Ⅲ
嘘だろ、と。自分が言い出した癖に俺はそれ以外の言葉が出ない。
あれよあれよという間に攫われ、河に頭を突っ込んで髪を洗われ、身だしなみを整えられる羽目になった。
「髪が汚い。切ったほうがいい」
真弓というこの女は如何にも女傑といった風格で他の女従者たちを取りまとめ、てきぱきと指示をする。俺はといえばてきぱきと彼女たちにされるがまま、女装の下準備として気付けば散髪と眉剃りと爪切りまでされていた。
翔と司旦は遠巻きに膝を抱え、こちらを眺めていた。
「おい、助けろ」
「俺たちは無力だ」
「為せば成る」
触らぬ神に何とやらとばかりに二人とも微動だにしない。女装して潜入という小ボケを本気にされた居たたまれなさをどこにぶつければいい。百歩譲ってそれが事態を打開する名案だったにしろ、白羽の矢が立つべきは俺ではないはずだ。
どう考えても俺だけは有り得ないだろう。
伸び放題だった前髪を切られる間に散々ごねれば、司旦は真顔で「俺は顔が知られているからまずい。たくあんくんは異民族だから駄目だ。こんなに黄色い髪の毛じゃすぐ怪しまれる」などと容赦なく正論を言う。
「紛れりゃいいんだから別に似合ってなくても許されるって」
「クオリティは追求しろよ。俺たちがどれだけふざけようが敵は真面目なんだよ」
言いながら俺は顔面に何やらよく分からない液体を塗られている。ぬるり、と冷たいゼリー状の質感。よそ見をすれば、こっちを向けと無言で顔の位置を整えられた。化粧をされているのだろうか。
「そもそも俺は体格からして女装向きじゃない。背がでかいから目立つ」
「真弓もお前と同じくらいでかいよ」
「横幅が違うだろ」
「大丈夫、皓輝痩せてるから」
「こないだまでの雑草生活でガリッガリになっただけだから大丈夫じゃないよ」
思いつく限りの口答えを羅列してみたが、いい加減にしろと真弓に一喝された。ごく真剣な彼女の表情は迫力がある。至近距離にいれば、女性特有の匂いが着物からふわりと立ち昇った。真弓は「はっ」と馬鹿にしたように笑っては、繊細な手つきで俺の目元に何か粉物を施している。
「女装程度で白狐様が救えるなら安いもんだ」
「それを天秤に懸けるんですね……」
「目閉じろ馬鹿」
そこまで言われては、俺も抵抗のしようがない。字面だけ見れば真面目と不真面目を懸けた秤なのだが、彼女たちは至って真面目に俺の提案を受け止めたのである。であれば、俺も真面目に応えなければ失礼なのではないか。
本当に大丈夫なのかという問題はさておき、である。
斯くして、桐の衣裳匣から借りた従者の旅装束を纏い、それなりに値の張りそうな化粧道具で出来得る限り自然に顔を捏造した俺は、鏡で見れば普段と全く変わらない俺だった。強いて言えばいつもよりも多少血色がよく、眉が描かれ、目がつり上がっている。
それ以外はただの俺である。
「女装というからもっと悲惨なものを想像していた」
あまりに時間をかけてあれこれ塗り込まれたのでどうなることかと心配していたので、少しばかり拍子抜けである。
「んだよ。文句あるならもっとゴテゴテの厚化粧にしてやってもいいんだぜ」
「いえ、結構です」
真弓が差し出した貝殻の器に入った紅──先程唇に引くのを断った──を丁重に遠ざける。日々化粧に縁のない男からすれば、顔にあれこれとまぶしたり描いたりするのはそれだけで結構抵抗があるものだ。
皮膚が強張ったような違和感を抱えながら、崩してはならないと手で頬に触れることも躊躇う。白粉の匂いが鼻につくが、これはすぐ慣れるだろう。前髪を高く上げて後ろにまとめたシンプルな髪型は、女従者と揃いというだけで、意外にもぐっとそれらしくなるのが不思議だ。
服は、綿で織られた白装束だった。これも標準的な従者と揃いの代物。旅用らしく襟の重ねはぴっちりと閉まり、袖口は臙脂色の紐で絞られ、下は踝丈の袴である。上から透き通るような生絹の固い羽織を重ねると、爽やかでよそよそしい出で立ちになった。肌の露出がないのは幸いか。
半月型の編み笠を被ればまあ、顔の不自然さは隠せる。飽くまでもポジティブな言い方をすれば、行列に混ざって歩いていてもさほどおかしくはない。
重ね重ね、女に見えるかというのは別問題なのだが。
「皓輝、綺麗だよ……」翔が口許を覆いながら言う。
「あとで覚えていろよ。お前もだ司旦」
隠れて肩を震わせる司旦を肘でどつきつつ、俺は真弓に向き直る。「で、俺は何をすればいいんですか」
「思ったより似合わないな」
「感想を求めたわけじゃない」
「何もしなくていい。皆の後ろからついていくだけだ。自然に振る舞え。余計なことはするな」
俺は馬車に付き従う女性たちの面々を改めて見つめる。彼女たちは一様に白い装束で身を固め、私語もないが、決して機械的という訳でもなく、よく訓練された仕事人の趣があった。一丸となって発揮する手際の良さは、この女装の仕込みの時点で実証済みだ。
彼女たちに混ざるにあたって、たった十四名ほどの小さな行列にも形式上それぞれ役割があることを教えてもらう。
「先頭の四人が隊。これは御方様の清道──要するに露払いだ。旗手が一番前に立つものと決まっている。馬車の前後が仗と呼ばれる護衛。隣にいるのが馬の引手で……」
そうやって真弓は前から順に全ての役割を説明し、後方の荷物運びを指さした後、「あたしは御方様の近習だ。お前の後ろにいる」と名乗った。
「いいな。お前は仗になれ。護衛だから多少でかくても目立たないだろう。何か言われたらあたしが答えるからお前は絶対に口を利くなよ」
念を押され、「はい」と大人しく頷くほかない。護衛用の籠手と太刀の予備を渡され、身に着ければ幾分様になって見えるだろうか。太刀を下げると一気に腰元が重くなる。
「その剣は、入京する前に外しますからね。そのときになったら都の門衛の命に従って、速やかに剣を渡してくださいませ」
俺と同じく仗として帯刀した女性の一人が、嫣然とした声で教えてくれる。
「都の中で大きな武器を持つことは許されていないのです。わたくしたちは軍人ではありませんから」
「しかし、あなたたちはこれでいいんですか」
俺が声を押さえて問うと、彼女は目をぱちくりとさせた。ずっと気になっていたことだった。
もしこの企みがばれたら、咎を負うのは俺たちだけではない。彼女たちはそれでいいのだろうか。間抜けな女装芸含め、俺たち三人を匿うことに、何故こうも協力してくれるのだろう。
「御方のご意向です」にっこりと笑んだ、その表情に裏があるのか、俺には判断がつかない。
この場の主人である冴家の御方は一連の作戦に口出しはしなかった。一方的に任せているというより、何もかも許容したうえで信頼しているといった様子でただこちらを眺めている。彼女はもしかすると、俺たちではなく司旦を助けたいのかもしれない。
ちなみに俺の女装姿に対しては、一瞥して「眉が違うと結構印象も変わるものね」と抑揚のない声で述べただけだった。
コメントするとこ眉毛だけかよ。
翔と司旦も、いよいよ馬車の中に隠れ臥せることになる。広いと思った輅の中は、男を二人詰め込むと随分窮屈になった。端に寄った冴家の御方はつんと澄まし顔で座っているが、その横に針鼠のように蹲っている翔と司旦がいるのはいささか奇怪な光景だった。はっきり言って、かなり無理がある。
俺はそわそわと、こんな行き当たりばったりのやり方で大丈夫かと不安を募らせる。
変装と潜入が明るみに出ることより、こんな安直な作戦で人生を棒に振るのは避けたい、というのが本音だった。そうぼやけば、「自尊心があるのはまだ余裕がある証拠ですよ」と先程の仗が白い歯を見せる。
「そも、女の格好をするのは恥ずかしいことではありません。女装を恥ずかしいと思うのは、女という生き物を見下している殿方の心理で御座います」
「確かに、そうかもしれませんが」
「誰かを救おうとする心意気に男も女も御座いません。堂々となさいませ」
──堂々と、出来るだろうか。俺は笠の紐をしっかり締め直し、前を向く。




