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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第九話 雰王山
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 雲上渓谷での出来事を話したことを皮切りに、俺たちは消息の知れなかった期間互いに何をしていたのかぽつりぽつりと語り合うことにした。


 胃のわだかまりが解け、ようやくそうする気になったといってもいい。水際に陽射しが漏れ、金銀細工のように瞼の先で踊っていた。そんな色彩の乱舞を眺めながら、各々居心地の良さそうな岩の上で身体を楽にする。

 翔の相槌を挟み、俺は順を追って経緯を説明する。家が燃えたあの夜のこと、焼け跡で出会った千伽という男、彼と半ば強制的に交わされた司旦暗殺の密約──。

 太陽はそろそろ南の上空に差し掛かろうとしている。陽射しは暖かいが、土の地面の隅々までひやりとした冷気が染み込んでいた。


 ──そもそも、事態の始まりは六十二年前の朝廷内の事件だった。俺たちは互いの認識をすり合わせる。

 次期皇帝候補「儲君」と呼ばれる門閥貴族の嫡子は、当時三人が選ばれていた。いずれこの三人の内一人が選ばれて皇帝になる、となれば三人のうちで政治的な争いが起こっても不思議ではない。

 儲君の一人が、別の儲君に毒を盛って殺害しようと目論んだ。そのことが明るみになり、毒殺未遂の咎で朝廷を追われた──その人が白狐さんなのだという。彼の汚名により影家の血筋の者たちは粛清の憂き目に遭い、六十二年前の事件と朝廷では知られている。

 ただ、毒を盛られたという儲君が後に皇帝に選ばれている現状を鑑みれば、顛末にきな臭いものを感じ取るのは俺たちだけではないだろう。そして、六十二年経った現在、その皇帝が白狐さんを都で処刑しようと企てているというのだから。


「六十二年前、三人の儲君は、それぞれ影家、朧家、望家から排出されていた」翔が補足をする。

「影家は白狐さん、朧家は千伽様。そして望家出身が今の皇帝陛下だ」


「千伽も次期皇帝候補だったのか?」


 思わず口を挟む。ああ、皓輝は会ったのか、と翔は軽く唇を引き結んだ。


「千伽様は、かつては儲君。今は朧家の当代様だ」


「そんな人が長遐まで来ていたんだな……」


 頷く翔の横顔は、驚きを噛み締めている一方、同時にやはりそうか、という納得も垣間見える。

 あの男は白狐さんを助けようとしているのか、いまいち意図がはっきりしないところだが、わざわざ長遐まで現れるほど何かしらの目的があったことは確かである。


「偉い人なんだろう」


「そりゃあ、朧家の当主だからね」


「八家の門閥貴族のひとつか」


「そう。代々東方の朧省を治める貴族家だ。そして」翔はいったん言葉を切った。「千伽様は元々、白狐さんと同い年で幼馴染らしいと聞いた」


「幼馴染? あの千伽が? 白狐さんと?」


 初耳だった。俺の声は素っ頓狂に岩壁にぶつかって響く。

 出合い頭に顔面を殴りつけてきたあの傍若無人な男が、世捨て人の主と友人関係というのは全く想像がつかなかった。正反対もいいところではないか。意外というより、最早理論上不可能な組み合わせに思える。

 この世には性格が違うほど仲が良くなるという論説もあるが、あの二人にそういった類の友情があるのだとすれば世界平和も夢ではない。


「俺も知らなかったんだけど、色々調べたんだ。結構有名な話らしい」


「あの二人の友人関係が?」


「そう。ネクロ・エグロで同い年というのは奇跡のような廻り合わせだから」


 寿命が長く、繁殖能力の低いネクロ・エグロ社会では、幼馴染というのは俺が思っている以上に希少な関係らしい。それも、互いに八家の門閥貴族の長男として生まれ、互いに儲君として育った。

 なるほど、奇跡と呼ばれるのもむべなるかな。俺は今になって千伽が口にした「影家の狐」というからかい交じりの呼び名に親しみらしき念を感じることが出来た。

 推測に過ぎないが、長い年月を隔てながら尚男同士で相手のことを気にかけているあたり、仲は良かったのだろう。それでもやはり、意外な取り合わせであることに変わりはないのだが。

 二人の繋がりはそれだけではない。千伽の朧家と白狐さんの影家は、幼馴染という個人的関係を越え、家同士が政治的に手を結んでいた。共通の派閥に属していた、と言うべきか。


「“清心”というらしいんだけどね」翔は説明する。


「代々影家を中心とした知識層の派閥があって、朧家も前の代からそっちに傾いていた。ただこの清心派っていうのは、ちょっと癇に障るというか、清廉潔白に偏ったところがあって」


「清廉潔白?」


「そう。真に清らかなものが為政者になるべきと考えていてね。賄賂とかそういう汚いものを徹底的に否定するような層らしい。ずっと昔、朝廷の内部が腐ったときに反動で生まれた一派で、どちらかといえば皇帝と対立しやすい思想を持っていた」


「なるほど。じゃあ今の千伽はその清心派の生き残りなのか」


「そういうこと」


 影家の没落は、同時に清心派の瓦解を意味した。千伽が清廉潔白かはともかく、清心派崩壊の波は当然朧家も被ることになる。

 つまり六十二年前に影家が粛清されて以来、朧家もまた朝廷では窮地に立たされ、没落の危機を辛うじて乗り越えてきた。政治の中枢には俺には計り知れない複雑な力関係があるのだろうが、さしあたり皇帝を敵に回せばどうなるのかは想像に難くない。


「失脚させられた幼馴染の無実を証明して、皇帝の鼻を明かそうという魂胆なんだろうか」


「そうなのかもしれない。千伽様はかなり破天荒な方らしいから、そこにどこまで政治的な意図があるのかは分からない」


 どちらかと言えば、政治的報復というよりはプライド的な問題なのかもしれない。千伽の行動力は強烈な矜持を窺わせると同時に、どこか愉快犯的でもある。


「翔はあの千伽に会ったのか?」


「会ったことも見たこともない。でも色々調べている内に自ずと情報は集まった。有名人だからな。かなり頭の切れる男なんだと」


 女好きで派手好き。翔が語る千伽の人物像は、破天荒を絵に描いたような男だ。一方で、六芸──礼、楽、武、書、馭、数──あらゆる才に恵まれ、何をやらせても卒なくこなした。彼の才能の一端には、あの扇を書いた名筆ぶりもある訳だ。

 際どいことを好みながら本当に危険な橋はひょいと躱す。世界を傍観する広い視野に超えてはならない一線を引いている。そういった賢い生き方をしている。翔が言うのだから本当に頭が切れるのだろう。

 父親が死んでからは自身が後を継ぎ、朧家の当主として風当たりの強い朝廷社会を生き抜いてきた。白狐さんが朝廷から姿を消して六十年、過酷な立場に追い込まれた朧家がどうにかやってこられたのは偏に千伽の政治的な采配あってこそなのだという。

 血筋に支えられた貴族でありながらあの男が悠々自適な左扇に興じていた訳ではないというのは、何となく俺にも分かる。優雅な立ち居振る舞いをするが、彼の双眸には肉食獣じみたぎらつきがあった。生き残るため、弱者を食い物にすることも辞さない危険な目だ。


 執念か、と俺は声に出す。此度の一件は千伽の執念なのだ。友情と復讐とプライドを混然一体にして、幼馴染の処刑を阻止しようとしている。容易く引き下がるはずがない。


「ということは結局、白狐さんは冤罪だったんだろうか」


「儲君に毒を盛ろうとした話か」翔は不愉快なものを見たように顔を顰める。「あれはどうなんだろう。白狐さんがそんなことをするようには見えないけど」


 俺は無言で同意する。そんなことをするような人であって欲しくないという俺たちの願望交じりであることは認めざるを得ないが、精一杯客観的な視点に立ってみてもやはり違和感のある話だった。あの世捨て人の主が、不正を働くほど権力に固執するだろうか?

 率直に言って、俺たちの知る白狐さんは時に悪口の域に至るほど浮世離れしていて、世俗の地位になぞ興味があるようには見えなかった。そう、皇帝を志すほどの野心の欠片もないのだ。


「千伽は皇帝の座に興味はなかったんだろうか?」


 誰に問うでもなく俺は呟く。六十二年前のことは影家と望家の間で起こったことで、そこに朧家の介入は窺えない。翔はああ、と相槌のような声を出した。


「どういう訳か当時から千伽様は一歩身を引いていたらしかった。まあ分かりやすく言えば、無言で皇帝の座を辞退したようなものだ」


「辞退……?」


 俺にはそれが意外だった。千伽こそ帝冠を手に入れるためなら幼馴染だろうが殴り飛ばしそうな野心満々な気色がある。勝手な思い違いだろうか。

 或いは、火の粉が降りかからないように立ち回る彼なりの処世術か──そう疑いを挟み込みたくなるほど、あの男以上に暴君という肩書が似合う人間はこの世にいまい。


「清心派内部での力関係があったのかも」


「それは有り得そうな話だな。朧家が影家に皇帝の座を譲った──何かしらの理由で。結果的に、当時の儲君同士の争いは影家と望家の実質一騎打ちになったと」


 そして、片方がもう片方を貶めようと悪意のある噂を流して追放した──それだけなら、政治の世界に疎い俺たちでもある程度想像できる筋書きだった。どこにでも有り触れた、と一括りにしてもいいくらいだ。

 想像できるということは誰しも同じように発想することと同義であり、発想に留まらず実行する人間がいたとしても不思議ではない。

 俺たちは揃って公権力から程遠く生温い結束で結ばれた日々を編んできたが、その一方で、金持ちになりたい金銭欲も、偉い人になりたい栄誉欲も、それを浅ましいと見下すほど出来た人間ではないと重々に承知していた。そういったものから完全に切り離された身としては、どこか羨望の節すらあった。

 ただ、話はそれだけで終わらない。六十二年前の件は、朝廷内部の争いに留まらず、どこかで西大陸の連中が一枚も二枚も噛んでいる。単純に権力を巡る当事者同士の対立を超え、不可解な点もいくつか浮かび上がってくる。


「皓輝はどこまで知っている?」翔に問われ、俺は自分が知っている情報を順に羅列してゆく。


 まず、かつて白狐さんには年の離れた妹がいたこと、妹に婿入りした男が綺羅という名であること、綺羅の正体はあの三光鳥であること──。


「逆に」俺はそこで言葉を切る。「三光鳥の正体が白狐さんの義弟だったと言うべきなのかもしれない」


「そうだな。俺たちは三光鳥に何度も会ったけど、白狐さんだけは一度も遭遇したことがなかった。会わないようにしていたんだろう。正体がばれないように」


「素性を隠し、俺たちに予言をしていたのか」


 あの小鳥の運んでくる予言の信憑性は当時から疑わしかったが、こうして詐欺まがいの顛末が明らかになるにつれ別の違和感も湧く。それは、三光鳥の予言は必ずしも俺たちの不利益にはならなかったということだ。

 きっとその気になればこちらを貶めることも容易かったはずだ。しかし彼はそうしなかった。結果的に、綺羅の予言は俺たちを助けることも少なくなかった。

 どんな意図があったのか依然として不明ながら、当初の綺羅は俺たちに真っ向から敵対していた訳でもないのだろう。


「だが、雲上渓谷の入り口で出会ったときは違った。あのとき初めて三光鳥が怖くなったんだ」


 俺の声音は奥底から響くようにひと月前を振り返る。

 あのときの綺羅はどう見てもそれまでとは異なっていた。何らかの意思に目覚めたというべきか、俺が白狐さんの一件に関わることをしきりに阻止しようとしていた。その不透明な言動の裏には、コウキの存在があったのだろう。


「コウキがこの件に関わっていることは知っているな?」


「ああ、知っている。イダニ連合国の救世主──」以前、コウキから拷問まがいの暴力を受けたことのある翔は、急所を握られたように顔を歪める。


 俺は、千伽との密約が、実は皓輝とコウキを利用したややこしいトリックだったということを説明する。


「経緯も関係性も全く不明なんだが、コウキはここしばらく、綺羅の近習という名目で朝廷に出入りしている。俺が司旦に危害を加えた場合、コウキにその冤罪を被せるつもりだったんだろう」


「確かに、よく見ないと二人を区別するのは難しいからな。でも一度分かればそんなに迷うほどじゃない」翔はしきりに頷いて見せる。「あっちの方がイケメンだ」


「おい」


「冗談だってば。で、そのイケメンの方のことなんだけどさ、その前に色々経緯を話さなきゃね」


 今度は、翔が話す番だった。今までどこにいたのか、と問えば意外すぎる答えが返ってくる。


「奴隷商人のところ」




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