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第12章「げんそう」 8-8 徘徊する皇帝

 だが、ペッテルはその魔物を無視したし、魔物もペッテルを無視した。


 この魔物は、全てで何体いるのかもわからない地下書庫の警報機兼番人であり、このように延々と書架の合間を歩き回って侵入者を発見次第報告、かつ撃退する。


 従って魔術的パスを持つペッテルは襲われないし、警告も発されぬ。

 ペッテルもそれを知っているから、真上を通ろうと無視だった。


 ペッテルが感じているのは、別の者であり、また、この警報機が作動していないところを見ると、その者もパスの所有者だ。


 (だ、だれだろ……!)


 この広い空間で、たまたま・・・・とはいえ接近遭遇する距離にいるというのも把握され、追われているようで恐ろしかったし、その正体も気にかかった。ストラの件もあり、いま皇帝はおそらくパスを有する何者にも閲覧許可を出していないし、今後も出さないだろうというのがルートヴァンの見解だったからだ。


 それとも、自分は何者かに把握され、追跡を受けているのだろうか。だとすれば、いったい誰に気づかれたというのか。このパスは、タケマ=ミヅカ本人からもらった完全フリーパスであり、無条件に地下書庫に出入りすることができる。これまで、ただの一度も誰かに見つかったことは無い。


 ペッテルの緊張が頂点に達した時、ついにゆっくりとした足音が聞こえてきた。


 ペッテルは検索盤を消し、それを小脇に抱えてとにかく書架の合間に隠れた。足音から察するに、斜め右前の方向からペッテルの進んでいる通路に出てくると判断した。


 果たして、人物の持つ魔力ランタンの明かりが、書架の合間より見えた。

 そして、相当に立派な身なりをした、長身の老爺が通路に現れた。

 ペッテルは、その横顔を一瞬だけ、見ることができた。

 (えっ……!! だ、だれ……!?)


 人物はすぐに方向を変え、なんとペッテルのほうに向かって歩いてきて、隠れている書架の目の前を通った。


 人間であれば緊張と恐怖で激しく呼吸する音が響いただろうが、幸いにペッテルは完全に無音で、まさに昆虫のごとく気配を消すことに成功した。


 書架の影より、ペッテルは目の前を行く人物を観察できた。

 しかし、知らない人物だったので、何者かは分からなかった。

 だが……。

 (あ! あの瑠璃色のケープは……!!)


 瑠璃色のケープマントは、皇帝にのみ着用が許された色のケープであった。皇帝は儀式や謁見の際の長大なものから、執務着や普段着の簡素なものまで、およそ宮中にいる時は、必ずこの瑠璃色のケープを着用している。ペッテルは当然、皇帝に拝謁したことも、見たこともなかったが、帝国貴族の一般教養として、皇帝は瑠璃色のケープを着用すると知っていたのだ。


 (こ……皇帝陛下が……御ひとりで……!!)


 コンポザルーン帝は、イリューリ王の2歳下の同母弟であり、31年前に選帝侯会議を経て第118代皇帝に即位した。この帝国の皇帝は絶対君主ではなく、権威的な存在で、帝国を構成する諸国諸州統合の象徴的なものだった。従って、大した仕事もなく、平穏な暮らしと儀式と学問で一生を終えるか、適当に引退して悠々自適な生活を送るのが常だ。


 そう考えれば、地下書庫を皇帝が1人でうろついていようと、趣味の一端なのだろうと考えれば不思議なことではない。そんな高尚で学術的な趣味を持つ皇帝がこれまで何人いたのかは、知る由もないが。


 半ば虚ろな表情にも見える無表情のコンポザルーン帝は、ペッテルに全く気づかずに、そのままペッテルの来た方向へ向かって、入れ違いに歩いて行ってしまった。


 「…………」


 足音が消え、明かりも見えなくなり、気配もしなくなったころ、ようやくペッテルは書架の影より通路に出た。この地下書庫で、他人に遭遇するのは初めてだった。


 まだ心臓が早鐘を打っていたが、ペッテルは先へ進むことにした。検索盤を起動させ、もっとも手短な資料のところへ急ぎ向かった。

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