2・死にたい君が死ねない理由・
二人で森を彷徨い始めて長い月日が経った。
僕は食糧や金を確保するために、集落に忍び込み『不幸』の力を使った。
力を使うために、こちらから集落の役人に近づいて奴隷として働くこともあった。
権力者を失った集落は絶えていき、村の政策に不満を持っていた人々が反乱を起こした。
自由を手に入れた人々はやがて集落同士で土地を奪い合うようになり、大きな村へと変化していった。
少女の名前はゼラというらしかった。
出会った時と比べて身体も健康的になり、傷やアザも少なくなった。
口数も増えてその分「死にたい」と口にすることも増えた。
「ゼラ、できたよ」
蒸した穀物を器に盛ってゼラを呼ぶ。
反乱した集落の食糧庫から盗み出した食材を使用して作ったものだ。
豚や鶏の肉はもちろんのこと穀物もある。
上流階級の人たちは想像以上に贅沢な暮らしをしているらしかった。
「ありがと」
ゼラはそう呟くと、僕の隣に腰を下ろして器を受け取った。
「近い。暑いから離れて」
小さな肩を手で押して退ける。
ある時を境に、彼女との距離感が狭まった気がした。
「ゼラは夢とかないの?」
指に嵌めた形見を見て問う。
この装身具を見るたびに、父親に夢を語ったあの日を思い出した。
父親は僕の持った『不幸』を知っていてもなお、その夢を応援してくれていた。
「ヒルコならきっと誰かを幸せにできる」と火に炙られながら言ってくれた。
「あるよ。この世から消えてなくなりたい」
穀物を口に運びながらゼラが呟く。
もう長いこと一緒に旅をしているというのに、彼女に不幸が降りかかることは一度もなかった。
「ねえ、私はいつになったら死ぬことができるの?」
「……知らないよ、そんなの」
僕と関わって不幸にならなかった人は今まで一人もいなかった。
過去の『不幸』から考えても、すでにゼラの願いが叶っていても不思議ではない。
原因は不明だった。
「他にはないの?」
「夢じゃないけど、欲しいものはあるよ」
「そうなの?」
「うん」
興味を惹かれた。
もし盗みで用意できるものなら、ゼラにプレゼントしたいと思った。
「もしどこかの村で見つけたら、盗んで––––」
「自分で死ねる勇気が欲しい」
僕の言葉を遮って、ゼラが言った。
「あなたの力で死ぬことができないなら、せめて自殺できる強さが欲しい。そうすれば今すぐにでも楽になれるから」
「何それ」
「知ってるでしょ。私にとって生きているのは何よりも辛いことなの」
音を立てて燃える火を眺めてゼラが話す。
「何かを欲しいと思ったことはある。でもそれを守るためには、生きていかなければいけないでしょ? だったら何もいらないの。何も手に入らなくていいから、早く死にたい」
時間が経つにつれてゼラの死の願望は大きくなっていった。
理由はわかっていた。
人々の醜い争いとその犠牲者を何度も見てきたからだ。
出会った時と何も変わらない。
彼女は自分の人生ではなく、この荒んだ世界に失望している。
「役人も盗人も、あなたを助けた老夫婦ですらもみんな死んでいったのに。私は死ぬことができない」
「僕だってこんなこと初めてだよ。飼っていた豚も隣に住んでいたおばさんも、両親でさえもみんな死んだんだから」
「もし死ねなかったら、あなたが責任を持って殺して。刺殺でも絞殺でもなんでもいい」
「……わかってるよ」
そう何度も言われ、その度に渋々頷いてはいたが、ゼラを殺すことなど僕にはできない。
知り合ったばかりの老人を殺すのとは訳が違う。
家族の死に際を思い出す。
仕草や声音や匂いを覚えてしまった人を失うのは怖い。
「どうして生きないといけないの」
「誰かを殺して食べて寝て、そんなことしているうちに日が昇るからじゃない?」
「……朝も嫌い」
ゼラは木々の隙間から顔を覗かせる丸い月に目をやった。
星々が輝く夜空の景色は、この荒んだ世界のものとは思えないほど美しい。
「目を覚まして水を飲んで、誰かと争って命を奪って次の日を待って。今日は、昨日死んだ人たちの命で成り立っている。そんな世界で生きていても、何も楽しくない」
「しょうがないよ。そういうものだから」
「もし争いがなかったら、たくさん欲しいものあったんだけど」
ゼラは寂しげな表情で弾ける火花に視線を移した。
「……こんな世界で生きていることが、何より辛い」
ゼラの呟きを聞いてはっとした。
どうして死ぬことができないのかわかってしまったからだ。
「どうしたの?」
僕の表情を見てゼラが訝しんだ。
顔の前で手を振り回し否定する。
「なんでもない」
「そう」
ゼラにとっての一番の不幸は飢餓状態に陥ることでもなければ命を落とすことでもなく、この世界で生き続けることだった。
死ぬことに恐怖しておらずむしろそれを望んでいる。
生きていることが一番の不幸ならば、死ぬことができないのは当たり前だ。
「ごめん。死ぬのは、まだ先になるかもしれない」
僕が小さく頭を下げると、ゼラは怪訝そうな表情を見せた。
どうして死ぬことができないのか本人は理解していないようだった。
「平和になれば、少しは希望を持てるのかな」
ゼラが目を細めて手のひらを火の前で広げて暖を取る。
火を見る彼女の横顔は儚く、今にも消えてなくなってしまいそうだった。
「きっと持てるよ」
理想と現実の間で生じた矛盾を見つけて安心している僕がいた。
彼女がこの世界を恨んでいる限り、僕がゼラを失うことはない。