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1・死を望む君との出会い・

全部で四話です。

不幸な君と僕のお話です。

雨の中しばらく歩いていると、大きな集落を見つけた。


長い屋根の建物を四つの小屋が取り囲んでいる集落で、東側には畑もある。

窓から明かりが漏れているのは中心にある建物とすぐそばにある小屋だけだった。


食糧を盗み出すために、木の影に隠れて集落の様子を観察した。

腹が減り、判断力も鈍っているこの状況で見つかってしまったら逃げることはできないだろう。


音を立てず、なるべく力を使わずに食べ物を盗み出さなければいけない。

他の集落の大人たちに捕まれば、奴隷として過酷な労働を強いられる。


物陰に隠れながら灯りのない小屋へと近づく。

鍵がかかっていて開きそうにない。


足音を殺して隣の小屋に向かい調べてみたがやはりこちらも開かなかった。

人のいない小屋にはしっかりと鍵をかけているようだった。


再び木の影に戻り、灯りのある小屋を観察した。

ポケットに忍ばせたナイフの背を指先でなぞる。


見つからずに盗みを働けないのならば、他の手段を講じる必要があった。

あの小屋から人が出てくるのを待ち、忍び寄って殺してしまえばいい。


木の影に身を潜めて人が出てくるのを待った。


降り注ぐ雨音と木の葉が擦れ合う音。


心臓の打つ速度が早くなる。


失敗したら逃げることはできない。

生きるためには、なんとしてでも成功させなければならなかった。


やがて、扉の開かれる音が聞こえた。


そっと顔を出して小屋の周囲を観察し、状況を把握する。

出てきた三人の男は集落の真ん中にある大きな建物へと向かっていた。


頭を必死に回転させて、状況判断を行う。


こんな小さなナイフで三人も殺すことはできない。

かといって、諦めてこの集落から離れてしまったら飢え死んでしまう。


残された選択肢は、見つからないことを祈って盗みを働くだけだった。

幸いにも鍵をかけた様子はない。


三人が建物に入ったことを確認すると、木の影から飛び出して早足で小屋へと向かった。

やはり鍵はかかっていない。

ゆっくりと扉を押して中を覗き込む。

壁には血がべっとりと付着しており、天井は剥がれ落ちている。


視線を回して小屋の周囲に人がいないことを確かめ、扉の隙間に身体を忍び込ませる。

小屋の中は血生臭くて埃っぽかった。


「……誰?」


背後から声が聞こえた。

ナイフを構えて咄嗟に振り返る。

物音もなく、人の気配もまったく感じなかったせいで、小屋に人がいると気がつくことができなかった。


驚いたのも束の間、ナイフを下ろして声の方へと足を進めた。


そこにいたのは、ボロ布を身に纏った少女だった。

身体中にアザがあり、手首には鎖が、足首には枷が繋がれている。

身体はやせ細っており、目には光がなかった。


しゃがみ込み、顔を覗き込む。

へたり込んだ少女からは血や人の濁った匂いがした。

骨張った足の先には異臭を放つ液体が広がっていた。


この集落の奴隷だ。

同じような扱いを受けていた人間は僕の住んでいた村にもいた。

日々の労働や役人への奉仕で正気を失った奴隷たちは、自ら舌を噛み切って死んでいった。


少女は身体を震わせていた。

怯えているのか、寒いのかはわからない。


「……あ」


少女が俯いたままポツリとこぼしたが、何を言いたいのか聞き取ることはできなかった。


叫び声を上げる様子はない。

過労に追われてそんな気力もないのだろう。


小屋の中は殺風景で果物一つ転がっていなかった。

食べられるものといえば、皿に入った豚の餌があるだけだ。


食糧が手に入らないのならば、せめて少女を殺して身ぐるみを剥がしてやろうと考えた。

これからの季節は夜が長くなり気温も下がる。

寒さに負けて野垂れ死ぬことになる。


「だめ」


ナイフを構えて距離を詰めると、訴えかけるような目で少女が言った。

初めて目があった。黒い瞳に僕の姿が写っている。


「出ていって」


「……喋るな」

少女を睨み、刃先を腹部に突き立てる。

男たちが小屋に戻ってくるよりも先に少女を殺して布を剥ぐ必要があった。


時間的にも精神的にも余裕はない。

緊張感が高まっていく。


意図的に誰かを殺した経験は一度もない。

殺したいと思ったことは何度もあったが『不幸』の影響で命を落とした人たちを考えると、到底僕にできることではないように思えた。


しかしそれは村を追い出されるより前の話で、幾分か精神や身体に余裕があったからだ。

今は、憎しみ以外に人を殺さなければならない理由がある。


この命が惜しいとは思わなかったが、簡単に死を受け入れることはできない。

死にたくないならば、命を奪う必要がある。

生きていくためなら当たり前のことだ。


「ごめん」


罪悪感に苛まれながら手に力を込める。

殺した瞬間に手に伝わる感触を思い浮かべた。

息が上がり、思考がぐちゃぐちゃになっていく。

小屋に広がっていた生臭い血の臭いが鼻の奥にからみついて離れなくなった。


はっと息を呑み、扉に視線を向ける。


小屋の扉の奥から足音が聞こえた。男たちが帰ってきたのだ。


隠れる場所はないが、逃げる時間もない。

足音が近づいてくる。

見つかったらこの少女と同じように奴隷にされるか、もしくは家畜の餌にされるに違いない。

頭の中が真っ白になり、判断能力が低下していく。


どうしていいのかわからない。


扉の裏に身を潜めて、気づかれないことを祈るしか方法がなかった。

ナイフをポケットに戻して正面の影に忍び込む。

やり過ごせる保証はまったくなかった。


扉が開き、男が小屋の中に入ってきた。

重い足音が小屋に響く。


どうやら一人のようだ。

右手に底の深い皿を持っており、中には家畜の餌が入っている。


「飯だ」


男はそう言って皿を少女の前に置いた。

少女が座ったまま上体を折り、犬のようにして家畜の餌を口にする。

ニッと歪んだ男の口元が月に照らされてあらわになった。


「もう少しマシな女いなかったのかよ」


少女の髪の毛を掴んで上げ、傷だらけの顔を覗き込んだ。


男は息を荒げながらポケットから鍵を取り出して少女の拘束具を外した。

黒く太い腕が少女の布の隙間に忍び込む。

少女は一切抵抗することなく、ぐっと目を閉じていた。


夜の静けさの中に軋む音が鳴っている。

差し込んだ月明かりの先の薄暗い闇の中では見たことのない光景が広がっていた。


呆然と様子を眺めていると一つの考えが浮かんできた。

少女に夢中になっている今なら、闇から飛び出て男を刺殺すことができるかもしれない。

男を殺して金と身包みを奪えば寒さを凌げるはずだ。


ポケットに手を入れてナイフの持ち手を強く握る。

失敗したら抑え込まれてしまうだろうがどのみち見つかるのも時間の問題だ。

この状況から助かるためには、リスクを負ってでも男を殺害する必要があった。


右足に力を込めて地を蹴り上げ、勢いよく駆ける。

男がこちらの存在に気がついて背後を見た頃には、僕は背中をめがけて右手を突き出していた。


ナイフの先が触れ、同時に鈍い感触が腕に走った。

男が脱力した状態で少女に覆い被さる。

小屋の中から男の呼吸の音が消えて、息絶えたことを悟った。

ナイフを持っていた手は傷口から出た血で真っ赤に染まっていた。


少女は驚いた表情で僕を見ていた。小屋の中に、再び静けさが戻ってきた。


「どうして助けてくれたの」


男の死体を退けつつ、少女が言う。


「助けたわけじゃないよ。寒かっただけ」


そう返答しながら男の身包みを剥がした。ポケットには少量だが金も入っている。


「そっちこそ、なんで言わなかったの?」


少女に問う。

もし僕がいることを話していたら、今頃、男に見つかっていたはずだ。


「死にたかったから」


「死にたい?」


「生きていてもいいことなんてないでしょ?」


夜空に輝く月を見たまま少女が呟く。

丸まった背中を壁に当てて、そのまま座り込んだ。


「生まれてきてよかったなんて思ったことない。生きていて幸せだと思ったことも一度もない」


少女が皿に入った家畜の餌に手を伸ばす。


「でも自分で死ぬような勇気私にはない。だからナイフを向けられた時、嬉しかったの」


語る少女は、寂しさと嬉しさがないまぜになった複雑な表情をしていた。


「誰かが命を奪ってくれればいいのに、ってずっと思っていたから」


「それは僕も一緒だよ。こんな世界で生きるくらいなら、死んだ方がきっと楽になれる」


少女の隣に座り、同じように家畜の餌に手を伸ばす。

空腹を紛らわせることができるならなんでもよかった。


「私より先に死ぬとは思わなかったな」


少女は淡々とした口調でそう言いながら横たわる男を見た。

流れ出た血が身体を伝って落ちていき、男の下に赤い池を作っている。


「こいつが死んで気分いい?」


「わかんない。嫌な気持ちはしないけど、心地良くもないよ」


「そっか」


眉一つ動かさずに、少女は男の死体をじっと眺めていた。恨みの念が込められているようには見えない。


きっと少女はこの男を憎んではいなかったのだろう。

少女の敵はこの男でも集落でもなくこの世界そのものだ。

土地を求めて集落が争い合うのも少女が奴隷として扱われているのも、私利私欲に塗れたこの世界が悪い。


「なあ、よかったら一緒に来ないか?」


「どうして?」


「僕と一緒にいれば不幸になれるから」


不思議そうに僕を見る少女に『不幸』について話した。

初めは半信半疑で聞いていた少女だったが、死んでいった村民の話をすると初めて興味を示してくれた。


「死ぬために、一緒にこの小屋を出ようよ」


そう提案すると、少女はこくりと頷いた。


僕に一つ目標ができた。この醜い世界から少女を救い出すことだ。

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