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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第九話 雰王山
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「……それで」俺は思わず口を挟む。「承諾したのか? 情報と引き換えに何を請求されたんだ?」


「まだ分からない」


 翔はその時のことを思い出しているのか、苦々しい顔をしている。裏家業を相手に先の見えない取引を行うことが如何に命知らずかよく分かっているのだろう。そのときの翔は恐らくその危険性を熟考する余裕もなく先走ったらしいのだが、かといって豊隆に応えた俺から言えることは何ひとつない。

 俺が一通り考えて口を閉ざしたのを見て、翔は順序立てて続きを話した。


「で、早い話が、そいつの売りつけてきた情報はコウキに関することだった。内容は大体お前が知っていたこととそう変わらない。近習という名目で影家に出入りしているっていうやつだな。ただ、続きがあった」


 若者は言葉を濁しながら言った。それが商人特有の小賢しい芝居なのか本気なのかは判断がつかなかった。


「はっきりしたことは分からない。ただ、彼らは影家の狐に物凄く執心している。他の誰でもなく、影家の狐じゃなきゃ駄目なんだと。白狐というただ一人の男が必要だから、六十年以上もの間彼を朝廷から遠ざけ、ようやく満を持して呼び寄せる──準備が整った宴会に主役が呼ばれるように、ね」


「その宴会の席で、影家の狐を殺すのが彼らの目的?」


 少なくとも、皇帝はそういった目論見だったはずだ。明確な意図は読めずとも、西大陸の連中もまた国家転覆を狙っているならその利害が一致したとしてもおかしくはない。

 何故なら、現在の朝廷の政情を鑑みるに、いまいち目立たない皇帝を殺したところでさしたる波乱は望めない。それなら影家の狐を葬る方がイダニ連合国にとっても潜在的な不安の種が消えることになる。朝廷では今でも陰ながら影家の狐を支持する層も根強いというのが奴隷商人たちの弁であった──。

 しかし妙である。半年ほど前に対峙した際、コウキにとり白狐さんを殺害するのは容易だった。コウキはそれをしなかった。それどころか、興味がないとまで言い切ったのだ。


「イダニ連合国も一枚岩って訳じゃないからね」


「それは、お前の言う“彼ら”と言う呼び方に関係しているのか?」


 そこで翔は言葉を切り、息を吸って吐いた。不必要な深呼吸だったが、そうすることで今まで喉の奥に仕えていた疑問がようやく口に出た。


「三光鳥──綺羅は、やっぱりイダニ連合国の人間なのか?」


「その先の情報は高くなるよ」


「そうなんだな」翔の念押しは半ば脱力感がある。「コウキと綺羅は仲間なんだろう。首謀者は綺羅のほうだ。コウキは綺羅に呼び出されるか、頼まれて渋々協力している」


 情報屋は答えなかったが、よく分かったね、と翔の勘の鋭さを面白がる光を目に浮かべた。飴を舐めるような「何故そう思うの?」という問いはほとんど正解を裏付けていた。

 翔の舌は乾いて、粘着質な唾液の味がした。


「半年前、あいつに首を絞められて拉致監禁されたとき、こいつは自分の仕事をきっちりすぎるくらいやる人間だと思った。イダニ連合国の政治経済は分からないけど、執政官って役職は相当偉い立場なんだろう。そんな一国のすごい奴が、わざわざ自分で出向いて、俺一人の尋問までやって、クソ真面目な奴なんだって」


 若者は相槌もなく聞いている。


「……でも、今回は目立たないことをやっている。近習だか何だか知らないけど、裏でこそこそと動いている。それって多分あの救世主の信条らしくないし、多分不本意な立ち回りなんだろう。綺羅が今の地位にまで上り詰めるのには、相応の嘘や、人を騙す必要もあったはず。誰かを騙し、貶めるというのは、あの救世主が一番嫌がりそうなことだ」


「だから、首謀者が別だって分かった?」


「そうだ。何と言うか、コウキらしくないやり方に思える。それにあいつは前に、白狐さんには興味がないって言い切ったんだ。どう考えても途中で気が変わるようには見えないし、別の誰かの企てに手を貸していると言われるほうが自然だ。綺羅はイダニ連合国ではきっと執政官かそれに匹敵する立場なんだろう。それで、コウキと繋がっている」


「君はひとつだけ見落としている」若者は自然な仕草で片目を瞑る。


「……そう、コウキは確かに馬鹿正直で真面目で、曲がったことが大嫌いなタイプだ。でも同時に与えられた仕事はきっちりとやる。そう、クソ真面目だからね。自分が気に食わないからと言ってその責任を放棄するほど子どもじゃない。彼は君が思うよりもずっと大人だ」


「つまり?」


「首謀者だろうが何だろうか関係ない。彼は、やるなら徹底的にやるよ。七星(チーシィン)が影家の狐を都に護送するのを待つより、自分で行きたがる性質だ。推理している時間があるなら、今すぐ影家の狐を助けに行ったほうがいいんじゃない?」



「……で」翔はどこか遠くを見ながら、視界の端に映る俺に向けてようやく話を締めくくった。


「コウキが白狐さんを狙っているって聞いて居ても立ってもいられず、七星(チーシィン)たちの足取りを追って冴省まで急いだんだ。勿論罠の可能性も考えたけど……」


「ちょっと待て」


 俺はこめかみに指を当てる。


「あのとき翔は随分慌てていたが、それはコウキが白狐さんに何か危害を加えようとしていたからだったのか? コウキが白狐さんを殺そうとしているから? 俺は、てっきり司旦が、白狐さんを暗殺しようとしている方の件だと……」


「司旦が? でもそれって、千伽様の嘘なんじゃないか? 皓輝を慌てさせて、七星(チーシィン)と対立させるための」


「……」


 そうだとも、そうじゃないとも言いきれなかった。俺のことを掌の上で踊らせた千伽の弁は勿論、金で情報を売る裏家業の若者の言うことも同じくらい信用出来なかった。

 結末を鑑みれば──白狐さんの命を狙っていたのが誰であったとしても、最終的な着地点に大きな違いはないのだが。


「翔は、俺が白狐さんを追っていることを知っていたのか?」


「いや、ただ七星(チーシィン)と同じような道筋を辿って北上していることだけは推測していた」


「どうして」


「山塑都でえらい騒ぎを起こしたそうじゃないか。何でも書聖作の扇が盗まれて出回ったとか。情報屋の耳に入っていたぞ」


「あれか」俺は頭を抱えたい。「本意ではなかったんだ」


「分かっているさ。俺は情報屋に吹っかけられただけ」


「ただでさえ得体の知れない額のツケを更に増やしたのか」


「それこそ本意じゃないんだけどねぇ」翔の笑い方は投げやりだ。「皓輝だって他人事じゃないだろ」


 当の情報屋は「いつかまとめて支払ってよね。そうそう、こないだの文字占いの分も忘れないでねってあの子に伝えておいてよ。今度取り立てに行くからさぁ」晴れやかに言ったらしい。


「……」


 俺たちは知れず顔を見合わせる。沈黙を経て、「あの情報屋とまた会うことになるのか」と僅かに眉を顰めた。

 単なる督促以上に次に会うことを確信している情報屋の言動には、どこか三光鳥の予言に似た胡散臭さがある。その正体が何なのか俺たちには見定められないのだが、ともあれ彼の存在は俺たちにとってこの先に続くひとつの現実が形を帯びたように錯覚された。

 そう、この先も生きていかねばならないのだという現実と向き合うのは、ひどく億劫な作業だ。


「……なあ、何もかも無駄だったのかな?」


 翔の問いは誰に向くでもなく無為に浮いた。今や俺たちを地上に繋ぎ止める糸は切れ、頼りなく宙に漂っている。知らず乗せられていた線路から勢いよく脱輪し、奇跡的に生き延びたことにむしろ困惑している。そんな気分だった。


「無駄、ではなかった」俺は奥歯で言葉を噛む。「少なくとも、何一つ得られなかったという訳じゃない。いい方向とは思えないが、俺たちは事態をどこかに向けて転じさせた。そういう手応えはある。だから意味はあった。きっと」


 慰めとしては限りなく零点に近い。声に出すほど惨めさが募る、無意味な音声の羅列だった。自分の言い分が必要以上に空回りしていることに気付き、俺は再び黙る。そして、内心で自分よりも翔を案じた。

 最悪の事態を想定したところで、実のところ俺自身にさしたる懸念はない。勿論、ここしばらく艱難の連続だった道のりが茶番に変わり、あの世捨て人の日々が永劫失われてしまったことは残念だった。しかし、いつか立ち直ればまた立ち上がり、別の道を探すことになる。


 今の段階では向かい合うことすら億劫な現実も、いずれ「やるべきこと」があるのは有難いと思えるようになるだろう。初めてこの文明世界にやって来たときのように、すべきことのない生活ほど手持ち無沙汰で苦痛なものはない。俺には妹を探し、元の世界に戻すという役割がある。遅かれ早かれ世捨て人たちの生活は終わっていたのだ。

 もっとも、そんな個人的な気休めを口に出すほど俺は無神経ではない。世捨て人の家が焼かれ、拠り所を失った。それが翔にとってどれだけの大きな喪失なのか分かるだけに、その心境は察するに余りある。人生そのものを喪ってしまったのと同義だ。


 翔は、俺のように──或いは白狐さんのように──長遐で隠れ暮らした年月を、羽を休め、次に飛び立つ機会を窺うある種の止まり木のようなもの、などと考えたこともないのだろう。翔は白狐さん失くしては生きていけない。ある程度自覚の範囲で、そういう思考が染みついている。

 思えば「この日々がずっと続けばいい」と願ったのも、「また来年も一緒に山桜を見たい」と見上げたのも、翔ひとりだけだったのだ。その事実が今の翔をどれだけ傷つけ、孤独に追い込んでいるか俺には分からない。理解する資格もない。

 誰しも一度は経験する、自分の好いたものが期待に足るほどのものではないと思い知る、あの幻滅は今の翔の心には残酷すぎる。白狐さんはまだ死んだと決まった訳じゃない、と希望的観測をちらつかせるのも事態を悪化させるだけだろう。


 それきり俺たちはしばらく口をきかなかった。互いに話し終わってしまうと、ひどくあっさりした結末に思えた。どんなに経緯を説明し合い、繰り返し吟味したところで俺たちは失敗した、という最終的な虚無感は抜けなかった。




 ***




 巣穴の上まで戻ろうと言い出したのは俺だった。翔は体力の消耗や不便さにかなり渋っていたが、地上が決して安全とは限らないと本人なりに察して結局は同意した。

 雰王山一帯には、独特な生態系が形成されている。植生が安定し、草食動物がいればそれを狙う肉食動物がいるのも自明の理で、そう考えると狭い通路にのみ繋がれた豊隆の巣穴は何かに襲われる心配はまずなさそうである。

 猛禽が羽を休める場所という意味で、その安全は折り紙付きであろう。豊隆を襲う気概のある肉食獣がこの世に居れば、という話だが。


 ともあれ、俺は合理的な理由以上にあの巣穴を不用意に離れてはならないと強く感じていた。平たく言えば、基地なのだ。俺たちはあそこで次の出撃命令を待つ兵士のようなものなのである。

 豊隆が俺たちを運んできたのだから、豊隆が戻るのを待つのが筋だろう、と言語化すればやや意味が逸れるのだが、俺から翔に伝えられることはそんな曖昧なことだけだ。


「まだ、終わらないよ」


 気付けば俺は翔にそう言っていた。気慰みを口にしているつもりはなかった。翔が少し立ち直ってくれたらという気持ちが多少あったことは事実にしろ、こればかりは俺が感じた確信である。

 この騒ぎはまだ終わらない。豊隆は俺にそう告げた。だから俺たちは待たなければならないのだ。


「そもそも、ここから出ていくことは可能なのか?」


 翔の低い声は、なるほど的を射た見解だ。巣穴から下界を一望すれば、翠緑の湖水地帯の眺望に閉口する。

 雲上渓谷のように果てしなく広がる感覚はないが、空間そのものが外界から切り離された孤立感がある。目視で測る距離もさることながら、朧省に出るには山岳を越えなければならない。元々人が足を踏み入れぬ秘境であるため、自然がつくった牢獄のようでもある。


 行く当てがない不安感から口にこそ出していないが、翔が雰王山に長く留まることを良しとしないのは人として当然の反応だった。ここは人間がいてはいけない場所なのだ。

 神域は人間が生まれ持ち、成長とともに養ってきたひとつの個人的な因果のようなものが一切通用しない地である。ここでは過去も未来も望みも関係ない。雰王山を中心とした巨大な歯車で何もかもをすり潰し、ブラックホールのように飲み込んでいく。

 そういった静まり返った宇宙の不条理が集結している。上手くは言えないが、完全に飲み込まれてしまう前に人間の住む地へ戻らなければならない。


 雰王山一帯の雲行きが怪しくなってきたのは、その日の午後だった。

 南側の空に雲が固まり、部屋の隅に溜まった埃を思わせる。雨が降るほどでもないが、不自然な雲の発生に翔も気付いたらしい。ちらり、と一瞥する横顔は、見上げるというより、そこに空があることを確かめているようだ。


「豊隆が戻ってくるんじゃないか」


「そうかもしれないな」


 俺は頷く。天候の変化は分かりやすい兆候である。常に自分のいるところに雨が降るというのはどんな気分なのだろう、と束の間思考を遊ばせたりした。

 眺めている内に灰色の塊は徐々に大きくなり、不定形の曲線に筆で垂らしたような濃淡が滲む。俺たちは、意識せずとも遠くに感ずる神の威圧感に、少しばかり言葉を失う。二人分の呼吸が付かず離れずの距離で交差する。

 待っていたはずの豊隆の帰還を、俺は思いのほか無感情に迎えようとしている。何が起こるか、何も起こらないのか見当もつかなかった。


「こんなに長い間、豊隆はどこまで飛んでいたんだろうな」


 平静さを装う声は、どこか浮いている。翔は後ろにのけ反り、伸びをした。しなやかに各部の筋肉が伸び、あいててと腹の傷を押さえている。


「餌でも探していたんじゃないか」


「神も何か食べるのか? きっと豊隆は肉食だな」


 翔の目尻の皺を眺め、つられて笑った俺ははたと口を閉める。不穏な記憶が過り、半ば本気で「豊隆は人間を食べるんだろうか」とつい口走った。


「え、怖い話?」


「狂信的な集落で生贄にされかけた」


 あのときは単なる狂信と理解したが、何かしら根拠があったのならそれはそれで寒気がする。今自分たちの置かれている状況を考えると、殊更。


「俺たちは予備の食糧なの?」


 翔は冗談めかして笑うが、声は少し固い。そんなことはないはずだと思いつつ、俺の笑い声にも力が入らない。確かに豊隆の巨躯を考えれば人間ほどの大きさの動物を捕まえることは容易いし、あの猛禽の嘴で肉を啄むことも出来るだろう。ぞっとしない。

 視界に白い輝きを捉える。僅かな雲を引き連れ、真っ直ぐとこちらへと飛翔してくる。徐々に拡大される頭部の飾り羽は、午後の陽射しを弾いて照り映えた。孔雀のように長い尾が風に靡き、腹の下から見え隠れする。

 左右に広げた翼で滑空体勢に入る豊隆は、何かしらの強い意志を漲らせているように見える。


「……あ」


 俺と翔がそれに気付いたのはほとんど同時だった。折り曲げられた豊隆の脚、その鳥類特有の鋭い爪に何かが掴まれている。初めは影のようにしか見えなかったそれは、猛禽が捕まえた鼠の尾のようにぷらりと長いものを垂らし、死んでいるようだった。


「何かの動物みたいだな」


 翔の声は固い。野生動物の死骸だとするとそれなりの大きさがある。ゆっくり食べるため巣穴に運んできたのかもしれない。


「──……」


 互いに言葉が途切れる。俺たちは何も言えなかった。いつの間にか半ば開いていた口を閉めるのも忘れ、豊隆の運んできた獲物に釘付けになった。ぷらりと垂れ下がった長いものが尾ではないと気付いたとき、身体の奥が戦慄するのを感じた。

 野生動物ではない。人間だ。動物の尾に見えたのは襟巻である。


「何、あのド派手な()()()()()()()」と翔が呟いたのと、豊隆が大きな翼で速度を緩め、着陸の姿勢を見せたのは同時だった。





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