第13章「ていと」 6-10 トルマス
元々、希少なヨダレやヨダレほどではないが弱い部類の魔薬は細々と流通しており、ヨダレは散発的に帝国の東側に入ってきていた。そのうち、西方で無何有の完全復活を研究している組織が成果を上げ始め、ここ数十年で一気に蔓延した。トルマス以前から、ザンダルではヨダレの流通を仕切る九つの牙傘下の組織はあった。
トルマスは31歳という若さでザンダルの太守に就任し、その時点では、コネもあったがそれなりに優秀な官僚貴族だったといえよう。
それが見る間に賄賂づけにされ、小役人に成り下がったのが35歳ころ。
最初は、そんなトルマスを利用しようと、たまたま西方からの使者がトルマスに接触しただけだった。
トルマスも、その話で、
「ようし、これで一発、のし上がろう……」
などと思ったわけではない。
云われるがままに事務調整能力を発揮し、気がついたら、ザンダルにおけるヨダレ流通の総取締役になっていたのだ。
そうなれば、九つの牙のほうからトルマスに幹部就任を打診し、利益や権益を分配。トルマスはそこでもヨダレを使って調整役に徹し、42歳で気がついたら総帥になっていた。
暗黒組織のボスとしては、まことに奇妙な出世コースを歩み、特異な地位を確立したと云えるだろう。
またそのような性格や立場ゆえに、ますます鵺のようにトルマスの正体はつかめず、逆に確実かつ堅実、実に安定的にヨダレを仕入れ、販売するので西方からの信頼も厚くなり、長期政権となったわけである。
そんなトルマスを、オネランノタルは割と早い時点で正体をつかんでいた。
ザンダルじゅうに、自身の魔力から生み出した使い魔を放ったのだ。
その数は、数百を超える。
人間の魔術師であれば(正確には、我々の世界のそれらの類似生物であるところの)ヘビだの虫だのネズミだのネコだのという小動物であるが、魔族であるオネランノタルの放つ使い魔は、全て魔蟲だ。
フエンのように西方組織から派遣された魔族もいる中、オネランノタルの魔蟲はフエンを含む何人かの魔族にもまったく気づかれることなく、九つの牙の全幹部を把握し、監視した。
「殺すのは、トルマスとかいうやつだけでいいだろうね。ほかのやつらは、てっぺんの飾りが変わっても、気にもとめないような連中みたいだね!」
オネランノタルはそう云い、ホーランコル、フューヴァ、プランタンタンの3人にトルマス暗殺を指示したのだった。
「あんさつなんか、したことねえでやんす」
ブツクサ云いながら、薄曇りでやけに冷えるノーイマルの夜道を、厚着をしたプランタンタンが先頭で歩いた。3人は明かりを手にしておらず、夜眼の効くプランタンタンが頼りだ。
「アタシだってねえよ」
フューヴァがそう云って苦笑。
「ホーランコルは、あるのかよ?」
「無くはないですよ」
勇者級の腕前や人格を持ちながら、滅亡した故郷のウルゲリアでは勇者は聖騎士にしか名乗ることを認められず、生まれた地位の低かったホーランコルは聖騎士になる道は無かったため、神殿組織を抜けて冒険者になった。しかし、冒険者仕事はそれほど甘くはない。時には、汚い仕事にも手を染めた。
「頼りになるねえ」
フューヴァは揶揄ではなく、本当にそう思った。魔王ストラの配下として、ホーランコルほど戦闘実務に精通している者の参加は、本当に助かるのだ。なんでもかんでも、王族で参謀のルートヴァンにやらせるわけにはゆかぬ。
「あれじゃないでやんすか?」
貴族としての地位は小規模な子爵であるトルマスの屋敷は、それ相応にこじんまりとしていた。そこが、トルマスの恐ろしくかつできるところだ。別宅であるがゆえに、これでここぞと分不相応な屋敷に住まっていたら、噂にのぼっていらぬ詮索をうけ、いつかはその正体がばれる可能性がある。
その可能性すら許さないのだから、トルマスの臆病さや実直さが知れよう。
「ですが、逆に、それほどの人物……防備は、かなり硬いでしょうね」
「だ、ろうな……オネランノタルやピオラの援軍を待つかい?」
「敵に魔術師の護衛がいるのであれば、それも手でしょう」
「いるだろ、そこまで手堅いヤツなら……」
「確かに」
通りの奥より屋敷の明かりを見つめて、ホーランコルは眼を細めた。こういう世界であるから、貴族は魔術師を雇い、夜は照明魔術により明かりを確保している。我々の電灯ほどではないが、蝋燭やランタンよりは明るい。
それが、どうだ。




