EMINA 2. 悠
EMINA 時を超えた4つの絵物語
3 1983 青春 悠
薄紅色の肌に蘇る遠き熱き大陸の記憶。
熱帯の夜半、空いっぱいに銀色に散りばめた星屑の宝石。
朝霧の中の柔らかく白い砂、何処までも蒼く深い海。
白きマーメイドの波間に揺らぐ黒髪と
水もに艶やかに浮かび上がる柔らかき薄紅の肌。
燃ゆる茶色の瞳に映るあの日の幻の城砦
・・・桜舞う20数年前の東京の春。悠は大学に入ると、高校時代から憧れていた数ヵ月後の海外単独旅行を控えて外国語の習得に余念が無かった。
受験勉強で鍛えた英語は少しは磨きをかけて錆付かないように、そして第二外国語はロシア語を選んでみた。これは今回は、取り合えずは渡航先での日常会話レベルまで・・。
目標だけはいつも一人前だった。
まだ肌寒いキャンパスの広い庭の緑の芝生の上に寝そべり、一人キリル文字の並ぶテキストを読んでみた。
木々に小鳥がさえずり赤レンガの時計台の鐘が午後の授業の始まりを告げていた。
少し向こうにやはり数人の女学生が芝生にうつぶせて、悠の方を見ては何かくすくすと楽しそうに微笑んでいる。孤独な影を仄かに漂わす悠の横顔は、若い乙女の母性本能にそっと火をともすようだった。でも悠にはそんなどこからともなく注がれる一見甘美で好意的な視線にもあまり関心を示すこともなかった。愛は失われる痛手のほうが辛いことを、そんな無垢の熱い視線の主にいつか課したくはないという、妙な諦念からくる悠の優しさが出会いを遠ざけていた。
そんな悠の今は、貧しいたった一人の学生生活ながら、空は青く、緑はすがすがしく、周りは自由で開放的で、何より平和だった。
目の前に揺らぐ春の陽炎に、悠の目は一瞬、遥かに遠く離れた中東の砂漠の蜃気楼の翳を夢想していた。
大学は、若者に思い描いていたほどの刺激を与えてはくれなかった。あくまで勉学は自主努力に任されていた。
読書好きの悠は中でも東欧の文学や社会情勢に関心を持ち、講義は昼寝をせずに、紹介された参考図書を分からないながらも読む努力をしては教官に質問した。いびきをかいて机にうつ伏せて寝るか、質問魔になるかの何れかで、学生からも教官からも、夜と昼の差の激しい奴、といって面白がられていた。
でも、他の学生たちがそれぞれ親しいグループをつくり、恋愛をし、またサークルで青春を謳歌し、或いはセクトの複雑な論理の網の目に紛れ込んでいく中,悠はひとり自分の中の世界観を楽しみ育んでいった。
不思議な精神世界を彷徨い歩いてきた悠には、この境界線上の世界を分かち合える同世代の仲間はいなかった。
たまの休みにはヨーロッパの映画を見ては、戦争の悲惨と人生の悲哀に心を揺さぶられ、素敵な家族愛、そして美しい自然の情景と、それをバックにしたシックな大人の恋に憧れたりもした。
何故か、場末の映画館が悠の行き付けであり、リバイバルのモノクロの古いポーランド映画とかイタリア映画を上映していることが多かった。
”地下水道”、”自転車泥棒”、”灰とダイヤモンド”、”鉄道員”、・・。閑散とした館内で、足を組み、たった一人で映画の世界に入り込んでいた。
自分はキャンパスでこのまま学生として無為に平安で居続けることが、何か罪であるかのように感じ、焦りすら覚えた。
貧乏暇なしで、夜のバイトで身体を鍛え、週に何度か、或る武術家のところに通いはじめた。当初は護身術代わりの軽い気持ちだったが、肌にあったか、若者は日本人の伝統文化の精神性の奥深さに次第にのめりこんでいった。
悠は子供の頃から、よく金縛りのような現象や不思議なシンクロニシティーの経験をしてきていた。 悪夢にうなされ、傍の母に助けを求めようとしても、声も出ず,手も動かなかった。
母は優しい横顔ですぐ手の届く所で静かに編物をしていた。
愛する人もいつかはこうして目の前で引き離され、手の届かぬ所へと別かれていかねばならぬ、といった諦念と心寂しさを、すでにこの幼い頃に感じ取っていた。
思春期になって、誰でもそんなものかと思っていた幻覚体験がどうやら世間一般ではそうでもないらしいことが分かってきた。
朝の目覚ましがわりにラジオのタイマーをセットしておくと、いつの間にか、流れ出るクラシックの調べが、白昼夢の幻想世界を創り上げていった。暫らくそのまま夢幻の世界に漂っていた。それから何年も経てから、その頃見た夢うつつがデジャ・ビュとして、悠の現実世界をいつしか支配するようになっていた。
いつの頃からだったか、 腕時計を何気なしに見ると、何故か、時計のデジタル文字に同じ数字が並んでいた。
2:22、その次に偶然時計を見ると4:44。さらに22:22。
夜中の1:11。ひどいときには3:33"33。
そんな時に窓の外をふと見やると、何かを訴えるかのように、星々が瞬き、或いは光り輝く一筋の星が 天を斜めに一瞬流れたりした。
でも夢幻の世界をさまようことに慣れていた悠には、それも不思議なことには思われなかった。どこかからの何かのメッセージだろう、とぐらいに思うようにしていた。
そのうちパズルが解けるだろうと思った。いつか勝手にむこうから謎解きのヒントがやってくる。それまで気長に待とうと・・。
実際その数字は、現実世界に生きる若者には今は、何の意味も成さなかった。
その老人は武術家として厳しい修行の中で鍛えあげられた鋭い神性を備えていた。若者のこれからの人生に彩りを添えるこの賢人との邂逅は、悠が19歳の初夏に、いつもの映画の帰りに立ち寄った和風の落ち着いた喫茶室でであった。
悠は美しい中庭の緑の庭園が窓越しに見える席についた。お気に入りのいつものクリスタル・マウンテンを頼もうと、ふと頭を上げると、自分の数席先に銀色の長い髪をした老人が、作務衣に上品な和風のベストを羽織り、何か古書を手にして座しているのに気付いた。
悠は先程見たバーグマンの’凱旋門'という洋画のロマンチックな余韻にしばらく浸っていたかった。
でも、何故か、偶然カバンに突っ込んであった新渡戸稲造の”武士道”という旧字体の読みずらい文字が書きつねられた文庫本を取り出した。
その場のムードで本のページを読み進めていくうち、そこに現れる江戸の武士をそのまま形にしたような目の前の老人の風貌とその漂わす霊気に、若い未熟な悠は一瞬たじろいでしまった。
何故かそんな大人げない自分が恥ずかしくて、悠は文庫本の表紙を隠してみた。
老人が顔をあげ、鋭い目で前方を見やった。
どきっとしたが、自分はその視野には入っていないようだった。でも蛇に睨まれた蛙のようにそのまま、身体が硬直しているのに悠は気づいた。
冷や汗が滴り落ちた。この小柄な老人は何者なんだろう。こんな経験ははじめてであった。
これまで若者が成長の過程でたびたび夢幻の中だけで見てきた別世界の存在が、形を伴ってこの世に突如、現われ出て来た様な妙な境界線上の実在感だった。 久しぶりの感触だった。
老人はやがて立ちあがり、歩き始めた。
白足袋に草履の老人の足音は悠には何も聞こえなかった。硬直して本の文字がまるで見えなくなっている若者の傍らにすっと立ち止まると一枚の紙切れを置いて、若者を見もせず、
"よければ,うちにきなさい。"と低くかすれた声で一言いうと、そのまま音も無く去っていった。
しばらく悠はその場で振り返ることも出来ず、ただ放心していた。小さな和紙には、"在動中静、聴無風音”と達筆で禅の公案の様な意味不明な文字が書かれ、その下に老人の住所が記してあった。
悠はいよいよ何か不思議な縁の導きかもしれぬと、先ほどの老人の宅を、素直に訪ねてみる気持ちになっていた・・。
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4. 老 人
悠は、徐々にあの時計のメッセージの謎が
わかるようになってきていた。
最初は向こうからやってきた。
デジタルの腕時計を何気なしに見ると同じ数字が並ぶ。
それは偶然から始まった。 もしかして・・、と時間をしばらく置きもう一度確かめてみてもだめだった。
しかし,やがて1日のうちその頻度が増し,遂には偶然時計を目にしたはずの殆んど全てに”それ”が現れるまでになった。
ただ,その特別の時の刻みに、自分に関わりのある何かがその瞬間起きているというわけではなさそうだった。
・・それは向こうから勝手に、こちらの思惑には関わりないところで、
悪戯か、何かの謎解きのようにあるとき突然やってきた。
しかし、ある頃からその選ばれた時刻の周辺に、偶然と呼ぶには不思議な縁が現れては消えるようになっていった。
今度は、同様、ある瞬間こ、れかなと意識して時計を見てみると、本当に秒針まで同じ数字が並んでいた。
もしかして・・が、多分・・という確信にとって変わってきていた。
まるで左脳の論理思考から右脳の直感的観想に判断を委ねかえたたかのようにして、悠はある意味、意識で時を呼び寄せることが可能になってきていた。
そしてその偶然の時の因果律が、やがて不思議な一貫した出来事の縁で満たされていくことになる。
いわば時空間に伴う現象そのものを、悠が今生きる自己の意識の軸を基準に、呼び寄せることが可能になってきていた。
これで不思議なパズルの謎も半分解けてきた気がしていた。
唯、残された謎の本当の意味をとく鍵は、まだ若いこれからの自分の生き様を積み重ねることに委ねられているようだった。
そんな頃,その"時の縁"に導かれるようにして、悠はこの老練な白髪の武術家 山崎 竜之介に出会うことになった。
日本の古の品格を留める白髪の武人は、まさに時の縁に呼び寄せられるようにして若者の元へと現出した。
"・・よく来たな。待っていたぞ、・・鶯よ。
お前はこれから武術の修行をしてみるがよい。
まだ若いが、修行次第で、お前の中に今後不思議な縁が
結びついて来るようになるじゃろう。
そのいしずえは、生まれてから今日までの、お前の
短い人生の中で、未熟ながら準備されているように想う。
いや、この世に生まれるまでにすでに忘却の彼方で
大方用意されてきていたのじゃろう。
いま、私の目の前に、こうしてお前がいるのが何よりの証拠だ。
選択するのはお前自身じゃ。
ここから何もなかったことにして立ち去ることもできるし,
私との縁を通して、未知の自己とこれから長く対峙していくこともできよう。
己からは何処までも逃れられても、
所詮そこは広い天の掌の上じゃ。
'実を捕らえて虚に入ること、無風の音の如し。'
わかるかな、鶯。
無風の音とは、実と虚の境のことじゃ。
実の世界に生きるお前には無風は見えなければ、音もしないはずじゃ。
しかし,虚の世界では嵐の如き荒波の響きが形を伴い渦巻いておる。
まだお前にはその怒涛の影、響きはわからんじゃろうが・・。
武の行を通じて、その荒けき動中の静を学ぶ。
そうすれば自ずと見えぬものが見えてくる。
'武' という形を通して無窮の天の理を呼び寄せ
永劫の虚空の真理を導き知るのじゃ。
武は刀じゃ。刀には天と地の命をつなぎ、人を悟らしめる神器の意味がある。刀の下に身を置き、命を懸けてこそひとを生かすことを知ることができる。
心の眼で実の中に虚を読み、虚で実を崩し、攻めず収めることを学べ。
収めるとは、虚の影を導きにより崩すことで実の体を同時に崩し、宇宙大の無尽の愛と融和へと目の前の敵の魂を導くことじゃ。
実から虚へは淀みなくなされねばならぬ。
陰と陽、虚と実、明と暗、流体と固体、
すべて一つの宇宙の体の異なる姿に過ぎん。
虚空より現れ出でる気の舞じゃ。
ある時には 相手の流れる体をもお前の中の気の導きで固体に固め崩し収めこともできよう。心と体は流体ゆえにお前の意思の導き次第で如何様にも変化させることも出来る。
掌に掴むことすら出来ぬ水も、流水となれば力となり、
人を殺める濁流にも、人を安心に導く静かなせせらぎにもなる。
野にでて自然の息吹から水の妙、風の妙を学べ。
いいか、若者、この世で見え隠れする人の営みの
その姿かたちに惑わされるでない。
虚の自己を磨くことで、おのずとその実の世の背後に隠れた真の姿が見えてくる。
実と実では対立を生じるが、虚は実とぶつからず実の色を透明に染めながら通り抜けてしまうことすら出来る。
お前のこの世の務めはもうそこにある。
いいな鶯、あせらず心を研ぎ澄まし、
自分の前に時と伴に現れては消えていく
人の愛と苦悩、それを導く縁を透明な心の鏡に照らして
素直に受けいれ、留めていくことじゃ。
ひとの苦悩は、大いなる真理のかげじゃ。
お前自身の生の本当の意味はその先に見えてくる。
どうじゃな、鶯よ・・。"
中高時代に自己修練と思春期のエネルギーの発露を兼ねて、少しは柔道やボクシング、剣道をかじって段位をも取っていた若者は、この老人の真綿に隠された鋼の刃の鋭さを、薄々と感じ取ってはいた。
“さあ、好きなように攻めて来なさい・・。”
などと言われても、さすがの悠もただ足がすくむだけだった。目の前の老人は小さくとも隙がまるで無かった。武術家の大きな真空の場の中に、自分自身のちっぽけで未熟な場が完全に飲み込まれてしまっているようだった。 自分に向けられた老人の広くて濃縮した気の場は、既に若者の心身の動きを完全に麻痺させていた。この時点でもう若者は武術的に老人に負けていた。鋭い達人のエネルギーの場の中からは、もう抜け出ることは出来なかった。
老人がふっと隙を見せたように思えた。
ここばかりと老人の細い小さな身体の襟元を掴もうと腕を伸ばし、得意な投げ技にもっていこうとした。
その途端、老人が見えなくなり、触れられた感触も無いままに、一瞬宙を気持ちよく舞ったかと思うと、地にうつ伏せにされて呆然としているいる自分に気づいた。
どこか背の一点をそっと抑えられていて身動きできない。土の上に疾風の如く勢いよく投げつけられているはずなのに、傷も無く、痛くも無い。見たことも無い不思議な妙技だった。老人の見せた一瞬の隙は、実は敵に攻撃の機を与える為の‘誘い’であることに未熟な若者はまだ気づいていなかった。
木刀で振りかぶり、或いは拳闘風に突きをいれ、或いは素手で殴りかかろうと、どうあがいても結果は同じであった。自分の動きは寸前に老人の内眼によって読まれていた。老人の体の前にある目に見えぬ球体の場が、若者の攻撃の力を吸い込み、方向を逸らし、そのまま流されるようにして体勢が崩されていた。
古典の能でも見ているかのような柔らかでゆったりした老人の動きも、自分の仕掛けた攻撃の力と速度にある刹那で完全に一体化していた。目の前の小柄な老人が一瞬消えたかと思うと、触られた気配も無いまま、何度も同じように宙を気持ちよく舞って、地に伏せていた。その間ほんの数秒の出来事だった。目の前の老人はいつも身構えることも無く、完全に脱力したとらわれの無い自然体であった。
小さな鶯が、大鵬の羽ばたく風圧で一瞬に舞い上げられる、そんな感じだった。でも最後には老人は衝撃を少なくするように疾風のよ
うな技の勢いを瞬間的に削いでいた。若者の戦意は最初の一瞬のうちにすでに喪失していたが、何か恐怖感というよりは、溢れでる無窮の慈みを見事なまでに洗練された技の応酬の刹那刹那に感じ取っていった。
忘れかけていた極限状態での命の本能的揺らぎを、老人の妙技の中に蘇らせ、死への恐怖と、超克、永遠の生への慈愛、そうしたものが一緒になって一瞬の刹那に、悠の心身の中で体験されていた。
"いいかな、鶯。 人を傷つければ、人は
その傷を心の傷として残すことになる。
お前は次にはその痛みをいつか忘れた頃に何処かで、
愛する者を前にして追体験せねばならぬ日が来る。
人の世の争いとはその憎しみと悲しみの連鎖じゃ。
その憎しみを煽って盲目的に黒い私腹を肥やす輩がおる。
真の悪とは、地の底から生まれいでたそやつの無明の心性にある。
・・おまえの今生の本当の相手はそいつじゃよ・・。
実では到底かなわぬ相手じゃ。
虚を見ることでこころを磨き、そこに照らされる光により人の縁を呼び寄せることじゃ。
志半ばにして地に伏せようがそれはおまえにとり天命じゃと思え。
次代に生きるお前自身にその役割は委ねられる。
メフィストに惑わされるでないぞ。 いいな若者・・。"
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5. 旅 立 ち
若い悠は自分を小さな鶯と呼んだその老人を
生涯の師とすることに決めていた。
深遠な言葉の真義を,美しいほど鮮やかに
武技の中に表現しえている老人の、内奥に潜む無限の神秘と
知恵を,その老人の細い小さな身体の奥深くから
生涯を通じて学び取っていきたいと思った。
日々の夜の屋外での肉体労働が
自分の足腰を練る為の修練にはなっていた。
しかし、力を抜いて自然体となり、地と一つになり
内から湧き出る知恵をもって事をなせ。
という、老人に与えられた課題は依然解らないまま
唯々、若い体力の為すがまま身体を動かしていた。
梅雨も終わり,試験も終わる頃になって、
蒸せるような夏の熱い太陽の輝きが青空に広がった。
そろそろ憧れの若きチェ・ゲバラ張りの貧乏旅行決行の日が
近づいていた。初めての海外旅行に不安が過ぎった。
ゲバラとはあのカリブ海の小国キューバをカストロと伴に“キューバ・リブレ”へと導いた若き革命家だった。
そのゲバラが医学部の学生時代、友人とオートバイク、ボルテローサ号に乗り、南米周遊の旅に出る。行く先々で若き医学生ゲバラは、“太陽の汗、そして月の涙・・”、南米大陸の永劫の悲劇をつぶさに目の当たりにしていく。現実を見据えることで、やがて何かが心のうちに醸成され、大きな揺ぎ無き行動へと繋がっていくことを、悠は半世紀も前に生きたこの医学生の若き日の日記から学んでいた。
でも、無事帰って来れるんだろうか・・。格安航空券を探し回って,新宿のある旅行代理店で南周りのフリーチケットを手に入れた。何箇所かでストップオーバーができた。
旅の日、バッグパックに必要最小限のものを詰め込むと下宿のアパートを出た。如何にも学生といったブルージーンズに黄色のTシャツ姿。
空港の出国審査で、緊張した面持ちで出したパスポートはまっサラな赤で、子供のような長髪の若者の写真が貼り付けてあった。studentという日本の国家に守られた身分だった。審査官は表情もなくどうぞと促した。
指定されたジェット機の座席につくと、もう不安はかき消され、ゲバラというよりは最近見た映画の中のインデイージョーンズのような,若者らしい旅先での冒険と愛の出会いの期待に胸が膨らんだ。
隣の席はビジネスマン風の背広の上品な紳士だった。
"どこまで?"男は優しい口調で尋ねた。
"たどり着ければ東欧までと思ってます。・・でも初めてなんです。だから今回は限られた日数で、いける所まで。色々見てみたくて・・。"
"ああ、そう・・。
若いうちに見ておくといい。 私も君ぐらいの頃、よく日本を飛び出しては、ぶらぶらとその日暮らしの旅をしたものだよ。
私はテヘランからオーストリア経由でプラハに行く。よかったら私のオフィスを訪ねなさい。時間があれば美しい街を案内してあげよう・・。"
こういうと紳士はオフィス名を記した横文字の名刺を悠に手渡した。いくつかの世界の主要都市にオフィスを持っていた。商社マンのようだった。 名前は漢字とローマ字で、佐々木 亮介 と記してあった。やがて紳士は煙草を吸っていいかと悠に尋ねると、横文字の分厚い書類に目を通し始めた。英文タイプの文字とビリオンと最後に表記した数字がぎっしりと詰まっていた。どうやら若者には関わり知らぬ世界らしかった。
初めての旅先では、貧しい国々ほど、ひとは皆優しかった。でも必ずそこにはいくつかの貧しさ故の悲惨の影があった。
若い多感な悠には、まるで小説にある世界を間近に見ているような何事も目新しい刺激的な毎日であった。 結局、今回のはじめての海外への遠出は、東南アジアが半月以上と長くなり、その後中東を経由してパリまでで時間切れとなった。
午前8時ごろ、薄もやの残るパリのドゴール空港に、薄汚れた身なりの長髪の東洋人の若者がたどり着いた。
寝ぼけ眼で何とか空港で中クラスのホテルを確保した。だいぶ旅慣れてきていたが、途上国の居心地のよさを味わった彼には、久しぶりの近代的で大きな空港は何か落ちつかなかった。パリっ子には、この薄汚れた東洋人は奇異で場違いに映るようで、それらしい他人行儀な視線に迎えられた。どうやら、もう既にいっぱしの、旅慣れた貧乏旅行者の風格が若者のなりにはにじみ出ていたようだった。
パリのホテルの広くて硬い清潔なベッドで少し仮眠を取ると、夕刻、近くのレストランで食事を取り、そのままメトロに乗ってひとり夜の凱旋門を見にいった。
思っていたより大きかった。 いつか見たレマルク原作の映画の最後に出てくる‘凱旋門’の映像を思い出していた。モノクロの何処か淋しくて懐かしいシーンだった。
そのあと、夜のセーヌを一人歩いた。大聖堂が川面に揺らいでいた。
いつか、悠は母親と二人、母親の生まれ故郷である長崎を訪ねたことがあった。 そして、浦上天主堂に立ち寄り、マリア像に祈りをささげた。爆心地だった天主堂は崩壊し、祭壇の美しいマリアの像は、爆風に崩れ、痛ましい姿のまま今も聖堂内に静かに安置されていた。
母親は、幼い時この近くの孤児院で被爆していた。元神学校だったという病院に意識不明のまま運び込まれ、そこの医師による独自の食事療法と献身的な手当てで、奇跡的に命を取り留めたという。 母は悠の頭をやさしくなでると、マリアを見つめ、その命の恩人にも感謝の祈りをささげた。
朽ち果てたマリアの像は、その限りない慈愛により人々の苦しみを引き受け、そして無言の許しを、悠の心の奥深くに訴えかけていたように思う。 その後、母は、遠方の裕福な家庭に養女にもらわれ、病弱ながら大切に養育され、幸せな日々を送り大学までいかせてもらったという。 母親は、自らの身の上に天から授けられた不思議な縁に感謝し、マリアの前でひざまずくと、こうべを垂れて、目を閉じ手を合わせたまま暫く無言で祈った。その姿をじっと見つめていた悠に優しく微笑んで、何も言わずに聖堂を後にした。母の白い腕には当時の微かな傷がいくつか残っていた。
夕陽のセーヌに照らし出されたパリの大聖堂は、あの幼い日の、母と二人きりの物悲しい長崎の聖堂に似ていた。
ホテルに戻り、眠れない夜を一人過ごした。翌日は、無力感を伴ったまま、シャンゼリゼのウインドウを呆然と見て歩いた。
それから、ふと、母のいつかの言葉を思い出したように、モンマルトルの丘を登り、古くからの画廊風の白いカフェを見つけた。
冷え切った体を、熱くほろ苦いコーヒーが少しずつ温めてくれた。
店の壁には何枚もの大きなカラフルな近代画が掛けてあり、淡い照明に照らしだされている。
しっとりとした背景のジャズの音色に溶け込んでいた。
衣服もくたびれ薄汚れ、顔は日焼けして、髪の毛も伸び、長旅の疲れの痕が若者の表情にも隠せなかった。
周囲の席では以前若い悠も憧れたことのある洒落た響きのフランス語で、洗練された身なりの男女が気取りのない会話をしていた。ただ、悠のその脳裏にはこの一ヶ月間の旅先での鮮烈な映像が焼きついていて、消化しきれぬままに、今もぐるぐると反芻していた。
太陽、飢えと乾き、砂埃、大河、それに道々に漂うどこかすえた果物の腐敗臭・・。
そんななか、煙草の煙る中に浮かび上がるようにして壁の片隅に光に照らし出された一風変わった緑のトーンの、美しく、もの悲し気な眼を持つ女性の裸婦画に、悠は何気なしに惹きつけられていた。 これだろうか・・。
その下の席では、葉巻をくゆらせながら、ギャバン風の黒のスーツの老人が、周りの喧騒をも気にせずに古びた皮の手帳に万年筆でゆっくりと何かを書き記していた。何か孤立した異空間がその物静かな時代錯誤の黒いスーツの老人を、周囲からそっと静かに隔離しているようであった。
凱旋門の映画の、あのセピア色の切ない懐かしさと親しみを、悠は裸婦像の下に座る黒い老人の姿に微かに感じとっていた。
周囲のパリの気取った上品さより、悠の脳裏を巡る雑音や旅の匂いに、そうした取り合わせがむしろ懐かしくフィットしているようだった。視線をその絵に留めたまま、コーヒーカップを傾ける若者の想いは、既にこのエレガントで粋なパリの街の情景からは離れていた。
・・是非もう一度、あの国々を廻りたい・・と悠は思った。
パリから成田への帰路は10数時間の長い飛行だった。機内の自分の座席の周囲は、当たり前の様だが日本人の観光客が多かった。 久しぶりに聴く日本語だった。
一月ほど前までは見慣れていた自分と同じ日本人の、観光の旅の表情で溢れていた。
ただどこか以前とは少し違う気がした。人が変わったのでなく、自分の中の何かが少し変わってきていた。 でも、とりあえず何事も無く、無事日本に戻ってこれてホッとしていた。
成田の空港から都心への高速道路は、新しくきれいに磨いた車が整然と規則正しく走っていた。
都心のビルの建物のつくりは何処も重厚であった。南の途上国にはない冷たい他人行儀な清潔さでもあった。 何もかもがきちんと出来上がりすぎていた。未熟な自分の気持ちが留まれるような、不完全さの温もりのかけらが、ここには探してももう無かった。
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6. 初 恋 悠
しばらくして悠は、旅先で出会った人々に、拙い受験英語で辞書片手に手紙を書いた。
そして相変わらず、夢見る若者の大学での授業は上の空で、もう半年先の旅の計画を教室の机の上で練り始めていた。
必然的に夜のアルバイトが必要となり、ヘルメットをかぶり毎夜、道路工事にいそしむことになった。朝は、目覚まし時計が疎ましかった。
でも、時計仕掛けのラジオからのクラシックの調べと朝のすがすがしい太陽の温もりの中で、半分夢心地でいるときの自分が一番幸福であった。
寝る子はよく育つ、・・とはよく言ったものであった。
旅の想い出が幻想を交え、若者の夢の中に広がっていった。
武術家の師匠のところでも、貧しい若者は、修行がてら
よく食事をご馳走になった。暖かい家庭の匂いのする風呂に入り、
寝泊りもした。
老人には物静かで清楚な娘がひとりいた。
20代後半の白い肌の和服の似合う美しい女性だった。
老人は青年時代の十数年、商取引や武術修行で中国やロシアを歩い
た。旅先で現地の女性と何年か暮らし、一時混乱の中で離れ離れになり、大連で戦後再会した。妻となったその女性をまもなく病で亡くしてからは、小さな一人娘を連れて日本に戻り、この古い日本家屋の屋敷で男手一つで育てあげた。娘が成人に達したある頃から、父親は家を空けて旧知を頼って海外に度々出るようになった。娘の気持ちを自立させ、嫁がせるためだった。
でも寂しくとも、一人の父のことを思い、嫁には行きたがらなかった。
悠にはこの二人の優しくて微妙な心の機微が伝わってきていた。
高校時代の始めに母を亡くしていた悠には、自分にも増して父親の孤独な気持ちが良く分かった。
悠は無味乾燥な受験勉強にいそしむことで、その辛い孤独の空白を埋めようとした。父親は悠が東京の大学に入ると、単身、ヨーロッパに海外勤務に出た。自分の孤独な姿を見せないことも、親の子への気遣いの一つだった。
時々、娘は和服姿で縁側で花を美しく生けていた。
庭先からふと目にする物静かな女の、透き通る白いうなじと後れ毛、そして細い指が印象的であった。
悠に気づくと、娘は優しく会釈した。
"いらっしゃい、悠さん。父が待っていますわ。・・さあ、どうぞ。"
そういうと、奥の老人の部屋に導いてくれた。先を行く女の着物からは上品な香のかおりが微かに漂った。悠は娘のこの匂いが好きだった。
白く細い指を軽やかに動かして、娘の選んだ品の良い碗に茶を立ててくれた。 こんな時の老人は無言でいてもいつもの武術家の鋭い目つきは穏やかになっていた。
娘の手料理は質素だが心がこもっていて美味しかった。 亡くなった悠の母の温かくて懐かしい味にどこか似ていた。
悠は学校の昼食時間にいつも母の手弁当を開くのが楽しみだった。
半分冷えた弁当箱の中に温かな母の愛情を感じていた
。部活で疲れて夜更かしの苦手だった悠は、夜更けに起きてよくひとり勉強をしていた。母親は寒い冬の日も夜中に起きだしては、悠に温かなお茶を入れてくれた。
“頑張るわね・・でも、無理をして体を壊さないでね、悠。”
いつの間にかそんな母親の優しい言葉も聴けなくなってしまい、一人でいる夜が辛くなった。 涙が溢れ、押し殺した嗚咽と伴に、静まり返った夜更けの部屋の空気の中に染み込んでいくようだった。そんな悲しみの声に誰も返事はくれなかった。
それからまだ何年もたっていなかった。
微妙な喪失感をともに共有するうちに、一人で育った悠には
味わったことの無い優しい姉の心の温もりと、仄かな恋心を
その清楚な美しい和服姿の女に募らせていった。
"・・東京暮らしは如何がです。もう慣れましたか。
不自由なことがあったら何でもおっしゃってください。わたしにできることなら。
悠さんは・・、これから先、どんな夢をお持ちなのかしら・・。
父は大陸で一人で歩き回りながら多くの人の縁を得て、故郷の日本に私を連れて戻ってきたの。
武術は父の仮の姿。広い大地、幼い私の知らないところで、幾多の悲しみと苦悩があったみたい・・。私は美しかったというロシア人の母のことを覚えてはいないけれど、いつも逞しい父の大きな掌に引かれて大陸の奥地の草原や山々を歩いていた。行く先々で弱いひとを守り、彼らのために働き、多くの人々から尊敬されたわ。
年老いた今も、あのとおりの人ですけど
私は掛け替えのない素晴らしい父だと尊敬しています。
父は、貴方のこと、・・とても可愛いみたい。
貴方がいらっしゃるといつも喜んでるわ。
ふふ、私にも悠さんみたいな弟が欲しかったわ・・。
・・お母様のようには出来ないかもしれないけど、
お食事は私のでよろしかったらご遠慮なく。
悠さんはいつも、父と美味しそうに食べてくれるから嬉しいわ。
・・きっと奥さんになる人は幸せね。
広いばかりで殺風景な我が家も、お蔭様でとても明るくなるわ。
悠さん、・・ありがとう。”
思春期の若い内に母親をなくした悠の気持ちを察し
やはり幼少に母の味を忘れていた年上のその娘は
悠にいつも優しい心遣いをしてくれた。
娘はある日、悠を能の鑑賞会に誘ってくれたことがあった。
夕刻近く、屋外で篝火を焚き、新緑のまだ寒い夜風の中、
能師が背後に並ぶ謡いにあわせて舞う。篝火に照らし出される
和服姿の娘の横顔、舞踊の一挙一動をもの静かに見据えるその眼差しに、悠は、物言わぬ古えの女性の優美を感じていた。
娘は、そんな青年の視線に気づいてか気づかずか、舞台をうかがったまま、そっと頬を悠の顔に近づけた。悠の鼻先に微かな女の香りと髪の触れる感触があった。娘はそっと切り出した。
″・・あれは狂女の舞い。女が手にした笹はそれを示しているの。そこに遠くから魂が舞い降りて、仕手の体と心に宿り、幻と自らの情念とが入り混じるようにして夢幻の域を舞う・・。
隅田川のほとりで遠く京の都から諸国を巡ってきた一人の女が岸辺で人々に請われ、一片の揺を舞う。女は芸をたしなむ遊女で、都である貴人との間に男の子をもうけたの。でもその愛する子は人さらいにあい、夫にも先立たれ、女は幼い子を探してひとり舞いを糧として諸国を巡る・・。都から遠く離れた東国の果てにやっとたどり着いたの・・。”
”・・我もまたいざ言問はん都鳥、わが思い子は東路にありやなしやと・・”
仕手の狂女は、笛と鼓に合わせ、面を篝火に揺らがせながら笹の葉を揺らがせて舞っている。炎の揺らぎのせいか、仕手に居ついた物の怪かその表情はある時は険しく、悲しく、或いは一片の希望の光を漂わせているようにも見える。
数年前に母をなくしていた悠は、子のない物語の中の母の物狂おしいほどの情念を、今この舞の中で感じ取り、涙していた。
悠は、いつの間にかそっと添えられた暖かな女の掌の温もりを手の甲に感じとると、急いで頬の涙をぬぐった。悠は娘のほうは振り向なかった。しかしこれまで必死でふさいでいた情念の渦が堰を切ったかのように溢れ出し、とめどなく涙ばかりがあふれた。そっといたわる様な手の掌の温もりと、優しい香りに、悠の忘れたままになっていた心の穴はいつか満たされた。
やがて岸辺の向こうから念仏を唱える人の声が聞こえてくる・・。
そして暫くの科白のあと、 ”南無阿弥陀仏・・”の地揺に混じり幼い子供の声が聞こえてくる。
奥から白装束の子方が現れ、やがてはすっと姿を消していく。
″あの男の子はね、梅若丸という女が探していた子よ。
母がここにたどり着く一年前の丁度この日に、都の人買いに連れられこの渡しに来たの。
でも病に倒れ、ここで息を引き取ることになる。そして最後にこう詠ったわ。
都の足手影も懐かしいので、この路のほとりに埋めて標しに柳を植えてくださいと・・。そう静かに請い、念仏を四五遍唱え息が途絶えたの。
悠さん・・。
母と子、・・父と娘って、いつの時代もこんな硬い狂おしいほどの情愛で結ばれているものなのかもしれないわね。どちらかが亡くなった後もずっと魂の中で生き続けていく・・。
・・淋しいお話だけど。”
荘厳な謡と笛の響きの中に、光と暗黒を背景として、物語の主人公の魂が溶け込むようにして見え隠れし、女の情念は時空間を越え、いにしえの幽玄の幻の舞の中に、幾たりかの人格の形を伴い漂い続けていた。
悠は、愛と苦しみ、生と死、宿命ということのこの世での意味を思っていた。、
そしてその合間にも、卓越した武術に共鳴しそうなその虚と実の意と動作の起こりを、流れるような能師の舞の中に同時に読み取っていた。舞と同様、あの老人の優れた武術もこんな人の生の物語をすらその一連の動きの中に含み尽くし得るものなのかも知れない。
能楽堂からの帰り、二人はいつか老人と初めて出会うことになった喫茶室に立ち寄った。悠は娘を伴っていつかの席に座った。中庭の花がよく見える。あの日、数席先に父親であるあの白髪の老人がいた。こうして娘と二人でここにきて話が出来るのも不思議な気がした。
“無理にお誘いしちゃったかしら・・。
悠さん、何か、辛い気持ちにさせてしまって・・ごめんなさい。”悠は、娘の透き通った優しい眼差しにこうべをふった。
”父に連れられてふたりでよく薪能は行くのよ。私はいつも舞の中で夢を見るようにして物語の登場人物の心を追うの。時々何かの魂が何処からともなく自分自身の体に宿るように、とめどなく涙が頬を伝うことがあるよ。ひとの生の喜びと悲哀があの静かな流れるようなしぐさの中に込められている・・。
父と大陸を歩いていた頃、いろんなことがあったわ。異国での幾多の人々の思い、情念、言葉にいい表せないことも、何故かこの日本の伝統の舞の中に全てが謂いつくされているような気がする。美しい春を詠い上げた最後の一片の花が散り舞うその刹那に、日本人は憂愁の美しさを感じるようね。時と場所を越え、物語に託して人の営みを振り返り、それを静かに自らの生の糧とすることが出来る・・そんな優しさを日本人は持っているのかもね。”
娘の穏やかな言葉の意味も、悠にも充分すぎるほどよくわかっていた。
でも若い悠は、はにかむようにして突っぱねてみせた。
ただ若いだけで、まだ何もない今の自分の心の侘しさが、
物語の中の母子の情念の哀しみに、こんなにも揺らがされるのを娘に見られたくはなかった。
“玲さん、僕には、いにしえの物語の深い心を追えるだけの器はまだありません。でも、不骨な僕にでもわかるのは、、・・お父様に今教えていただいている武術は、命の通った、単なる武術のそれを超えたものを感じます。お誘いいただいた舞の心の中に、言葉にはできませんが、深い所で真に人を思いやる故の厳しさ、ご家族や弟子へのお父様の温かな心に、不思議とつらなるものがあるような気がしています。
僕には物語の意味は全ては分かりませんが・・、でも、とても美しくて悲しい、どこか限りなく身近にあるような切ない詩の世界だったように想います。 玲さん、お誘いいただき、・・うれしかったです。"
悠は、娘との間に細くても切れない小さな命の絆が築かれたような気がしていた。
いまでは娘の黒い透き通った瞳を臆することなくじっと見つめることができた。
娘は悠の眼差しをそっと逸らすと、悠の内心の想いを察したようにそっと微笑んで頷いた。
でも、若い悠には、娘の前ではそれ以上は大したことは何もいえなかった。
席から覗き見る照明に照らし出された庭の新緑の草花は、
慎ましく優しい娘の面影にそっと静かな命ある彩を添えていた。
悠は自分の話に耳を傾けてくれる和服姿の娘の慈しみに満ちた微笑に、
何かほろずっぱい微かな胸の痛みのようなものを覚えていた・・。
夜遅く、悠は娘を屋敷まで送った。
“悠さん、今日はふたりで、何かとても大切なお話ができたようで嬉しかった。・・楽しかったわ。
どうもありがとう。 悠さん、いつまでも、・・いいえ、ご縁のある限り父を、どうかよろしくね。”
娘は悠の掌を、しっとりと軽く湿った小さな掌で包んだ。悠に身を寄せると、そっと暫く目を伏せていた。長いまつげの下の頬がほんのりと染まり、温かな女の生きた感触がそのまま若者のなかに残った。
悠は、娘の身体の優しいぬくもりと微かな吐息が自分の身体を包むのを感じた。それが怜という娘が今の若者にしてやれる精一杯の慈しみの表現だった。
娘は目を開いて悠を少しの間じっと見つめると、悠の手をそっと離して、木戸の入り口をくぐっていった。細い女の体を包む和服姿のその黒髪から、微かないつもの甘い香りが漂った。
悠はそこに取り残されたまま、軽い眩暈とともに、どこか白い花に覆われた北方の草原の幻が心に浮かんていた。 一人、何故か甘く悲痛で狂おしいその物語の中の小さな言葉の懐かしい響きに浸るかのように、しばらくそのままその場に立ち尽くしていた。
春の夜の三日月が薄い雲の間から薄明るく遠慮がちに覗いていた。