第14章「きおく」 3-7 なんでもする男
その10年のあいだに、ラサンクールは密かに2回もダンテナへ行った。村から出るのに別にグラルンシャーンの許可が必要なわけではないのは既に記したが、ゲーデル牧場エルフ全体でゲーデル山羊の飼育方法や山羊そのものを厳密に管理しているので、ダンテナに遊びに行ったなどと知れわたれば、
「まさか、人間に山羊の子やその秘密を売るのでは……?」
という疑念はどうしても抱かれる。
そのため、やはり秘密裏に向かうしかない。
エルフの里とダンテナは急峻な山道を通り、エルフの足をもってしても片道4日はかかるため、10日ほどは留守にすることになる。
その間、ラサンクールは悪い風邪をひいて家に閉じこもっていることになっていた。
そこで初めて、ラサンクールの妻のラートスプリーンにラサンクールの謀議が知れることになった。
「そ……そんな恐ろしいこと……今すぐやめてください!!」
娘を寝かしつけたのち、ラートスプリーンは夫に懇願した。ラートスプリーンはグラルンシャーン一族ではなく、他の部族から嫁入りしたので、逆にグラルンシャーンを過剰に恐れていた。
「知られたら、どんな目に合うか……!」
「領主様の勧告で、引退いただくだけだ」
「そんな……ゴトルンシャーン様には?」
「いや……まだ、なにも。ゴトルンシャーンは、家に引きこもっているし……会う機会はない」
「それなら、なおさらです!」
ラートスプリーンは、泣きながら語気を強めた。
「あの御方の恐ろしさを、身内であるあなたは分かっていないのです……裏切りは、絶対に許されませんよ……!」
「裏切りだなんて……」
ラサンクールは戸惑ったが、
「これは、我らゲーデル牧場エルフ全体の利益のためなんだ!」
確固たる信念をもって、断言した。
ラートスプリーンは夫の性格をよく知っており、説得は無理と確信すると、よく協力するようになった。
この2回の秘密行は、うまくいった。御忍びで城に遊びに来るエルフを城のものは歓迎したうえ、グラルンシャーンにもバレなかった。本当に悪い風邪で寝こむことはよくあったし、ラサンクールが5年ほどに1回、里を抜け出したとて、誰にも分からなかった。竜騎兵の監視も四六時中行っているわけではなかった。ラサンクールのところに仲間が集まるときに、監視されていた。
もっとも、たとえグラルンシャーンが知っていたとしても、泳がせただろう。
じっさい、ラサンクールが言語調整魔法をこっそり巫女に何度もかけなおしてもらっていることを、グラルンシャーンは知っていた。言語調整魔法の効果は長くても数年で、その間に言語を習得すれば問題ないが、ラサンクールは習得できる環境になかったため、かけなおしてもらう必要があった。巫女は当然、グラルンシャーンの命令でなくば魔法はかけられないと断ったが、ラサンクールは何度も貢物をし、いつタッソやダンテナへ行けと命じられるか分からないから……という理由で、半ば強引に魔法をかけてもらった。そんなもの、実際にダンテナ行を命じられてから魔法をかけてもまったく問題ないのだが……。ラサンクールはグラルンシャーンの一族でもあり、巫女は断り切れなかった。その代わり、当然のごとく巫女からグラルンシャーンに報告が上がった。グラルンシャーンは、ラサンクールの云う通りにしろ巫女に命じた。そして、言語調整魔法をラサンクールへかけるたびに、報告するように厳命した。
この時点で、既にグラルンシャーンはラサンクールの牧場をいつ、どうやって接収するか……しか興味が無くなっていた。そのためには、なんでもする男だった。
10年後にラサンクールとミューンシューンは再び立会人としてダンテナを訪れ、既知の人間たちと密かに交流を結んだ。
「年を取りましたね」
「人間ですから」
「ラサンクールさんは、あまり変わりませんね」
「エルフですから」
などという、人間とエルフの交流につきものの挨拶も変わらない。
その夜の、組合の人間を除いた私的な懇親会で、
「御領主様は、御壮健ですか?」
「はい。御元気に御座います。ですが、もう御歳ですし……そろそろ、代替わりでしょう」
「そうですか」
「それこそ、10年以内には、御子息に」
「ほう……」
「代替わりの儀式には、ぜひエルフからも代表を!」
「なるほど……御屋形様に、御知らせいたします」
「ラサンクール殿が来られるよう、こちらからも要請を出しましょう」
「本当ですか! それは光栄なこと。是非、御願いいたします」




