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第14章「きおく」 3-14 ストラと出会う4時間ほど前

 現に、いま、自分は誰にも見つからずに、タッソへ向かう街道の近くまで来ている。


 奴隷の「里抜け」が死刑であるのは、耳にタコができるほど聞かされていたが、現実的に不可能なのも事実だった。里の出入り口には昼夜を問わず竜騎兵の監視があるし、牧場の周囲も常時ウロウロしている。どこを通ろうとも、竜騎兵や他のエルフに見つからずに街道へ抜けるのは、どう考えても無理なのだ。


 だが、この洞窟は、どうだ?

 竜騎兵やグラルンシャーンは、この洞窟を知っているのか?


 洞窟に至るときさえ見つからなければ、そのままタッソからリーストーンの城のある街まで抜けられるのでは?


 プランタンタンはにわか・・・にそう考え、細かく震えだした。


 だが、その時は、そのまま逃亡する勇気が無かった。踏ん切りがつかなかった。逃げたところで、どうせすぐ発見されて連れ戻される。そして拷問のすえ、見せしめで死刑だ。


 (だ、だけど、このまま何百年も奴隷のままだなんて……死んだほうがまし・・でやんす……!!)


 思えば、ルイノサルンも早々に悲観して自ら首を吊って命を絶った。その遺体は、埋葬されずにゲドルのエサにされた。


 それに、逃げてどうするのか? ゲーデルエルフが人間の社会で、浮浪者でも何でもやって生きていけるものなのか?


 プランタンタンは延々とそんなことを考え、気がついたら山羊小屋に戻っていた。


 そうして、10年が過ぎた……。


 プランタンタンは何度も何度も洞窟の前に立ち、時には街道近くまで出て、逡巡した。


 しかし、どうしても恐ろしくて、逃げ出せなかった。

 足が、出なかった。

 決断できなかった。

 そんな、ある年の晩春のころ……。

 ハールノートルが死んだ。


 病気ということだったが、病気は病気でも完全に精神を病んで、働けなくなったので処分されたのだ。


 奴隷たちがなんとも云えぬ目つきで見送る中、ハールノートルは竜騎兵に縄で引きずられて森に連れて行かれた。


 そして、二度と戻ってこなかった。

 プランタンタンは、森で水を汲んでいて、たまたまその現場を目撃した。


 蓋をした水桶を背負子しょいこで担いで牧場まで戻り、だいたい1日で午前に10、午後に10で20往復する。それを、毎日行う。夏も冬も、嵐でも猛吹雪でもだ。ゲーデル山羊が、それだけ水を飲むのである。


 這うようにして森を歩いていると、ガサガサと竜の歩く音がしたので、いつもの癖で素早く身を隠した。これは別にやましいことをしているわけではなかったが、遊び半分でゲドルに追い立てられ、大きな山刀マチェットで脅されてえらい目にあっていたからである。


 (あっ! ありゃあ……?)


 プランタンタンは、最初ハールノートルと気づかなかった。しばらく見ないうちに、まるで別人のように人相が変わっている。老けこんでいるというのもあったが、眼が吊り上がり、うつろで、顔が引きつって、老人のようにしわだらけだった。


 しかも、プランタンタンはハールノートルがかつてラサンクールの牧場で使用人をしていたと、まったく覚えていなかった。どうしてハールノートルが自分を執拗に苛めぬくのか、実はよく分かっていなかった。それどころか、自分がグラルンシャーンに次ぐ規模の牧場主の娘だったことも、既に記憶に無かった。


 ハールノートルは縄で縛られたままひたすら小刻みに揺れながらブツブツ云っていたが、2騎の竜騎兵が前後を囲み、片手持ちの山刀マチェットを抜きはらったので、プランタンンタンは息をのんだ。


 その時である……。

 「御嬢様ああああああ!! 御逃げくださいいいいいい!!」

 ハールノートルが、いきなりそうわめき散らした。ゲドルが驚き、足踏みをした。


 「御嬢様ああああああ!! 御逃げくださいいいいいい!! 御嬢様ああああああ!! 御逃げくださいいいいいい!! 御嬢様ああああああ!! 御逃げくださいいいいいい!!」


 ハールノートル、必死の形相で、ひたすらそう叫んだ。叫び続けた。

 竜騎兵が、忌々し気に顔をゆがめた。

 「御じょ……!!」

 「やかましい!!!!」

 山刀マチェットが振り下ろされ、ハールノートルの首が、のどの皮を残して切断された。


 血しぶきを上げてハールノートルが倒れ伏し、ゲドルが何度もその死体を踏みつけて行き来した。


 そして、2人は無言で、山道を戻っていった。

 「……!!」


 プランタンンタンは周囲の藪が鳴るほどに震えていたが、やがて背負っていた水桶を打ち捨てるや、洞窟に向けて一目散に走りだした。



 ストラと出会う4時間ほど前である。

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