心臓の音
今日も生徒会室で仕事をしている。
引継ぎは皆終わって残す所、残務処理のみとなった。
卒業までもうひと月ほど。少しはゆっくりできそうだ。今日は名ばかり会長も居ないし、ゆったりと仕事が出来る。
そんな穏やかな空気の中、一人の後輩が
「アンジェリーナ様ご存じですか?王城にいる四人の貴公子の事」
私に聞いてきた。
「あ、ああ、貴公子ね。知っているわよ。なにせそのうちの二人は私の兄たちですもの」
「そうです。太陽の貴公子と氷の貴公子ですよね」
「そうみたいね。私には全くわからないけれど」
「元々は三人の貴公子だったんです。それが最近一人、精霊の貴公子という人が加わって四人になったそうで……私は見に行けなかったのですが、姉が訓練場に見学に行って見ることが出来たそうなんです」
ギックーン。そうだったんだ。全然気が付かなかった。笑顔で話を聞きながらも内心焦っていると
「それで、精霊の貴公子を見た姉が、すっかり夢中になってしまって」
「そう」
「はい、なんでも騎士団長様の親戚の方らしいのですが、まだ学生なのに凄くお強いそうで。それで姉に、学生って事はこの学園にいるかもしれないから探してって言われまして」
おお、そうきたか。
「学園はここだけではないですしねえ、少なくともそんな強い殿方は私の学年ではいませんわ」
「ですよねえ、アンジェリーナ様より強い方なんてこの学園に、そもそも居りませんものねえ」
「そうですわね。という事は他の学園ですわね」
「そうみたいです。姉に言わなければ。もう本当に凄い熱の入れようなんですよ。訓練が終わるのを待っていることもあるようで」
最近、以前にも増して騎士団棟の門にたくさんの女性がいたのはそれかあ、と納得しながら答える。
「それはなかなか凄いですわね」
「ですよねえ」
「いやあ、四人の貴公子ブームが凄いねえ」
団長の執務室にフィエロ殿下がやってきて、開口一番そう言った。
「迷惑してるんですけど、何処に行っても女たちに囲まれて……部下連れて飲みに行っても全く楽しめないし」
ライ兄様がブーブー文句を言う。
「はは、やっぱり?ジルなんてこめかみに青筋立ちっぱなしだったよ。王城を普通に歩くこともままならないって」
「私も、学生だという事がどこからか漏れてるみたいで、探そうとしてる人がいるわ」
「……それは困ったねえ。まあでも、もう学園に行く事もないんじゃない?」
「ええ、引継ぎも残務も全て終わらせてきました」
「よし、じゃあアンジーのお婿探しを本格的にやろう」
「そうですね……」
そう答えながら頭の中にルドルフォ副団長が浮かんだ。連動してあの時の抱きしめられた感覚まで思い出されてしまい、顔が熱くなるのを感じた。
「おや?もう頑張るまでもなく見つけたかな」
フィエロ殿下が楽しそうに笑った。
学園に行かなくなってから、早いうちから騎士団に行く事になって少し経った頃。
今日は第二部隊と一緒に街の巡回をしている。ルドルフォ副団長も一緒だ。少し前から思っていたが最近、ルドルフォ副団長が傍にいることが多い気がする。
剣の稽古も何回かしてくれて、尋常ではない強さを毎回実感している。その強さを体感するたびに、私の心臓は大きく鳴り響くのでとても疲れる。
今日もボンボン集団の第二部隊だけでは心許ないからと、ルドルフォ副団長がついてきてくれることになったのだけれど……なんというか……女性からの熱視線が痛いくらいに刺さる。ライ兄様たちと巡回した時も女性の視線は感じていたけれど、そんなに気にならなかった。なのに、ルドルフォ副団長に注がれる視線は、やけに気になってしまう。不思議に思いながらも
「あの……女性たちからの視線が痛いくらいなんですけど」
「いつものことだ。気にしなくていい」
いつもの事なんだあ、なんだろう、イラッとする。
「いつもこんな熱い視線を浴びているんですか?」
「ああ、騎士団は女性からするとカッコよく見えるらしいからな」
ちょっと嫌味っぽく言っても全く気にしていない事に脱力してしまった。
「ふふ、確かに、この騎士服着てるだけで5割増しに良く見えますもんね」
私が言うと、ルドルフォ副団長は目を瞬かせたあと声を上げて笑った。
「ハハハ、5割増しとは。凄い効果だな」
最近、ちょくちょく見ることの出来るルドルフォ副団長の笑顔。見るたびに心臓がドキンと大きく響いて私は固まってしまう。今も正に、ド正面から見た破壊力に固まってしまった。周辺からは黄色い声が飛んでいる。
なんて爽やかに笑うのだろう。ポカンとしていると、数人の女性が近寄ってきた。
「ルドルフォ副団長、今日はお一人ではないのですね」
「こちらの方も素敵じゃない」
「今日はお仕事何時までですの?」
「良かったらご一緒にお茶しません?」
などと、色々な言葉が一気に押し寄せてきた。
「すまないが、今日はこいつの付き添いなんだ。」
しかし、女性たちもそう簡単には引かない。
「じゃあ、こちらの方もご一緒にというのはどう?」
「それは素敵。ねえ、一緒にお茶しましょう」
「あなたも綺麗なお顔してるのね……あら、もしかしてあなた、精霊の貴公子?」
「キャー。貴公子が二人も。ねえ、是非一緒に行きましょうよ」
一人の女性が、私の腕に自分の腕を絡ませてきた。胸を押し付け上目遣いで見上げてくる。このモーションのかけ方は庶民の方でも貴族の令嬢でも一緒なのね、なんて呑気に考えていると
「すまない。こいつは団長直々に預かった大事な新人なんだ。ないがしろにしたら俺が団長に怒られてしまう。いずれ、時間が出来たらお茶でもなんでも付き合う」
そう言いながらすっと私の腕から彼女を離し、自分の背中に私を隠した。
「本当に?そう言っていつも断るんだから。何度も反故にするなら他の人に目移りしてしまうかもしれなくてよ」
一人の女性が言うと
「ああ、俺なんてとっとと見限って、他にいい男を見つけた方がいい。君たちほどの美女ならば、すぐに見つかるだろう」
ルドルフォ副団長は表情を変えることなく言った。
すると、慌てたようにそれぞれが何やら言い繕っていたけれど、副団長は耳を貸すこともなく
「では、これからはもう声をかけないでくれ」
そう言って私の手首を掴むと、とっととその場を去った。
「ルドルフォ副団長、いいんですか?そんな簡単に彼女たちを切ってしまって」
「切るも何も……別にあの中の誰ともつき合ってなどいないし、特別な関係にもなっていない」
そう言いながらルドルフォ副団長はずんずん歩く。歩幅の違いに小走りになってしまう。
「えっ!?そうなんですか?」
「団長からどう聞いたかは知らないが、俺は自分から女性を口説いたことなど一度もないし、ましてや手を出すなんてしていない」
更に大股になる。小走りでは追いつけなくなり、思わずつんのめってしまった。
「キャッ」
前のめりに転びそうなった私をなんなくキャッチする副団長。
「やっぱりおまえは細いな。まるで女性のようだ。こんな小さな身体なのに、騎士団で十本の指に入る程強い。かと思えば、突然気を失ったり剣が飛んできても避けなかったり……あの時は、本当に間に合って良かった」
そう言って、ギュッと私を抱きしめた。
あまりにもきつく、しっかりと抱きしめられて私の心臓が太鼓のように大きく鳴り響いた。