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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第十六話 決着
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 篝火に照らされた雨の横殴りが羽虫のように絶え間なく浮かび上がる。水を打ったような静けさ。想定外の大声を出したことで、俺の中で何か枷のようなものが外れた。緊張がほぐれたともいうし、冷静さを欠いたともいう。

 高揚はしていたが、どちらかと言えば心地よい気分だった。肌の上を何かが駆け上がるような興奮が、身体を痺れさせた。豊隆の気配は俺の中でも息衝いている。

 す、と何かが中空に収束するような沈黙。直後、もう幾度目か分からない、その中でも格別に巨大な雷鳴が閃く。視界が白く塗りこめられ、轟音と地響きが人々を襲う。ほんの一瞬、身体が浮くほどの凄まじい衝撃だった。

 燃え盛る篝火が傾き、大量の煙とともに崩れていく。これだけ近くに落ちながら、怪我人が出ないのが不思議なくらいだった。


「陛下、お逃げ下さい……!」


 そう声を掛けた宦官の判断は賢明だったように思う。皇帝の顔に逡巡の色が過る。それでも決めきれず、その場で足踏みをしている姿が彼の性格をそのまま反映しているようだった。

 既に乱れ出した人の並びから進み出たのは千伽である。


「雷は天の意志。天の怒りと古人は言うな」


 千伽は、突然の俺たちの大声と落雷に僅かながら驚いたようだった。しかし、計画にないことをやるな、と目線で咎めることはなかった。そもそも俺たちが天壇にこうして立つのは想定外である。それよりも周囲に動揺を気取られるほうが不利になると咄嗟に取り繕う機転はさすがだった。


「陛下、惧れ多くも進言する無礼をお許しください」


「申してみよ」


 皇帝は寛容を示したというより、千伽の眼光に怯んだように見えた。


「雷を司る豊隆の(おも)いを、そこの者たちの口から質すべきかと思います。私が思うに、天壇は神の意思の鏡映し。この場に豊隆が顕れたのも偶然ではありますまい。彼らの申す義とやらを聞いてもよろしいのではないでしょうか」


 ざわめきが広がる。雲の中で稲妻が唸っている。


「天は怒っている」


 翔の呟きが聞こえた。周りには聞こえにくかったかもしれないが、誰しも同じようなことを考えたに違いなかった。雷が天帝の怒りというのはよく知られた神話の常套であった。俺たちは千伽からの横目の視線を受け止める。言え、という声なき命令が聞こえる。

 俺はきっと前を見据えた。もう後には引けまい。天壇に響き渡るよう、声を張る。


「我々の義と、豊隆の名に懸けて、異議を申し立てます。どうか天道に遵ったご決断を。裁判の仕切り直しを要求します」


 そして翔が神妙に付け足した。


「本物の天石で」


「無礼な」


 すかさず飛んできたのは、先程千伽と対峙していた万和の叱責である。宦官というのは後宮に仕える召使だと思っていたが、ただの皇帝の近習にしては出張りすぎている。

 ──あれと目を合わせるなよ。催眠術みたいなのを使うぞ。

 翔にそう耳打ちされ、俺は頷く。


「朧家の御君といい、まるで陛下の天石が贋物であるかのような言い分ですね」


 万和は冷ややかに宣う。よく知った目だった。社会から外れて生きる世捨て人という立場をまるで信用せず、穢らわしいものであるかのように扱う。世襲によって雁字搦めになった朝廷の人々が相手では、そうしたならず者への風当たりはより一層強く、厳しいだろう。

 それを分かった上で敢えて見下しているのが余計に性質が悪い。案の定万和は、周囲の七十二吏に聞こえるよう手を広げる。


「この騒ぎの責任の一端は私にあります。白狐様に少々()()になっていただこうと思い、この下賤な二人を天壇に連れてきたのが間違いで御座いました。彼らの戯言を我々が聞き入れる必要などありません。それよりも我らが祖、月天子が定め、幾霜年と守り継いできたこの聖地が、どこの馬の骨とも知れぬ者にこれ以上乱されることの方が余程危惧されるべき事柄かと思いますが」


 きっとあの宦官は、伝統を土足で踏み荒らされたことより、俺たちの登場が今の皇帝の立場を根幹から突き崩す危険があると咄嗟に理解したのだろう。


「ましてや世捨て人が陛下に意見を口挟むなど言語道断。この場で首を刎ねても構わない重罪かと私は存じます」


 同意を求めるように周囲を見回した、万和の目に、ただ一人真っ向から歯向かう男が映る。最早七十二吏の列の中に収まることを良しとせず、堂々と腕を組んで前に進み出た、千伽。口許に浮かんだ不敵な笑みは、周囲に戸惑いを撒き散らすには充分だった。


「この者たちの首を刎ねるよりも先に、まずこの場に相応しくない者を排するべきだろう」


「それは一体どういうことでしょうか」


 聞き返す万和の声は、歌うように高い。作り物じみた顔立ちといい、感情の機微が伝わりにくいのが何とも抜け目なく、口論で彼を突き崩すのは困難なことのように思われた。

 何よりも周囲で事の成り行きを見守る七十二吏や警護の者の真剣な表情は、たった一人の宦官にどれだけの信頼を置いているのかを物語っている。


「影家の御君」


 千伽が呼びかける。雨で煙る視界、居並ぶ七十二人の顔の中から見知った男が微笑したのが窺えた。ああ、そこにいたのか、と俺と翔は思う。


「何でしょう?」


 綺羅は公服の袖に左右の腕を入れ、ゆっくりとまつ毛を伏せた。声音だけは急に名指しされて戸惑った風に装い、その癖表情は何もかも知った上で盤上の遊戯を楽しんでいる。


「朧家の御君。よもや私が月天子の直系の子孫でないことを理由に、私を天壇から排除するおつもりですか? その件に関しては、これまで散々議論して、当今皇上から格別のご配慮とご寛容を賜って今日の参列を許されたはずですが」


 皇帝に向け、慇懃に一礼して見せた綺羅は、目を細めて俺たちを見やる。ぞわりと背筋が泡立った。綺羅は緩く微笑んではいたものの、その目の奥には怒りともつかない激情が見え隠れする。それは、豊隆や俺たちの乱入が彼にとって計画を狂わすほどの想定外だったという証明に他ならない。

 綺羅を苛立たせたという事実に、俺も翔も少なからず達成感を覚えた。しかし、次に綺羅が舞台を顧みて言った言葉に冷静さを取り戻す。綺羅は濡れた髪から滴を滴らせ、ほんのりと首を傾げた。


「当今皇上、万和様。私からひとつ一案呈したく存じます」


「……許す」


「朧家の御君といい、この世捨て人たちといい、不躾にも陛下の天石に難癖をつけたい様子。我々七十二吏がこのような世迷い言を真に受けるなど烏滸の沙汰かと存じますが、雰王山の神鳥が空に顕れ、皆怯えております。ここはひとつ、彼らの言い分が真か偽かはっきりさせておくべきかと」


 一帯はしんと静まり返る。その沈黙が、朝廷内部における綺羅の影響力の大きさなのだと俺は胃の底が重くなるのを感じた。綺羅が六十余年この国に居座り続けたその努力の集大成を見ているようだった。


「具体的には何をする心積もりで?」


 万和が綺羅に目を向ける。その視線を悠々と受け止め、綺羅は千伽を、そして俺たちと順番に顔を見た。俺も翔も不穏なものを覚えながら、身構える。


「証明していただきましょう。そこの天石が贋物であるということを、彼らに」


 倒れて尚も燃え盛る篝火の前に人影が見える。二本の鉄の棒の先に、両手に乗るほどの石のようなものを挟んでいる。神明ノ儀では、天石を火で炙って、罪人は白塩を付けた手でそれに触れる。罪有れば心臓が止まり、罪人は死ぬ。

 だがあれはただの石だ。イダニ連合国の連中が擦り替えた、ただの贋物だ。


 綺羅と目が合う。含みのある笑みに、試されているのだと分かった。証明してみせろ。挑発に乗るのは賢明でないというのは分かったが、一方で白黒はっきりとつけなければ後には引けない空気が俺たちを取り巻きつつあった。

 求心力。たった一言二言で空気を塗り替える存在感。千伽と宦官、そして綺羅が三者三様にぶつかり合う中、俺と翔は如何にも場違いで疎外感がある。一斉に目線が集まり、異様な緊張で背骨が痺れた。怖いな、と漠然と思う。


「──いいだろう」


 口角を上げたのは千伽だった。その余裕綽々な態度は味方ながら憎らしい。懐から取り出した書簡を軽く持ち上げ、周囲から見えるようにする。


「朧家の御君、それは……?」


 万和の物言いは慎重だった。千伽がその文章を用意していたのは如何にも周到で、わざとらしく見えただろうか。


「万和よ、朧家の爺どもが代々蒐集癖を拗らせてきたのはお前も知っているだろう」


「それが何か」


「うちが懇意にしている鉱山で妙なことがあれば私の耳にも入るということをゆめ忘れるな」


 地面に放り投げた書簡が音を立てて、ずれた蓋から紙の束が覗く。崩れた篝火の明かりがゆらゆらとその端を舐めた。千伽は顔を上げ、皇帝と七十二吏に聞こえるよう声を上げる。


「それは冴省の鉱山で行われた皇城との()()()な取引の記録の映し。及び、その中で電気石を採掘した際に起こった不可解なやり取りに関する調書だ」


「は?」


 万和の反応は図星を突いたときのそれなのか、こちらからでは分からない。ただ、千伽の口にした電気石という言葉に俺はああと納得する。千伽が贋の天石に心当たりがあると言ったときの意味も。


「電気石って何だ?」翔がそっと耳打ちしてくる。


「電気を帯びる石だな」


 理科の解答ならばバツをつけられそうな俺の言い方は、高揚感のため何の捻りもなく、説明は千伽に譲ることにする。


「何者かが天石をすり替え、贋物を用意するなら何か細工をすると思った。天石は相応しくない者が触れるとその心臓を止めるという。初めに考えたのは毒でも仕込むのではないかと思ったが、それでは乾いて大抵の毒は効力が薄くなってしまう。何故なら……」


 千伽の視線の先には、鉄の棒に挟まれた贋の天石がある。儀礼用の火に翳され、大きさは両手に乗るほどだろうか。色は光を全て吸い込むような漆黒で、結晶にしては非対称な形で石炭のようでもある。


「神明裁判では天石を火で炙る必要があるからだ。だから、その手順をそのまま利用することを思いついたのだろう、これを仕入れた者は」


 千伽が何の怖れも感じさせない足取りで天石に近付いたため、儀礼の装束の者があからさまに目を眇めた。直後、どよめきが起こる。千伽が天石を支えていた鉄の棒を蹴り倒したからだ。

 熱された石が濡れた地面に転がり、煙を吐く。その時点で千伽が打ち首になってもおかしくはなかっただろう。雨の滴が次々とその熱気を掻き消していく。やがて千伽が贋の天石を素手で拾い上げる様子を、もう周囲は出す声も見つからないといった奇妙な沈黙の中見守っていた。


「電気石とは熱を加えると電気を帯びる摩訶不思議な石。うちの物好きな先代も石集めに精を出した時期があってな、朧家の蔵にもこういう風変わりな鉱物があった」


 そう。俺は内心で頷く。電気石が帯電するのには科学的な根拠がある。過熱による温度変化で石の分極が変化するのだ。しかしこの東大陸において、この焦電という性質が、霊的な現象として捉えられても不思議ではない。


「不義あらば死ぬという逸話を再現するのにこれほど誂え向きのものもあるまい。触れた罪人は感電して死ぬのだ。これで白狐を違和感なく殺害しようとしたのだろう」


 一度言葉を切って、千伽は目を細めて手の中の黒い石を見つめる。


「とはいえ、電気石が纏う電気はせいぜい軽く手が痺れる程度。逆に言えば、人が即死するほどの強い電気を生む希少な石なら仕入れ先から足がつきやすい。ご丁寧に隠蔽までしてくれよって、探し出すのには骨が折れたぞ」


「……」


 雨に濡れ晒した万和の無表情は、そこから何かを悟らせまいという頑なさが張り詰めている。


「こちらとて六十二年、何もせず手を拱いていた訳ではない。この天石が贋物である証拠くらい事前に集めさせていたさ」


「その調書というのは、一体誰に作らせたのです?」


 綺羅から幾分笑みらしきものは消えていたが、その声からはまだ感情の余白が感じられた。千伽はやや首を傾けて挑発的に答える。


「鉱山の抗夫に通じた情報屋だよ」


「ほお」我が意を得たり、といった喜色が綺羅の顔に広がる。そして皇帝にも聞こえるよう、良く響く声とともに掌を上に向けた。


「聞かれましたか? この神明裁判という場に、どこのものとも知れない怪しげな情報を陛下の前に出すなど笑止。そこに何が書かれているかは知りませんが、証拠としては些か不十分なのでは?」


 だ、そうだ。千伽が急にこちらを振り向いたので、人々の注目もこちらに集まる。俺は息をつき、顔を上げた。水の粒がばたばたと痛いくらい頬を打つ。

 天壇上空を覆い隠す雨雲もまた一向に途切れる気配はなく、雨は一層激しく降りしきっていた。

 豊隆は雲の中に入ったり、時折その巨大な翼の片鱗を覗かせながらも円を描くように滑空している。地上から見れば白く輝く流星のようで、神気に歪んで形こそはっきり捉えられないものの、壮絶な美しさと畏怖を人々の心に植え付けるには充分だった。


「それが嘘か偽りか、すぐに分かる」


 俺の呟きを耳聡く拾い、綺羅は目を細めた。「何故?」

 落雷の衝撃で傾いてしまった大きな篝火が、ぱちぱちと音を立てながら尚も燃えている。俺は頬の熱気をやり過ごし、試すように腕を組んでいる綺羅の方を垣間見る。


「神に訊けばいい」


 雨の中で見る綺羅の気味悪さは格別で、傍目から見ればそれなりに見目の整った男に見えるのかもしれないが、それ以上に何か枠に収まらない不自然さがあった。濡れて重くなった髪の毛先が、風に煽られてぬらりと宙に浮く。

 俺は前を向き、左右に並ぶ文官武官の注目を一身に受けながらおもむろに進み出た。


「神明裁判らしく、真偽は人ではなく神に委ねるべきでしょう。神霊の前で真実以外を口にすれば怒りを買う、というのは誰もが知っているはず」


 自分がどれだけ平静を失しているか、息を吸って確かめる。心臓の鼓動は存外落ち着いていた。豊隆がいる限り、自分が負けることはないという確信がある。俺は千伽の胸を真っ直ぐ指差す。


「豊隆、この書簡に虚偽あらば、朧家の御君に(いか)()を落として殺してしまえ」


 声高な宣言は音の霊を通じて天壇中に響き渡った。本来ならばこんなことをするまでもない、ということは俺も翔も知っている。豊隆が顕れた時点で、この場は神域と同様に嘘を口にしてはならない法則に支配されている。

 それに、真実を明かすのならば、本物の天石を出せばよい。これは司旦の言うところの説得力を増す演出に過ぎない。同時に、天石は月天子の血を継ぐとか、とにかく選ばれた者以外が触れてはならないという逸話を崩すまいという配慮でもある。天壇に豊隆を呼び出しておいて何だが、既存の秩序を破壊し尽すのは千伽も俺も躊躇があった。


 不意に咳き込むような音が響く。綺羅が背を折り曲げて苦しげにしているのが彼なりの笑いであることに気付くのにしばらくかかる。綺羅の笑い方は、死神のそれのように不吉な予感を孕んでいた。


「成程、神の前で偽りを口にしてはならない、と。よく考えたものだな」


 涙か、雨か。目元の滴を拭い、綺羅は歯を見せる。篝火がその顔を、光と陰で分断していた。異変を感じ取った周囲の人々が半歩引く中、綺羅の公服の袖が大きな風に煽られてはためく。


「やるではないか。一本取られたよ。これは私もお前らと豊隆に敬意を表さねばなるまいな?」




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