愚か者の愛
どうも。緋絽と申します。
よろしくお願いします!
絵莉花は学園祭の間は節度をもって行動するように約束を取り付けていた。
これで、少しの間は絵莉花の仕事は減る───はずだった。
本部にいた絵莉花にもたらされたのは、生徒会役員達が勝手に花園のために、使用許可を下ろしていた教室を占拠した、という苦情だった。
それも、三年生である古城のクラスが使用する予定だった場所だ。
しかも、その占拠のしかたが最悪だったのだ。
自分達の財力をちらつかせて、断れば独断でもってそれぞれの家を潰すと、要約すればそんなようにしたらしい。
「どうなさるおつもりですの! わたくし、外部からオーケストラまで呼んでいましてよ! いくら生徒会だからって、横暴にもほどがありますわ!」
半泣きで訴えてくる古城に、絵莉花は頭を下げた。
「申し訳ございません。なんとかいたしますので、演奏予定の午後まで待っていただけませんか?」
絵莉花の言葉に、古城は唇を引き結んだ。
「わかりましたわ。ですが、予定通りできなかったら、その時は……」
古城が言葉を飲み込む。それでも、絵莉花は続きがわかってしまった。
───リコールを。
これまで散々やらかしてきた生徒会役員達なら、その根拠に足る事実がゴロゴロ出てくることだろう。それこそ、絵莉花が抵抗する隙間もなく。
「……はい。わかって、います………」
古城が去り、ふっと息をついた絵莉花は、ふいに喉が詰まった。堪えきれずに、呻き声が漏れる。
「だーから、言ったじゃん。男ってのは、ムラムラすると何やらかすかわかんないって」
清月が後ろに立って肩をすくめた。
「うるさいっ、お前が以前言った意味と、これは違うだろうっ」
友である絵莉花が言ったならば。たった、一度だけでもよかった。一度だけでも、絵莉花の願いを聞いてくれると思ったのに。
「まあ確かに、あの時は違う意味で言ったつもりだったけど。同じだよ。要はあの女にムラムラするからあんなに尽くそうとするわけだろ。…………わかった? 男なんて、所詮そんなもんなんだって」
絵莉花は理解した。
清月は何度も何度も、役員達を切り捨てるように言っていたのだ。遠回しに言うことで、絵莉花が他の役員のことを諦めることができるよう。いつか、今と似たような感じで、絵莉花が傷つくことを懸念して───。
清月の忠告は、痛いところをついてくるものばかりだったが、それはつまり、正しくもあったのだ。
絵莉花は目元を拭った。涙は出ていなかったが、目の前の何かが拭い去られた気がした。
「ともかく、場所を探さなくては」
役員たちから場所を取り返しても、彼らは使わないだろう。後の報復を懸念して、使うことができないのだ。絵莉花も、今の役員達がやらないとは言いきることができない。だから、新しい場所が必要だ。
「まぁ、あの規模のオーケストラと、その観客が入る場所なんて、全部埋まってるけど」
それを聞いて絵莉花は蒼褪めた。
場所がない。
そうだ、そもそも屋内は争奪戦になるのが普通。余っているところなんて、せいぜいぎりぎりオーケストラが入る程度の広さしかない。
「はぁ。こんなだと思った」
「清月……」
清月を見上げると、いつもと変わらないやる気のなさそうな顔で私を見下ろす。
どうしよう。このままでは、折角の学園祭が、失敗してしまう。
唇を噛み締めると、───徐に頭に手が載った。
ポンポンと優しく叩かれる。
「そんな顔すんなって。君が困ってるときに、助けになろうと思ったから俺はここにいるんだから」
「せいげ───」
見上げた瞬間、呼吸が止まる。
清月が、優しく笑みを浮かべていた。
ドクリと心臓が鼓動を跳ね上げた気がする。次いで頬が熱くなってきた。
そして気づく。
清月の笑みを見たのは、これが初めてだということを。
「安心しろって九条絵莉花。まだ策はあるじゃん」
「え……?」
最後にもう一度頭を軽く叩いて、清月は歩き出した。
「中庭の噴水前をオーケストラの場所に使う……?」
古城は清月の言葉に首を傾げた。
清月は適当にうんうん頷く。
「そー。けっこう綺麗に掃除されてるし、広さもあるし、今日はいい天気だから、屋内でやるよりむしろ見栄えすると思いますよ」
絵莉花も古城も生粋のお嬢様なために想像もつかなかったが、普通の学校ではよくやるらしい。
というよりも、お手軽に役員達を追い出す方法があるのだと思っていたため、新しい場所を提供するという方法に驚いた。
目から鱗が落ちるかと思った。
理由を問うと、「時間までにどかせるかわかんない場所に固執するより新しいとこ渡した方がケンセツテキでしょ」と返ってきた。
なるほど。
想像した古城は、納得したように微笑んだ。
「わかりましたわ! ステキな場所で、安心しました!」
「いえ、こちらこそ、ご迷惑をかけて申し訳ございませんでした」
頭を下げた絵莉花に、古城が複雑な顔を向ける。
「九条さん……貴女が何も悪くないことはわかっておりますけれど……。近頃、他の方々はおかしいですわよ。まるで愛の奴隷ですわ。お気をつけなさいませ」
ぐ、と絵莉花は言葉をのみ、頷きだけを返した。
「愛の奴隷って……甘ったるい言葉使うなー、あの人」
欠伸をする清月に、絵莉花は苦笑する。
「そう言うな。世間知らずのご令嬢は、ああ言った物言いを好むものだ」
「ふーん。君は世間知らずじゃないの?」
「どうだかな。照れずに愛の奴隷と言えるほどではないと思うが」
「あぁ、そう」
時刻はもう夕方になる。今日が終われば忙しさは格段に減る。峠は越したと言っていい。
一息吐いたところで、つんと髪の毛を引っ張られた。
「清月?」
「今日はもう、あと閉幕式くらいしかお仕事ないと思うんだけど。どう?」
「あぁ、そうだな。お疲れ様。今更だが、好きにしてくれ」
「あんたも仕事、ないよね?」
「まぁ……本部に待機しておくくらいだな」
ふーん、と相槌を打った清月に首を傾げる。
そこに花園桃花が役員を引き連れて本部に戻ってきた。見回りと称して今の今まで遊んできたらしい。
「ただいまっ清月君っ! 歩き通しで疲れちゃった!」
こちらが思わず見とれてしまいそうなほど魅力的な笑みを浮かべて花園桃花が清月に声をかける。まわりの男共の貫くような視線が清月に向かっていることには気づいてもいないらしい。
どこか上目使いのような目線にも少しむっとしてしまった。
先ほどの件を注意しようと腹に力を込めた瞬間、絵莉花の袖を清月が掴んだ。
「見回りお疲れ様です。交代しまーす」
「えっ……」
呆気に取られたような花園達の横を鮮やかにすり抜けて、清月は絵莉花を引き連れて本部を出て行った。
清月を見上げると、いつも通り無感動な目で先を見ていた。まるで、どれだけ花園桃花が可愛くても、自分には何ら影響を及ぼさないとでもいうように。
それ以上に気になることがあるとでもいうように。
「清月っどういうつもりなんだっ、私も本部に……!」
「だから、見回りだって。これだってちゃんとしたお仕事だろ? 俺、なんか間違ってる?」
「いや、それは、」
「そのついでに学園祭見て回ったって、誰も責めたりしねえよ」
絵莉花は思わず清月を見つめた。
視線に気づいた清月が、顎で周りを示す。つられて周りを見渡した。
「今は、皆学園祭に夢中だろ。先生たちも、今日はご褒美ってことで許してくれるって」
「あ……、あぁ……」
くん、と袖を引かれて絵莉花は再び歩き出した。
笑い声の響く中へ。