無名の騎士の傍らには
どうも。緋絽と申します。
よろしくお願いいたします。
「私はリコールというよりも、まずは証拠を集めて奴等と話をしてみるつもりだ。それでも態度を改めなかった、その時にリコールをしようと思う。………甘いと思うか?」
「いや。やっぱ現実つきつけて戦いを挑む方が、あんたらしいんじゃない」
絵莉花は清月の言葉に嬉しそうに微笑んだ。
何かと痛いところを突いてくる清月が、正直な男なのだと絵莉花はもう知っている。その清月に言われると、不思議と自信が持てた。
それから二人はリコールの証拠を集め始めた。
会長代理の捺印ばかりの書類、日付。絵莉花しかいない生徒会室の数日分の映像。役員それぞれの不祥事。
ふ、と絵莉花は短く息を吐いた。
思ったより、これは精神的にくるものがある。もし、清月がいなかったら……。
清月を横目で見上げると、面倒そうに携帯の画面を睨み付けていた。
珍しく眉間に皺が寄っているし、なんだか深刻そうに見えた。
「清月?」
声をかけると、ハッとしたように絵莉花に目をやる。
そしてキュッと再び眉をしかめた。
「……九条絵莉花。ごめん。手伝うって言ったそばから悪いんだけど、しばらく来れなくなるかも」
まるで、水を浴びせられたようだった。
「あ……そ、そうか。いやっ、仕方あるまいっ。お家の事情か?」
「……あー。そう」
はっきりとしない返事。
自分には教えてくれないラインを、絵莉花は感じ取る。
「そうか……。いや、構わない。急がなくていいからな」
そう返した絵莉花を見て、何度か瞬いたあと、清月は絵莉花の頭を撫でた。
ドン、と絵莉花の心臓が鳴った。
「そんな顔しない。でも、ありがと。放課後はなるべく生徒会室にこもってなね。出るときは鍵かけて」
熱くなった顔を隠すために少し俯く。
何を思ったか、もう一度頭を撫でて清月が離れる。
撫でた感触が、後に残った。
翌日から、絵莉花はまた一人で生徒会室にこもった。
もう五日、清月に会っていない。
そういえば清月のクラスを知らないのだと、絵莉花は気づいた。
あちらからこの部屋に来てくれなければ、そもそも接点などないのだ。道ですれ違うこともない。
清月がどんな家の出なのかも、絵莉花は知らなかった。
絵莉花は生徒会室を出た。言われた通り鍵をかけるのを忘れない。清月は心配性だ。この学園内において、盗難などおきるはずもないのに。そんなことをする者などいるものか。
実際、金持ちの通うこの学園では、金銭目的での盗難はかつて起こったことはほとんどない。
自分の足で書類を出しにいくのも久々だ。
大量の処理済みの書類を両腕で抱え歩き出す。各委員会に提出したあと、最後に残った書類は顧問の印鑑がいるものだった。
いつもなら職員の個室部屋のポストに投函して返却を待つのだが、今回の書類は少し説明がいる。個室を訪ねたが不在だったため、絵莉花は顧問を捜すことにした。
校内を歩いて顧問を捜す。
どうせきっと、花園桃花のそばにいるに違いないのだ。
中庭まで出たとき、ふと聞き覚えのある可愛らしい笑い声が響いてきた。
この声は、花園桃花だ。
いつものように花園桃花を生徒会役員全員で囲っているのだろうと絵莉花は足を向けた。
様々な花が咲き誇る中庭の中程で、花園桃花が花冠を頭に載せて照れたように頬を染め微笑んでいる。思わず同じ女子である絵莉花でさえもうっかり可愛いと感じてしまうような笑みだ。
予想外にも花園桃花は、一人の男子生徒と二人でいた。
花園桃花が男子生徒の肩を叩いて首を傾げる。男子生徒が何か返したのだろう。花園桃花は嬉しそうに更に頬を染めて笑い返した。
「花園───」
うちの顧問を知らないか。
二人の邪魔をして申し訳ないと思いながらもそう尋ねようとしたとき、強く風が吹いて絵莉花の書類を拐う。
「あっ……!」
書類は男子生徒の足元に落ちた。
気がついたらしい男子生徒が拾い上げて顔をこちらに向ける。
そして、くっと瞠目した。
垂れた目。平々凡々な顔。
「……清月……」
驚いたような顔を一瞬見せたものの、すぐにいつものようなやる気のない顔に戻った清月が、絵莉花に書類を差し出す。
「はい」
「あ、ああ。助かった……」
どんどんと、絵莉花の心臓が音をたてている。呼吸が、うまくできていない気がする。
頭を撫でられたときとは違う。嫌な感じの鼓動。
「九条さん! どうしたの? こんなところで」
花園桃花が首をかしげた。羨ましくなるほど魅力的な仕草だ。
「あ、その、うちの顧問を知らないか。話が、あるんだが」
「あぁ! 先生なら、生物室じゃないかな? 授業の準備があるらしいから」
「そうか」
絵莉花はちらりと清月を見上げた。
無感動に絵莉花を見つめている。
「九条さん? まだ何かある?」
不思議そうな顔をして花園桃花が絵莉花を覗き込む。
絵莉花は後ずさった。
「いや、何もない。教えてくれてありがとう」
踵を返して二人から姿が見えなくなるまで絵莉花は逃げた。
逃げる必要などないはずなのに。
座り込んだ絵莉花は、心臓のあたりを押さえた。
なんだか、痛むような気がした。
それから急激に、清月と花園桃花が一緒にいるのをよく目撃するようになった。
勘違いかと思ったし、変だなと思ってからも、いや勘違いだと思い込もうとした。
だが。それにもやはり、限界というものがある。
何を勘違いだと思おうとしたかというと。
───見るたびに、清月と花園桃花が、俗っぽく言えばイチャイチャしていることである。
さっきもまた、食堂で花園桃花と清月が異様に近い距離で顔を合わせて話しているのを見た。
危うく持っていたグラスを握り割りそうになった。
「なんだよ」
私の方が、花園桃花より大切だと言ったくせに。
なんだか、苦しい。胸が何かでつつかれているかのようだ。
生徒会室で仕事をこなしていると、他の生徒会役員が押し掛けてきた。
「九条! 貴様の男をどうにかしろ! 桃花に色目使いおって、桃花をたぶらかしてる!」
「……清月が誰と仲良くしようが、あいつの勝手だ。私に規制する権利はない」
そうだ。花園桃花に悪気はない。だってあの子が仕事をするなと言った訳じゃない。ただ一言、「傍にいて」と囁いただけ。仕事をしないことを選んだのは役員達の方なのだ。だから、絵莉花があの子を嫌いになるのは、おかしな話なのだ。───本当は。
「何言ってるんです! ちゃんと手綱を握っていてくれないと困ります! 桃花は優しいので、迫られると困ってしまうのですよ!?」
そうだと賛同の声があがる。
迫られる? 清月が、花園桃花に迫っていると、こいつらは言いたいのか?
絵莉花は、自分の堪忍袋の緒が切れる音を聞いた。
「静かにしろ! 仕事をしないのならば出ていってくれ!」
グッと役員達が言葉を呑む。
絵莉花は書類を持って立ち上がった。
「……悪いが、ここでその話は終わりだ。愛しい花園に、言ってみればいいだろう? 君が、あんな奴の傍にいるのは耐えられない。……したくもないことを、する必要はないんだと!」
俯いて声だけを強めた絵莉花に体を竦め、しかし奮い立ったかのように一宮が言い返す。
「そんなこと、言えるわけないだろう!?」
「───ならば、私の気持ちだって理解できるだろう!!!!」
今度こそ、彼らは言葉を失った。
そう、役員達だけではない。絵莉花も、清月に言うことなどできない。
清月が花園桃花を特別に思っていないのは知っている。ひょっとしたら嫌ってさえいるかもしれないことも。
でも、でもだ。
清月が嫌々、花園桃花に近付くなんてことが、あるだろうか? あの、なんでもできないことはできないとハッキリ言う清月が?
花園桃花は一般の家庭の出だ。つまり、家のことで花園家が白藤家に圧力などかけられない。
そうなると、余程のことがない限り家のために花園桃花としかたなしに一緒にいるという出来事が、起きるはずがない。
───清月の、望みでない限り。
「頼む…………帰ってくれ。これ以上君達と話していたら、いつか私は、自分を見失う」
全員を追い出して、絵莉花は気分を変えるように頭を振り、歩き出した。
何も、頭から追い出されることはなかったが。