第9章「ことう」 1-4 7重の魔力障壁
とはいえ、単に物理的に突破が難しいというだけではない。魔術的機構により、目に見えない防壁のようなものが張り巡らされている。この生きた島は、それをすり抜けることができると予想された。ストラはその現象を捕えようと、逐次観測していた。
「ルーテルさん」
「え……あ、ハハッ!」
珍しくストラから話しかけられ、ルートヴァンが緊張しつつも顔を綻ばせた。
ストラは座禅を組む修行僧のように微動だにせず、半眼で虚空を見つめながら、
「この超巨大低気圧……嵐の中に、分厚い壁のように魔力子……魔力の障壁があります。運良く嵐を超えられても、その魔力障壁はよほどの魔術的機構が無いと突破は無理でしょう。この魔獣は、それを生体的かつ何らかの魔術的機構で超えられると推測されます。稀少な機会だと思われるので、詳細な観察を推奨」
「……ハ……」
ルートヴァン、一瞬、固まりつつ、
「ハハア! 仰せのままに! さ、さっそく!」
自室に飛んで帰って、魔法の鞄より書物やら水晶球やらメガネやら……その他の魔術の観測道具を出した。そして暴風雨をものともせずに、とても立っておられぬほど傾いている甲板へ出ると、宙に浮いたまま水晶球を手に荒れ狂う空とにらめっこを始める。雨避け、寒さ除けの魔術……暖房付きの観測ドームとでも思えばよい……の中で、天候観測というより魔力観測を行った。
(うわっ……さ、流石、聖下だ……なるほど! こんな複雑かつ大規模、完璧に制御された魔力雲流は、観たことがないぞ……!! 詳細な観察には、もっと専門の観測機器が必要だが……! ま、まったく気づかなかった! なんで、聖下はあんな部屋で座ってるだけで分かるんだ!?!?)
いかにルートヴァンが高位で優秀な魔術師とはいえ、肌感覚で分かるレベルの魔術現象ではなかった。まさに、魔王の所業だ。この荒れ狂う嵐の全てが、完璧に制御されている魔術というだけではなく、
(うおお! 聖下のおっしゃっていたのは、あれか……!!)
オーロラが幾重にも重なって、海上から天まで立ち上っているように、魔力の分厚い壁が遠くに見え始めた。まさに壁だ。魔力の壁だ。それが水平線の端から端まで立っている。
(凄い……!! なんだ、ありゃあ! 人間の成せる技じゃあない!)
その魔力壁を、部屋の中からストラも観測した。
(低気圧の中心……すなわちゲベロ島を囲うように展開、直径約300キロ、高さ約3000メートル……7重の魔力子障壁。1つの障壁の厚さは、約10メートル、壁と壁との距離は約70メートル。物理的かつ魔術的に、非常に強固な防護壁……この世界の木造船及び人間クラスの魔術では、突破は不可能と推察。中和には、少なくとも濃オレンジから赤色のシンバルベリル程度の魔力量と、刻々と変化する流動的魔力反応に対処する複雑な制御式及び演算処理能力が必要)
それを、ランヴァールが膨大な魔力と生体的な機構で行うというのだ。
(は、早く観たい!!)
ルートヴァン、思わずランヴァールの速度を上げた。
ランヴァールが4対8枚の巨大なヒレを豪快に動かし、荒れ狂う波を突き破って進む。ぐぅうッ、と加速がかかり、ラペオン号が揺れたほどだ。
プランタンタンとフューヴァが驚いて悲鳴を上げたが、ランヴァールはさらに突き進む。
接触まで数時間はかかると思われたが、1時間ほどで魔力壁が見上げるようにそびえ立った。この壁に比べれば、この巨大魔獣とて小石のようだった。
「こいつは、凄い!」
観測メガネの上からさらに魔力を観る遠メガネを当て、真上を見上げてルートヴァンが感嘆した。確かに、魔力の壁の表面を巨大な滝が逆流するように天へ向かって魔力の流れが生じている。まともに船がぶつかったら、バラバラとなって雲まで突き上げられ、天から真っ逆さまに海に落ちるだろう。
さらに、ここにきてルートヴァン、
(ま……待てよ、まさか、僕が何かしなきゃいけないのか……!?)
と思い至り、急にドギマギし始めたが、大魔獣が勝手に反応する。
これはルートヴァンも即座に分かるほどの魔力の動きがあり、ランヴァールを包むように巨大なドームを形成した。風雨ですら防ぎ、まさに透明なドームがランヴァールをすっぽりと覆いつくす。
(本魔獣を覆うドーム状の魔力壁に、魔力子の規則的な流れを確認……反発効果があると推測)
そのストラの予測通り、巨大な魔力の壁に突っこんだランヴァールは、何の衝撃も無く、ドームが壁をきれいにすり抜けた。




