外に出た時、後ろ姿を見かけて」
「すみません部室のこと……」
「あ、別に怒ってないの。私もここの高校出身なんだけど、同じようなことしてたから。でも、そうね。すごい静かだけど、あそこで何をしてるの?」
……静か。
なるほど、そういうことになってるのか……。
「静か、ですか。うるさいじゃなく?」
「ええ、扉を開ける音以外はうるさいどころか、物音ひとつ聞こえないけど」
「僕が来る前に扉が開く音はしませんでしたか?」
「私が聞くのは一日二回だけ。おそらく霜月君が文芸部の部室に入る時と、出る時じゃないかな? それでも睡眠研の部室は防音だから、かすかなもの。もしかするとその影響で聞き逃しているかもしれないけど……」
「部室を出る時間って最終下校時間とかですか」
「私の場合は、職務を睡眠研の部室でしちゃうから、そんなことはないかな。最終下校時間よりだいぶ過ぎても、部室にいるかも」
…………。
「最後に。昨日の夜の話なんですけど、文芸部の部室で何か工事が行われませんでしたか? それか大きな音がしたとか」
「そんな話も、工事音もまったく聞いてないよ。確かに第一校舎はここ数十年の記録では改装工事は行われてないから、そろそろそういう話も出てもいいと思うんだけど」
「そうですか。……すみません、貴重なお時間、ありがとうございました」
帰宅後。
僕がリビングのソファに座っていると、お腹が鳴る音がした。
時刻は十二時らへん。
「……そういえば、昨日帰ってから何も食べてないんだっけ……」
お腹は減っているのに、とてもじゃないが喉に何かが通るとは思えなかった。
「……そりゃ、お腹いっぱいになるわな」
彼女は文芸室と共に消えた。
──ほんとは気づいていた。解っていた。知っていた。
昨日、扉を開けて文芸部の部室をこの目で捉えた時から。
昨日、文芸室が──文芸部の部室に変わっていることを認識した時。
恐怖を感じる前に僕は──納得してしまった。
これが──この部屋こそが本来僕が来るところだったのだと。
文芸室の方は存在しない空間だったのだと。
でも、それを無意識に認めてしまった時、僕は同時に彼女の存在も否定してしまった。
彼女を──存在しない存在なんだと認めてしまったのだ。
文芸室が消えたと認識したと同時に、彼女も消えたと僕は認識してしまった。
──扉が閉まった時が恐怖を感じた最初だった。
逆にそれまで僕は、文芸室が消えたことや、彼女が消えたと思ったことにもなんの恐怖を抱いていなかったのだ。
そう思うことが当然であるように。
そう思っている自分が恐かった。
僕の今までから彼女が外れた気がして、……怖かった。
どうにかその恐怖をどこかに転換したくて、僕は目の前に広がっている光景に恐怖を押し付けるため、シリアス雰囲気を作って──自分を演じて、彼女が消えたということから目を背けた。
だから昨日の寝る前。
次に目が覚めて文芸室に行った時は、全部元通りになっていて、今日のことは全部夢だった……そう思えるんじゃないかって期待していた。
けれど夢は覚めなかった。
覚めるも何もなかった。
今まで見ていた方が夢だったようなものなのだから。
今日、また文芸部の部室を見た時、僕は彼女の名前をすぐには思い出せなくなっていた。
僕はたった一日で彼女の一部を忘れてしまったような気がして──どんどん彼女がいないことが当たり前になっていく気がして──
文芸室が文芸部の部室に変わったということよりも。
彼女が存在しない存在だったということよりも。
文芸室が消えた時、彼女も消えてしまったと自然に思ったことよりも。
──彼女を忘れてしまうことに何より恐怖を抱いた。
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