第10章「彼方の閃光と星々の血の喜び」 2-5-8 降伏も逃亡も許されない
この規模の兵数は、帝国内でも南方の雄、マンシューアルしか比肩するものがない。
ガフ=シュ=インは、北の超巨大軍事国家なのである。
(それが、どうだ)
いきなりヴィヒヴァルンに宣戦布告したがよいが、何日もしないうちに敵の魔王が王都の目と鼻の先にいる。
神の子が王都に出張ってきたゴタゴタで、全土へ開戦の大号令を発する間もなく、王都決戦を迎えようとしている。
虎の子の王都兵力7万のうち、半数近くが一瞬で焼き滅ぼされた。
近隣3州からは、最大で5万のうち1万やそこらしか集まらない。
集まったところで、眼前で仲間を焼きつくされ、大元帥も失った兵団の士気は最悪だった。
密かに王都から逃亡する兵や民も大勢いたが、リノ=メリカ=ジントの放っている魔獣にことごとく殺されている。
その噂も流れ、逃げるに逃げられない兵士たちの不満や不安、恐怖は、反乱でも起きそうなほどドス黒く渦巻いていた。
(なんというザマだ)
ドゲル=アラグは、執務室で憔悴しきっていた。
(どうして、こうなった)
どちらにせよ、異次元魔王……ストラが各地の魔王を退治する旅を始めた以上、人間ごときには抗しようもない、天災のようなものなのかもしれない。
(そんな戦い、魔王同士、どこか遠くで勝手にやっておれ……! 我らを巻きこむな……!!)
そう思ったところで、現実はちがう。
ガフ=シュ=インの魔王は自分の城の玉座に隠れており、ヴィヒヴァルンの魔王は既に1日とかからない場所に陣取っている。この王都が、魔王と魔王の戦いの舞台になるのだ。
(どうする……どうすれば、この国は滅亡を免れることができる……!?)
リノ=メリカ=ジントが勝ったとしても、少なくとも王都が灰燼に帰すのは確実だ。
せめて、王都の民を各地に避難させたかった。
そんな時間も、もうない。
(まさか、本当にウルゲリアの二の舞になるとは……!)
考えが、甘かった。リノ=メリカ=ジントの云うがまま、開戦準備も無しに漫然と宣戦布告し、悠長にルートヴァンやストラを探索している場合ではなかった。魔王同士の戦いが避けられないのなら、全力を民の避難に費やすべきだった。
(降伏も逃亡も許されないとは……なんたる……!!)
「……いか、陛下」
顔を上げると、近衛将軍のレザル=ドキと宰相のアイト=ズムが、同じような沈痛な面持ちで立っていた。
「どうした。また神の子が呼んでいるのか」
「いかさま」
「チィッ!」
舌打ちを隠さず、ドゲル=アラグが席を立つ。
そんな藩王のいら立ちや不安は、既に城内に伝播し、城兵たちも動揺している。兵卒を含む下々に、まだ神の子が王宮に来ていることは知らされていないが、雰囲気や噂で伝わる。存在するのは知っているが、誰も見たことが無いのが神の子だ。
その非現実的な存在が現実となったことが、良いことの表れなのか、悪いことの表れなのか判断がつかず、王宮・王都は騒然としていた。
なにより、ルートヴァンが王都近郊で放ったストラの羽飾りの攻撃の火を、人々は目撃している。察しの良い人間は、神の子が王都に来る前に、とっとと王都を脱出していた。
が、さりとて、これから冬を迎えるというのに、どこに逃げるのか。プロの行商人ならまだしも、生まれてから王都を一度も出たことのないような人間が着の身着のままで旅を続けられるほど、この北の大地は甘くない。
(せめて、王太子を含む……家族だけでも……いや……)
なんにせよ、時間が無い。せめて、神の子……いや、魔王リノ=メリカ=ジントが王都に出張る前に逃がすべきだった。いま、勝手にそんなことをすれば、何を云われるか。いや、何をされるか。
なにも妙案を思い浮かばないまま、ドゲル=アラグは玉座の間に入って跪いた。
キヤ=フィンシ=ロが、相変わらずのすまし顔で玉座に座っている。
大神官を含む高位神官や、キヤ=フィンシ=ロの世話をする女官もいたので、
(クソ蟲ども……今日は、姿を現す気はないようだ……)
少し、安心する。
安心したところで、どうせキヤ=フィンシ=ロの云うことは全てリノ=メリカ=ジントの言葉なのだが。




