ばあちゃんが死んだ
田舎のばあちゃんが死んだ
訃報が届いたのはなんでもない平日の昼過ぎだった。
先週は長いこと体調を崩して会社を休んでいて、
溜まりに溜まったタスクをどう消化してやろう。っていうかこれ消化しきれんのか。
と週明け早々に嫌気がさし、こそこそとオフィスを抜け出して人通りの少ない路地裏に煙草を吸いに来ていた時だった。
くたびれたジーンズの右太ももあたりに振動を感じ、画面が割れ欠けているスマホを取り出すと
「ばあちゃんが亡くなりました。最後に会えてよかったね。とりあえず報告まで」
と父親からメールが届いていた。
ちょうど三日前、俺は珍しく地元に帰省していた。
というのも、昨年末に結婚した嫁を祖母に会わせるためだった。
俺が育ったのは太平洋に面した小さな港町で、
その中でも年に数回しか人が訪れない別荘が集まったエリア。
近所には観光客向けのガラス工芸館や、高級な料亭、一体誰が入るのかわからないような蝋人形の館など、そこで生活をしていく人間には役に立たない建造物ばかり。
コンビニなんてもちろん、一番近い友人の家だって片道で徒歩一時間ほどかかるような場所だ。
元々都会生まれだった俺は、父親の仕事の都合で小学三年生になる春にその町へ越していった。
当時子どもであった俺は当然、自然なんてものに興味はなく、
ゲームセンターがない、映画館がないと不平不満を漏らしていた気がする。
両親は俺が幼い頃に離婚しており、父親は家族を養うために朝から晩まで働き詰め。
新天地でもそんな生活が続くだろうと思ったのか、俺の母親の代わりとして白羽の矢が立ったのがばあちゃんだった。
ばあちゃんは元々大手テレビ局で働いてたようで、バリバリのキャリアウーマンだったらしい。定年してからは東京の郊外の団地で一人暮らしで、その頃に祖父を亡くしていた。
祖父が亡くなった当時は俺も非常に幼く、祖父の顔も、死に際も全く覚えていない。
当時、どうしてばあちゃんが一緒に暮らすことになったのか疑問であったが、
ひとりぼっちである俺と、ひとりぼっちであるばあちゃんが一緒にいてくれたら、父親としても息子としても安心だったから、とあとで聞いた事がある。
新居の周辺には暇をつぶせる場所も物もなく、学校に行っている以外の時間はずっと家にいた幼少期の思い出には、大体ばあちゃんがそばにいた。
学校の保護者参観も、運動会も、三者面談も、来てくれたのはばあちゃんだった。
慣れない土地での、ばあちゃんとほぼ二人暮らしという生活に、最初こそ違和感を感じていた。
けど、ばあちゃんの作るあたたかいごはんと、その笑顔のおかげで
新居である家を自分の家と認識するまでに、時間はかからなかった。
次第に俺はばあちゃん子になっていった。
なにをするにも、どこへ行くにもばあちゃんと二人だった。
免許を持っていなかったばあちゃんの移動方法はバスのみで、
一時間に一度やってくるやたら運賃の高い路線バスにのり、よく町へ出かけていった。
夕食の買い物にスーパーへ行ったり、俺の勉強道具を買いに文房具屋へ行ったり。
人生の中で誰と一番多くバスに乗りましたか?という質問をされたら、
それは間違いなくばあちゃんだろう。
いつもは優しいのに、スーパーでお菓子を買ってほしいとねだっても、
それが許されたのはほんの数回だった気がする。
お金はいっぱい持ってるはずなのに、なんで買ってくれないんだ!
自分のたばこはいっぱい買う癖に!とよく思っていたことを思い出す。
そんなおケチなばあちゃんも、誕生日やクリスマスは目一杯楽しませてくれた。
当時俺が好きだった忍者アニメのキャラクターの絵が描かれた大きなホールケーキを用意してくれて、真っ暗な部屋でろうそくの明かりにドキドキしていた。
真っ赤な包み紙と緑のリボンで丁寧の包装された大きな箱も毎年用意してくれていた。
ばあちゃんに大好きなんて、生き返られたっていけないだろうけど、
こういう思い出ばっかり出てくることが、むずかゆくもあり、少し嬉しかったりもする。
中学生になると、そんな純粋無垢だった俺もいつの間にか消え去り、ピアスは開けるわ、家には帰らないわ、絵に書いたような不良中学生が誕生した。
教師だったり、馬が合わない同級生と喧嘩ばかり。
その負のエネルギーは一体どこから湧いて出ているのか自分でもわからなかったが、
普通とは少し違った家庭環境も影響していたのかもしれないと、今になって感じる。
学校で振り回していたその牙はもちろんばあちゃんにも向いていった。
俺が学校で悪さをしたことで、ばあちゃんに連絡がいったことなんて数えきれないほどあっただろうに、ばあちゃんに怒られたことが記憶が無い。
どれだけ帰りが遅かろうが、髪の毛の色が変わろうが、
ばあちゃんは変わらず、ごはんを作って待ってくれていた。
その光景が俺の心を逆撫でたのか、口も利かずに自分の部屋に直行して、
作ってくれたご飯を食べないことも何度かあったと思う。
それでもその翌日、俺が起きる頃にはいつもと変わらず
手の込んだ朝食を作ってくれて、俺は黙ってそれを食べていた。
それから俺は、誰に言われるでもなく素行を正していった。
こんなばあちゃんを、きっと電話口で謝らせていたんだろう。
時間をかけて作ってくれたであろう料理が、ラップにつつまれて台所に置かれていたのを見て
なんとなく、そんな自分に嫌気がさした。
中学三年生になるころには、真面目に。とまではいかないものの、
誰にも彼にもあたり散らかすことはせず、じっと授業を受けるようになった。
そこから高校受験期まではあっという間だった。
人よりも努力しなければいけないことを重々承知していた俺は、
寝る間も惜しんで勉強に明け暮れ、無事に第一希望の高校へ入学することが出来た。
真っ先にばあちゃんに報告の電話をしたときに、ばあちゃんは涙声で
「よかったねぇ。よく頑張ったねぇ。」
とひたすら喜んでくれた。俺もなんだか泣きそうになってしまった。
高校生にもなると、俺も大人になったのか、
小学生の時のようにまたばあちゃんと出掛けることが増えていった。
高校入学時には、高校卒業と同時に上京することを決めており、
もうばあちゃんとの生活は残り少ないんだと感じていたこともあったと思う。
それにばあちゃんも今までのような体力はなく、
徐々に細くなっていくその腕では、ひとりで買い物をすることが難しくなっていた。
ただ、俺も専門学校の学費を貯めるためにアルバイトを始めたため、
ばあちゃんと過ごす時間も少なくなっていった。
高校卒業直前の冬、ばあちゃんが急に倒れたことがあった。
たまたま家にいた俺は慌てて救急車を呼び、一緒に病院へ向かった。
昼間だったのもあり、すぐに処置はしてくれたようで、
倒れたことが嘘だったような元気でばあちゃんはすぐ帰ってきた。
どこが悪かったのか、大きい病気なのか聞いても、
俺に心配をかけまいと、詳しく話してくれることはなかった。
春。
決めていた通り、東京の専門学校へ通うために上京した。
すぐには帰ってくるんじゃないよ、と冗談をいうばあちゃんの体が心配ではあったが、
新たな環境での生活にワクワクしていた俺はばあちゃんに別れを告げた。
それからの日々は目まぐるしく、年末年始さえまともに帰省できない年が続いていった。
たまに父親とばあちゃんと電話することがあったが、
段々とその頻度も減っていった。
専門学校を卒業し、忙しさにかまけて帰省をしていなかった俺は
良いタイミングだと数年ぶりにばあちゃんに会いに行った。
ひさびさに顔を合わせたばあちゃんはなんとなくやせ細っていた気がする。
それにも少し驚いたが、なによりもショックを受けたのが認知症の始まり。
ふわふわとした性格ではあったものの、しっかりしていたばあちゃんが
俺の名前を間違えたり、実年齢から大きく離れた年齢と勘違いしていたり。
まさかばあちゃんがボケるとは思ってなかったから、
俺は無理やり笑って突っ込んでいたが、それ以来、ばあちゃんの認知症を実感するのが怖くなり、
直接会うことを避けていた。
ただ、電話でのやり取りはたまにしていて、
ばあちゃん自身は認知症を痛感しているようだった。
今までできていたことができなくなるのが辛い。周りのひとに迷惑をかけるのが辛い。
優しい太陽みたいなばあちゃんからそんな言葉が出たことに驚いたが、
少しでも元気を与えられるように、拙い言葉でなんとか励ました。
それから数日後、都内に新たな駅が生まれた。
そのニュースを見たときに、電話でばあちゃんがいつか行ってみたいと言っていたことを思い出し、
俺は仕事を放り投げて、その駅に向かった。
駅周辺は新しいもの見たさに訪れた人々でごった返していた。
無理やり人込みを通り抜け、駅にたどり着くと、
先日機種変更したばかりのスマホで何枚も何枚も写真を撮った。
木製の駅の装飾、最新の技術が取り入れられている電光掲示板、セルフレジのみの売店。
ばあちゃんが喜んでくれるといいなぁ。という一心でシャッターを切り続けた。
その晩、メールで大量の写真に
「元気出せ!」の一言だけを添えてばあちゃんに送った。
返事はなかったものの、あとで父親から
「ばあちゃん滅茶苦茶喜んでたぞ。ありがとう。」とメールが届いた。
そして、現在。
三日前に会ったばあちゃんは、以前とは比べ物にならないほど痩せていた。
元々ふくよかなほうだったばあちゃんの面影はほとんどなかったと言ってもいい。
嫁を紹介したり、結婚祝いのお礼をちゃんと伝えたかったが、
あまりの姿に、一言二言交わすだけで精いっぱいだった。
ばあちゃんの姿を見るのが辛かった。
今言えなくても、またすぐ帰ってこれるし。と思っていたのもあったと思う。
だけど、その日はもう一生来ることはなくなってしまった。
「ばあちゃんが亡くなりました。」
涙があふれるわけでも、後悔が襲ってくるわけでも、辛過ぎるわけでもない。
ただ、ずしりとその言葉とばあちゃんの笑顔が心のどこかに引っかかって抜けない、そんな気分。
ただ、雲一つない空を見上げるのが、今は少し難しい。
ふと、またスマホに目を落とすと、思ったより時間は進んでいた。
とても残念なことに、俺はまだやらなきゃいけないことがあるらしいから。
飲みかけの缶コーヒーに吸殻をいれて、足早にオフィスへ帰っていった。