相棒はホムンクルス
–––その日、鷹倉蓮太郎は司令官になった。
風が暖かい春。
海に沿った道を進むこと数時間。 多くの都市を跨いだ車はようやく、窮屈な旅の終わりを告げるブレーキが踏まれた。
車を降りると元帥直属の憲兵に促され、配属された支部の入口へと進む。
「おつかれなこった、こんなとこまで飛ばされて。これから大変だろうに」
「ありがとうござました憲兵さん、貴方もここまで付き合わせてしまって」
憲兵は手を振ってそれに答えた。それでも少しだけ申し訳なく感じ、蓮太郎は再度頭を下げる。
「それじゃあ俺は戻るが、荷物は全部持ったよな?」
辺りを見渡し車に乗せていたものをちゃんと降ろしたかを確認する。一通り見た限り問題ない。
蓮太郎が返事をすると同時に憲兵は先へと車を走らせる。元帥の直属ということもあり随分高価そうな車に乗っていた。
「……」
名残惜しくもあるが、これからは自分も軍人として働かなくてはいけない、誰かに頼り切っていては一人前になることなど出来ないだろう。
頭を振って甘えた考えを振り払い、気持ちを切り替えこれから世話になるであろう防衛軍基地第24支部に向き直る。
「……はぁ」
瞬きを数回。それが幻であってほしいと願ったが何度目を瞑っても視界に入る景色は変わらなかった。
雑草が生い茂る庭、割れた窓ガラス、例えるなら廃墟のような風貌。いやむしろ廃墟だ。
辛うじて玄関だと呼べる場所から扉を開き、建物の中を捉える。
「コホッ、これは酷いな」
埃臭い匂いが鼻を突く。長い時間手をつけられていなかった空間、扉を開けた瞬間に風が舞い込み、蓮太郎の目の前を灰色に染めた。
「床が抜けてないのが不幸中の幸いってとこか」
下を見れば外観ほど傷んではおらず掃除すればそれなりにまともになる程度のものだった。
面倒だと思いつつ、蓮太郎は予め渡されていたノートを取り出しこれからすべき事を確認していく。
「まずは工廠に行って錬成…」
一番上の項目を見て思わず口篭る。
「おいおい、これ工廠動くのか?」
外観に比べ、内装はまだマシな方だがそれでもこの施設は充分と言っていいほどにボロボロだ。
工廠が使えなかったら最初から詰み、蓮太郎の軍人人生に王手がかかってしまう。
「とりあえず悩んでいてもしょうがない、か」
蓮太郎は工廠にその重い足を運んだ。
向かう途中に多くの部屋をチラッと見たがどの部屋もやはり綺麗とは呼べない有様。基地内の静けさには、なかなか身体が馴染まない。わずかに体が緊張する。
工廠は基地の中でも重要な場所なだけに、不安は大きい。入ってすぐのところにある注意書きの看板は文字が薄れてしまっていて読めなくなっている。本当に大丈夫なんだろうか。
錬成魔法陣の前まで来ると、昔に使われたであろう薬品の瓶や箱などが棚に埋まっているのが目に留まる。バツ印が付いているものや危険と書かれているものが目立った。
それらを遠目に確認しつつ、蓮太郎は再びノートを取り出し錬成の手順を確認し始めた。
一行一行確認するような形でいくつかの手順が記された文章を目で追っていく。探しているのは錬成の欄。使い込まれたノートは、少しインクが落ちている。
探していた項目はすぐに見つかった。『錬成の下準備』。まずは必要になる素材を準備するとのこと。確かここに向かう前に上の人達からある程度の支給をされたはずだ。
一度玄関まで戻り、置いてきた荷物を運ぶ。中身を確認するとそれらしいものがいくつか詰められていた。白銀の石に赤い液体、数種類の葉といったなんとも言えない組み合わせになっている。
一番手元に近い白銀の石を、蓮太郎はカバンから抜き取った。ノートによると、これが魔鉱石らしい。つまりこれが核となりホムンクルスが錬成される。
それを魔法陣の中心に置き、つぎに赤い液体の入ったフラスコを抜き取る。しかしノートを確認すれば数種類の葉を先に使うと記述されている。
抜き取ったフラスコを一度戻し、代わりにハーブを抜き取る。均等な配置をし、ノートに書かれているものと同じ形になるように何度も確認した。
やっと納得する形になったところで、先ほど戻したフラスコを再度手に取る。赤いといっても血ほど色は濃くなく、水に少し絵の具を垂らしたような色素の薄い赤の液体。蓮太郎はすこし手首を回して観察した。
「これを垂らせば準備完了、と。配置覚えればそんな難しくないな」
軽口を叩きながらも魔法陣に液体を垂らす。魔法陣に沿って赤い液体が広がっていく様は、まるで地を這う蛇のようだ。
———これであとは…
「よし、いける。怖くない怖くない」
右手で腰に掛けている軍刀を抜き、その刃を左手で掴む。
「怖く、ない」
そして思い切り引き抜いた。それはもう一思いに。
「痛っ!あ、でも思ったよりはそんな」
確かに痛みはそんなになかった、問題はそのその痛みに伴って出てくる物の量。勢いよくいったため滝のように出てくる。
「やり過ぎた!?やべぇ意外と深い。てかそうじゃなくて早く陣に垂らさないと」
焦りながらも左手を陣へと伸ばす。錬成の最後の工程、ホムンクルスの契約者となる者のDNAを組込む。この工程に使用するDNAはごく少量でいいのだが、これでは名の通りに出血大サービスだ。全くもって嬉しくない。
魔法陣は蓮太郎の血を飲み込む様に吸収し、淡い光を放ちながら錬成を始める。やがてその光の粒子達は渦巻き薄っすらと形作り始めた。錬成の輝きが目を射し、蓮太郎は思わず怯んだがその輝きは止まらない。スタングレネードでも喰らったような錯覚を起こす。
(サングラスでも準備しておくんだったな)
心の中でを愚痴る。いまさらそんなことを思っても仕方がないのだか…
蓮太郎は魔法陣向き直り再度手を伸ばす。
「さっさと―——来い‼」
右手で目を覆いながら叫んだ。それに呼応する様に輝きはさらに増し、だがその輝きを最後に魔法陣から光が消えた。
「————ん」
蓮太郎のものではない、少女の声が工廠を伝う。手をどけると一人の少女が不思議そうにこちらを見ていた。十六歳ぐらいの、モフモフした白い耳と尻尾生やした少女だ。
背にかかるほどの長さがあり、黒のリボンで一つにまとめた白髪に、同じく色白の肌。単純な黄色というより琥珀色に近い瞳は、どこか吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。
華奢を通り越した繊細な体のライン。
それは兵器と呼ぶにはあまりにも可愛らしいものだった。
「あの、貴方がご主人、だよね」
遠慮気味に彼女は言った。上目遣いで蓮太郎の裾をつかむ仕草は、近代兵器ホムンクルスではなく、普通の女の子にしか見えない。
「私に名前と命令をください」
「名前?」
「うん、名前。ないと不便だし」
ホムンクルスの少女は頷いた。蓮太郎は顎に手を当て考え込む様に首をひねる。
確かに意思疎通を取るためにも名前は必要だが、サングラス同様そんなものは用意していなかった。