彼女の理想とは違っても、俺の理想に合えばそれでいい
どうも。緋絽と申します。
今回、断トツで長いです。
この学校は、裕福な家の子供が多いからか、滅多に処罰を受ける生徒がいない。そのため、処罰を受けたら特に目立ってしまうのだ。
そしてこの狭い空間において、その多くの好奇心の目に晒されるのは、この学校においてそれは退学するに値する恥であった。
「……やめなきゃかなーやっぱ」
できれば、そばにいたかったけど。清月がその恥を受け入れても、白藤家が赦さないだろう。工芸や絵画を取り扱う白藤家は、何よりも醜聞を嫌う。
清月が処罰を受けたら。自らの意思ではないにしろ、清月は去ってしまう。この学校から――――絵莉花のもとから。
けれど、後悔はしなかった。妾の子である清月をここまで育ててくれたことは感謝しているが、それよりも絵莉花を助けられたことの方が大事だった。恩知らずと言われても、構わない。
あの日。清月と絵莉花が、出会った日。
有力者が多く集まるそのパーティーに、清月は連れ出されていた。
披露という名目だったが、あれは親戚中をたらい回しにされて遠回しな嫌味を言われ続ける場だった。
特に、本妻の家族は酷かった。他の招待客にたいして清月を紹介する際、わざと母親を貶しながら紹介するのだ。
“金を持たない欲深ではしたない女の子供らしいので、お宅のお子さんに色目を使ったら申し訳ない”といったようなことを、もっと婉曲な表現を使って言うのだ。
そんなことを言うものだから、ダンスを踊らなければいけないのに、清月に近寄る子供はいなかった。清月はダンスを習ってもいなかったのでいい方に転んだと言えばまだ前向きだが、一応披露が目的のパーティーで、清月が踊らないわけにはいかなかった。
何人かに声をかけ、数人目でまるで汚いものを触るかのようにその親に手を払われた。どうやら本妻の親戚だったらしく、かなりの言葉で罵倒された。
ヒートアップしたその親戚は、最後に、清月に言ったのだ。
“母親が早くに死んだのは妻子ある男を誑かしたのだから当然の報いだ”と。
頭が真っ白になった。
そもそも当時、清月は今よりも孤独に慣れていなかった上に、長期にわたる本妻の親戚からの圧力で疲弊した心は、簡単に振りきれた。怒りの方へ。
その時、踊りませんかと手が差し出された。
それがなければ清月は少なくともその親戚に怪我を負わせていた。ひどければそれ以上の事態もあり得たように思う。そうすれば、いくら白藤家当主の子供でも、追い出されていた。
そしてその手こそが、九条絵莉花のものだったのである。
踊れない清月に怒りを見せるでも呆れるでもなく、まるで合わせるようにハチャメチャなステップを踏んだ。ひたすら楽しそうに笑って、気遣っている素振りすら見せない。
躍り終わった二人は、短く言葉を交わした。
ありがとうと礼を述べた清月の手をそっと握って、絵莉花は囁いた。
“何を言われようと、他者の言葉に揺らがないようになればいい。…………難しいことだな。私だってまだそうなれてはいない。だが、───己を形成する何もかもを、すべて否定される謂れはないと、胸を張れたら。それはとても、素晴らしいことのように思うんだ”
今思えば当時13の子供の言うことではない。誰かからの受け売りだったのだろうが―――清月にその言葉は、確かに届いた。清月の、励みになった。
清月は今でもあの瞬間を思い出す。
清月は、風紀委員の本部にある小さな部屋に押し込められていた。軟禁されていると言ってもいい。
この学校の歪みだ。生徒会にしろ、風紀委員にしろ、学生組織に力を与えすぎている。授業に参加しないで容疑者をとり調べるのは、明らかに学生の分を越えている。
「犯行に及んだ動機は何です?」
「パス」
「貴方の家は芸術に秀でていましたね。特に経済難であるという認識はなかったのですが、お金に困っての犯行でしょうか」
「パス」
先程から何度も同じ質問を繰り返しているのに、清月が一向に答えないためか、吾妻は苛立っているようだった。
「…………いつまで黙秘するつもりですか? 誰かに、口止めでもされているとか?」
「誰にもそんなことはされてない。深読みしすぎなんじゃないの」
初めてパス以外の言葉が返ってきて、少しだけ吾妻が身動ぐ。そして、氷のような微笑を浮かべる。
「やっと、返事をしてくれましたね。しかし同じ質問をすれば、貴方はまた黙り込んでしまうのでしょう。非効率です。なので、質問を変えます」
前に座っていた吾妻が、立ち上がり清月を見下ろす。
「生徒会室の鍵が、役員とその顧問用に計3つあることはご存知ですか」
「………パス」
「近頃九条さんと仲のよろしい白藤さんなら、きっとご存知だと仮定して話を進めます。顧問用の鍵はスペアの意味も込めてあるため警備員の方が管理なさっており、後の二つは役員間で管理しているそうですね。一つは生徒会長が常時持っており、あとの一つは他の役員の誰かが持っている」
清月の表情を見て、吾妻が笑みを深める。特に表情を変えたつもりはなかったが、吾妻に喜ぶ隙を与えてしまったようだった。
「事件が起きたと思われるその時間帯、生徒会長にはアリバイがありました。有力者の主催するパーティーに出席していたそうで、立証には十分な目撃証言が揃っています。警備員の管理する鍵はその時間帯、きちんと保管されていることが確認されていました。では、あとの一本の、当日の所有者は?」
覗き込まれ、清月は吾妻と視線をかち合わせた。
「パス、だよ」
吾妻が肩を竦める。
「本人が一番わかっているでしょうが、貴方、もしくは九条さんでした。鍵を貴方方お二人が所有し、鍵をかけた。しかしそれは、貴方方からの証言でしか証明のできない行動です。……さて、ここで質問です。この日、犯行に及ぶことのできる可能性がもっとも高いのは、どなただと思いますか?」
無言の清月に今度は苛立つ様子も見せずに、吾妻は更に言葉を重ねる。
「生徒会室の鍵はどうやって入手したのですか? 役員でもない貴方が鍵を手にするには、内部の人間の協力が必要だと、そう思うのですがいかがでしょう……仮に貴方を犯人とした場合、今回の協力は誰が成し得たのか?」
「遠回しに言われても、俺にはわかんないよ」
冷え冷えとした微笑みがよりいっそう深くなる。
神経を逆撫でするような話の持っていき方に、清月もいくらか疲弊する。明らかな時間稼ぎが透けて見えて、その想定される理由すら疲弊の一因になった。
「では、ハッキリと申し上げましょう。九条さんに、集金を盗むよう、示唆されたのではないですか。失礼ながら九条財閥の方の機嫌を損ねては、白藤家に生き延びる術はない。だから、貴方はやらざるを得なかった」
九条絵莉花が家の力を使って清月を助け出そうとすること。それが、吾妻の狙い。その前提をもとに、家への圧力を用いた犯行の教唆を証明しようとしている。
ふざけるなと、清月の内心は、かつてないほど煮えくり返っていた。
「よろしければ、白藤家に害の及ばないように配慮いたします。なので―――本当のことを、教えていただけませんか。九条さんと、貴方の、本当の関係を」
別に清月は特に自己犠牲の強いタイプではない。できるなら助かりたいし、自分だけ道理に合わない被害を受けるなんてもっての他だ。
けれど。
九条絵莉花に対しては、別だった。他の役員が起こした不祥事のせいで自分ばかり割を食って、それでも仕方ないと受け止めて。今回だって、九条絵莉花を疎ましく思うやつらのせいで濡れ衣を着せられそうになって、けれど逃げも隠れもしない。――――誰かのせいにしようとしない。
風紀委員の目的は、すこぶる頭のいい方じゃない清月でもわかった。
ふざけるなと、思った。
風紀委員も、他の役員もどうして、九条絵莉花を削り取る。本人でさえも。
だったら、清月が大事にしてやろうと、思った。
例え本人が望む形じゃなくても。
かち合わせた目線を逸らさずに、―――清月は微笑んで見せた。
「いくらこんな質問を繰り返されたって、俺は強要された自白なんてしないよ、吾妻さん。悪いけど、痛めつけられることには耐性がある」
わざと相手の思惑を口にした清月の言葉に、吾妻がすっと無表情になる。
清月は、絵莉花を助けるために側にいた。それが、絵莉花の枷になるのなら。躊躇わず、離れることを選ぶ。
どんな嘘だってついて、どんな汚名だって被る。
「九条絵莉花は関係ない。動機もないし、証拠もない。今回の事件で、一番疑わしいのは紛れもなく俺だ。―――監視カメラに、映ってるだろ。一人で校内に戻る俺の姿が」
もう、戻れない。
風紀委員室のドアが開かれ、髪と息を乱した九条絵莉花が入ってくる。
「清月を、返してもらう」
「……ほう? 何か無実の証拠でも?」
吾妻の目が光る。
わかっているのだ、無実の証拠なんてどこにも存在しないことが。
「いいや。だが、返してもらう」
「どうするおつもりです。断っておきますが、貴女に彼を連れ出す権利はありませんよ。いくら生徒会と言えど、風紀委員の領域で無茶が通ると思わないでください」
絵莉花を清月はじっと見つめた。
絵莉花は情に厚い。懐に入れたものを、最後まで見捨てない。そんなところに呆れもしたが、実際に見捨てられない側に回ってた身としてはとてもありがたかった。
けれどそれは、理性とぶつかっては命取りにしかならない。
吾妻はどこまでも理性で動いていた。怒りを感じはしても、怒りのまま強引にことを進めたりはしない。執念深く、相手の言質を引き出す。
絵莉花が家の力を使ってでも清月を連れ出そうとするのは、なんとしても止める必要があるのだ。彼女まで排他される、最悪の結末を避けるために。
「それは貴女も同じだろう、吾妻殿。風紀委員とは言え、犯人と断定できない生徒の学業を妨げる権利は、いくらなんでも持ち合わせていないはず」
だから。あくまで学業を建前に持ち出すとは、予想していなかった。
くっと吾妻の見開かれた瞳に、清月と彼女が同じことを考えていたことを知る。
「こちらへ来い、清月。教室へ戻るぞ」
「待ちなさい、まだ彼の嫌疑は晴れていない!」
「学生組織の身で彼が拘束できるとお思いか? 嫌疑の状態でなく、然るべき証拠をもち立証した上で再び呼び出されるといい。それまではこの私がしっかり見張っていよう」
立ち止まり動かない清月の手首をつかみ、絵莉花が引っ張る。
踏ん張っているはずの足は、簡単に絵莉花の方へ一歩踏み出した。そして二人は、堂々とその部屋を出た。




