第17章「かげ」 2-4 隠し里
一行が全て入ると、殿の雲霧エルフがトンネルを閉じた。
闇に猛烈な水しぶきと滝の音だけが響き、誰もいなくなると、その闇の中に真っ赤に焼けたコークスのような赤い点が2つ光って、すぐに消えた。
薄暗い祭壇の前に正座し、顔面に紙の仮面というか、覆面というか、紋様と呪文の書かれた大きな霊符を額に巻いた紐より垂れ下げていたイエユエ=シャンが、一息ついて立ち上がった。
とたん、フラついたので、控えていた女官があわてて支えた。
「陛下……!」
「大事ない」
そう云ったが、疲労の色は濃い。立て続けに玄冬を操っている。
バーレ王家でも、玄冬が何者で、どうやって封印し、支配しているのか、実はよく分かっていない。
いや、タン=ファン=リィから数代ほどはその法を理解していたらしいのだが、いつしか分からなくなった。彼らにとっても、完全にオーパーツなのだ。
先日の襲撃でもストラ一行の誰も倒せず、イエユエ=シャンのほうが先に限界が来た。
それからすぐさま再起動し、後をつけさせている。
とにかく、玄冬からの魔力の反射というか、反発、プレッシャー、あるいは高濃度魔力障害にも似たダメージが物凄まじい。これまで、影の魔王を数十年から数百年に一度しか使えなかったというのは、そもそも使える術者が限られていたのと、一度使うとそのダメージで術者が死ぬか再起不能になるかしたためだ。加えて、術者が弱ると強力にその支配を逃れようとしてくるため、使うほうも命懸けだった。
霊符の覆面をとると、イエユエ=シャンの美しい顔は青ざめ、眼の下の隈が凄かった。
「陛下、横に御成りなされ……」
壮年の女官長にいざなわれ、イエユエ=シャンが豪華な寝台に豊満な肉体を横たえた。裏王家に生まれさえしなければ、とっくに何処かの大貴族か、西方他国の王家に嫁いでいただろう。
大きく息をつき、差し出された薬湯を口にする。もちろん、疲労を感じさせなくする魔薬入りだ……。
「陛下、少し御休みを」
「分かっている。少し、寝る。だが収穫はあった。カーウュンの精霊気どもが生き残っていた」
「精霊気が……!?」
女官長が眼をむいた。公式記録にある限り、約200年ぶりの再発見だった。
「精霊気の肉や生き胆があれば、陛下の御疲れもいっぺんに御回復致しましょう! 敵の魔王を打ち倒しつつ、精霊気どもを捕らえなさるので?」
「もちろんだ。最近は王家も懐が寂しい……少なくとも4、50人はおるだろう。商人どもだけではなく、イェブ=クィープにも売りさばこうぞ」
「王家で飼いならし、増やしてもようございますな」
女官長が笑顔でそう云い、
「そうだな……」
イエユエ=シャンは、そのまま寝落ちしてしまった。
女官長の笑顔が消え、表情を曇らせた。
(おいたわしや……)
疲労と心労と魔薬の毒にまみれたイエユエ=シャンの顔を見やって、女官長の眼に涙が浮かんだ。
次元トンネルを進むストラたちは、1時間もかからずに出口に到達した。
出た先は、一種の亜空間なのは明白だった。
深夜のはずだったが、薄い光に包まれ、真冬のはずなのに暑くも寒くもなく、極上の羽毛布団の中にいるようだった。森林と急峻な谷間には違いなかったが、これも真冬のはずなのに木々は緑に覆われていた。
カーウュエ雲霧エルフの隠れ里だ。
元は雲霧エルフたちも、霧深い湿潤な現実世界の谷間に住んでいたのだが、王家を筆頭に何度も大規模なエルフ狩りにあい、この亜空間に逃げこんだ一部のエルフだけが生き残っていた。
「魔王様の御到着だ!」
案内のエルフがそう叫び、ぞろぞろと他の雲霧エルフたちが現れた。
……と云っても、30人いるかいないかだった。プランタンタンのような若いエルフは、数人しかいない。このほかに20人ほどがおり、総勢で56人であった。
長命とはいえ、カーウュエ雲霧エルフも滅亡への道は逃れられないのだ。
「とはいえ、最期までこのように隠れたままではなく、安心安全に大手を振って暮らすことくらい望んでも罰は当たりますまい。私がこの里の長、ルォン=ルライ=イェムルです」
見るからに年寄りのエルフが前に出て、一行にそう云った。
カーウュエ雲霧エルフは、いわゆる金髪というよりもっと濃い茶色がかった黄土色の髪と薄褐色の肌をし、なんとその目も不気味にして美しい濃金色だった。それへ、貫頭衣のような簡素な木の皮を編んだ繊維の衣服を着ている。




