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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第十三話 深夜
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「あ」


「え?」


 軽やかな羽音。すかさず振り向く、コウキ。その横顔が不味いものを口に入れたようたちまち歪んだ。

 瞬きする間にその影は大きく膨らみ、地面につく頃にはすっかり人の姿に形を変えていた。鳥が、人に変じる──俺とコウキの声がきれいに重なった。

 綺羅か? と。


「揃いも揃って、同じ顔をしおって」


 そうぼやきながら暗闇から現れた綺羅は、やはり唐突だった。周囲の景色から存在が切り離され、輪郭が不自然に際立っている。彼の内面は何も詰まっていない空虚で、表面を取り繕う情緒が辛うじてその表情に変化をつける。身に着けているのは貴族らしい宮廷衣裳だが、似合っていないばかりか、石像に服を着せているようですらあった。

 俺はその薄っぺらで味気ない顔色に、途方もなく永い月日の摩耗を認め、微かに戦慄する。綺羅は俺たちの生きている時間からあまりに遠く隔絶されている。一体どれだけの時間を過ごせば、人はここまで虚しくなれるのだろう。

 そもそも小鳥と人の姿を自在に行き来する綺羅が、果たして本当に人なのか確証はないのだが。


「一体何しに来た。夜に飛べばまた翼を撃たれるぞ」コウキは眉間に皺を寄せて綺羅を睨む。


「お前が不用意に街中をうろちょろするからだ」


 綺羅は呆れたように言う。「明日にはこの国を発つというのに、未練がましい奴め」

 その口ぶりから察するに、綺羅はわざわざこの夜更けにコウキを探しに来たのかもしれない。

 曲がりなりにもコウキは、綺羅に仕える近習という体裁で名を通している。街中で何か目立つこと──例えば、同じ顔をした男との遭遇とか──を起こせばそのまま綺羅の評判に直結するのだろう。


「なあ、皓輝」


 綺羅が口を開くので、俺とコウキは同時に答える。「何だ?」


「スコノスの方だ。ややこしいなお前ら」綺羅は鬱陶しそうにこちらを指すが、次に言った言葉は、彼にしては何か可笑しみを含んでいるように聞こえた。


「居養院とは何か、と言ったな。私が教えてやろうか?」


「今日は優しいな。いつも情報を出し惜しみする癖に」


 水を差しても、綺羅は軽く肩を竦めただけだった。雑談をするだけの心の猶予があるのか、俺は薄っすらと警戒は解かない。雲上渓谷で見せた綺羅の顔を、忘れてはいなかった。


「おい、無駄話はよせ」


 コウキは眉を顰めた。そこには何か後ろめたいものを隠したがっている子どものような居心地の悪さも孕んでいる。ちらり、門越しの建物を仰ぎ、横目でコウキを見やった。


「人に知られたくないことをしていたのか。懇ろにしている女でもいたか?」


「な、馬鹿か、お前」


 さっと顔色を変えるあたり、核心を突いたように思えたが、多分違う。外した。俺は首を傾げ、「女でないなら何だ」と問う。


「まあ聞け」綺羅は含み笑いをしている。コウキを揶揄うのが楽しくて仕方がない、といった表情で、幾分顔色に生気が戻ったようだった。


「居養院、というのはな、身寄りのない子どもとか、夫を失った寡婦とか、貧しくて食うのに困る老人なんかを保護する施設だ。大抵は冬の間、食糧の少ない時期に使うものだから、春になっても中に残っているのは日雇いで働きに出ることも出来ない、赤ん坊や死にかけの爺婆ばかりさ」


「へえ」


「都邑の裏寂れた地区にはあまり行ったことがないな? お前は知らないかもしれないが、大きな邑ではこういった居養院が必ずある。救貧に国が力を入れるのは、国が豊かで余裕がある証拠だ」


「知らなかった」俺は素直に感心する。「で、コウキは敵国の救貧施設で何をしていた? 菓子でも配っていたか?」


「……」


 まさか、という戯言だったが、存外的外れでもなさそうだ。コウキは口元を歪め、うるさい、と言い返すのが精一杯といった様子だった。

 綺羅は、まだ話は終わっていないとばかりに喋々と続ける。


「居養院──正確に言えば、その前身が生まれたのは、まだ東大陸が統一されていなかった第二王朝期だ。初めは国がつくったものでなく、民間の、ごく一部のネクロ・エグロが始めた慈善活動だった」


 その口ぶりはそこはかとなく昔語りの様相を帯び、さほど興味はなかったが、俺は耳を傾ける。


「当時、数々の小国のひとつだった皇国はまず周辺異民族との争いに決着をつけるのに手一杯で、兵は疲弊し、誰もが生きるのに必死な時代だ。戦の犠牲となるのはいつの世も女や子ども、弱いものばかりと相場が決まっている。都を離れると行き倒れも乞食も多かったが、弱者に手を差し伸べるものは少なかった」


「……」


「そんなある日、馬鹿な男がやってきて、金も見返りも求めずに孤児や寡婦、老人を救うために一人で働き始めたのさ。いや、正確に言えば、一人の男と、その人型スコノスがな」


 沈黙があった。綺羅と目が合う。何かを問うような眼差しで、コウキの方はばつが悪そうに心持ち俯いていた。喉に引っ掛かったような声を押し出すのに少し苦労する。


「俺か……?」


「覚えて、いないのだろうな」


 それでいい、と綺羅は安堵しているようだった。俺はむっと脣を曲げる。記憶が残っていないのなら好都合、と言われたようで、何やら癪だった。それを確かめるために昔語りを披露したのだろうか。

 一方コウキの顔色を窺うに、綺羅の話は満更嘘ではないらしい。その表情には遠い過去を懐かしむ、後悔にも似た郷愁があり、少なくともコウキの記憶の中に在りし日の俺はいるのだという、言葉に出来ない喜びが湧き上がった。


「ふうん、お前が居養院をつくったのか」


「その先駆けのようなものだ」謙遜か、照れ隠しか、本気で不愉快なのか、コウキは仏頂面で答える。


「今では、あの頃よりもずっと良くなっている。居養院というのも国が付けた名だ。細々と人を集めて働いていた貧しい男のことを覚えている者など誰もいない」


 綺羅が口にした第二王朝期、とは、皇国の創始者たる月天子が存命だった時代のことである。今からおよそ二千年前。全く不老不死者というのは容易く時間の隔壁を飛び越えるのだなと思い知らされる。


「馬鹿な男はいつまでも馬鹿なままだ。敵国の救貧施設に足繁く通って子どもを懐かせるなど、悪趣味としか言いようがない。大方御伽噺をねだられて、子どもらが寝付くまで離れられなかったのだろうよ」


 綺羅の物言いは半ば軽口だったが、コウキは責められているように感じたらしい。向きになって言い返す様は子どもそのものだった。


「うるさいな。手伝ってやっているのだから、空いた時間に俺が何をしようが放っておけ。他国の賑恤から学ぶこともあろう。お前に悪趣味と言われる筋はない」


 俺は何か口を挟もうかと開きかけたが、思いつかなかったのでやめた。二人のやり取りは凹凸で、果たして綺羅の立ち位置はコウキにとってどの辺りなのだろうと勘繰りたくなる。西大陸で救世主と讃えられるコウキはイダニ連合国を取り纏める“執政官”で、それよりも上の役職があるのかどうか、俺には分からない。


「まあ、いいさ」綺羅は話を区切るように言う。瓦屋根に区切られた空は暗く、夜明けの兆しはまだない。花柳街は不夜とて、男三人が深夜に路傍で顔を突き合わせていると怪しまれるという冷静さが俺たちにも戻りつつあった。


「馬鹿な救世主を野放しにしていいこともあった。こうして皓輝に会えた訳だし、帳消しにしてやってもいい」


「俺に、何か用でもあったのか?」


 警戒するように顎を斜めに傾ければ、綺羅は何でもないことのように小さく笑った。


「お前、私たちの側に来ないか?」




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