Ⅴ
「……違う!」
思わず語調が強くなる。あの金飾りが、男の手の中できらりと太陽の残光を弾いた。
身に余る施しがあらぬ誤解を生んだ──危惧していた予感が的中した。しかし、むしろ盗んだのはそちらの方である。倒れている俺から金飾りを掠め取ったのは、ほかでもない彼の弟たち。咎める権利があるのはどう見ても俺ではないのか。
怒りとも屈辱とも取れないもので身体が震えるが、努めて大人になろうともう一度「違う」と繰り返す。
「嘘をつくな」
七星の首は厳しい口調を崩さない。俺は懸命に否定した。
「誤解だ。俺はそれを貰ったんだ。盗んだ訳じゃない」
「貰っただと? 金塊を?」
「馬車を連れた行列に施されたんだ。断じて、盗んだものじゃない」
感情を押し込めた俺の言葉に、彼は初めて興味を示したようだった。「馬車の行列?」と低く呟き、思案を巡らせる。
彼の関心を後押しするよう俺は続ける。「どこから来たのか知らないが、女の従者をたくさん連れて、街道を通って都の方へ向かった」と。
「まさか、冴家の──?」七星の首は最後まで言わなかった。馬車に乗っていた人物に思い当たる節があるということは察せられたが、首を左右に振る仕草は何かを断ち切るようだった。
「いや、有り得ない。あの女がお前みたいな薄汚い物乞いにこんなものを施すはずがねえ」
「何だと」
「言い訳をするにしても、もう少しまともな嘘を考えろ。迂闊に門閥貴族の名を騙れば首が飛ぶぞ」
事実を信じてもらえないというのはこうも殺意が湧くものなのか。七星の首にとり世捨て人の弁明など端から聞くに値しないのだということが今ここではっきりと分かり、怒りというより悔しさで声が出ない。
そして、彼が付け加えた侮蔑の言葉に頭が真っ白になる。
「盗人で嘘つきで、おまけに人殺しとはな。恥を知れ、世捨て人風情め」
──眩暈を覚えた。人殺し? と鸚鵡返しにした自分の声が遠い。冤罪にも限度というものがあるだろう。彼の言葉を受け止めきれないまま「人殺しって、誰が誰を?」と混乱する。
「山塑都で宿の母娘を殺したのはお前だろう」七星の首は厳めしい面に怒りを滲ませ、およそ嘘をついている様子ではない。
「──え?」
「早朝の鬼子市で、お前は宿で働いている娘を連れていた。その後、路地裏で娘を絞め殺して、その母親までも刺し殺したと聞いている」
「ま、待て、何の話だ……?」
一歩後退る。山塑都で数日世話になったあの宿屋。金がなくて日雇いの仕事をしながら食い扶持を稼いでいたのは半月前のことだ。宿の母娘といえばあの二人しか心当たりがない。
あのはにかみ屋な娘と女主人が、死んだ……? 予想だにしなかった衝撃と、誤解甚だしい濡れ衣に唖然とする。
一体何故、どうして。上手く声にならなかった息が喉に引っ掛かり、その挙動不審ぶりは追い詰められた殺人鬼のそれに映ったかもしれない。
「違──」都市を去るとき俺を見送ってくれた娘の姿が蘇る。事件に巻き込まれることもなさそうな、市井の娘だった。
「死んだ……一体どうして?」まだあんなに若かったのに。俺は必死に考える。俺のせいか? また俺のせいで人が死んだのか?
「お前が殺したのにどうしても何もないだろう」
少なくとも俺は手をかけた覚えがない。咄嗟にそう言い返せなかったのは、今まで幾度となく周囲の人間が死んでいく不可解な事件を目の当たりにしたためであり、また俺の体質が不幸を呼んだのかと怖くなったのだ。
「若い男が若い娘を殺す理由なんざ山ほどある」七星の首は表情を崩さない。
「鬼子市の商人が、お前と娘が懇意にしていた様子を見たと証言している。無理に心中を図って男だけが生き延びる事件は珍しくない」
いい加減にしろ──という声すら出ない。責め立てるような彼の口調は反論の隙を与えてくれない。
「恋仲を認められず駆け落ちをして、母親を殺めるのもよくある話だ」
「──……」
まるで大きな理不尽が空から降り注ぎ、一人の人間を徹底的に貶めようとしているかのような酷い惨状だった。そうとしか思えないほど、全てが悪い方向に解釈されている。拳の中で指が震え、込み上げる感情に耐えきれず身体が崩れそうになる。
七星の首は嘘をついているようにも、俺に恨みがあるようにも見えなかった。ただ手帳を読み上げるような調子で事実を並び立て、取り付く島もないという点では良心的な尋問とは言い難い。
そもそも、彼女たちが何者かに殺されたという事件性を認めながら、少ない目撃情報と憶測による動機だけで犯人を決めつけるのは杜撰だろう。ただそれを相手に伝えるだけの説得力が今の俺にないのもまた事実である。
「今ここで罪を認めるなら温情ある対応を考えよう」
「温情ある、だと? ふざけるな」
彼女たちの死の直後に都市を立ち去った人物として、容疑者扱いされるのは百歩譲って仕方ない。しかし殺していないものは殺していないし、脈絡なくサスペンスミステリーに巻き込まれたことより、初めから俺を盗人で殺人鬼だと決めてかかった相手の態度の方が俺には許し難かった。
「反省の意を見せれば更生の余地ありと受け取る。さっさと吐き出して楽になったらどうだ」七星の首は己の信じる道を一歩たりとも踏み外すつもりはなさそうだった。「それともお前は影家の狐のように自分の過ちひとつ認められない害悪か?」
「影家の狐……?」何故ここで彼が白狐さんの名を引き合いに出したのか分からない。
白狐さんが認めない過ちというのは、例の六十二年前の儲君同士の諍いのことだろうか。他の儲君を貶めるために毒を盛ったというあの話を俺はほとんど信じていなかった。俺が知る限り、白狐さんは己の欲望のために悪事に手を染めるような男ではない。それだけは胸を張って言えた。
「影家の狐は自分では何もしようとしない」彼は更に続ける。「全てを人に任せ、自分のために犠牲が出ても涼しい顔だ。他人の人生を破滅に追いやりながら、虫一匹殺さん涼しい顔をする。そんな男を守る必要がどこにあるのか、俺には分からん」
恐らく──と推測してみる。この男は白狐さんに個人的な恨みがあるというより、自身の信念にそぐわないという理由であの人を嫌悪しているのではないか、と。
「罪を認めるのは改心への一歩だ。お前の罪は重いが、反省出来るのなら口利きしてやってもいい。俺が取り仕切る七星はそういった連中の集まりだ」
「七星は前科持ちの更正施設なのか?」
首は少し間をあけ、言葉を紡ぐ。「……少なくとも建前は、皇帝陛下に仕える隠密部隊だがな」
つまり、本質は違うということか。俺はふと、司旦が白狐さんを殺そうとして未遂に終わったという過去の事件を話していた三ノ星のことを思い出す。
そういった穏やかならぬ前科を背負いながら今の司旦が軍人の中で一定の位置にいるのは、もしかすると彼の力添えのお陰なのかもしれない。七星を率いるリーダーとして、仲間の面倒を見ているというのはこの男の寛大さの表われのように見える。口利きしてやる、という言葉に嘘はないのだろう。
しかし実際に俺は犯罪に関わっていないのだから適用外である。彼の寛大さは余計なお世話の一言に尽きた。
「観念したか?」観念したというより呆れて物が言えない俺に、七星の首は都合のいい解釈をする。「このままお前は弾正に身柄を引き渡す。言いたいことがあればそこで吐くんだな」
それが彼にとっての温情ある対応なのだろうか。無実を主張する場が与えられるだけ有難いと思えという意味なのだろうか。
先程から俺の無実の訴えに耳を貸そうともしなかった男が、である。
どうするべきか。少なくとも俺のすべきことは、この男に馬鹿正直に付き合うことではないということだけははっきりしていた。
考えとは裏腹に身体が動かない。立ち止まっている時間が長いほど足から根が生えたよう地面に固定され、一歩後退るだけでぐらりと眩暈を覚えた。この男に捕まるくらいなら今ここで死んだほうがまし、という自暴自棄な考えすら過る。
不愛想に詰められた距離。目の前に立ちはだかった七星の首は見かけよりも大きく、強固な壁のように錯覚された。
「悪いが時間がないんでな」七星の首は咄嗟に逃げようと怯んだこちらの腕をいとも容易く掴み、懐から取り出した拘束具らしき縄で両手首を縛り始めた。
「は、離せ……!」
慌てて引き抜こうと力を振り絞るのに彼の武骨な手はびくともせず、自分の無力さに愕然とする。彼にとってみれば幼児が暴れている程度の抵抗だっただろう。一歩間違えればこちらの痩せ細った手首の方が折れてしまいそうだ。
俺の抵抗など気にも留めず、むしろ喋るついでのような手際の良さで彼は俺を後ろ手で縛り上げる。「司旦と影家の狐をあまり二人きりにしたくはないからな」
「俺もそこに連れて行ってくれ」腰に回った腕を左右に捻りながら、目の前の男を睨みつけた。悔しいほどしっかりと固められた手が解ける気配はなく、皮膚が擦り剥ける痛みに涙が滲む。
「それは出来ない。自分が殺人犯だという立場を忘れるな。お前と影家の狐を迂闊に接触させる訳にはいかない」
早く歩け。そう言わんばかりに肩を押され、俺の脚はよろめくように数歩前進する。
倒れないよう支えたいのか、逃げ出さないよう拘束したいのか、あの双子が左右から俺の両腕を掴んで軽く引っ張る。彼らの表情に緊張感や憐みはなく、ただ蟻を踏み潰して遊ぶ子どもの無邪気さだけがあった。
どうすればいい、どうすればこの状況から逃げられる。俺はぐるぐると眩暈のような思考を巡らせる。両脚は自由だがこれだけ距離を詰められてしまえば脱走は不可能だ。
しかし行き先がどこであれ、どうせ俺の体力では生きて辿り着くことはないだろうと、心のどこかで安堵している自分もいた。今ここで死ぬことだけが、俺に許された唯一勝つ方法なのだと。
負けたまま終わりたくない。そんな意地が自分にもあったのだと感心する。
ならばせめて華々しく散ろうと、自分の中でスコノスの力の高まりを感じた。負け犬の遠吠えというのが俺には似合いだと。
俺は目を瞑ってすべての意識を自然霊へと集中させる。スコノスでありながら自身の力を発揮できない俺が霊力を使えるようになるのは、どうしようもない怒りに駆られたとき、そして瀕死になるほど追い詰められたときのみ。
外界の音が遠ざかり、代わりに一刻一刻の鼓動を打つ自身の心臓の音が近くなった。歩いている地面の感覚もなく、俺は収束した自然霊を吸い込み、あらん限りの力を振り絞って絶叫しようとした。──する寸前だった。
「……!?」
息を引き攣らせたのは、俺と七星の首、どちらだっただろう。
彼の手が背に伸ばされ、背負っていた得物がその手元で滑った。躊躇いなく振り上げられる刃物の穂先。きらりと先端が光り、ひゅ、と空を切る音が鼓膜を薙ぐ。
びくりと目を瞑るが、彼の標的は俺ではなかった。
金属が弾かれる固い音。いきなり時間の流れが戻る。
「ふん……」
目の前の七星の首はさしたる感慨もなさそうに鼻を鳴らした。同時に、ぽたり、投げ出されるよう地面に落ちたのは一本の矢である。一体どこから放たれたのか、誰に向けられたものなのかも判然としない。
俺は状況も忘れて顎を外す。頭上から打たれた弓矢を──弾いた? この男の眼玉は頭の後ろについているのか?
「──奇襲とは卑怯な。こそこそ隠れずに正々堂々と挑め」
彼は自身の信条を穢されたかのような不愉快を浮かべ、矢が射られた方向へ水を向けた。
杉林はどこまでも連なっている。暮れなずむ空にそびえる姿は膨れるような影となり、まるで季節外れの厚着をしているようだ。七星の首の鋭い視線は、樹木の上に向けられている。
──そこに誰がいる?
彼の言葉を受けても、特に反応は示さない。そして束の間空白があって、これが返事だとばかりに再び矢が七星の首めがけて射かけられた。
木陰で弓がしなり、弦が唸る音が空を切る。そのときになって、俺は針葉樹の緑に紛れるようにして隠れている刺客の位置をようやく把握した。目を凝らすが、陰に溶け込んで輪郭すらも捉えられない。
七星の首は一直線に心臓を狙った矢を平然と得物で払いのける。その神業の反射神経は一幕の曲芸のようだ。俺は目を白黒させる。
「おい、誰だ!」
彼は今度こそ声を張った。怒りというより、武士が相手に名を名乗らせるような堂々とした響きである。
いきなり奇襲を仕掛けるような輩がこの呼びかけに応えるとも思えなかったが、予想を裏切って闖入者はあっさり樹上から姿を晒した。夕暮れの逆光を背負い、器用にも幹から張り出した枝に体重を乗せた影は真っ黒になっている。
俺は瞬いた。そして、場違いなほど間抜けな叫びを聞いた。
「うるせー! 名を訊くならまず自分から名乗れアンポンタン!」
それが闖入者の第一声である。七星の首は唖然としたようだった。
斯く言う俺も唖然としていた。まさか、と逸った気持ちが喉からせり上がり、相手の動向から目を離すまいと瞼を見開く。
「……七星の首だ」
彼の声は真面目で冷静だった。少なくとも、そう装って相手のペースに呑まれないよう努めているのが見て取れた。ただ眼差しだけが肉食獣じみて、遠くの高い位置にいる闖入者を凄んでいる。
そんな七星の首を馬鹿にしているのか本気なのか、「それくらい知ってるよ!」と駄々をこねるような喚き声とともに、再び目にも止まらぬ矢が射出された。
今度は標的から僅かに反れ、鋭い矢の先端は地面に突き刺さる。
一見すると喋りながら撃ったので外したように見えるが──ああ、俺には分かる。あの闖入者はわざと外したのだ。
あいつが百発百中の弓矢の腕前であることは俺がよく知っている。
「そう、俺の名は!」
夕闇の空に高々と突き上げられる、闖入者の拳。根拠のない自信で満ちた姿に頼もしさを覚えた。
「たくあんを愛し、たくあんに愛されたこの男──!」
「え?」七星の首が声を洩らす。
「人呼んで、長遐のたくあん王子だぜぇえええ!」
とう! と威勢よく叫んで地面に降り立つ。──そう、こんな阿呆な口上をする奴があいつ以外にいるはずないのである。




