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第14章「きおく」 3-1 グラルンシャーンの記憶

 ラサンクールが、グラルンシャーンの狡猾さや慎重さも受け継いでいたならば、少なくともグラルンシャーンが死にかけるか死ぬまで大人しくしていただろう。


 しかし、野心家のラサンクールは、さらに牧場を拡大するべく、陰謀を巡らし始めた。


 春、冬の間に充分に毛を伸ばしたゲーデル山羊の毛刈りが行われ、糸にし、それを天然の草木そうもくや岩石で色鮮やかに染め、布にする。


 その毛織布やゲーデル山羊の皮革製品を、リーストーン子爵家の出先機関であるタッソの街のゲーデル山羊製品卸商組合を通し、換金する。このタッソ以外で換金することは、厳禁であった。それは、300年ほど前にリーストーン家とグラルンシャーンで取り決めたことだった。


 リーストーン家でも、タッソは子爵家の直属であるからして、特にその取り決めに不都合はなかった。不都合があるとすれば、それはゲーデル牧場エルフ側の問題だった。


 すなわち、山羊製品の価格や流通を、グラルンシャーンが独占しているという不都合だ。


 またそれが、グラルンシャーンの権力の源だった。いま、ゲーデル牧場エルフは、グラルンシャーンに逆らうと一切のゲーデル山羊の取引や飼育から排除され、まともに生きてはゆけぬ。


 ほとんどのエルフたちは、生活するうえで特に不自由はなかったのでその状況を甘んじて受けていたが、一部の若者が、反旗を翻そうとしていたのだった。


 もっとも、後にグラルンシャーンがリーストーン家を排除し、直接ヴィヒヴァルンやフランベルツと取り引きしようとしたのは、第1章で物語っている。


 密儀は、常に人知れず、深夜、人里はなれた場所で行われた。


 毛の刈り取りとゲーデル大御神を祀った春祭りののち、ラサンクールが取り巻きの若集を引き連れ、初夏の牧草仕事の合間に独自の山羊飼育法の講習を行うという名目で、山に籠もるときがあった。夜は、ゲーデルエルフの大好物である雑穀粥を発酵させた微アルコールで栄養満点の粥酒「ホーン」を傾けながらキャンプで宴会となるのだが、その際に謀議は進められた。


 ちなみに、キャンプと云ってもエルフは夜眼が効き、食事も野外では薄焼きパンとホーンしか食べないので、火を使わず真っ暗である。ただ、空は晴れていれば満点の星の海をゲーデルの峰々の影が鋭く切り取っている。


 「大酋長の専横は、ますます強くなるだろう。大酋長を諫めるはずの2人も、完全に腰巾着だ!」


 大酋長とは、云うまでもなくグラルンシャーンのことだ。最長老と呼ぶものもいる。彼らのような若者が、容易に名前を呼べないほどの地位になっているのだった。


 周囲には無数の虫の声が聞こえ、キャンプということもあってついつい声が大きくなるが、


 「声を落とせ! 最近、大酋長のやつ、警備兵の数を増やしている……見回りと称して、俺たちのようなのを監視しているというぞ……!」


 ラサンクールに云われ、5人の仲間もホーンをたたえた茶碗を片手に、身をすくめた。


 エルフ種には古来より戦士階級や魔法使い(エルフの場合、多くは巫女)、またはその両方を兼ねる巫女戦士(魔法戦士)がおり、ゲーデル牧場エルフも例外ではない。特に山走竜アラークゲドルに乗った竜騎兵は高名で、リーストーンでも一目置かれていた。


 その竜騎兵、この300年で完全にグラルンシャーンの私兵隊と化していた。


 貴重なゲーデル山羊を野生のゲドルや、人間や他のエルフの盗賊から守るという名目で熱心に夜も牧場を見回っているが、半分はこのような反乱者の探索なのだった。


 「いいか、正直に云うぞ。このままグラルンシャーンにペコペコしているのも、けして悪くはない。あいつは強欲で傲慢だが、云うことを聴く奴には優しいからな。飢えて死ぬことは、無いだろうさ」


 ラサンクールがヒソヒソとそう云い、続けた。彼はグラルンシャーンの一族でもあり、名を呼んでいる。


 「だが、このところ、奴はおかしい。もう引退してもいい年なのに、まったくその気配がない。息子も辟易して世を儚んでいるのは、知っての通りだ」


 息子というのは、グラルンシャーンの跡継ぎになるはずのゴトルンシャーンだ。もう500歳を超えており、とっくに酋長になっていなくてはおかしい年齢だった。才覚は父親に劣るが、けして悪くはない。今はすっかり委縮し、父親の云うなりの人生だった。気力も失せ、まるで操り人形だ。跡継ぎとして相応しくないという声もあり、このところ家に引きこもっている。我々で云う、鬱病のような状態だった。


 「年を取ってますます意固地になっているし、金に執着するようになった。人間の王のようにふるまって……陰で泣かされている者も多い。この里は、いったいどうなってしまうのか……前代未聞……前代未聞の事態だ!」


 そこで、有志が集まり、どうにかグラルンシャーンへ引退を促す方法を画策するようになったのだった。


 ここで、血生臭くグラルンシャーンの暗殺などを企てているわけではないことに注目したい。

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