3・死にたい君と僕の願い・
旅に出てからどれほどの月日が経過しただろう。
周辺の集落はすべて滅んでしまい、散り散りになった人々が協力しあって一つの街を作った。
困窮していた人々が街の施策によって裕福になり、世界に平和をもたらした。
「明日だね」
ゼラは艶やかな髪の毛を手でほぐしながら言った。
集落の役人たちを殺していくうちに、僕たちは醜い争いを止めた英雄として崇められるようになった。
一部の富裕層を除いて、血に塗れた世界を好んでいた人はほとんどいなかった。
一人殺せば悪人として扱われるが、あまたの命を奪えば英雄になる。
書庫で読んだ本に書かれていた言葉は本当だった。
明日はゼラが王座につく日だ。
投票で街の人々が選んだ。
役人も投票に参加したが、誰一人としてゼラ以外を選んだ者はいなかった。
「私がたくさんの人の命を守ることになるなんて、考えもしなかった」
争いごとがなくなってからしばらくしてゼラは死を望まなくなった。
理想の世界に近づいたからということもあったが、本人曰く、「もうこの命は自分だけのものではないから」らしい。
ゼラが命を落とせば、きっとまた反乱が起こってしまう。
この世界の秩序はいまや彼女に守られている。
遠く離れた集落や街との交易もゼラが先頭に立って行っていた。
「ゼラならきっと平和な世界を作れるよ」
広々とした建物の中で、僕たち二人は明日のことを語り合っていた。
金の屏風には獣の絵が描かれている。
柔らかい布団は寒さを凌ぐのに十分だ。
食べ物は誰に言わずとも決まった時間に用意される。
長い時を経て、僕たちの生活は変化した。
淡い光の中に浮かび上がったゼラの顔をじっと見つめる。
長いまつ毛やぎらりと怪しげに光る唇が麗しく思えた。
僕の視線に気がつき、ゼラが柔らかな笑みを見せた。
耐えきれず、僕は咄嗟に視線を背けて頬を掻いた。
「緊張してる?」
「うん。街の人たちが期待してるって考えると、なおさら」
「大丈夫だよ。気張らずに、ゼラはゼラらしくしているだけで十分だから」
枕元に置いた灯りの火を吹き消して布団に入り込む。
そして就寝前の一言を交わし合って目を閉じた。
瞼の裏側に厳かな衣装を身に付けたゼラの姿が浮かんだ。
きっと彼女は、これから長い間この街の平和を守り続けるのだろう。
できることならば、ゼラの仕事を見守り続けていきたかった。
苦痛も悩みもすべて共有して世界の平和を少しでも長く持続させたい。
どれほど願っても、叶うことのない望みだ。
静かな寝息を聞いて旅の記憶を思い出した。
辛いことばかりで時には命を落としそうにもなったが、次の日もゼラといられると考えると過去の自分が羨ましく感じられた。
このまま関わり続けていれば、いずれ彼女は不幸になるだろう。
そうすれば街の秩序を保つことができなくなってしまう。
そうならないためには、僕がここから出ていく必要があった。
ゼラと過ごす最後の夜である実感が湧かない。
孤独になる日が再び訪れるなど思いもしなかった。
ゼラの死を目的にした旅だったが、彼女を失った未来を考えたことは一度もなかった。
目尻に溜まった涙を指先で払う。
嵌めた父親の形見が瞼に触れた。
本によれば、これは指輪という装飾品らしかった。
ゼラの細く白い指にこれを嵌めれば、彼女を幸せにすることができるのだろうか。
「あとは任せたよ、ゼラ」
丸くなった小さな背中に語りかけたが、返事は返ってこなかった。