辛いのです
「つまり国王はサインした覚えはないと?」
「ああ、婚約受諾書にサインしたのは間違いない。しかし無効の書類など見た覚えがないとおっしゃっています。勿論、私も父もそのような書類を用意した覚えなどありません」
「じゃあ、無効が無効なんじゃないの?」
「いえ、書類の出所はわかりませんが、サインは間違いなく国王の筆跡でした」
「それって一体どういうことだ?」
ライ兄様の言葉に皆も首を傾げる。
するとジル兄様が一枚の紙を出す。
「これって……」
「犯人はわかったな」
「でも一体どうやって?筆跡鑑定してもバレないほど真似て書くことなど出来ないだろう」
「そこよね。協力者がいるのは間違いないわね」
「はい、フィエロ殿下からも調べるようにと。ですので暗部を使います。ただ、調べていることを悟られたくないので申し訳ないのですが婚約無効を実行いたします」
「ジル兄様、嘘でしょ」
「すまないな、アンジー。国王のサインをもし鑑定してもバレないほど精密に書ける者がいるのなら国の一大事になる事なんだ。国王が覚えもなくサインしていたという事であったとしても、わかるだろ。ここは敵の策略に乗る必要がある。だからわかってくれ」
「ジルベルト殿、だったら少しでも早く解決してくれ。俺も協力は惜しまない。一刻も早く解決してくれねば、俺の命と引き換えにしてそいつを殺しかねないから」
ぎゅっと握られた拳から血が滴った。強く握りしめ過ぎて爪が食い込んだらしい。
「ルディ、手の力を抜いてください。お願い」
ルディの手を取り私の両手で包む。
「イヤだ、馬鹿ね。力入れ過ぎよ」
ジャンヌ副団長がそう言って薬箱を出してくれた。急いで手当てをする。
「ジル兄様、私も協力します。だからお願い。早く、少しでも早く解決して」
「ああ、我が家が誇る暗部を使うのだ。すぐに解決出来るに決まっているだろう。だからすまない。しばしの別れを承知してくれ」
「……はい」
「……ああ、わかった」
それから全くルディとは会えなくなってしまった。
正式にライ兄様の執務室で働くことにはなったけれど、私は執務室と家の往復で他の団員にすら会っていない。
2週間ほど過ぎたある日、ディアナ姉様からお茶のお誘いを受けた。
「アンジー、こんなにやつれてしまって」
「ディアナ姉様」
ディアナ姉様に優しく抱きしめられる。途端に私の涙腺が崩壊した。
「姉様、私」
「いいのよ、わかってる。思いっきり泣いてしまいなさい」
「ふっ、ううう」
ディアナ姉様は私が泣き止むまでずっと、優しく背中を撫でてくれた。
「ありがとう。お陰でスッキリしたわ」
「そう、良かったわ。少しでも役に立てたなら」
「少しどころじゃないわ。やっぱりこういう時はお姉様ね。お兄様たちはオロオロするだけだもの」
「ふふ、そうねえ。あの子たちはモテるけれど、女心には疎いのよね」
「私ね、ルディに会えなくて寂しくて、それなのに毎日好きなの、好きが大きくなるの。会えないのに好きが大きくなるなんて、きっと今回の事がなかったら知らなかったままだったわ」
「会えない時間が愛を育てるのよ」
「そうなのね、流石ディアナ姉様」
「あなたと会えなくなってからのドルフは凄いわよ。鬼気迫るものを感じるというか、近づくものを全て切り捨てるような迫力でね。手負いの猛獣のようだってライですら近づくのを躊躇するくらい。アンジーに会えないのと、犯人への怒りで自分を見失いかけてるみたい」
「そんな……」
「でね、ここからが話の本番。そんな彼に果敢にも近づく女がいるの」
「え?」
「彼には子供の頃に家同士で決めた婚約者がいたのだけれど、その婚約者だった女が少し前に未亡人になって彼の前に現れたんですって。でも、彼はにべもなく一蹴したらしいの。それはそうよね。大事な婚約者がいるんだから」
私を見てニッコリするディアナ姉様。
「それでもしつこく毎日騎士団へ通っていたんですって。実際、美しい人だから歓迎するような団員たちもいて、いい加減迷惑になってフィエロが騎士団棟への接近禁止命令の書状を突き付けたの」
「しばらくは大人しくしていたんだけれど、あなたとの婚約が無効になった途端にドルフの前に再び現れたらしいわ。おかしいと思わない?婚約無効の件は公表していないのに」
「じゃあ、今回の件に絡んでるということ?」
「そうじゃないかとフィエロは踏んでるわ。だけれどドルフに全くなびく様子がないから、いずれ標的をあなたに変えるかもしれない。だから気を付けてアンジー。もしかしたら逆恨みであなたに何かしてくるかもしれない」
「そんなにルディに執心していながらなんで他の人と結婚したの?」
「本人から直接聞いたわけではないから、本当の事はわからない。でも、お金に目がくらんだと専らの噂よ。だって相手のテスタ侯爵は当時六十歳に手が届くかどうかの年齢だったのよ。あの頃のテスタ侯爵は、事業が上手くいっていたとかで羽振りが良くてね。いずれ公爵家を継ぐと言っても、まだ騎士団に入ったばかりのぺーぺーよりも魅力を感じたんでしょうね」
「そんなことで、酷いわ」
「それが本当なら酷い話よね。まあ、元々想いを通わせた仲ではないからドルフはなんとも思ってなかったみたいだけれど、彼女の方はそうじゃなかったみたい。自分から他の殿方に乗り換えたのに、夜会でドルフを追いかけまわしていて一時騒ぎになったのよ。その時はもう二度とドルフに付きまとわないって誓って終わったわ。でも口約束なんて簡単に破れてしまうものねえ」