第18章「あんやく」 1-7 神の間を整備した1人
「陛下、御早い御快癒、まことにおめでとう御座りまする」
侍従長が腰を折って挨拶をしたが、
「挨拶はよい! 騎士団と特任教授の補充はどうなっている」
相変わらず神経質に声を荒げ、むしろ侍従長は嬉しくなって目を細めた。
「ハハッ、皇帝騎士に関しましては、エルフの村落で緊急に選抜試験を行いまする。また辻闘で常連のものも含め、臨時に皇帝エルフ以外でも採用しようかと」
「前例はある。まかせる。協会からはなんと?」
「ハッ、協会でも同じく、急遽在野でも強力な魔術師を探しているとのことで……」
「在野で……?」
皇帝が、感心半分、あきれ顔半分で侍従長を見やった。
魔術師協会の特任教授は、実務の最高峰エリートであり、いくら研究分野で名や功を上げても、特任教授経験者とそれ以外では、扱いに天と地の差がある。特任教授経験者以外で協会理事になったものはいないし、協会本部会員以外で特任教授を務めた者もいない。
それが、いくら人員不足とはいえ、会員以外からもスカウトするとは……本当に人材がいないのだ。
(これは、思っていたより深刻……)
皇帝が小さく息をついた。
「在野の魔術師で、特任教授が務まるものなどいるのか?」
「分かりませぬが……探せば、あるいは……」
「そうか」
皇帝が、臥せっている間に溜まりに溜まった書類に目を落とした。皇帝は、皇帝府の狭い所領の統治以外に仕事がないとはいえ、裏も表も皇帝府の実務は複雑を極めている。大部分が他国の宰相……我々の首相に匹敵する行政の最高責任者である皇帝府長官が実務を行うとはいえ、皇帝決裁の書類や物事が無いわけではない。
(やれやれ……)
嘆息しつつ、内容も確認せずに、一種の魔術で皇帝と全く同じサインを書きまくる。
侍従長が、立派な箱に入った決裁書類の束を恭しく掲げて持ち去った後、皇帝は伝達魔法の大きな鷲を出した。
それが、帝国には生息していない、南部の密林に棲む巨大なカンムリワシのような、頭部に派手な飾り羽のある珍しい鷲だった。体格も大きく、翼長は3メートルほどもあり、足もちょっとした竜のようだった。
それを初春のリューゼン城の窓より放ち、皇帝は遠ざかってゆく鷲の後ろ姿に目を細めた。
伝達の鷲が、一直線にイェブ=クィープを目指して飛んだ。
自分専用の次元回廊で帝都の無楽堂に戻ったマーラル、
「御帰りなさいまし、御主人様」
魔力分身である少年が、マーラルを迎えた。
「御忙しそうで何よりです」
「まあな。久々に忙しい」
まんざらでもなく、マーラルが答えた。
「協会に様子を見に行ってくる」
「おや、御珍しい」
「帝都の地下を探る手立てを考えなきゃならんくなった」
「帝都の地下を?」
「そうだ」
「探るも何も……御主人様は『神の間』を整備した御ひとりなのですから、そのまま入ればよろしいでしょうに……」
「何年前だと思ってるんだ。そう簡単にはいかんよ」
マーラルが苦笑し、いつも酒場に入り浸る地味な姿に変身すると、無楽堂を出た。
すっかり雪も消えかけた昼下がりの帝都をそぞろ歩き、
「おや、真昼間から珍しい……古本屋の旦那じゃないか」
などと顔見知りの者に囁かれながら、協会へ向かう。
以前、ルートヴァンらが協会の資料編纂室から帝都の地下書庫へ忍びこんでいた際に、マーラルがそれを探っていたころ以来なので、3か月ほどぶりだった。
「リール様、御久しぶりで御座います」
衛兵代わりの自我のある魔法の門にそう声をかけられ、マーラルが片手を上げて愛想笑いを浮かべた。
「いつも御苦労さん」
「有り難き幸せ」
会員証代わりの魔術紋を掲げて結界を通り、本部の建物に入る。
みな、マーラルを見ても顔色ひとつ変えなかったが、新参会員でマーラルを初めて見る者は、
(こんなやつも、会員なのか……!?)
と、眉をひそめた。もっとも、古参会員でも、どうしてマーラルが会員なのか疑問を持つ者も多いのだが。
ちなみに、リールとはマーラルの本名リー=ルー=マー=ラーからとられた名のひとつであり、協会の登録名だ。また、マーラルという名も仮名だった。いまや、マーラルの本名を知るものは、帝国ではマーラル以外に存在しない。




