第9章「ことう」 3-4 上陸、ゲベロ島~ゲベル人
それでも、本来は何人もの水夫が行うものを、余裕で巻き上げ機を操作している。
まるで模型の船でも下ろすような軽々とした動作で滑車を回し終わったのち、ストラは縄梯子を下ろした。そして自分が先に短艇に飛び降り、縄梯子を抑えると、
「いいよ」
真っ先に、プランタンタンがサルのように凄い速度で縄梯子を下りる。フューヴァも、なんとか自力で下りた。苦労したのは、もちろんルートヴァンだ。ランヴァールに上陸した際は浮遊魔法で縄梯子など使わずに下りたが、いまは違う。こんなことは生まれてこのかた、したことがない。しかも、背中に回して帯に束さんだ白木の杖が、縄に引っかかって難儀した。
「魔法が使えないだけで、こんなに大変なんだな」
汗だくで息をつき、ルートヴァンが目を白黒させる。
大問題なのは、最後に下りたペートリューだった。運動神経ゼロなうえに、酒太りで重いときている。下りようとして足をかけるだけで四苦八苦し、なんとか縄梯子に乗ったと思ったら三歩も下りぬうちにバランスが取れなくなって、縄にしがみついたまま動けなくなった。以前下りたときは、船員が抱えるようにして助けながらなんとか下りた。いま、船員は誰もいない。
「だめだ、ありゃあ」
フューヴァが舌を打って、
「おいこのクソ酔っ払い! いいから、そのまま海に跳び落ちろ! 拾ってやるから!」
そう云われても、返事をする余裕も無かった。もちろん飛び降りる勇気もなれば、そもそもこの状態で手を離し、縄梯子を蹴って海に飛ぶ運動神経が無い。
「私が」
時間の無駄なので、ストラがサッと浮遊し、ペートリューを後ろから抱えて短艇に下りた。
それだけで、ペートリューは気絶するように船底に横たわった。横になったまま、水筒の白ワインを呑むのを忘れない。
やれやれ、と思いつつ、まだ問題はある。
1本が重さ10キロもあるような、長さ数メートルの巨大なオールを操らなくてはならない。
当然、誰も船を漕げるものはいない。
「私が引っ張る」
ストラが船の先端に陣取って座り、そのまま船を押さえつつ自身が推進する。
するとストラに引っ張られて、短艇はスイスイと波間を進んだ。
「おい、なんだ、ありゃあ!」
驚いたのは、漁港に集まっていた野次馬のゲベル人たちだ。
「漕いでないのに進んでるぞ!!」
「でも……魔法は、あまり使えないはず……」
あまり、ということは、まったく使えないわけではなく、著しく効果が下がるだけだからである。その「著しく」というのがどれほどかというと、ルートヴァンですら魔術学院初等科の子供たち以下になるというレベルなのだが。
(もっとも、いざという時、父上から供給される魔力がどうなるかは、まったく分からないが、な……)
ルートヴァンがそれなりに余裕なのは、それもあった。ヴィヒヴァルンから次元を超えて送られてくる、魔王級の大魔力……赤色のシンバルベリルと合魔魂を果たした、父王太子からのものである……までもが、島に吸収されるのかどうか。
(楽観論で云えば、父上の魔力は吸収されても一部に止まり、最低でも半分はそのまま使用できるだろう。しかし、問題は、父上の魔力すらほとんど吸収された場合だ。僕が魔法を使えないだけでなく、それほどの大魔力が一気に吸収されることの影響がどうなるか……。何かしらの目的を持って、魔力を吸収しているのだろうからな)
ま、それはあとで考えるとして……。
(そんなことより、言語魔術も役にたたないのなら、ちょっと厄介だね)
近づいてくる岸辺とゲベル人を見やって、ルートヴァンが口をへの字にする。
いい案が思いつかないうちに、短艇は同じような大きさの小型の漁船が多数つながれている石積の岸壁に辿りついた。まずストラが一瞬で綱を船先の突起に靄い結びで結びつけるや、一足飛びで岸壁に移る。遠巻きのゲベル人たちがおっかなびっくりストラを凝視している後ろで、岸壁に垂らされていた縄梯子を4人が順に上って、無事に全員が上陸した。
ストラを含めて、全員が初見の人種やエルフだったので、ゲベル人はヒソヒソ云い合うだけで、誰も近づかなかった。また、ルートヴァンたちも、その異様な姿に声も無い。ゲベル人は、みな磯灼けというか潮灼けした茶褐色の肌で、髪は黒が多かったが、たまに青黒や赤茶、緑がかった黒がいる。目鼻立ちはどの人種にも似ておらず、くっきりとしてどちらかというとエルフに近い。というか、ちょっと顔が……いや、頭部自体が前後にとがっている。我々で云うと、エジプトの壁画に出てくる人物というか。手足は細くて長く、誰も肥満している者はいない。もっとも、それは栄養状態の問題なので、人種的な特徴とはまた異なるのだろうが。




