第7章「かいほう」 4-9 供物という名の生贄
(御聖女も、さすがに年か……いかに永遠の肉体を持っていても、精神がこれでは……)
ルジャークは、絞り出すようにため息をついた。
「猊下、私めが思いまするに……!」
「いえ、私めが……!」
「いえ、猊下……畏れながら……!!」
ルジャークの次の地位を狙う大教司祭たちはここぞと(何も分かっていない)自らの考えをアピールしたが、ルジャークはそれどころではない。
というのも、もう読者諸氏もお気づきとは思うが、この今年に入って捧げられた10人と、追加で捧げられた30人の少年達は、供物という名の生贄である。国家と信仰の根幹である御聖女が生贄を求めるという古代の荒神のような現実に、この時代・この規模の宗教国家として、既に限界があるのだ。こんな事が公になれば、御聖女への信仰が揺らぐどころか、反乱の種を蒔くことに繋がりかねぬ。また、老獪なヴィヒヴァルン王や中央の皇帝政府に付け入られる元凶にもなりかねない。また面倒なことに、そこいらの浮浪児や、諸外国から輸入した奴隷では質のよい生贄にならない。信仰心が違う。神学校の生徒や、敬虔な信徒の子供が最も好まれる。
ルジャークの大きな目標は、バーレン=リューズ神聖帝国の皇帝をウルゲリアより輩出することと、もう1つ、この巨大な宗教国家を生贄が必要な原始的な構造から、少なくとも純粋な信仰のみによって運営される「近代化」を成し遂げることだった。
(その意味では……御聖女を亡き者にし……真に具象の無い神として崇め直すという、バレゲルエルフどもの考えは……正統性がある……)
先代の大神官王の時に異端認定してしまっているが、ルジャークはエルフ達の考え方に共感し始めていた。だが、それはとても口に出せる空気では無かった。
「なんにせよ……」
沈痛な面持ちで、大きな執務机に眼を落していたルジャークが顔を上げた。
「今は、ヴィヒヴァルンの新魔王を、御聖女が返り討ちにして下さるのを祈るのみだ……」
そう云って、額と胸の前で右手の指先を回す。条件反射的に、9人中6人がそろっている王都派教区の大教司祭達が一斉に、
「御聖女に栄光あれ」
と、同じく右手の指先を額と胸の前でクルクル回した。
その、30人の少年達。下は9歳から、上は17歳までの神学校の生徒、そして見習い神官だ。彼らは御聖女の坐王宮大神殿の建つ巨大な「封印の丘」で御奉仕をするという名目で集められた。今年に入り、既に同じ理由で10人の王都内の少年神官達が御聖女の住まう丘に御奉仕に向かい、そのまま「消えて」いる。皆、親元から離れて暮らしているため、すぐに表沙汰になることはない。そのうち、病気で少しずつ死んだことになる。
封印の丘そのものは、既に王宮大神殿の基礎の遥か下に埋まっている。現代では、大神殿の建つ大きな山あいの全てが、封印の丘と呼ばれている。
大神殿の奥深くの、御聖女ことウルゲンの聖魔王が封じられている特殊な空間に、少年達は放りこまれた。全員、大神官王より、この特集空間に接触できる魔術をかけられている。少年達、桃源郷めいた穏やかな気候にぽつねんと佇む庵が目に入り、吸いこまれるようにフラフラと庵に近づいた。
と、庵の戸が音も無く開き、色とりどりの装飾の施された民族衣装を着こんだ、小柄なバレゲルエルフの少女が現れた。
「あっ……」
と少年達が思った時には、澄んだ鐘の音が響き、ゴルダーイの右目のシンバルベリルが真紅の光を発した。
同時に、ゴルダーイの額と胸の部分に、赤い線による眼の象形紋様が出現する。
その時には、もう少年達に一切の記憶はない。
もっとも、この場より生きて戻ったら、の話だった。
極々たまに、ゴルダーイの気まぐれで、食べ残しが元の世界に戻る場合があった。その際は、バレゲルエルフの最長老のように、御聖女に会ったことがある……という微かな確信だけが残り、元の生活を続ける。その者たちは、狂人として迫害される場合もあれば、聖人として崇め奉られる場合もあった。
少年たちが、1人ずつ聖魔王の前に並んだ。まるで、司祭に祝福を受けるように。
やおら、赤い線の眼の紋様が、瞼が開くように中央から上下に開いた。
まるで、巨大な口だった。
じっさい、眼の中には、やけに現実的な歯と牙があった。眼の中だけ、別次元のようだった。
そうして眼口紋様とでもいうべきものが動き、魔王の額の紋様が少年の頭部に、胸前の紋様が少年の腰部に同時にかぶりついた。
そのまま空中へ少年を持ち上げ、頭部から血液を……腰部から生命エネルギー……すなわち精気を吸収した。




