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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第六話 異端の村
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「大丈夫?」


 三ノ星が思わず声を掛けたのは、俺が半ば口を開けたまま硬直して五秒が経過した頃だった。顎関節の痛みも感じず、ただ開いた口が塞がらなかった。

 脳裏を駆け抜けたのは、今まで予想もしなかった可能性である。人が小鳥に変じる奇術──そんなものを使う人間が、この世にそう何人もいるとは思えない。否、思いたくない。

 つまり、そこから導き出される答えは何か。思いもよらなかった道筋がひとつに繋がり、俺はひとつ、重大な見落としをしていたことに気が付いた。


 そう、あの神出鬼没の三光鳥は幾度も俺や翔の前に姿を顕しながら──白狐さんとだけは顔を合わせたことがなかったのだ。今まで白狐さんと三光鳥が対面したことは、俺の知る限りでは一度もない。

 それは、三光鳥の意図的なものだったのだろうか? 或いは、“義兄”である白狐さんに会いたくない理由があったのか?

 もし本当に、あの人の言葉を解する三光鳥が、影家の跡取りとなった「綺羅」という男ならば。そうだとすれば、今、盤上はどのような情勢に傾いているのだろう。

 俺は目の前にいる三ノ星のことすら忘れて思考に没頭した。

 三光鳥は俺の前に現れ、「この件に関わるな」とわざわざ忠告した。そして千伽に警戒するように、とも。

 それはつまり、あの予言者そのものが今回の騒動に関わっていることの表われに相違ない。俺がこの件に絡み、千伽に与すれば三光鳥の都合が悪くなる事情がある──。

 皇帝と白狐さん、三光鳥と千伽。この対立構造は一体何を意味するのか。そして俺は、彼らにとってどういう役割を果たすと見なされているのか。加えてコウキは、何故皇国の朝廷事情に絡むのか。

 何にせよ明らかことは、彼らにとって俺は駒のひとつに過ぎず、俺個人の感情などどうでもいいと扱われている点だ。いや、むしろ俺個人の感情が利用されていると言ってもいい。


「──ちょっといいか。話を整理させてくれ」


 俺は両方のこめかみに指を押し当てたまま、呻く。

 問われれば答えなければならない。嘘や誤魔化しは効かない。誰が味方ともつかない状況下、霊域の掟を有効活用しない手はなかった。


「お前たちが届けた書簡には、影家の狐に恩赦を与えると書いてあった。……しかし、あれは嘘なんだろう? 叛逆罪を赦したと見せかけ油断させ、白狐様を正式に処刑するのが当今皇上の思惑だと」


「……恐らく」三ノ星の答え方は慎重だ。己の立場を悪くしないよう気を遣っているのが見て取れる。「正直なところ、僕もあまり確信はない」


 ふう、と憂い混じりの溜息をつき、次に彼が漏らした情報は、俺へのささやかな協力のつもりだったのか、惑わすつもりだったのか分からない。


「その綺羅様が、影家の狐は処刑するべきだって当今皇上に進言したらしい。噂だけれど」


「……」


 白狐さんの処刑に賛同しているのならば、そこにどんな理由があれ俺の味方とは言い難い。かといって敵とも断言できないのは、今まで少なからず俺たちの助力となった、予言者としての彼の側面が念頭にあったのだろう。

 雑念を払い、続ける。重苦しい緊迫感は、質問というより尋問のそれに近かった。


「じゃあ、それとは別に司旦が影家の狐暗殺を目論んでいるというのは本当か?」


「え、司旦が?」そこで初めて七星(チーシィン)は表情を崩す。はっと何かを口にしかけ、思い留まったのを見逃さない。彼は顎に指を沿わせ、眉間に皺を寄せた。


「それは……うーむ、なるほど。君はそれで慌てて白狐様を追っているのか」


「知らなかったのか?」


 内心で焦燥感が募る。今こうしている間にも、司旦が白狐さんに手をかけないとも限らない。──時間がないのだ。


「てっきり君は、影家の狐を救うため、僕らに奇襲を仕掛けてあの方を強奪するつもりなのかと」


 首を捻る彼に、「さすがにそこまで大胆で無鉄砲なことはしない」と頭を振る。


 そんなに無計画であったのなら、俺もこんな話には乗らなかっただろう。スコノスにだって危険と無茶の区別くらいはある。


「お前の目から見て、司旦に怪しい素振りはなかったか?」気が急いて、無意識に声が上擦った。「そうだ、白狐さん……いや、白狐様と司旦に因縁があるというのは本当か」


「ああ、あるよ」


 そのきっぱりとした答えに、心臓がどきりと脈打つ。千伽はただ、闇雲に俺の不安を煽った訳ではなかったのだ。

 三ノ星はじっと前を見据えている。


「実際に、司旦には前科がある」


「前科……前にも白狐様を殺そうとしたということか?」不安定に震えた声、三ノ星は感情の読み取れない面持ちで首肯した。「その通り」と。


「まあ、そのとき暗殺未遂に終わったから白狐様はまだ生きておられるんだけど」


 俺は視線を湿地の方へと投げかける。まだ薄暗い夜更けの岸辺、月明かりも吸い込む漆黒の水面は、鏡のように静謐だ。生き物の気配を感じられないほど。

 ──水霊に反応はない。霊域で嘘をつけば、自然霊が怒って襲い掛かってくるはず。三ノ星は、嘘は言っていないようだ。

 だが、棘のように心に引っ掛かったこの痒みは、単なる猜疑心と済ませていいのだろうか?

 脳裏を過ったのは、最後の晩に見た白狐さんの表情。司旦の名を聞いてそこに浮かんだ彼の微笑みは、嬉しさと懐かしさと切なさが綯交ぜになり、かつて己を殺そうとした者へ向ける眼差しとは到底思えない。

 ──あの優しい微笑には、どんな意味が込められていたのだろう。


「司旦を追うんでしょう? なら、手を貸してあげる」


 切り出すタイミングを見計らっていたよう、三ノ星が音もなく立ち上がった。水に濡れた着物の裾が重たく靡き、つられて俺は顔を上向ける。目が合った彼の瞳は何の感慨もない。


「……千伽様に、それも指示されたのか?」


「まあね」三ノ星は素っ気なく頷く。「君が無事に冴省に行くまで、手助けするように、と」


 そのとき、至極真っ当な疑問が脳裏に過った。千伽の目的が司旦暗殺であるのなら、別に依頼するのは俺でなくとも良かったのではないか。この三ノ星を懐柔して司旦を殺させる方が、余程手間がかからなくて早いのではないか、と──。


「向こう側まで先導するよ。あっちの岸辺に渡れば、そこはもう冴省だ。関所を通らずに省の境を越えられる裏道なんだ」


 彼が指さしたのは、まだ夜明けの気配もない夜の湿地。薄い霧が水面を這い、視界を悪くしている。ところどころ水溜りのような池塘があるほか先まで見通せないが──“道”らしきものはない。まさか対岸まで泳ぐつもりなのだろうか。

 逡巡した俺は、肩の傷を労わりながら腰を上げる。すると三ノ星は水際に立ち、「おいで」と痩せた手を伸ばした。


「水霊に乗せてあげる」


「え」


 濁音で返事をしてしまう。顔を青くさせる俺を意に介さず、三ノ星は喉からあの甲高い笛のような音を響かせた。人間の声帯からこんな音が出るのか、と頭の片隅で感心する。

 玲瓏な音色は、夜の湿地の隅々にまで広がった。やがてあの竜巻のような勢いとともに、やけに神妙な顔をした水霊が闇の中に顔を覗かせる。まるで己の出番を待っていたかのように。

 手足もヒレのない、蛇のような長い体躯。村人を襲ったときとは打って変わって、三ノ星の前では飼い慣らされた犬のように身を屈めているのが奇妙だ。


「──……」


 正面から見据えても、水霊が俺たちに牙を剥くようなことはなかった。

 こちらを視認しているのかも怪しい退化した目は、顔の大きさに反して間抜けな印象を与える。とはいえ、見上げるほどの規格外の白い巨躯は、一切合切を黙らせる圧倒的な迫力があった。

 ……これに、乗るのか。棒立ちのまま片言で問いかける俺に、三ノ星は「どうぞ」とだけ言って遠慮がちに手招きをした。

 二の足を踏む俺は、「本当に大丈夫なのか?」としつこいほど疑心暗鬼してしまう。何せ俺はスコノス、自然霊には嫌われやすい立場にある。もし水霊の背に乗って振り落とされでもしたら、命にかかわる。


「平気だよ」何の確証があるのか、三ノ星はぼそぼそ聞きとりにくい声で呟いた。「水霊は君に敵意を持っていない」


「嘘だろう」


「嘘は言わないよ。あまり疑念を抱くと水霊が怒るよ」


 霊使いの声に応えるよう、水霊が軽く開いた口から息を洩らす。排気ガスを撒き散らす自動車のように、周囲に白い霧が充満した。早くしろ、と言っているようだった。

 俺は仕方なしに、足先を浅瀬に沈める。冷水が靴の中に染みた。


「君は前に乗って。僕は後ろに乗る」


 そんなタクシーに乗るような調子で言われても、という躊躇を飲み込み、俺は恐る恐る水上に露わになった水霊の尾に手を伸ばした。

 生白い表皮には固い鱗が生え揃い、水霊が身体を揺らす度にぬるぬると光る。触れてみればひやりと冷たく、その巨躯は薄っすらと粘膜に覆われているようだ。

 思わず手を引っ込めてしまうが、文字通り乗り掛かった舟。えいや、と思い切って飛沫を飛ばし、跨ってみる。


「あのね君、そんな端に乗ったらすぐ滑り落ちるよ」


 ほら前に行った行った。三ノ星に押され、俺は水霊の長い背の中ほどにまで追いやられた。不安が募るが、確かにこちらの方がそれほど濡れなくて済みそうだ。

 しかし水霊の身には当然ながら手綱も鞍もなく、鬣すらもない。どこに捕まってバランスを保てばいいのか。

 ぴい、と三ノ星が口笛のようなものを吹いた。それが問答無用の合図だった。俺が何かを問いかけるよりも早く、水霊は向こうの岸辺を目指して泳ぎ始めた。


「うわぁああっ」


 笑ってしまうほど情けない声を出してしまったのは、慣性の法則が働かず、股の下で水霊の身体だけがするする前進したためである。慌てて滑らかな背中にしがみ付くが、水に溶けた粘膜が邪魔をして上手く掴めない。

 何度か水底に足をついて、水霊の動きに付いていこうと苦戦する。初めて自転車に乗ったときもこんな感触だっただろうか。いや、そんなことよりも。

 体重を完全に預ければぐらぐらと身体が左右に傾き、下手をすれば水に落ちかねない。実際俺は、腰まで泥水に浸かっていた。スピードがあるため、進み出してものの数秒で既に人間の足が届かないほど深みにまで移動してしまう。

 蛇が地面や水中を進む光景を想像してほしい。身体を左右にうねらせながら前進する、あの動作だ。水霊はまさにそれと同じ動きで、軽やかに水の中を泳いだ。後にも先にも、こんなに居心地の悪い乗り物に乗ったのは初めてだった。

 前のめりになれば多少バランスは取れるが、代わりに水面が迫ってくる恐怖がある。両手に力を込めるほどぬるぬる滑るので、ほぼ股関節の力だけで体幹を保っている状態だ。

 その体躯が曲線を描いてうねる度、靴先が葦に引っ掛かったりして水が跳ねた。いちいち悲鳴を上げていると泥水が口の中に入る。あまり騒がないでと背後の三ノ星に釘を刺される始末だ。


 どれくらい進んだか、暗さと焦りのため時間や距離感がまるで掴めなかった。夕省と冴省の西境に広がる湿地帯は茫漠として広い。

 骨のような葦草が群生しているほかは味気なく、寒い地域のためか山塑都の辺りで見かけた水芭蕉も咲いていない。灰色の霧が、余計に辺りを閑散として見えた。

 幾度となく転げ落ちかけ、背後の三ノ星に支えられ、そんな三ノ星と口をきく余裕もなくようやく水霊の背に乗るコツを掴んだと思った頃には目的の陸地に着いていたらしい。

 ずるずる、と重たいものを引きずるような震動があり、やがて水霊の腹が浅い水底に擦れているのだと分かる。重たげに持ち上がった首が岸辺に乗り上げた。

 一見しただけでは周囲の葦原と差異がないが、よく目を凝らせばそこに確固たる地面があるようだ。

 広大な湿地を泳ぎ渡った水霊は何の表情の変化もなく、人間二人を乗せてもまるで疲れた素振りはない。恐らくこの巨体では、小さなゴミがへばり付いている程度にしか感じなかったのだろう。

 促されてよろよろと降りれば、水霊は役目を終えたことを悟ったよう、三ノ星の合図も待たずに暗澹とした水中に沈んでいった。脚から力が抜けた俺は、畔に辿り着く前にがっくり膝をつく。ずっと冷たい泥水に浸かっていたため、下半身が鈍く痺れている。


「他の七星(チーシィン)一行は、白狐様を連れて冴省を東に縦断する道を行った。僕とここで別れたのは二日ほど前。白狐様が白昼の旅を渋るから、予定よりもずっと遅れている。今から急いで追えばどうにか間に合うと思う」


「そ、そうか……」


 顔色一つ変えずにそう言った三ノ星は、振り返ることなく陸地へ歩いていく。がくがく膝を笑わせる俺は、かなり遅れて後を追った。乾いた地面に体重を乗せると、気のせいかいつもより体が気怠い。水霊の霊気に中ったか。

 そして、あ、と声を洩らす。少し離れた草薮の陰に、いなくなったと思っていた老馬が蹲っていたのだ。三ノ星が初めて振り向いた。


「君の待ち人?」


「こいつ、どうして……」


 怪しい動きをする己の関節を気にしつつ、灰毛の馬に駆け寄った。傷だらけになって膝を曲げている老馬は、俺の気配に気付いて鼻先を上向ける。

 逃げたと思ったが、水霊を避けて岸辺をうろうろしていたのか。まるで俺を待っていたかのような彼女の行動が、俺には理解し難い。か細い息を吐く湿った口元を撫でてやり、俺は眉を下げたまま三ノ星を見やった。


「動物に好かれているの?」


「まさか」即答する。「どうしてだか、こいつにだけ妙に懐かれる」


「動物が人を好きになるのって、そんな深い理由はないと思うけど」三ノ星の呟きが、やけに耳に残った。心の中の腫瘍に触れられたようだった。




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