第9章「ことう」 5-4 宇宙へ
「じゃあ、走って逃げましょう! ここはヤバイです、とにかく、ここから離れましょう!」
「あっしはいいでやんすけど……ペートリューさん、ぶっ倒れたって、あっしにはペートリューさんを運ぶことはできねえでやんすよ」
ペートリューはそこで、水筒のスドイヌリイをストレートで一気飲みし、
「分かってますよおお!! そんなのはああああ!! あたしだって、ししっし、死ぬのはイヤですからあああああああああ!!!!」
必死の想いと覚悟と酒が、ペートリューの潜在魔力を高める。ボサボサの前髪から覗くペートリューの常に死んでいるような淀んだ眼が、淀んでいながらも、魔力を映して光っているのをプランタンタンは認めた。
「…………」
金属箔を抱えたまま猫背の姿勢で固まり、前歯を見せて齧歯類めいて細かく呼吸していたプランタンタン、箔片を全て離したので、バサバサと地面に落ちた。
「そんじゃあ」
プランタンタン、そこで大きく息を吸い、
「逃げるでやんすよおおおお!! ペートリューさんんんんんん!!」
凄まじい速度で走り出す。
「わっかりましたああああああ!!!!」
ペートリューも、これまで見たことも無いような必死の形相で、その後に続いた。
ロンボーンは、ヤマハルの高度をゆっくりと上げた。スピース炉の出力も、ゆっくりと上げて行く。スライデル星系の技術は重力コントロールではなく、次元反発による浮遊効果だ。イメージ的には、油が水に浮かぶ状態に近く、その水面の高さをコントロールしている。
ロンボーンはタケマ=ミヅカと別れてこの島に戻ってからの約1000年間、ずっとヤマハルの修理を行っていた。
しかし、外壁材の代替素材はこの星には存在せず、スピース炉とその動力伝達系統、次元調整機関をいつでも動かせる状態にするのがやっとだった。
それでも、この巨大な船を1人で再起動させるまでに至ったのである。
「よし……いいぞ……このまま、大気圏を離脱だ……!!」
歓喜と昂奮を抑えつつ、ロンボーンの声が震えていた。人間の姿であれば、指も震えていただろう。
全長約2キロ、直径約200メートルもの細長い物体が、深夜に煌々と周囲を照らしつけながら、ゆっくりと上昇してゆく。その光に、雪のように大量の金属箔が浮かび上がっていた。全て、ヤマハルの船体表面から剥がれ落ちている。金属箔だけならまだしも、明らかに何らかの部材である、大小の物体も凄まじい数が落下していた。
これが、このまま宇宙空間に曝されて、本当に大丈夫なのだろうか。まして、次元航行など。
いや、どうせ無人だ……。
動けば、それでよいのである。
数十分をかけ、ヤマハルが次第に遠ざかり、やがて晴天の夜空に輝くペンライトのような大きさに見えるまで行ってしまう。
とたんに、島の気候が変動した。
ヤマハルによるゲベロ島周辺の気候調整が無くなり、本来の寒さが戻ったのだ。
「うわっ……なんだよ、こりゃあ」
冷たい北風に、フューヴァが震えた。ルートヴァンと共に、島の上空にいるのでなおさらだ。急激に、分厚い雲も流れてくる。
「魔力の吸収が無くなった」
ルートヴァンがそうつぶやき、寒さよけの術で自分とフューヴァを包んだ。
「ストラさんは、どうなっちまったんだ!?」
フューヴァは、もう雲の向こうに行ってしまった巨大宇宙船を見やって目を細めた。
「分からない……。とりあえず、プランちゃんとペーちゃんを探そう」
高度を下げ、ルートヴァンが杖の先に照明の魔法を出して、2人の捜索を開始した。
「ルーテルさん、ありゃあ、なんだよ!?」
フューヴァの声に、ルートヴァンもその方向を見やると、海の上に2つ、波打ち際に1つ、陸上で2つ……ヤマハルに比べると小さいが……同じく照明に照らされた大きな船(の、ようなもの)が、ひっくり返るか、傾いて倒れていた。
ゲベル人が乗りこんで島から脱出しようとしていた、古代の救難艇である。彼らの先祖たちが、これに乗ってかろうじて緊急着陸するヤマハルから脱出した。
ヤマハルが遠ざかったため、スピースの供給が絶たれて機能停止したのだ。
ゲベル人たちが、絶望に打ちひしがれて地面に座りこみ、あるいは波間に呑まれ、溺れている。
「……分からんね。関係ないし」
「…………」
ルートヴァンの醒め切った声にフューヴァ、空中を浮遊しながら遠目にその様子を眺めていたが、
「ちがいねえ」
同じく、そう答えた。




