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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第六話 異端の村
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 その日の深夜。二階にある寄り合い所の客間にて。

 粗末な寝台に横たわった俺は、屋根と壁と寝具がある有難さに浸っていたのも束の間、ずきずきと突き刺すような胃腸の痛みを抱え、幾度となく寝返りを打っていた。

 今までで最も不愉快な腹痛だった。臓器を幾数もの針で刺激しているかのような痛み。息を吸っても吐いても痛い。無理に目を瞑っても責め苦は増すばかりで、身体は疲弊しているのに眠気は来ない。最悪だ。

 頭を過るのはやはり、雲上渓谷の水のこと。意識すればするほど、胃の中に何かいるように錯覚される。底に重たく溜まり、胃袋を圧迫する何かが。

 それが俺の恐怖心がつくりだした妄想なのかどうかも判然としない。しかし自分ではどうすることも出来ず、どの体勢になっても疼痛が収まる気配はなく、じわじわ蝕むどす黒い不安に身体を丸めて耐える他なかった。


 村はすっかり寝静まっている。部屋は薄暗く、中庭に面した窓から青い光が差し込んでいた。今にも小雨が降りだしそうな、冷たく凛とした湿気が壁越しに伝わってくる。

 素っ気ない板敷の客間の一室は、俺一人で泊まるには随分と広い。がらんとした室内には妙な生活感があり、昨日まで誰かが住んでいたと言われても不思議ではなかった。

 少なくとも、複数の人の匂いが壁に深く染みついている。理由は分からないが、それがやけに俺の心臓を逸らせた。

 この村は変だ。

 閉鎖的、排他的。そんな表現だけでは収まりきらない息苦しさ。おかしなところに足を踏み入れてしまったかもしれない。俺はこの集落に宿を求めたことを少し後悔し始めていた。

 まるで雑木林の陽に当たらないじめじめしたところに身を寄せ合っているような──むしろ、そんな人目につかない日陰を好んでいる雰囲気が村人にはあった。

 足を踏み入れたものは少なからず、何も悪いことをしていないのに過ちを犯したような居心地の悪さを覚える。長く留まれば、閉塞感でこちらの息が詰まりそうだ。

 明日、朝一番にここを出よう。そんな決意を固め、俺は幾度目か分からない寝返りを打って寝具に身体を落ち着かせ、目を瞑り、やがて眠気が訪れるのを待った。


 しかし──その場に訪れたのは眠気ではなかった。


 それは全く、唐突に起こった。自分の横たわっている寝台が、まるで何者かによって下から持ち上げられたかのよう、がたんと大きな音を立てて動いたのである。俺を乗せたまま一瞬だけ床から浮き上がった寝台は、その重さで脚を軋ませ、動物のようにぶるぶると震え出す。

 俺は文字通り飛び起き、寝台の暴走とも呼べそうなこの怪奇現象から逃れようとした。咄嗟に剣を掴むが、鋼の刃がこの状況で全く役に立たないことは明白である。何せ、相手は家具だ。

 天井から釣り下がっていた金属の照明がガタガタと痙攣し、壁にかかっていた水墨画が意志をもって宙に飛び出したとき──心臓が引っ繰り返るほど驚いていた俺は、妙に冷静になって分析する。

 なるほど。これは俗にポルターガイストと呼ばれる現象である、と。

 雲上渓谷を生きて脱出した経験か、俺の肝は据わっていた。驚きはしたが、動転はしなかった。自分でも笑ってしまうほど落ち着いた俺は、出来るだけ身を低くして、宙を飛び交う家具にぶつからないよう躱す。壁際まで逃げて、意識を集中させる。


「──……」


 室内の空気がむっと濃くなり、同時に酸素が薄くなったように錯覚した。壁から、床から、天井から、目に見えない淀みが滲み出ているような──そう、これは、ただの死人の記憶である。

 悲惨な事故現場に死者の無念が焼き付くよう、強すぎる感情は空間が記憶する。今まで幾度となく経験してきた怪奇現象の一種。恐らくポルターガイストもそれに釣られ、霊的エネルギーに物体が反応しているに過ぎない。

 そう理解してしまえば、必要以上に怯えることもなかった。それよりも俺が気にかけなければならないのは、かつてこの部屋で一体何が起こったのかということである。

 死んだ者の強い感情が現場に焼き付くのは、尋常でないことが起こったときのみ。常ならば亡者の嘆きなど無視をするに限るが、今回ばかりは他人事とは思えない。

 先程から俺が感じていた、この部屋の奇妙な生活感──確信する。遅くとも一昨日か昨日までに、この客間で人が死んでいる。それも、一人や二人ではなく、もっと大勢のネクロ・エグロが。


 目を閉じる。神経を研ぎ澄ませば、見えないものまで視えてきた。世捨て人の家を焼かれた夜から、俺は人ならざるものと思考を繋ぐコツを掴みつつある。

 それは気力と体力を摩耗させ、油断をすればこちらの精神が参ってしまいそうなほど億劫な作業ではあるのだが、小さな歯車を噛み合わせるよう束の間だけ意識を委ねるのは、慣れてしまえばそれほど難しくない。

 スコノスだ、と名乗るより先に俺の脳裏はそれらに埋め尽くされる。最も大きく占めたのは恐怖だった。

 この空間を満たす、死んだ者の無形の思念。死への恐怖、悲哀、絶望、裏切られた衝撃、ほんの僅かな寂寥と悔しさ。次々と流れ込む感情が、俺の内面を支配する。

 枝分かれする情念がひとつに繋がり、やがて俺の精神に飛び込んだそれらが粘土のように悲鳴じみた声を練り上げた。


「逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ」


 びくりと身体が震える。死者の叫びが、まるで耳元で響いたかのように錯覚したのだ。思わず周囲を見回すも、高速で飛んできた照明具が鼻先を掠めたのみ。

 確かに声がする。それは俺が集中して汲み取った幻覚に過ぎないのだが──生々しさのあまり、今まさに殺されんとする人間の影すら視えた気がした。一斉に客間へ踏み込んで襲撃する村人。振り上げられる刃物の煌めきと、抵抗できず逃げ惑う旅人たち。

 後になってみれば奇妙な体験だった。死人が、まるで俺に味方をするような立場を取ったのだ。脳裏で、誰かの黒々とした口が吼える。それが最後の忠告だった。


()()()()()()




 ***




 夜の暗闇を、息を切らして走っていた。生け垣を乗り越え、方形の中庭を横切る。血の気が引いて、地面を踏む足の感覚すら覚束ない。

 二階の跳ね上げ窓から飛び降り、厩から灰毛の老馬を起こして引っ張って来るまで僅か三分。生命の危機を感じたとき、人間の身体は信じられないような身のこなしをする。まさに、火事場の馬鹿力の体現だ。

 どくどくと痛いほど脈打つ心臓。死者の忠告が鼓膜にこびり付いている。反射的に過ったのは、仄暗く賑わう酒楼で客が突いていた肉料理のこと。まさか、と思う。──あまり信じたくはないが、まさか、あの肉は。

 今すぐこの建物から、いや、村から離れなくてはいけない。嫌な予感が確信を帯びつつある。あの客間にひしめいていた死人の記憶の数は、十や二十など生易しいものではない。

 俺のようにあそこに泊まった外部の旅人は、一人残らず始末されている。それも大勢の村人によって襲われた末、一様に香ばしく焼かれ、卓上に乗っていたのだとすれば。この村全体が共犯であるのなら、その理由は一体、狂気以外の何なのかと。

 懸命に首を振る。今はそんなことを考えている暇はない。宿で暗中の死闘をするなど「三岔口」でもあるまいし、逃げるが勝ちだ。


 俺は素早く手綱を掴んで、剣を背負い、なるべき音を立てずに寄り合い所の敷地を出る。微かにざわつく草木のそよぎに息を飲み、闇が背後から迫ってくるような恐怖に急かされながら、無舗装の路を急いだ。

 誰かに見つかれば一貫の終わりだった。この村の建物が、夜全体が俺に敵意の牙を向けているように思えた。そんな場合ではないのに、緊迫のためじわじわと締め付ける胃痛に苦しげな息が漏れる。

 背後で足元をふらつかせる老馬も、何故だか酷く体調が悪そうだ。寝起きゆえだろうか。それでも、立ち止まっていたくはなかった。

 雲上渓谷で俺を助けてくれた恩人たる灰毛の老馬をあそこに置いていく気にはなれなかったのだ。あのとき、老馬は俺を助けるに値すると信じてくれた。例えそれが理性なき動物相手であれ、一度結ばれた信頼は裏切ってはならない。

 今の俺ならば、胸を張ってそう言えるだろう。彼女が俺に付いてきてくれる限り、置き去りになどしない。


 脱兎の如く逃げ出した頭の隅で、どうやって村の外廓を越えるかという一抹の不安が燻る。この集落をぐるりと囲う土壁は、俺一人ならともかく年老いた馬は超えられまい。

 つまり、門守が不寝番しているであろう粗末な門をどうにかして突破しなくてはならない。他の村人に見つかる前に、生きるか死ぬかという覚悟を決める必要がありそうだ。

 背中に負った剣が、緊迫とともにその重量を増していく。この刃を抜く機会がこないことを、俺は心から願っていたのだが──。

 前方に、簡素な門の輪郭が浮かび上がってきた。まるで水底から浮上したように、入ったときよりも大きく立ちはだかって見える。きっとあそこには、不愛想な門守がいるのであろう。

 出し抜けに、俺は地面を振動させる幾つもの足音を聞く。虫のよう蠢く人々の影と、掲げられた数え切れない松明。「あそこだ、いたぞ!」と口々に叫ぶ声を背後に聞いたとき、いよいよ追い詰められたことを悟る。

 自分の足元に生まれた影が、背後に迫る村人たちとの距離を教えてくれた。見つかった、終わりだ、という一瞬の失望感が速度を鈍らせる。

 ところが突然左手に巻いた手綱が強く引っ張られ、俺の身体は自然と前のめりに傾く。


 前門、後門、ともに詰み。ならば、一点突破あるのみ。


 反射的に背中の剣を引き抜いた。全速力で駆け出した灰毛の老馬が、またもや俺の気力を奮い立たせたようだった。

 手綱ごと引きずられないよう、今度は俺も走り出す。地面を蹴って、抜刀した剣を振り上げ──最早周囲の目を気にする理性もなく。

 あらん限りの力で叫んだ。そこをどけ、と。逼迫のあまり己の声とは思えなかった。

 俺たちを迎え討たんとしていた門守が、僅かに狼狽の色を浮かべる。俺の威嚇の咆哮が届いたか、真正面から全力疾走する馬の気迫に怯えたか。何にせよ、それは隙だ。千載一遇の好機。流れを掴んだ瞬間、腹の底から戦意が湧いた。


 ──結論から言えば、老馬は強かった。

 彼女は目の前に仁王立ちしていた門守を勢いよく轢き倒したのみならず、そのまま閉まっていた木製の戸に体当たりまでかましたのだ。アクセルとブレーキを踏み間違えた自動車のように、何かの間違いだと思いたくなるほどの無謀な突撃だった。

 半ば彼女に引き摺られる形で門の前まで到達した俺は、斜めから斬りかかってきた門守の男の剣を受け止める。金属がぶつかり合い、火花が散った。

 このままでは圧し負ける──左手に絡まった手綱を解こうと懸命に腕を振った途端。男の追撃が俺の手の甲を狙った。


「──っ」


 焼け付くような痛みに裂かれ、声にならない。よろめいた拍子に尻餅をつき、がくんと視界が揺れる。

 余裕はなかった。咄嗟に刃を横凪にし、門守の両足を斬り倒す。血が噴き出て、悲鳴が上がった。手に走った生々しい肉の感触が、電撃のように脳髄にまで伝わる。生まれて初めて、人間を斬った感覚だった。

 恐怖もなく、驚きもなく、音のない空間に抛り出されたようだ。その無音ですら長くは続かない。荒い呼気を吐く馬が、俺を引き摺ろうと曲げた足を踏ん張る。顔を上げれば、目の前にあるのは中途半端に壊れかけた外門の閂。

 早く、早く逃げなくては──。

 自分がどうやって立ち上がったのか、どうやって地面を蹴ったのか覚えていない。ただ人を斬った興奮と恐怖と焦りで頭が真っ白になり、理性を失くした動物のようにひたすら扉に向けて体当たりをする。肩も腕も頭もぶつけ、血を流しながらも痛みは感じない。

 果たしてそれが効率的なやり方だったか定かではなく、追手の影がほとんど二メートルないほどの距離にまで縮まったとき、ようやく観音開きの門戸は力尽きて口を開けた。

 勢い余って外の斜面を転がるように村の外へと脱出する。老馬は走るというより、俺に引っ張られる形でどうにか脚を追いつかせた。束の間頬を撫でた外の空気は、冷たく澄んでいた。


「贄を逃がすな! 追え!」


 絶叫じみた声を背後に、俺と老馬は立体感のない夜闇に向かって駆け出した。




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