第8章「うなばら」 6-10 結界の外
少なくとも船長、ホーランコル、ドゥレンコルはロープにつかまってぶら下がり、何とか耐えたが、それ以外に船員やネルーゴフン、カバレンコフン、アーベンゲルが水面に浮かんだ。
「大丈夫かあああ!!」
ホーランコルの声が響いた。落水者たちは大きな引き波にさらわれ、たちまち入り江の沖に流された。
そこは、結界の外であった。
容赦なく魔獣が襲いかかる。
「わああああ!!」
「ギャアア!」
「たすけっ…」
「御聖女様ああああ!!」
通称魔物の通常生物は別にして、魔物と云っても様々で、純粋に魔力だけを吸収して生きるものもいれば、魔力と有機物の摂食の両方を必要とするものもいるし、ほぼ通常生物と同じく摂食行動だけで生きるものもいる。
なんにせよ、ただ殺すだけだとしても人間は襲うし、魔族バ=ズー=ドロゥに支配されているのだから敵は排除する。
飛翔する魔獣に上空から襲われ、また海中からも襲われた。
まさに、なす術がない。
「クソおッ、来るなあ! チクショウ!! こんな……こんなこと!」
対魔結界術を楯のように使い、海上でネルーゴフンが懸命に魔獣の攻撃を防いだ。波が顔を洗い、凍えるように冷たい海水が容赦なく口に入った。
「ゲボッ、ゴホゴボ……!!」
そうなると、気力と体力が弱まり、対魔結界術も緩くなる。
「司祭、司祭様……!!」
どこかからアーベンゲルの声がし、ネルーゴフンは声の限り叫んだ。
「アーベンゲル、どこ!? アーベンゲル!!」
周囲を見やったが、波が高くてよく分からぬ。頭上を、ぶんぶんと小型の魔物が飛んで首をすくめた。力の限り腕をあげ、対魔結界楯をかざした。
「司祭さ……!」
そこで、アーベンゲルの声は途絶えた。ネルーゴフンの上を、ずぶ濡れに血だらけのアーベンゲルを抱えた魔獣が飛び去った。
船員達の悲鳴も既に無い。全滅だ。
おーい、おーいという声がラペオン号からしたようにも思ったが、もう耳も遠くなって分からない。冷たい海水に、身体の感覚も無くなってきた。
と、その口中に、熱い液体が溢れた。
血だ。
血の味がする。
目がかすんだ。
ネルーゴフンは薄れる意識の中で、最後に自分の体を引きちぎる魔獣の大きな顔と、自身に食いこむ鋼の万力めいた大顎を見た。
落水した中で、最後まで生き残ったのは、カバレンコフンだった。
運良く、魔獣の襲撃を逃れた。
だが、気がつけば入江の外に流されていた。
外洋だ。波の高さが数倍もある。
見る間に、島が遠ざかった。
水が異様に冷たい。
懸命に立ち泳ぎをしていたが、カバレンコフンは諦めた。
「御聖女様、いま、御前に参ります」
涙なのか、海水なのか分からないが、視界がにじんだ。
そのまま、波間に消えた。
「今の揺れは大きかったな」
地面がゆっくりと上下する中、ルートヴァンが眼前に現れたバ=ズー=ドロゥに語りかける。
バ=ズー=ドロゥはガラス玉のように海色に光る瞳の無い一色の眼を、ルートヴァンへ向けたまま押し黙っていた。
「もしや、聖下が大魔獣を操るという秘密の品を、発見したか?」
ルートヴァンがカマをかけるが、バ=ズー=ドロゥは全身から水を滴らせたまま、微動だにしなかった。
「よもや、聖下には手も足も出ないがため、我が前に現れたのではあるまいな。であれば、とんだ御門違いだ……貴様は、僕にすら手も足も出ないのだからね……」
「…………」
やはり、バ=ズー=ドロゥは無言だった。
ルートヴァンが、少し目を細める。
魔王すら打ち倒すストラに、いくら上級であろうとこんな魔族が手も足も出ないのは本当だ。
が、だからと云って、ルートヴァンを相手にする理由は? それが分からない。
(まさか、聖下にかなわないウサ晴らしでもないだろう……なぜ、僕を狙う……?)




