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「自由という名の憂鬱」

作者: 凡 徹也

 緑多き庭に面した家の軒下で、ある優しい主人に飼われていたカナリアは自由に憧れていました。カナリアは主人の事は大好きでしたが、飼われている籠の中はとても窮屈であり、いつも庭に降りてくる自由に飛び回る雀たちを見て、羨ましくて堪りませんでした。

 ある日の昼下がりのことです。主人が籠の掃除をしようとその籠の蓋を開けたとき、一瞬の隙が出来て、そのカナリアは外へと出てそのまま飛び上がり、屋根の端っこにある雨といに留まりました。

 御主人は大層慌てながらも優しく、

「カナリアよ、危ないから戻っておいで」

と声を掛けましたが、カナリアは余りの開放感で気持ちが良くて、言うことを聞きません。そしてその後、空へと舞い上がりました。

 夢にまで見た空は広大で清々しく、羽を思い切り広げて高く高く舞いました。自由に飛べるってなんて素敵な事なんだろうかと、カナリアは夢中に飛び廻りました。

 ひとしきり飛ぶと、普段の運動不足がたたってカナリアは疲れてしまい、そろそろ自分の家に戻ろうと降下を始めた所、突然カラスが襲いかかってきました。カナリアはパニックに見舞われましたが、必死に逃げ回り、やっとの事でカラスからの攻撃を逃れられたものの、自分の帰る家が何処なのか判らなくなってしまいました。

 夕方になるとカナリアはお腹が減ってきました。何時もなら優しい主人が食事をくれるのですが、外の世界では何処に食べ物が有るのか全く判りません。カナリアは

「こんなことになるなら空へと飛ばなければ良かった」と、後悔しました。

 カナリアは家に帰りたい一心で、意を決して再び空へと飛び立ちました。すると、前方に見慣れた赤い屋根の家が見えました。カナリアは

「あそこだ。こんな近くだったんだ」と、悦び勇んで空から舞い降りて行くと、あと少しで家の庭に降りられるという所で上空から降下してきたトンビに捕らえられて、食べられてしまいました。


 道端のタンポポは、自分が種になる日を心待ちしていました。何時も目の前の道を行き交う子供達や走り過ぎる自転車に踏まれながらも、太陽の陽射しをたっぷりと浴びて元気に大きく育ち、やっとの思いで立派な花を咲かせました。

 あと少しで、地面に這いつくばるだけの生活ともおさらばなんだ。その後は自由が待っている。大空へと飛び上がって何処までも飛んで行けるんだ。あと一寸の辛抱の後に観ることが出来る空からの景色ってどんな感じなのだろうか?。あの山の向こうも見えるのだろうか?と想像を拡げて気分はウキウキです。

 タンポポはやがて種になり、飛び立つその日がやって来ました。少しだけ強い風が大地を吹き抜けた日、その風に乗って種は大空へと舞い上がりました。空の上から眺める野山は想像以上に壮大で、ずうっと遠くまで緑の大地は続いています。

 そして、空の上から見る道を歩く子供達が何と小さいことでしょうか。この眺めはなんて素敵なんだろう。ずうっとこのまま風に乗って飛んでいたい。この風景を愉しんでいたいと、種の気分は最高です。

 更に種は上昇気流に乗って目の前の大きな山の遙か高く迄、舞い上がりました。するとどうでしょう。今まで観たことの無い山の向こう側の景色が見えてきました。

「あれは何?青くて広くてとても綺麗…」

 そう思ったのは束の間の出来事でした。種はその大海原の上に出てしまいました。その先は果てしなく青い海が続いているだけです。

「大変だあ!この先に陸地が無い」

 その事に気付いたときは既に遅かったのです。種は自分の思う方向に進む事も、好きな場所に降りる術も持ってはいませんでした。風のおもむくままに、風任せの旅で有ることをすっかり忘れていたのです。

 種はそのまま風に乗って遙か海の沖へと運ばれ、その後海の藻屑と消えてしまいました。


 港の入口に浮かぶ生け簀の中で生活するアオリイカは、網の外を自由に泳ぎ回る魚達を羨望の眼差しで見ていました。

〈僕は何でこんな狭い場所で大勢の仲間達と一緒に暮らさなきゃいけないのだろうか?〉

毎日、そんな疑問を感じながら生活していました。

 ある夏の終わり、台風がやって来て、生け簀のある海は大荒れになりました。そして、突然の大波が生け簀を襲い、生け簀が大きく傾いた時に、生け簀を覆う網のカバーがずれて僅かに出来た隙間から、アオリイカははじき出されて、外に出てしまいました。

 アオリイカは、外に出られたとは言え、海はうねっていて高波に揉まれます。アオリイカは、翻弄されながらも海の深くへ潜り込み、海底に生えていたカジメの樹林の中に身を隠してその茎に必死にしがみついて一晩を明かしました。

 翌朝になると、海は嘘のように静まりかえって風も無くなり、空は晴れ渡りました。辺りは平和そのものの世界へと戻っていました。アオリイカは、カジメの樹林を抜け出して海面へと上がりました。そして、生け簀の中に居る友達にお別れを告げて沖へと向かって泳ぎ始めました。

 〈とうとう僕は自由の身になれたんだ。嬉しい!〉

 アオリイカはスイスイと、自由に身を拡げて泳ぎ始めました。生まれてから初めて味わう開放感に浸って幸せな一時だったのかもしれません。

 そして、いよいよ湾の外へと出ようとした時でした。自由な場所と思って泳いで居た場所は、何と定置網が仕掛けられた入口でした。アオリイカは、袋小路に迷い込み、段々と奥の狭い部屋へと追い遣られ、とうとう漁師に捕まって、市場へと売られて行きました。


 貧しい国で生活する家族は常に食べ物に飢えていました。隣の、更に向こう側にある国はとても豊かで、大地は実り食べ物には事欠かないと言い伝えられていて、家族は皆でその国で住むことに憧れていました。

 ある年、日照りが続いて、作物が不作となったとき、家族は皆で話し合って意を決してその国に「移住」する事にしました。長年暮らした土地を棄てるという事は大変な決断であり気持ちは迷いましたが、その国に辿り着くことが出来れば、豊かで食べ物にも恵まれた生活が待っている。その途中の道筋は辛いかもしれないが少しだけ我慢した先に自由と幸せがある。そして、成功できるチャンスも有るんだという言葉を信じて、夢を描いて他の大勢の人々と共に行動に移しました。

 ある日、家族は最低限の生活用品と食料を持ってその国に向かって歩き始めました。ひたすら、何日も歩き続けました。何百何千㎞を歩いたことでしょう。途中、仲間の中には体力が尽き果てて倒れた者もたくさん居ましたが、その事に構って居る余裕は有りません。元気なもの達はひたすら前へと進むしかなかったのです。

 そしていつしか「難民」となりましたが、本人達は自分達が「難民」と呼ばれて居ることさえ知りませんでした。それでも、希望を棄てずに隣の国の端から端まで何とか歩き通し、更に隣の国との国境へと辿り着くことが出来たのですが…

 何と、そこには厳重で背の高いフェンスが張り巡らされていて、豊かな国に入る事が出来ません。おまけにそのフェンスの向こう側にはライフル銃を持った鬼の形相で睨み付けてる兵士が大勢並んで立ちはだかり、

「フェンスを乗り越えて国境を破ったら殺すぞ!」と脅します。

 その睨みあいは、数日間続きましたが、我慢できない仲間達が騒ぎ出してとうとう暴動が起きてしまいました。フェンスを乗り越えて国境を破ろうとした仲間達は次々と殺されていきました。他のもの達は恐怖に怯えて入国を諦めるしかなく、かといって再び祖国まで歩いて帰る体力も気力も残っては居ませんでした。

 茫然と立ち尽くした人々はその場に難民キャンプを作り、嘆き悲しみ、以前に増して生活に窮し更に貧しい生活に身を落としてしまいました。


 さて……

その憧れの豊かな国に住む人々は本当の所、自由で幸せな暮らしなのでしょうか?。実はそんなことは無いのです。実際の生活環境は、不自由だらけのものなのです。

 その不自由の中でも、特にその国に住む人々は常に「時間」という魔物に追われて窮屈な生活をしています。

「あと、少しの時間の余裕が有れば」と

愚痴を毎日こぼしながら時間の自由を求めています。

 駅のホームに到着する電車を見れば必死に走ります。2,3分後には次の電車が来るというのに。そして電車のドアが、目の前で閉まったりすると、直ぐにイライラします。

 また改札口では、到着が2分遅れたと言って、駅員に詰め寄り文句を並べている人もいます。

 交差点では、左折しようとしている車が、横断歩道を進む人の波が切れないために、ずっと左折出来ずにいて、イライラが募っています。歩行者の信号が点滅を始めると、歩行者は遠くから走ってきて何とか渡ろうとします。その為、車は更に待たされて赤になる僅かな時間で曲がらなくてはならないのです。

 又、歩道を走る自転車がいきなり車道に降りたりすると、配送トラックのドライバーは、「バカヤロー」などと怒鳴りますし、その自転車野郎も上手く歩道と車道を使い分けて渋滞する道をすり抜けてはきたものの、目的地に着いて駐輪できるスペースが見つからないと、時間のロスだとイライラします。

 配送トラックはその配送先の荷捌き場が満杯で、仕方なく路上に駐車したりすると、車に戻った時に、取締の「緑のおじさん」と喧嘩を始めたりします。

 都会の中心では短い昼休みの時間、何処の食堂や弁当売場も混んでいて、並んで待たなくてはいけません。お腹も空いて、時間も無くなってくるとイライラし出します。昼だけでは有りません。人気のラーメン店の前には終日行列が出来て並んでまちます。そこには各自の美味しさへの拘りがあるのです。なので、混んでいるからといって空いている他の不味い店に入ることはしません。

 情報に溢れていて、文化的で社会は多様なはずなのに、皆が欲しがるものは同じものに集中します。そして目指す将来の夢もなぜかその時代時代の流行する同じものに集中してしまい、そこには過剰な競争が生まれます。

 ある種のゲームや機器をこぞって欲しがり、発売日には大行列が出来たり、将来の夢はプロのサッカー選手だという少年が多すぎて、夢に挫折する人も多く生まれます。

 どうやら同じ日に同じ場所に押し掛けて、大混雑と行列を作るのが好きなのかも知れません。電車の2分が待てない人が、テーマパークや魅力的な新製品の発売では、何時間待つこともへっちゃらなのです。

 ここで、そもそも「自由」という言葉の意味は何処に有るのでしょうか?考えてみて下さい。

 例えばある家庭の親は、子供を自由に伸び伸びと育てると言いながら、色々な習い事に通わせたり、逆に放任してしまい子育てを全くしなかったりします。

 また、生活する人が多すぎるために社会ではルールがより複雑になり規制がたくさん設けられます。

 都心の道路は一方通行だらけ。郊外の海辺にドライブしに行けば、道は快適に走れても、止める場所は不自由です。

 また、フリースペースと呼ばれる場所は各所に有りますが、人気の場所は何時行っても満席で入れません。

 ここで、もしそんな豊かと言われる国の人々に、思っても見なかった「自由な時間」が、突然に与えられたらどうなるのでしょう。その時間をどのように自由に過ごすのでしょうか?

 ある人は「ラッキー」と思い、何処か遊びに出掛けるのでしょう。又、ある人は「思い切りぐっすり眠ろう」と思うのかも知れません。

 しかし、大半の者はいざとなると突然に出来た自由な時間に戸惑い、「何をして過ごそうか」と迷い倦ねる内に時間はどんどん過ぎていってしまいます。

「眠ろう」と考えて布団に入ったものの、普段からの生活習慣とは恐ろしいもので、携帯を弄っている内に寝そびれてしまい、「こんなことなら何処かへ出掛ければ良かった」等と愚痴をこぼすかも知れません。

 また、出掛けることを決断した人は、他の皆も同じような場所へと出掛けるために想像以上の混雑に巻き込まれて道は大渋滞、訪問先は大行列の待ちの人で溢れかえり、食事をしようにもレストランに入れず、売店は品薄、売り切れ状態で、結局は思うように愉しめず「ただ、疲れに行ったみたい。こんなことなら家でゆっくりしていれば良かった」等と嘆きます。

 そしてあれだけ欲しがっていた時間を持て余し、有効に使うことも出来ないまま、元の束縛される生活の日々へと戻っていくだけなのです。


~所で、

  貴方の欲しい「自由」とは、

      何ですか?~


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