第17章「かげ」 3-7 迂回
俄かに想像できず、歩きながら3人が眼を合わせた。
「私は、海というのは知らない。見渡す限りの水の原というのは、話に聴いているが」
最後を歩きながら、アルーバヴェーレシュが云った。
「しかも、その水は塩水だぞ」
いたずらっ子っぽく笑みを浮かべ、ホーランコルが云うや、アルーバヴェーレシュが銀眼をむいてホーランコルを見あげ、
「塩水!? どうしてだ!?」
「どうして……って云われても、知らないよ」
苦笑しつつ、そう答える他は無い。
「大昔の神々が、海をそう作ったとしか云いようがないな」
「ふうん……ゲーデルの大御神は、山しか御創りにならなかったからな」
山岳種族、山岳民族として、それは当然の創世神話である。
さて……。
あまり無いことだが、街道に出てから、タケマ=トラルはタケマの名を積極的に使用し、関所をほぼスルーで通った。これは公儀隠密としては本当に異例なことで、関所の役人たちも滅多に無いことなので戸惑い、時には騒動になりかけたが、いろいろ確認して結局はスルーされるのだった。もっとも、堂々と表で名乗るのではなく、賄賂でも渡すようにしてこっそりとイアナバの特別な通行手形を役人や奉行に見せるわけであるが。
イェブ=クィープにおいて、タケマの名に対する反応は大きく分けて3つある。
1.祭祀王とタケマ氏を心から敬っている人々は、畏れ多くほぼ云う通りにする
2.祭祀王とタケマ氏のことはもちろん知っているが、たいして興味のない人々は、触らぬ神にナントヤラで、どちらかというと無視する
3.祭祀王とタケマ氏が1000年にわたりこの国を影より精神支配していることに疑問を持つ人々は、反感を持って排除しようとする
この3つの思いが複雑に入り混じり、幕府や各地の武家を巻きこんで、下手をするとタケマ氏を再びイェブ=クィープの支配者にしようとする勢力の台頭とそれを阻止しようとする反タケマとの内乱の火種を孕んでいた。
街道を20日ほど進み、関所を何事もなく4つ抜けたころ、とある宿場でタケマ=トラルが深夜に打ち合わせを行った。
「どうも、バーレで何事か起きたようです」
「何事かって……そりゃ、魔王様がおられるからな。敵の魔王を倒したともなれば……」
ホーランコルがそこでいったん息を飲み、
「バーレ全土が灰燼に帰してもおかしくない。ウルゲリアが滅亡したようにな」
皆も小さく息を飲み、ホーランコルを凝視した。
(この仁は、故国を討ち滅ぼした主敵に仕えているのだ……なぜ、そこまで)
タケマ=トラルはそう思ったが、口には出さなかった。話を変え、
「それから、いまより向かうナガキノという郡ですが……これが高名な反タケマの先鋒でして。ひと悶着は必定なのです。迂回する手もありますが、かなり迂回しますよ。予定より、もう20日はかかります。イアナバには春すぎの到着となりましょう」
「遅すぎる。バーレに何事かあったとなれば、魔王様はもうイェブ=クィープに来られるぞ」
ホーランコルが、焦るように云った。
「では、ナガキノを突破しましょう。ここでは、拙者はユアサン=ジョウに戻ります。ただ単に街道を追っ手が来る程度なら、皆さん方では余裕で撃退できましょうが……」
「そうならない場合も想定されると?」
「まつりごとに巻きこまれると、なかなか厄介。関所や奉行所で下手に手向かうと、大事に。御公儀にも反タケマはおりまするゆえ、御公儀を巻きこむとさらに面倒。くわえて……ナガキノの領主はマートゥーと手を結んでいるという、もっぱらの噂にて……」
「ウワサは知らんが……そうは云っても、ただでさえ我らは目立つ。まして、アルーバヴェーレシュに目をつけられたら、大事になるなというのが無理だぞ」
「だから、迂回は如何ですかと云ったのですよ」
「ふうむ……」
さしものホーランコルも、そんな唸り声と共に黙ってしまった。面倒ごとも避けたいし、日数も稼ぎたい。
「迂回は迂回でも、街道ではなく山の中とかは通れないのか」
アルーバヴェーレシュがそんなことを云い、タケマ=トラルが眼をむいた。
「確かに……一般人では、真冬の山中突破など自殺行為。しかし、皆さんでは可能かもしれませんな。また、竜か何かを呼んでいただけるのなら」
「それは、御安い御用です」
キレットが答え、俄かに現実味を帯びてきた。
「思えば、ウルゲリアからガントックに入ったときも、飛竜に乗って国境を越えたなあ」
ホーランコルがそう云って目を細めた。もう何年も前のように思えるが、去年の初秋の話だ。
「安全を考えれば、空を飛んだほうが良いでしょうが……今時期、山の上は風が強く、山中を行ったほうが安全かもしれません。ただ、どんな竜が来るのか……にもよりますが」
「それは、何が来るかは召喚してみないと分からないのだろう?」




