穏やかではない朝
「う・・・うん?」
瞼がいつもより重く、何とかしてこじ開ける。目覚ましは・・・あ、昨日セットせずに寝ちまった。
さっと血の気が引いていく。中学の時以来だ。あえてゆっくりとスマホに手を伸ばし、画面に表示される時計を見る。
8時20分
布団を勢いよくどかしてリビングに向かう。わかってはいたがもう家族全員出かけた後だ。卓上には目玉焼きとウインナーが皿に盛り付けられた状態で置かれている。
高校に入ってから遅刻はしたことがないし、欠席もしたことはない。別に皆勤賞を目指していたわけでもなく、学校に遅れる理由や休むほどの体調不良がなかっただけだ。
ホームルームには・・・間に合うか?1限は数学の吉成先生だ。校内でもかなり厳しくて有名で兎にも角にも顔が怖い。
目玉焼きとウインナーをさっと口に放り込んで、制服を着込む。ネクタイは結ぶのが下手くそで時間がかかるから学校に着いてから結ぼう。
家の戸締りや元栓などの最終確認を済ませ、家を出る。
寝坊をしたのは明白だ。昨日のことを引きずった、それだけだ。一々他人の言葉で何か思い悩んでしまうなら、これからずっと遅刻してしまうんじゃねえか?と走りながら不安に思う。
いやもう、そんなこと考える暇はない。脳内を現在支配しているのは眉間にしわを寄せた天パで体育会系の体つきをした吉成先生の顔だ。あの人数学教師じゃねぇだろ本当は。
東門に着いたら、監視している警備員に学生証を提示してそそくさと学校内に入る。上履きは高校には珍しく、体育のときくらいにしか使用しない。ローファーのまま教室に向かう。
まだ生徒が教室から出ていないってことは、まだホームルームは継続中だ。時計を見やる暇なんてない。俺は急いで教室に飛び込んだ。
「あ、小野君きたんだ。おはよう」
「お、おはよう、ござい、ます」
ゼェハァゼェハァと息を整えるのに必死で、誰に挨拶されたのかわからなかった。思いの外声が大きかったらしく、顔を上げるとみんながこっちを見ていた。
「小野、遅刻なんて珍しいな。具合でも悪いか?」
教卓で担任の水上先生がノートに「小野明出席っと」と、名簿に丸をつけていた。
「いえ・・・ただただ寝坊しました」
クラスが笑いに包まれる。クラスメイトが隣同士で俺を見ながら話し合ったりしていて、急激にはずかしくなった。
何とか間に合ったようだ。
息が整ってきたので、さっき挨拶してくれた子の方を見ると、クラスの癒し系マドンナ、榎本さんが心配そうにこちらを見ていた。
「お、小野君、大丈夫?」
「いやもう見ての通り、全然大丈夫だよ。心配してくれてありがと榎本さん」
俺が笑顔を向けると、安心したように榎本さんは微笑んだ。く、眩しい。そして今日も綺麗だ。やはり黒髪ロングは正義だな。
「おぉい明!重役出勤だな」
「まさし、お前よくそんな単語知ってたな」
「小野、榎本さんを心配させるなんて恥を知りなさい」
「い、委員長、真顔で言われるともう何も言えなくなるからやめて・・・」
「明、早速だが話を聞いてくれ、ついに我らが神、キャノンたんのデビューシングル曲の発表がな・・・」
「三谷、我らっていうがまさかその中に俺も含まれてる?」
席に着くまでに四方から声をかけられ、いつものように言葉を返す。2年H組は今日も騒がしい。だけど、このノリはとても心地よく、気負いなく応じることができる。まだこのクラスになってから2ヶ月そこらだが、みんな面白い人たちばかりで、心底安心した。
『気色悪い』『鈍臭い』
・・・いや、ここであの言葉が反芻されるのは良くない。放課後にはまた練習がある。もちろん休むつもりなどないが、何か腹にひっかかりを感じる。
このクラスでもいじられキャラとして定着しつつあるが、それでもこのクラスになってから日が浅いため、ズカズカと遠慮なくいじってくることはない。互いを尊重しあった状態の話の掛け合いは、なんの負担にもならない。
「明、後で今日のメニューの確認をしてもらってもいいか?」
席について数学の準備をしていると、同じダンス部に所属している鈴井響が話しかけてきた。俺が所属しているダンス部のメンバーはH組には響しかいない。
小柄で童顔ながら、その身体能力は凄まじい。三学年合わせて百人を超えそうな我らがダンス部の練習メニューを考案してくれている一人だ。
「おう、俺でよければな。1限終わったら見せてくれ」
「ありがとう。助かる」
柔和な笑みを浮かべて響は自分の席へと戻っていく。
中性的な顔立ちをしているので、たまに女子なのではないかと思うが、れっきとした男子だ。誰にでもあのように優しいオーラを振りまくから男女から人気を得ている。そんな彼がメニューの確認というが少しでも俺を頼ってくれるのは何だかとても嬉しかった。
『情けない』『つまらない』
・・・やめろ、深く考えるな。これが俺のコミュニケーションだ。いじられる時が華なんだ。昨日はたまたま動揺しただけだ。
今日だって、きっといつものように楽しく終わるさ。