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明後日の空模様 朝廷編  作者: こく
第六話 異端の村
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 そこは、西の夕省と北の冴省の境にある古い村落らしかった。

 一帯には芋や豆が植えられた粗末な畑が広がっており、特筆すべき点もないどこにでもある寂れた田園という印象である。豊かな稲畑は夕省の風物詩のひとつだが、寒冷で貧しいこの辺りの土地はむしろ北方の田舎風景に近いようだ。

 すっかり夜に塗り込められた空のもと、ぐるりと村を囲う粗末な土壁が不穏なものを醸している。暗さのためだろうか。どことなく他所者を拒むような空気が村全体から発散されている。

 しかし、俺にとってはその程度些細な問題だ。自分以外に人がいる──ずっと野外で過ごしてきた身、周囲に人がいる安心感と金さえ払えば食物が手に入る環境が恋しい。

 灰毛の馬を引き連れ、村の入り口へと歩み寄る。日が暮れているために門はぴったりと隙間なく閉ざされていた。やや崩れかけた土壁の一部に嵌め込まれた木製の窓を見つけ、俺はそこに首を伸ばす。


「御免ください」


 中から反応が返るまで数秒かかった。不自然な間だった。小さな窓口が開いたとき、まるで居留守をしていたところを嫌々引きずり出されたような顔つきの門守が覗く。冴えない土気色の顔が陰になり、殊更機嫌が悪そうだ。

 こんな遅い時分に門を叩いた若者を訝っているのかもしれない。俺は居住まいを正し、道に迷った善良な旅人を装って、村に入れてくれるよう頼んだ。


「はあ……陽が落ちたら誰も入れない決まりなんだけどねぇ」彼はじろじろと俺の汚い身なりを舐め回し、眉を顰めている。「冴省の関所に行くにしては随分と道を外れているんじゃあないのかい」


「でも、さっき一人中に入っていくのを見ましたよ」


 思わず口をついたのは、俺がこの村落に辿り着くきっかけとなった男のことである。

 彼が旅人だったのかこの村の住民だったのか不明だが、少なくとも彼が門をくぐったときも日が暮れて辺りは暗かった。彼だけ迎え入れて、俺だけ追い返すのは不平等ではないか。


「……」


 心なしか、空気が緊張したようだった。俺は胸中に嫌な予感を覚える。それは薄氷にひびを入れたときの感触に近かった。

 俺は何か、言ってはいけないことを口走ったのかもしれない。俺があの男のことを尾行してきたことは、伏せておいたほうが良かったのかもしれない。

 案の定、木の窓がぱたんと不愛想に閉じられる。ただ跳ね返されただけならまだいい。あの門守が仲間を連れて、俺を袋叩きにするような展開もあり得る。慌てた俺は灰毛の老馬を連れて逃げようかと二の足を踏むが、予想に反してそんな理不尽なことは起こらなかった。

 閉ざされていた門戸の片側が開く。まるで、怪物が口を開けたかのように。獲物を誘い込む食虫植物のように。

 きい、と軋む木の音に振り向けば、先程の愛想のない門守がそこで手招きをしていた。思ったよりも小柄な男のようだ。「仕方ないから今晩だけ入れてやる」とぼそぼそ言われたことが信じられない。

 その不機嫌な態度は明らかな拒絶なのに、この俺を迎え入れるだけの価値をどこに見出したのか。それとも彼は、不愛想な外面の内に、困っている若者に手を差し伸べるだけの優しさを秘めていたりするのだろうか。

 今更断れる雰囲気でもなく、おっかなびっくり門をくぐろうとした俺は、次の瞬間肩を掴まれる。門守は無言のまま片手を差し出し、それでとんとんとこちらの腕を突く。まるで、何かを要求しているかのように。


「……」


 仕方なく懐に手を入れ、なけなしの小銭を彼の手に握らせる。足元を見られるのに、最早慣れつつあった。

 硬貨が偽物でないことを確かめた門守は、鼻歌混じりにこちらを招き入れた。彼に連れられる形で村の内部に入った俺は馬を引き、在郷の木造家屋が建ち並んだ路を往く。


 見た目以上に小さな村落だ。住人は五十も六十もいないくらいだろう。

 踏み固められた無舗装の路はところどころに雑草が生え、俺よりもやや若い少年が豚の群れを箒で追っていた。目が合うと、すぐ逸らされる。

 村の構造自体は単純だった。昔ながらの古びた天院を中心に家屋が建ち並び、囲郭に沿うほど建物の造りが粗末になる。どこからか引かれた水が石造りの水路を伝って音もなく流れている。

 路を曲がれば、天院の輪郭が目の前に浮かび上がった。ところどころ剥がれた漆喰の壁に年月の流れを感じる、古風で飾りけのない白亜の建物だ。じっと観察していると、あまり見るなと背後の門守にせっつかれた。

 そのとき、ぞくりとしたものが背骨を走る。今まで皇国民の信仰の拠り所たる天院に対し、厳粛な心持ちになったり居心地の悪さを覚えたことはあれ、恐怖を感じたのはこのときが初めてだった。


「──……」


 やがて天院を通りすぎ、俺が連れられてきたのは門から離れた大きな木造建築である。大きな木板の看板が立て掛けられ、高さのある敷居が昔ながらの古い建造物であることを感じさせた。

 開いたままの扉から、人々の賑やかなざわめきが漏れている。音とともに酒や料理の匂いが漂い、そこは酒楼であると分かった。酒楼とは酒を出す飲食店のことを指すが、この寂れた村で他に店は見当たらない。つまりここは一日の仕事の疲れを癒すため、村人たちが一斉に集まる憩いの場と考えていいだろう。

 案の定、この時間の店内は混雑していた。この小さな村にこれほど人がいるのかと思うほどだった。

 何かの肉を焼く煙が天井まで充満し、視界が悪い。入り口に突っ立って様子を窺おうとした俺は、奥の方から妙な注目を感じて眉を顰める。「誰だあれは」と喧騒の中で聞こえた声が妙に耳にこびり付いた。


「おい、どっから来たんだい、若いの。近くのもんじゃねえな」


 忙しそうにしていた主人らしき男がこちらをじろじろと不躾に凝視する。背丈は低く、目元のはっきりした丸顔で、どこか狸を思わせる風貌だ。法令線が深く、歳なのか肥満なのか頬の皮膚が少し垂れている。

 愛想良く振る舞えば気さくなおじさんといった雰囲気だが、不機嫌そうな彼はそんな素振りを微塵も見せなかった。山越えして泥だらけになった俺の格好を訝ったのか、或いは他に気になるところがあったのか定かでない。


「冴省に行く途中で迷ったんだとさ」


「何か食べさせてください」


 案内役となった門守の言葉に続け、俺は彼の顔をじっと見つめ返す。堂々としていればそれらしく見えるものだ。何か言いかけた主人は開いた口から息を吐き、ぐ、と眉間に深い皺を寄せる。


「金は払います」つい語尾が尻すぼみになったのは、持ち金がどれくらい残っていたか自信がなかったためだ。


「……」


 またもや、不自然な間があった。俺は落ち着かない。まるで背に刃を突き付けられているかのようだ。この村落に一夜の宿を求めたのは、果たして正しかったのか。どうにもよそ者を拒む閉鎖的な空気が漂っている。

 とはいえ、もし主人が不穏な予感を覚えていたのだとすれば、それは間違っていない。何せ俺は、不本意ながら七星(チーシィン)暗殺の密約を結ばされた立場である。


「仕方ない。……」


 沈黙の最中、門守と主人の間で交わされた目線のやり取りが何を意味していたのか俺には見当もつかなかった。ごにょごにょと主人の口で揉まれた語尾は形にならず、それが了承の意であることを理解するのにも時間がかかる。


「一晩だけ、泊まっていけ。この村に宿はないが、寄り合い場の二階の部屋でも空ける」


「え」いいんですか、と言いかけた言葉を飲み込む。交渉するよりも休む場所を提供してくれるとはやや予想外だった。


 そして同時に、この建物はただの酒場ではなく、村人が集まる集会所としての役割を果たしているのだと知る。道理で人が多いわけだ。

 主人とその妻らしき女性がちらちらとこちらを怪しんでいる。門守は意味ありげな一瞥を投げてから、踵を返した。俺はやや消化不良ながらも、この寄り合い所を今晩の宿に決める。

 温かいものを腹に入れ、休むためだと割り切ったほうが良さそうだ。馬の世話は若い下男に任せ、俺は敷居を跨いだ。

 案内されてみれば二階建ての建物は古びてはいるが堅牢で、使い込まれた骨董品のような趣がある。日に灼けた柱は艶を失い、土足で踏む敷石はところどころ剥げていた。

 煤で真っ黒になった太い梁に釣られた照明具が、薄暗い廊下を照らしている。よくある建築様式がそうであるよう中央には植え込みで仕切られた中庭があり、井戸と厩がそこにあった。一階には酒楼が隣接し、夕餉の時刻とあって遠目からでも仄暗い賑わいが窺える。

 寂れた村落にしては喧々たる雰囲気だと、俺はきょろきょろしながらそちらへ向かう。ともあれ、腹を満たさないことには始まらない。すれ違う女たちが、いちいち不愛想な一瞥を寄越してきた。俺の何が気に食わないというのだろう。

 広々と設けられた酒楼は、料理や酒類、煙の匂いが充満している。何かの肉を焼いている煙らしい。粗末なつくりの椅子と机が並べられ、ほとんどが満席だ。

 日頃の疲れを癒しに、或いは仕事帰りの一杯。様々な顔ぶれの男たちが窮屈そうに集い、卓上の肉を箸で突き、時折どこかで喧騒と笑い声が弾けている。


「白湯と粥を頼む」


 騒々しい音に掻き消されないよう、給仕をしている下女に声を張った。食事代を払えば少しは愛想が良くなるかと思ったが、残り僅かな銭を手渡しても彼女たちの態度にさしたる変化はない。

 首を伸ばしている俺の横顔を、向かいに座った不精な男が見つめている。


「……」


 この寄り合い所に──いや、村に入ったときからひしめく不協和は、一体何なのか。考えすぎと目を瞑ろうにも、曖昧な違和感は募るばかり。誰かと視線を交わす度、会話をする度、彼らと己の脈拍に微妙なずれを覚える。

 見られている。ちらちらと、見知らぬ誰かが絶えず俺を警戒している。実際、気のせいではなかった。端の椅子に腰かけた俺の周囲に丸い輪があるよう、俺はこの空間で浮いていた。

 身なりがみずぼらしいことを除けば、悪目立ちする心当たりはない。思い切って横に振り向けば、さっと顔を逸らす者がいた。見知らぬ者だが──嫌な感じがする。

 やがて、熱い白湯と粥が運ばれてきた。久し振りに食べる、温かい料理だった。

 早速、蓮華で掬って口に運ぶ。田舎風の甘い粥には豆類や棗が混ぜ込まれ、胃に優しい風味だ。茶碗に注がれた白湯も何てことはないただの湯だが、冷えた身体には有難かった。


「なァ、そこの若いの。あんたァどっから来たんだい」


 かちゃかちゃ食器を鳴らしていると、不意に、向かいの男に声を掛けられる。喧騒に掻き消され、初めは自分に向けられたものとは気づかなかった。

 顔を上げれば、無精な面の男と視線が合う。季節の割に日に焼け、眉がやけに薄く、冴えない顔つきだ。箸先で肉を摘んだままの彼は、どうにも世間話の体を装っているようだった。


「夕省の沢庵村」


「聞いたことねェなあ」


 そうでしょう、と俺は心の中で相槌を打つ。そんな村存在しませんから。


「冴省へ行くのかい。一人で?」


「ええ」


「何のために」


 どうやら詮索されているらしい。単なる世間話にしては愛想が足らない。それに、と俺はこっそり目を伏せがちにして周囲を窺う。

 俺に注目しているのはあたかもこの男だけのように見えるが、実際はこの広い食卓を囲む者全員が聞き耳を立てている。そんな気がした。


 ひとつ息を吐き、言葉を紡ぐ。「雰王山へ廻国巡礼に行きます」


 今回、こうして七星(チーシィン)たちを追うにあたって、俺は身分を貧相な巡礼者に偽って乗り切ることにした。少なくとも省の境を超えるには関所を通らなければならないし、それでなくともいい歳をした若者──俺はまだ十六歳だが、ネクロ・エグロの庶民にとっては充分大人である──が昼間から働きもせず何をしているのかと訝られることも少なくない。

 その点、天学の教えをなぞり、地方の名所旧跡を巡る旅人というのは便利な言い訳だ。多少家柄が貧しく学識がなくとも、この国の最大の神域である雰王山の麓を目指す巡礼者は珍しくないし、実のところ俺が向かっている方角とそれほど逸れてもいない。

 信仰心というあやふやものほど偽るのに楽なものはないというのは、翔とともに安居を目指したときに体感済みだ。


「昨年の暮れに親と兄弟を流行り病で亡くして、供養をしたくて」


 ぼそぼそ、言葉少なに語る。嘘をつくコツは、そこにほんの少し真実を織り交ぜること。無論、白狐さんと翔が死んだと決まった訳ではないが。

 それにしても、俺の演技力はもう少し磨く必要がありそうだ。この棒読み具合、相棒が聞いたらさぞ大爆笑だろう。


「……へェ、そうかい」男が眉尻を下げたので、俺は、おや、と思う。


 心なしか、周囲の雰囲気が緩んだような、逆に緊張したような、とにかく酒楼の空気に変動があった。それはプラスがマイナスに、マイナスがプラスに変わったようなもので、最終的な数値にさしたる違いはないのだが。

 まさか俺の棒読みが人の心を掴んだのだろうか。そんなはずはないだろう。顔を上げて確かめたいが、下手に訝られたくないので俯いたまま肩を窄める。事態が好転するのか否か、見当もつかなかった。


「雰王山の豊隆様に巡拝かい」彼は粘着質にゆっくり繰り返した。「じゃあ本望だろうね」


「え?」


 意味が理解できず、顔を上げる。しかし、彼は手元の肉を箸で突くばかり、こちらと視線を合わせようとしない。

 俺は彼の世間話に形ばかり応えてやっただけで、特に機嫌を損ねるようなことを言った覚えはなかった。ますます困惑を隠せない俺は、それ以上この場で口をきくことは避けたほうが良さそうだと思い直す。

 そんな俺の内心を知っているのかいないのか、それから男が会話を持ちかけることはなかった。ただ俺の頭の中では「じゃあ本望だろうね」とさり気なく吐かれた彼の言葉がぐるぐる巡り、喉につかえた粥が上手く消化できない。


「……」


 酒楼の客、給仕の下女までもが一丸となって、俺への対抗前線を構築している──そんな予感さえする。鳩尾を圧迫されるような異質な空気の中、俺は粥一杯を食べ終えるまでにかなりの時間と精神力を要した。




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