怒涛の反撃の合図
「奈良江、早く車に乗りなさい」
総理は奈良江を車に乗れと命令するが、奈良江は車の前で足を止めて動こうとしない。自分が乗った後、お父さんは本当に鎌智達を解放するのだろうか。
「……乗れ」
総理は奈良江の肩を強く握った。どちらにしろ奈良江は言う通りにするしかない。
「……心配しないで」
奈良江は一言、鎌智に伝えると車に乗った。その言葉は鎌智の心に深く刺さった。総理は運転手に合図をして、先に一台だけ車を走らせた。見送ると総理は別の車に乗った。
「安心したまえ君達、命までは取らないよ。今はね」
総理は鎌智達にそう告げると、車は走って行った。今の言い方は、後で命を取るってことだ。SPに抑えられた鎌智は、だだ見送るしかなかった。総理の車が見えなくなると、SPの一人が拳銃を鎌智の額に向けた。
「ここじゃあ人目につく。車に乗って貰おうか」
乗ったら息の根を止めて、何処かに捨てる。これで奴等の思い通りだろう。だが一応用意していた。鎌智もまさか、こんな事に使うとは思っていなかった。
「待て! そいつらは俺達が取り調べる。鎌智明弥。一緒に来てもらおう」
長信はSPに拳銃を向けた。SPは拳銃を向けられてるも拘らず、怯まずに言い返した。
「貴様ら、この捜査は止められている筈だ! それにこいつは誘拐犯じゃない。誘拐犯は未だ逃走中だ」
「いいや、そいつの容疑は車の窃盗だ。誘拐事件には関係ない別の事件だ」
SPはしばらく黙って考えた。鎌智が車を盗んだ事をSP達は知らなかった。だがこのままはいどうぞと渡す訳にはいけない。
「彼等は総理の娘を救った恩人だ。我々が手厚く持て成せと、総理から命令されている」
「後ろの車に乗っている部下が、動画を撮っている。これがどういう意味か分かるか? 手厚く持て成す事が今の行動を説明できるかな?」
SPは気付かなかった。長信の後ろの車で、丸今がケータイのカメラを向けている。
「な!……警察でありながら脅迫する気か?!」
流石にSPも恩人に拳銃を向けていた所を、世間に流されたくないだろう。長信は証拠を撮っていた。
「俺達はそいつの身柄を確保出来ればそれでいい。そうすれば動画は消してやる」
「クソが…………いいだろう。だが後悔するぞ」
最後の言葉に違和感を感じたが、長信はこの場を離れる事を先決した。
「早く車に乗れ、鎌智明弥。そこの女もな。軽くボディチェックをする」
鎌智と音音はSPから解放され、長信にボディチェックを受けた。持っていたのは財布とケータイくらいで確認されるとすぐに返された。工具箱は奈良江が隠れた場所に置いたままだ。二人は車の後ろの席に乗せられた。長信は運転席に乗り込み車を走らせた。
「丸今、もういいぞ」
「いや、元々撮ってないんですけどね」
丸今はケータイを出しているだけで、何も撮ってはいなかった。あの場面で嘘を吐くなんて、どうやら長信はそうとうのハッタリ野郎だ。
「あんた……長信警部って言ったよな。あんたの部下には悪い事をした。車はコンビニに置いてるから、今頃警察に連絡が入ってるだろう」
鎌智は盗んだ事を反省して謝っているが、長信はそんな事どうでもよかった。ボディチェックをした時に確認した、二人のケータイを不思議に思っていた。
「お前達は、なぜケータイの電源を切ってない? 今の警察はケータイで追跡できるんだぞ」
「わざと切らなかったのさ。警察がこれで追跡してくれる様に。無論、総理に会う前に捕まる訳にはいかなかったからな」
「なるほど。まあ俺は別の者に持たせたフェイクかと思っていた。予想して俺は総理の後を追って来たが、俺が出てきたのもお前の計算の内か」
「ここまでやってくれるとは思っていなかった。本当は総理がまだ嘘を吐くなら、警察の誰かに聴かせてやりたろうと思った。優秀な警察にな」
鎌智は来てくれた長信を褒め称える。長信は思わず鼻で笑ってしまった。
「面白い奴だ。それじゃあお前達の、今までの行動と理由、全て教えて貰おうか」
鎌智は全て話した。奈良江との出会い、総理の暴力、嘘偽りなく長信に話した。長信は最後までただ黙って聞いていた。話し終えると長信ではなく、隣りの助手席に座っていた丸今が最初に口を開けた。
「総理が娘に暴力なんて……し、知れたら世間で、大問題になりますよ!」
驚きを隠せず、口が震えているのが鎌智は顔を見ずに分かる。長信はハンドルを強く握りしめる。
「本当なんだな?」
「嘘はない。あんた達にしかもう頼めない。奈良江の安全を確保してくれ」
「鎌智君! それだと……奈良江ちゃんとの約束は?」
「総理の家となると、俺達にはもう手が出せない」
「でもこのままだと私達!」
車は赤信号で止まった。丸今はサイドミラーに映った車に気付いた。
「後ろにいる車、追ってきてますね」
「俺達含めて事故死にでもする気か。何やってんだ? お前達は早く逃げろ」
「は? 逃げるって?」
「何で俺達が前に乗って、二人後ろに乗せたと思ってる? このままだと総理の娘は助からんぞ」
「行こう、鎌智君!」
音音は車のドアを開けると鎌智の腕を掴み、無理矢理降ろした。追って来たSP達は、すぐに降りて二人の後を追うが、二人が路地裏に入った途端、長信の車が急発進して道を塞ぐ。
「何のつもりだ!?」
「何のつもり? 逃げた犯人を追うんだよ。路地裏に逃げてしまって車では追えんな。お前達はなぜ彼らを追うんだ?」
SP達は歯を食いしばり、長信を睨みつける。しかし相手にしている暇はない。一刻も早く奴等を始末しないといけない。SP達は車に乗って、長信の前から消えていった。
「……警部。何故こんなことを?」
「……命を懸けて助ける。ああいう奴が警察の誇りだな」
その言葉の意味を、丸今は分からなかった。
「しかし、SP共もあそこまで総理に忠実とは……俺達も行くぞ」
逃げ出したのはいいものも、鎌智は自分が何をすればいいか全く思いつかない。ただただ時が過ぎて行くのを、待つしかないのか。鎌智は足を止めると、音音はすぐに気付き足を止めた。
「鎌智君、これからどうするの?」
「分からねえ。逃げたのはいいが、この先どうすればいいか分からない」
「分からないって、簡単な事じゃない! 助けに行かないの!? このままだと私達、殺されるか捕まっちゃうんだよ!?」
「助けるなんて簡単に言うなよ! 相手は国の頂点の男だ。奈良江はすでに家に帰っているだろう。そこに行ったらそれこそ奴等の思う壺だ!」
「でも!」
「出来ないんだ! 俺達には…奈良江にもう……何も出来ない……逃げるしか」
「……私は、助けたいよ」
音音は鎌智を置いて先に走って行った。見捨てられても当然だ。鎌智は歩き続けるが、頭の中は真っ白だ。何か出来る事は無いか。考えようとすると、奈良江の最後の言葉が頭に浮かぶ。
『……心配しないで』
奈良江は勇気を持って、父親と戦うつもりだ。自分がやれる事はやれた。後は奈良江と、警察の長信に任せるしか無い。逃げる道を選んで行くと、自然と足を運んで行ったのは病院だった。妙に道を覚えていたのは知っていたからだ。鎌智は病院に入って、あの人と面会する事にした。たまたま面会時間だったのですんなり行けた。病室には一人、年寄りの男性が点滴をつけて本を読んでいた。
「お久しぶりです。棚さん」
「鎌智……久しぶりだな。元気にしてたか?」
棚は鎌智の顔を見ると、返事を聞かず本を閉じた。
「どうした? お前が急に来るのは珍しい」
鎌智はこの事件に棚さんまで巻き込まんではいけない。本当の事を言わず、説明を始めた。
「あの、例えば棚さんが親から暴力を受けて、それで……えっと」
「相変わらず例えが下手だな。ニュースにもなってるから分かるぞ。総理の件だな」
まさかそこまで気付かれているなんて思わなかった。八年間仕事の先輩として一緒にいたが、いつも予想をはるかに超える人だ。
「流石です棚さん。相変わらず鋭いですね。まだ現役に復帰できますよ。実は俺、今悩んでいます」
鎌智は色々と省略して総理と奈良江の事を話した。棚は聞き続けて、最後に鎌智に質問した。
「なるほど、お前はどうしたい?」
「俺は奈良江を助けたい。その気持ちは変わりません。でもあいつは決心したんです。一人で戦うと勇気を持った。これで俺がやれる事をやったのでしょうか?」
「満足していない。自分はまだやれると思っているからこそ、思える事だ」
まだやれる。下手に動いて奈良江に迷惑がかかる。自分が何もしなくても、最後は奈良江が何とかしてくれると、勝手に決めつけている。
「鎌智……何とかなる。だが、良くはならないぞ。これを忘れたか?」
それは棚がよく言っていたセリフだった。後回しにしていると、後々面倒な事になるんだ。
「何も出来ない? 仕事の時みたいにまた一人で考えていただろう? 」
鎌智は忘れていた。自分一人で考えて行動するのは昔の悪い癖だ。まだ出来る事があるじゃないか。
「なぜテレビ局が集まっている」
総理の家の前にはテレビ局の記者達やカメラが何台もいる。どこから情報を掴んだのか、すでに娘が保護されたのは、ニュースになっている様だ。
「阿久財総理! 娘の奈良江さんが救出されたのは本当なのですか!?」
「どのような救出だったか、詳しくお話をお願いします!」
「誘拐犯は未だ捕まっていないと言われてますが!?」
質問攻めにされる総理は、聞く耳を持たず家に入ろうとした。ドアの前に立つとテレビ局の記者達に振り向き、大きな声で皆に伝えた。
「皆さんお静かに。娘は無事です。今は安静にしていますのでどうかお静かに。日を改めて会見を行いますので」
総理は家に入ったが、テレビ局の記者達はまだ騒いでいる。しばらくは静まらないだろう。疲れながらも総理は、すぐに奈良江の部屋に向かった。
「全く、お前の様な出来損ないのせいで、私の名誉に傷がつくだろう!」
総理は奈良江の胸ぐらを掴み、壁に思いっきり投げつけた。奈良江は声も出せず痛みに耐えた。
「……お父さん……もう止めて……お願い」
今まで刃向かって来なかった奈良江が、そんな発言をするとは。総理は怒りは収まらない。
「余計な知恵を……お前は私の言う通りしていればいい! 私が良いというまで部屋から出るな!」
総理は部屋から出る。奈良江は一人になり、自然と涙が出ていた。
「すいませんね村鮫さん。こんなに人が集まるとは思っていなかったです」
「鎌智さんが人がいいから集まったみたいだよ。大工さんに設備屋さん、その他諸々十五名、君に協力する」
とある仮設事務所。鎌智は村鮫に頼んで人を集めて貰った。来てくれたのは鎌智と面識のある者ばかり。その中に九同が入っていた。
「九同……お前まで手伝う必要は無いんだぞ」
「もう朝から手伝ってます。もちろん休みを下さいね」
「社長に頼んでおくよ」
村鮫は景気付けに、皆に缶コーヒーを買ってきた。缶コーヒーの中にあるカフェオレを手に取り、鎌智に投げ渡した。
「鎌智さん。激励の言葉を」
「もう一人……来るかどうか分かりませんが、もう少し待ってくれませんか?」
鎌智はもう一人連絡していた。先ほど別れた後で来ないかもしれない。そんな事を思っていると、ドアから一人、入ってきた。
「音音さん……無事だったか」
「助けると、奈良江ちゃんと約束したんでしょう」
音音は鎌智の覚悟にご機嫌な様子だ。鎌智は頷くと、手を挙げて皆に注目を集める。
「皆さん、本当に集まってくれてありがとうございます。時間も無いし、これから指示を出しますが、これは命を落としかねない。だから命は一番大事にお願いします。それじゃあ皆さん、無事故、無災害で命を大事に、ご安全に」
「鎌智さん。それだと士気が上がんないですよ。もっとこう……武将っぽい言い方で」
九同からヤジが飛んだ。
「わかったよ! じゃあ……天下を取った気分の男を失脚させる。敵は頂点に有り!!」