事件の間違いの原点
午後八時を過ぎた。とある部屋で長信はある人を待っていた。窓の外は暗くて、ソファに座っている今の状態では何も見えない。来た時は暗くなる前だ。長信と丸今は総理の家に訪れた。その時は門前払いの扱いだったが、総理が直接出てきた。入っていいと言われたのは長信だけで、丸今は外の車で待機する事となった。そして三十分以上待たされている。部屋のドアが開くとSPが二人、その後総理が入ってきた。
「こんばんは長信警部。こんな夜中にどういったご用件で?」
総理は向かいのソファに座った。長信はすぐに立ち上がり、詫びを入れた。
「すいません。まさか会ってくださるとは思っていませんでした」
「ええ、普通は誰だろうと連絡も無しに入れません。いきなり来る様なそんな失礼な方は、今までいませんでしたから……しかし、今回は特別です」
遠回しに文句を言っている。まあ入れてくれただけでもありがたいと思っておこう。正直待たされてイラついてはいたが。SPの目に警戒されてる中、ソファにゆっくりと座った。
「総理。いくつか質問したいのですが……」
「その前に、貴方達が昼間に撮った、誤解を招く様な動画を、ちゃんと処分をして頂けましたか?」
SPから話を聞いていたようだ。そもそも撮っていないと言っても、総理は信じやしないだろう。
「ええ。何なら調べて貰っても構いません。外にいる部下にも脅さずに調べて下さい」
「……まあ後で調べさせて貰いましょう」
部屋のドアからノックされた。メイドがコーヒーカップを持ってきた。総理はどうぞと言いカップを手に取るが、長信は何が入っているか分からない物を、そもそも飲む気は無い。
「総理の娘を保護して連れて来た鎌智という男、車の中で取り調べていると、『総理は娘にDV、暴力を振るっている』と、不思議な事を言っておりました」
総理はコーヒーカップを一口飲み、テーブルに置くと、呆れる様に溜め息を吐いた。
「それで、貴方はそんなデタラメを信じてここまで来たのですか?」
「デタラメかどうかは調べれば分かります。娘の奈良江さんを調べさせて下さい」
「申し訳ありませんが、奈良江は疲れている。後で病院に連れて行きますので、検査の結果は警察に届けさせましょう」
隠蔽した検査結果など長信は欲しくない。どうしても娘を調べさせてくれない。自分も鎌智の言葉だけで動いている為、思い切りの行動は出来ない。話には信じがたい事もある。
「要件は済みましたかね。申し訳ありませんが私も疲れているので、今日はお引き取りお願いします」
さっさと帰れを優しい言葉に言い変え、笑顔で答える総理に、長信は忠告をした。
「……総理、敵を増やすと危険も増えます。安全と思っていた所に敵は来ます。それでは……失礼します」
裏口を警備をしている二人のSP。特に変わった事もない退屈な時間だ。一人はあまりの退屈さで欠伸をしている。すると、前を通り過ぎた一人の通行人が道端で急に倒れた。
「……おい、おいオッさん、大丈夫か?」
声をかけるが返事がない。二人は駆け寄ってみると、聴こえるのは大きないびきだ。
「あーこりゃ相当の酔っ払いだな。おい! ここで寝るな」
「そうだな。寝るのはあんた達だ」
二人の背後に一人の大男が立っていた。気づいた時には両腕で二人の首を絞められ、意識がなくなった。
「手は抜いたから安心して眠れ。時期に覚めるだろう」
大男は二人を寝かせて手で合図をすると、鎌智が数人を引き連れて走ってきた。
「流石です大工さん。もう起きていいですよ村鮫さん」
「あー怖い。大工さん一人で二人倒しちゃうなんて」
酔っ払いのフリをして寝ていた村鮫は、起きながらも大工さんの力の凄さに驚いた。予定では村鮫も加勢するつもりだった。
「大工の仕事してんだ。このくらい当然。んなこといいから早く行け」
鎌智は裏口のドアをゆっくりと開け、誰もいないか確認をした。合図を出すと、九同と音音、二人だけが入って来た。九同はすぐに近くの部屋に入っていく。そこには分電盤が壁に付いている。
「えーと、たしかこれが……」
九同は鎌智の言った言葉を思い返す。
仮設事務所の中での作戦会議。鎌智は九同の名を呼び、指示を出した。
「九同、お前に一番大事な所を任せる。出来るか?」
「ええ〜、何させる気ですか?」
机に出した大きな図面に鎌智は指を指していく。
「東側に玄関。西側に裏口。裏口からここに分電盤がある。お前はここに行き、片っ端から電気を切っていけ」
「え? でもブレーカー切ったって、後で上げに来られたら意味無いですよ」
「誰がブレーカーを切れと言った? 繋いでいる電線を叩っ切れ。大元は切るなよ。非常灯もだ。あれは切ったら点くからな」
「なんか分かりませんが、今回はよく分かりました」
「非常灯……これ以外。それじゃあ全部切ります!」
切った瞬間、部屋中の照明が消えた。廊下も暗くなるのを待っていた鎌智は音音に合図する。
「廊下も暗くなった。奈良江を頼む」
「任せといて!」
先に動いたのは鎌智だ。音音は鎌智の作戦通りに動く。
バタバタと準備をする仮設事務所。そんな中でも作戦会議は続く。村鮫は図面の点検口を持っていた赤ペンで丸く囲んだ。
「さて音音さん。ここにも点検口がある。この台を踏み台にして行けば入れるから。上は綺麗かどうかは分からないが、人は入れる広さだ」
「鎌智……天井裏で進んでいくの?」
鎌智は図面で廊下の点検口を、指を差すと他の点検口を確認した。
「いや、バレて撃たれたら逃げ場が無い。見つからない様に上に登ってSP達をやり過ごせ。奴等の注意は俺が惹きつける」
鎌智は図面で廊下を指で辿りながら、逃げる道を覚えていく。
「奈良江はどこかに閉じ込められている。鍵が閉まって、SPが警備している部屋だ。おそらく停電しても動かないだろう。鍵はそのSPが持っているか……持ってなかったら、ドアを壊せ。奈良江を助けに行け」
鎌智は机に立て掛けたバールを音音に手渡した。音音は鎌智の託された想いと、バールを受け取った。
電気が消えてしまい、灯りを確保しようとケータイの光を照らすSP達。
「灯りを確保したら、裏口近くの分電盤を見て来い!」
「総理の安全を確保する。避難ルートを!」
様々な命令が飛び交う中で、走って来た一人が大きな声で皆に伝えた。
「大変だ! 誰かが侵入している! 裏口を警備している奴から連絡が途絶えた! どうやら東の玄関に向かっている!」
「入口を抑え、総理に危害を与える気か。無駄の事を……総理は避難させろ。手が空く者は侵入者を追え!」
「玄関の方だ! 急げ!」
ドアの向こうが騒がしい。真っ暗になった部屋で奈良江は一人、ベットの上で座っていた。電気は消えたが、特に驚きはしなかった。手には音音から貰った御守りがある。諦めない。自分は覚悟して来たんだ。簡単に挫けたりしない。
「奈良江ちゃん! いるなら返事して!」
ドアから手で叩く音。もう一つは大きな声が聞こえた。奈良江はその声を知っている。あまりの驚きで、声が出なかった。
「カンだけど多分いるね。ドア壊すから離れてて!」
ドアにバールを差し込み、力づくで開けようとしたが、簡単には開かない。音音は息が切れてしまった。SPが警備していない為、鍵も手に入らない。でもどうにかして開けないと。そんな時、奈良江が中から鍵を開けた。単純に中から開けれたのだ。
「やっぱり奈良江ちゃん! その御守り持っててくれたんだ」
奈良江の目から涙は溢れていた。
「何が起こっている?」
総理は辺りを見回したが、暗くて何も見えない。ケータイの灯りを持った長信は周りを確認した。停電なら非常灯が点かないのはおかしい。誰かがわざと停電したのか。それが出来るのは電気工事に詳しい奴だ。
「総理! 侵入者です。南の中庭から避難して下さい」
「侵入者……まさか過激派か? いや、それにしてはタイミングが良すぎる。あの男だな」
総理も相手が誰か気付いた様だ。こんな事があろうかと命を狙われる事を想定して、中庭に避難ルートを作っていた。
「私は避難する。長信警部はどうしますか? 私と共に来るか侵入者を捕まえるか。ご自由にどうぞ」
長信は耳を疑った。自分はすぐに逃げる用意をして、娘の事は気にもしなかった。この男にとって、娘は本当にどうでもいいんだ。もし侵入者が鎌智ならほっといてもいいだろう。今はこの男から離れず証拠を掴む。綺麗な中庭には既にSP達が集まっている。万全の警備体制だ。月で薄っすらと明るくなるとしかしどこからか男の声が響いた。
「木を隠すなら森の中。暗闇でパニックの中、誰が味方か分からない」
長信はすぐに気付いた。鎌智の声だ。周りにはSP達しかいない。しかしよく見るとSP達の中に一人だけ、他のSPと違う似たスーツを着ている。総理と長信はその顔で正体が分かった。
「SPに化けていたか……鎌智明弥!」
「スーツ着てれば誰だってSPだ。このスーツ結構高かったんだ。後で請求してやる」
「おい、敵はどこだ!?」
「集まり過ぎたぞ? 総理は安全なのか?」
「電気はまだ点かないのか!?」
東の玄関には大勢のSP達が集まった。遠くの陰で見ていた九同は、隠し持ってた無線機を取り出して、村鮫に連絡した。
「こんなに人がいるのかよ…村鮫さん準備は大丈夫ですか? どうぞ」
『大丈夫だよ。それじゃあ始めるから離れててね。どうぞ』
「了解です。派手に、どうぞー」
玄関の扉から何かが突き破った。驚いたSP達はすぐに音の方を照らし、拳銃を構えた。それは一台の生コン車だ。バックで駐車されて、何があるか簡単に想像出来た。しかし既に始まっていた。生コンが流れてきた。
「なんだこりゃあああ!!」
SP達は逃げようとするが、大勢集まってしまい上手く進まない。ほとんどの者が生コンを浴びた。逃げる先にはペンキ缶を持った九同と仲間達が待ち構えて、缶を一斉に投げつけた。ペンキを浴びせるとSP達は光り出した。ペンキの中身は夜光塗料が入っていた。
「なんだこりゃ?! 汚ねえ!」
「そんな汚い中、俺達は仕事してんだ!!」
九同が叫ぶと仲間達は一斉に殴りかかる。暗闇で光るSP達が倒れるのは時間の問題だ。
鎌智は正体をバラすと、四方八方からSP達が囲い、拳銃とライトを向けられた。だが長信は鎌智に拳銃を向けなかった。こいつが手を打っていない訳が無い。
「動くな! 両手を上げろ!!」
「そっちこそ動くな! 俺を撃ったら仕掛けた爆弾が爆発する。スイッチは暗闇に潜んでる仲間が持っている。俺が撃たれるのを見た瞬間、この家は吹き飛ぶぞ!」
長信の推理通り、鎌智は手を打っていた。SP達は苦しくも拳銃を降ろした。鎌智のあまりの行動に総理は拍手した。
「素晴らしい行動だ。そこまでして私に会いに来てくれたのか。全く……仲間を早く捕まえろ。他のSPは何をしている?」
「あんたの部下は生コンのシャワーでも浴びているよ。しかし停電したくらいで仲間の声すら認識出来ねえとは、教育がなっちゃいねえな」
歯を食い縛る総理だが、冷静を保ち怒りを抑えた。
「いい加減、自分がやった罪を認めたらどうだ?」
「……それで、その罪を償えと私の命でも奪うかね」
「そんな事はしねえ。俺はお前が罪を認め、奈良江を救えればいいんだ」
「奈良江を救いに来たのか。ならすぐに帰るといい。お前のような悪人がいては迷惑極まりない」
「隠し通せると思っているのか! 奈良江なら仲間が助けに向かった。悪事は必ずバレる!」
鎌智の言葉を聞いた総理は、その正義感に呆れてあざ笑った。
「ハッハッハッハ! バレる訳が無い! 奈良江は喋れはしない。そして私は総理大臣だ! お前のような一市民の言葉など誰が信用する?」
抑えきれない思いを遂に曝け出しだ。総理は口を押さえて笑うのを我慢する。
「総理。私がここにいるということをお忘れですか?」
忘れらてそうなので長信は総理に一応聞いみた。今のは自白したと言ってもいい。
「忘れてはいない。どうせ貴方はこの先調べ続けるでしょう。 だからここで亡くなってもらう。鎌智と言ったね? いい時に来てくれたよ。警部は誘拐犯を捕まえようとして殺害される。いい筋書きじゃないか。正義とは脆いものだ」
真相を知った以上、長信も生きて帰してはくれない。無論鎌智はそんなこと分かっていた筈だ。
「確かに俺の言葉じゃ誰も信用しない。総理ぐらいが言わないとダメだろ」
鎌智が総理に指を指すと、何処からか灯りが総理を照らした。
「暗くしたのは気付かせない為さ。そこらに置いたテレビカメラにな!」
その灯りの先には暗くて見えなかったテレビカメラがある。カメラマンが付いて鎌智達を映している。
「バカな?! なぜこんな物が?!」
「夕方、あんたの家の前に集まってたじゃねえか? 俺だけと思っていたなら、油断大敵だ」
「……まさか、お前が呼んでいたのか!?」
「そうだ。何社も電話して、どこも特ダネスクープを撮ろうと必死になる。その内の一社に頼んだのさ」
「ち、違う! 今のは嘘だ!!」
「テレビで見れなくて残念だな。バッチリ生中継だ! 言い逃れは無意味だ」
停電したもう一つの理由は、テレビを見させないこともあったのか。まさか鎌智がここまでするなんて、長信は思いもしなかった。頭を抱える総理は、歯を食い縛る。
「……罪を認めるしかないのか。私は……国の幸せを作る為に……ここまで死ぬ思いでやって来た! なのに……それなのに」
「自分の子を不幸にする奴が、世の中を幸せにするなんて出来ない!」
「……」
鎌智の言葉が総理の心に突き刺さる。総理は何も言えず、魂が抜ける様に座り込んだ。
「ふう……これで解決か」
一件落着。鎌智も疲れて座り込んだ。だが解決していない事が、長信には残っていた。
「……いや、まだ誘拐事件が残っている」
「あれは奈良江は家出したのを、この総理が嘘吐いて誘拐に見せかけたんだ」
鎌智は不思議に思った。長信ならそこにすぐ気付くと思っていたからだ。
「……私じゃない。奈良江は一人で家から出れはしない」
ここまで来てまだ嘘を吐く総理に、鎌智は立ち上がり、総理に近付いた。
「おい嘘を吐くな。あいつは着替えも持って俺の家の前に寝てたんだ。家出に決まっているだろう」
「いいや、そいつの言う通りかもしれない。DVを受け、我慢して耐えていたその子が急に家出なんて、普通は考えないし、親は出そうとしない」
長信は鎌智から話を聞いた時、そこが引っかかっていた。総理との話を聞いて、奈良江は家から出れない様にしていた筈だ。そもそも警備が厳しいこの家で、女の子一人出るなんて無理がある。
「……どういう事だ? ならあいつは本当に誘拐されたのか?」
長信の話を聞いて、鎌智も考え直した。もしこれが本当に誘拐だったら、一体いつから、なぜ自分はそう思っていたんだ。家に来た時、あいつは着替えも用意していたからだ。用意したのが誘拐犯なら、奈良江はなぜ本当の事を言わなかった。誘拐されたと言い出す時はいつでもあった筈だ。警察から逃げる時でも言えたのに。鎌智の頭に浮かぶ。奈良江が言えなかった理由。警察が家に来た理由。
「長信! 俺の家に来た時、通報を受けたって言ったな。それはどんな内容……何時だ!?」
「確か、『一人暮らしの男の部屋から女の声が聞こえた』だったな。連絡からして、朝の七時前だ」
「……そうだったんだ。だからあいつは」
鎌智は頭を搔きむしる。自分が考えた事が本当か疑ってしまう。突如、暗闇の中に光を放ち、大きな音が響く。何かが爆発した音だ。
「爆発!? おい鎌智! なぜ爆発する。お前の仲間か!?」
「いいや、そもそも爆弾なんか用意してねえ、ただのハッタリだ!」
小さな爆発だったが、起きた所はテレビカメラが設置されていた所だ。カメラマンの人は無事かどうか鎌智の所では確認出来ない。
足音が聞こえてくる。長信は音が聞こえる方を照らすと、音音がいた。鎌智は目を疑う。音音は奈良江にナイフを突きつけて、身動きが取れない様に抱えている。
「奈良江を誘拐したのは……」
「そう…………私よ」
総理の家で騒がしい事が起こっている。その様子を丸今は車の中で眺めている。
「……俺の出番、もう無いっすか」