第18章「あんやく」 1-6 エルフの気配
マーラルが席を立ち、
「私もいったん、帝都に戻ろう。……これでも、協会員だからね。久しぶりに顔を出して、状況を探る。連絡は随時、送るよ」
「分かりました」
ルートヴァン達も席を立ち、広間を出るマーラルを見送った。
さて……。
その、皇帝府である。
1か月半ほど前に現れた、数百年ぶりの大規模かつ強力な「異邦者」の襲撃により、皇帝騎士団長は戦死。副団長も命は助かったが、けっきょく魔術治療の甲斐もなく、半身不随で引退を余儀なくされた。いま、皇帝騎士団は大幅な戦力弱体化を受け、大至急で再編成の途中だった。また、特任教授も2割ほども人員が死亡し、負傷者を含めると4割近い戦力低下に喘いでいた。人員が少なくなっても、時空のひずみや隙間から現れる謎の怪物どもには関係ない。
とはいえ、人員が減ったからと云って、すぐに補充というわけにはゆかない。実力不足の者を皇帝騎士や特任教授にしたところで、すぐ死ぬので意味が無い。本末転倒だ。
(やんぬるかな……!!)
元より体調のすぐれなかったコンポザルーン帝は、心労によりこのところ臥せっていた。食も進まず、急激に衰えており、皇帝府の誰も何も云わなかったが、
(兄上の後を追うのは、時間の問題だ)
当の本人がそう確信していた。
と、なれば、早急に次の皇帝を決めねばならぬ。
神聖帝国皇帝は、表向きは「権威だけの存在」「ただの飾り」「誰でもいい」「誰もなりたくない」などと思われているが、その実は帝都及びメシャルナー神防衛の要であるのは云うを待たない。
選帝侯会議も、「順番で選んでいるだけ」「有力な内王家が身内を皇帝にするためにカネをバラまいている」「会議という名のくじ引き」「新皇帝選出は、選帝侯の一番の稼ぎ時」などと揶揄されて久しいが、真実を知っている選帝侯による、厳選な検討と選択であった。
(いま、内王国で皇帝が務まりそうな者は、誰がいる……)
ベッドの上でコンポザルーン帝が眼をつむり、重い息を吐いた。
皇帝輩出権を有する内王国は、ヴィヒヴァルン、ウルゲリア、チィコーザ、バルベッハ、イェブ=クィープ、バーレだったが、ウルゲリアとバーレは滅亡。ヴィヒヴァルンは論外。チィコーザも代替わりしたばかりで、人材不足。バルベッハは実質ホルストンの傀儡で、ホルストンを含めても適当な人物はいなかった。
(と、なれば、イェブ=クィープのマキラ斎王しかおるまい……!)
タケマ=マキラが次の皇帝となれば、イェブ=クィープからおよそ900年ぶり、女帝としても約400年ぶりのはずだった。
(だがイェブ=クィープは、臣下の武家が王を神輿として国を治めて久しく……皇帝候補選出に同意するかどうか。……選帝侯も、マンシューアルなどという蛮人が出てくるようでは、どうなるものか……!!)
12選帝侯家も、幼年や老年の君主がいる場合も多く、常に12家全員が集まるわけではない。
(そもそも、いま12家全てそろっておったか……? わしの時ですら、6家か8家だったと思ったが……)
コンポザルーン帝、もう、忘れていた。
皇帝はそこでいったん眼をつむり、大きく息を吐いた。
(フン……平時ならいざ知らず、有事に選帝侯会議など開いている場合ではない。……いざとなれば、マンシューアルには知らせずに、古参による臨時会議でもなんでも開けばよかろう……。だが……マキラがあのイジゲン魔王をどう思っているか……まず、それを確かめるところからか……)
タケマ=マキラ斎王が、ストラに帰依するのであれば、計画は根本から覆る。
皇帝はゆっくりと目を開け、白くかすむ自室の天井を見あげた。もう、眼もまともに見えていない。
そして、自ら伝達の小竜を飛ばすべく、何とか起き上がろうとした。
腕の力が入らず、半身を持ち上げるのも難儀した。
(なんたる……! もはや半死人ではないか……情けない……!)
その皇帝の細い腕を、力強く支える者がいた。
その太い腕とエルフの気配を感じ、皇帝は誰か皇帝騎士が心配していつの間にか自室に来ていたと思った。
「おお……助かったぞ」
しっかりとベッドに半身を起こして、皇帝は一息ついた。そして傍らの、皇帝エルフに匹敵する大柄な黒い影を見あげ、かすむ目を細めた
「誰だ、おまえは?」
それが、皇帝の最期の言葉だった。
7日後……。
なんとか体調を回復させたコンポザルーン帝が、執務室に戻った。
見た目や気配などにまったく変化は無かったが、古参の騎士団長がもし生きていれば、わずかな魔力の変化に気づいていたかもしれない。




