迷いの無い覚悟の決断
一台の車がマンションの前に止まった。車からは男が三人降りた。若い男と、ニット帽の男、そしてちょび髭を生やした男だ。男達はマンションに入って、管理人のおばさんに警察手帳を見せた。その中でちょび髭の男が管理人に話した。
「警察です。侵入者が入ったと連絡を受けましたが」
「は、はい。先ほど警報が鳴ったので、監視カメラ調べてみると、どうやら女の人が隠れて入ってきた様で」
男達三人は、聞こえない様小さな声で話し合う。話し合いが終わると、管理人に色々と質問しだした。
「どの階に行ったか分かりますか?」
「一番上の階、五階に行きました。カメラにも映ってます」
「階段はどちらにありますかな?」
「向こうに非常階段があります」
「他にもカメラは?」
「監視カメラは、各部屋のエレベーターの前にしかありません」
「侵入したのは一人だけですか?」
「おそらく一人だけでした……」
管理人の最後の言葉に、ちょび髭の男は気になって、管理人に聞いてみた。
「おそらく? それはどういう意味ですか?」
「……少し前に、五階の五号室の換気扇を取替工事で二人いらっしゃったんです。けど帰られたのは、一人だけだった様な気がするんです」
「………」
「それでカメラの映像を調べてたら、一人しか降りてきてないんです。男の人がもう一人いたんです! もしかして………幽霊?」
「………!」
ちょび髭の男は黙って、話を聞き続けていた。後ろの二人に目を合わせると、三人は同時に頷いた。
「分かりました。まず五階を調べてみましょう」
三人はエレベーターの前まで歩いて行く。ちょび髭の男が仕切って二人に命令した。
「長信警部の情報と一致はするが、確信は得れない。まず俺達二人がエレベーターで上に上がる。お前は若いから非常階段から行け」
若い男は頷くと階段を静かに登って行った。ちょび髭の男はニット帽を被った男とエレベーターに乗ると、男二人は腰につけた拳銃を用意する。五階に着き、エレベーターの扉が開くと、同時に拳銃を構えた。不意打ちの可能性に備えたが、構えた先には息を切らせして登ってきた若い男だけだ。
「いないな。なら部屋か?」
近い部屋から探ってみるが、どの部屋も鍵がかかっていた。しかし一部屋だけ少しドアが開いていた。『505』と書かれた部屋だ。確か管理人が、換気扇の取替工事をしたと言っていた部屋だ。警戒して開けようとすると、意外にもドアが重い。ゆっくり開けると同時に、中で何かが倒れた。ドアノブに紐を結んで、開くと玄関に置いたバケツが倒れるようになっていた。バケツには大量の液体が入っていた。
「……水か?」
どうやらただの水の様だ。玄関は水浸しになっていく。そこに何やら紐の様なものが置かれている。男は紐の先を目で追うと、近くのコンセントに差し込んである。
「電線か……マズイ入るな! 入ったら感電するぞ!」
男は大声を出して二人を下げさせた。その途端、どこからかガラガラと音が聞こえる。
「何の音だ?」
若い男が音が鳴る方に行くと、非常階段の防犯シャッターが閉まっていく。急いで止めようとするが、すでに遅かった。
「階段の防犯シャッターが閉まってます! こちらから開かない様にされて、開けれません!」
「何だと!? まさかエレベーターも?」
ニット帽の男が確認に行き、ボタンを押すが下の階から全く動かない。ニット帽の男は首を横に振った。
「クソ! 長信警部に連絡だ! あの人の思った通りだった」
警察がバタバタと動いてるのが、鎌智の目に浮かぶ。防犯シャッターが完全に閉めたのを、指差し合図で確認をする。階段を降りていくと、四階から音音と奈良江が合流した。
「警察もバカだなぁ。五階に隠れているからって他の階は確認して行かないと、地の利はこちらが上だぞ」
鎌智は下の階に降りながら、聞こえない警察に言ってやった。音音と奈良江も一緒に降りていく。
「それよりあの人達大丈夫? 感電とかしたら下手すると……」
「感電する訳無いだろ。コンセントの中を外して電気は流れてない。あんなのただのフェイクだ。工具箱に入れてた予備の線を、使い切っちまったがな」
「へぇ〜凄いね。それにしても、あんなんでエレベーター止まるんだね」
音音は感心していた。鎌智の言う通り、エレベーターの扉にダンボールを置くと、扉が閉まらなくなった。何かが挟まると安全装置が働く。鎌智はそれを利用したのだ。一階に降りると、管理人のおばちゃんが鎌智の顔を見て驚いた。鎌智は驚いた意味が分からなかったが、マンションから堂々と出て行った。鎌智は駐車場に行き、警察が乗ってきた車をチラリと覗いてみた。
「こいつは好都合だ。鍵を置きっぱなしにしてやがる。テレビも付いているいい車だな」
鎌智は二人を呼び、車に乗ってエンジンをかけた。二人は後ろに乗り込んでシートベルトを付けたのを鎌智は確認すると、アクセルを踏んで車を走らせた。
「さて、残る問題は総理の行動だ。どうにかして調べなければ」
上手く逃げ切ったが、鎌智は次の策を考えていた。総理に会うためには情報が必要だ。
「ダメだよ鎌智君。総理は予定のほとんどを変更したみたいよ。ニュースに載っている」
音音はケータイで調べさせたが、結果は残念なことに総理の行動は無かった。
「八方塞がりだな。下手に動くのは危険なのに、どうにかして総理がいる場所を探さないと」
鎌智はテレビを点けて、どこかに総理の行動が流れてないか調べた。無意味な事は自分でも分かる。テレビはCMが流れると、奈良江が声を出して二人に教えた。
「お父さん……そこに来る」
「何処!?」
奈良江はテレビを指差した。それは近くにある有名な肉料理レストランだ。
「…お父さん、土曜日は必ず予約してお昼ご飯食べてる……肉のやつ」
「こんな時でも来るかもな。今からならまだ来てないだろう。先廻りしてみるか」
鎌智はアクセルを踏み込んで、車を勢いよく走らせた。
「そうですか。見失いましたか。そのまま捜索を続けて下さい」
警視庁の一室。若い男はケータイを切ってスーツの胸ポケットに直した。男の後ろには、二人の黒いスーツを着た男が立っている。若い男は高級なソファに座ると、ドアからノックが鳴った。開けて入ってきたのは長信だった。長信は丁寧に頭を下げた。
「初めまして総理。私は長信です」
「初めまして。貴方のおかげで犯人を見つけることが出来ました。ありがとうございます。どうぞお掛け下さい」
総理はソファに手を伸ばして座るように勧めた。だが長信はすぐに捜査に戻りたいので遠慮した。
「立ったままで結構です総理。現場で貴方のSPから、我々の捜査を止めろと聞きました。総理が決めた事で間違いないですか?」
「ええそうです。彼等もプロです。出来れば協力して行えば良いのだが、人員をそこまで割く必要はないでしょう」
自分の娘を助けるのに、人はそんなに要らない。総理は本当に娘を助けようとしているのだろうか、長信は疑問に思う。
「我々の捜査で犯人を見つけたのに、その犯人に逃げられてしまった。本当に我々が必要無いと?」
「どういう意味ですかな? 私を常に、今もこうして護衛している二人も無能だと、貴方はそう言いたいのですか?」
SPの二人がサングラスを掛けていても、こちらを睨んでいるのが長信は分かる。
「私はそこまで言っていません。ですが私達も警察なのです。少しは信用して任せてくれないと」
「信用しています。ではそろそろ失礼する。私はこれから食事に行くので」
「……分かりました」
どうやらこれ以上言ってもダメだ。総理は首を縦に振りそうもない。長信は礼をして、部屋から出て行った。廊下を歩いていると、向かいから丸今が辛そうに走ってきた。
「はあ…はあ…やっぱ、ダメですね。上も手を引けと命令されてます。それと報道規制かかってます」
「やはりか……頼んだ事は出来たか?」
「はい。男は鎌智明弥二十八歳。仕事は電気工事。あの家は十八で引っ越してずっと暮らしていたそうです。親は……」
長信のケータイが鳴り出し、丸今は資料を読むのを止めた。長信は電話に出ると、何度か頷き、相手に返答した。
「ああ、わかった……お前達には救援に行かせる……犯人の方は俺が行く」
長信は電話を切ると、笑みを浮かべて歩いて行く。
「念の為、目立った仕掛けの竿を見に行かせたらヒットした。丸今、その容疑者が警察車を盗んだ。今から奴を追うぞ」
「追うって、上から手を引けとの命令なんですよ! 逆らったらどうなるか」
「なぜだ? 俺達は車泥棒を捕まえに行くんだぞ?」
「ああ〜名案ですね。しかし犯人はどこに向かうのか、分からないですよ」
確かに長信も、犯人の行動パターンが読めない。車を奪ったなら検問で調べたいが、総理からも言われてしまった以上、派手な行動はしたくない。人質を連れたまま、動き続けるのも危険だろう。ならば交渉してくる。交渉が出来る相手は、たった今ここを出て行った。
「尾行するぞ」
「誰をですか?」
「……総理だ」
「は、はい〜?!」
長信の一言に丸今は驚いた。
「車を捨てよう」
「え、ええ〜!」
鎌智の一言に音音は驚いた。車を走らせてまだ数十分も経っていないからだ。
「警察の車なんてずっと使えねえ。あいつらも俺達と同じで、上の階から駐車場を見ているはずだ。盗られてるの分かってんだ。車で囲まれたら終わりだぞ」
鎌智の理由に音音は苦しくも理解した。音音は走るのがもう嫌なのだろう。だが走らなければ行けない。
「奈良江。また走るけどいいか?」
「大丈夫」
奈良江も意気込みが感じる返事をしたが、なんだろう。奈良江がいつもよりはっきりと喋った。できるだけ目立たないよう、コンビニの駐車場に車を停めた。車から降りて、近くの隠れそうな路地裏に入った。音音が鎌智にマンションで言われていた事を報告した。
「ほとんどのニュースを調べたけど、鎌智君と私出てないみたい」
「テレビも大体見ていたが、やはり俺達の事を発表されていない。犯人は未だ逃走中ってだけだ。普通なら顔写真ぐらいは公開されているはずなのに」
理由はよく分からない。だがこれなら、一人で動いても一般人から通報を受けずに済む。
「何にせよ好都合だ。音音さん、この紙に書いた物を買ってきてほしい。お金は俺が出す」
「……これまだあるかな?」
「多分だが安売りセールで、まだ売っていると思う。少なくていいんだ。俺は奈良江と動く。奈良江はテレビに顔が出てるから、周りに気をつけてレストランに向かう。お前も警察には注意しろ」
「分かった。奈良江ちゃん。私ちょっと離れるけど、いいね?」
奈良江は黙って頷いた。音音は鎌智から財布を受け取ると、周囲を見渡して走って行った。
「意外だった」
奈良江が喋りだした。鎌智に話しかけるのが慣れてきたようだ。
「意外って何がだ?」
「鎌智って頭がいいんだね……てっきりバカだと思っていた」
鎌智は余りの事にズッコケそうになった。子供にバカと言われたのは初めてだ。
「酷いぞ。頭は良いとまではいかないが、悪くはない。俺の仕事は結構頭を使うからな」
自慢気に話す鎌智は自然と笑っていた。奈良江はその顔を見ると、ちょっと驚いた顔をした。
「鎌智、笑うのは止めた方がいい……怖すぎる」
「……酷いぞ。それよりもレストランに向かうぞ」
鎌智と奈良江はレストランに向かう。車が通れない細い道に入ったり出たりと、気をつけないと迷いそうになる。すれ違う人がいたら奈良江は顔が見えない様に、鎌智の後ろに隠れた。不審に思われない様に、鎌智は奈良江の頭を撫でて、親子の様に見せかけた。
レストランが見えてきた。色々と回り道して行ったせいで大分時間がかかったが、まだ総理は来ていない。近くの路地裏から出入り口を確認した。
「奈良江。お前のお父さんの車、覚えてるか?」
「家にある三台のどれかが来ると思う……分かる」
家に三台も車があるのか。流石総理は金持ちだ。納得する鎌智の肩を、後ろから誰かが叩く。驚いて振り返ると音音が驚いた。
「うわ! ビックリしたよもう〜」
「はあ……驚くのはこっちだ。声ぐらいかけろ。売ってたか?」
「季節外れの半額セール。花火セットあったよ。あと弁当も、二人共お腹空いているでしょう?」
「言われてみればそうだった。腹が減っては戦はできぬ」
「昨日聞いた」
奈良江の厳しい一言が飛んで来た。音音はその様子を見てフフフと笑った。
「それで、食べ終わってから花火をするの?」
「そう。今から花火大会……じゃなくて、これを使うんだよ!」
「冗談だよ。でもこんなので、本当に出来るの? 総理と話をするなんて普通なら無理な事だよ。それに罪を認めさせるって」
「奈良江の話を聞く限り、昔はいい父親だったと思う。ならその頃の気持ちがまだ残ってるはずだ」
奈良江はモグモグと弁当を食べ始めた。鎌智も座って弁当を開ける。
「音音さん。買って来てないのか?」
「ダイエット中だよ。ごめんね奈良江ちゃん。弁当よりも、ちゃんとしたご飯食べさせてあげたかったけど」
「美味しいよ。鎌智の作ったご飯より」
「……おい、さっきから酷いぞ」
「鎌智……来た」
急に言われて驚いた。鎌智はこっそりと見ると三台の車が出入り口前に止まった。前後の車はさっき見た黒スーツ男の車だ。真ん中の車から降りて来たのは、間違いなく総理だ。総理はレストランの中に入ると、車は駐車場に向かって行った。
「総理、行っちゃうよ?」
「いいんだよ。SPは総理が来る所に先に行って、安全かどうかチェックしているはずだ。なら安全と思った上で帰る直前を狙う」
鎌智は急いで弁当を食べ終える。喉に詰まりそうになると、音音がお茶のペットボトルを渡した。鎌智は勢いよく飲む。
「はあ……奈良江、ここに隠れてろ。音音さんと一緒に、お前のお父さんに言ってくる」
「はあ……総理を尾行なんてバレたら、クビになるどころじゃすまないと思う」
「黙っていろ……父親は交通事故で亡くなっている。二十八年前?」
「どうしたんすか? さっきからずっと鎌智の資料を読み直していますけど」
「何でもねえ。お前は総理が出てくるのを見張っておけ」
「本当に犯人が来るんでしょうか。ある意味サボっているのと変わりないんじゃ……あ、総理が出てきましたね。俺も肉食べてえ」
「……あの女は……丸今、見覚えあるだろう」
長信は指を指す方には、丸今は覚えているはずだ。
「俺に卵投げた奴!」
音音が派手に花火を始める。その様子は目立ってしょうがない。誰だってそれが目に映る。
「おい、何してるんだ!?」
流石に聞かれるだろう。音音は涙を堪えながらSPの男に話す。
「私の妹に向けて花火をしてるんです。去年のこの日、このレストランで一緒に食べた後、事故で亡くなって……あの子、花火が大好きだったんです」
「目障りだ! どこか行け!」
「そんな?! 私は死んだ妹の為にしてやりたいのに、国の偉い方が来たからって、それを止めろと言うのですか?!」
SPの男が追い払おうと、音音に向かっていく。だが総理はSPの肩を掴んだ。
「まあいいじゃないか。彼女の思い出なんだ」
「昨年のこの日、貴方の妹はここで食事をして、その後事故で亡くなった。だからここで花火をしている。妹思いの優しい方だ」
「しかし無理があるんですね。去年のこの日は金曜日。レストランはお休みでしたよ」
バレた。まさかこのレストランの休店日が去年の日になるとは。そこまで予想しなかった。SP達は拳銃を取り出し、音音に向けて近付いてくる。音音は消えた花火を捨てて手を挙げると、総理はSPに待てと犬の様に命令した。
「彼女は囮かな。なら近くに仲間が隠れているかもしれない……例えば、車の下かな」
バレた。まさか隠れている場所まで気づくとは、車の下を覗かれ拳銃を突きつけられた。見つかった鎌智は撃たれない様に、逃げずに出てきた。手からは釘を落とした。
「釘を車に仕込んで、パンクでもさせるつもりだったのかな。イタズラにしては危ないね」
SPは引き金に指をかける。総理はすぐにSPに命令した。
「まあ待ちなさい。無闇に撃って他の人に当たったらどうする」
人がいいのか、こんな時でもポイント稼ぎか知らないが、とりあえず撃たれる事はなさそうだ。だが状況は最悪だ。
「さて、単刀直入に聞こう。貴方達は罪人かな? それとも奈良江を連れてきてくれたのかな?」
鎌智と音音はSPに抑えられてしまった。口を抑えられて何も話せない。
「もし後者なら奈良江が近くにいるはず。奈良江、隠れているなら出て来なさい」
総理は呼ぶが奈良江は出てこない。こんな状況でどうするか、奈良江は考えている。
「奈良江? 彼が誘拐犯じゃないなら私の方に来れるはずだ。来ないなら彼は犯罪者としてどうなるか」
「待って! お父さん……すぐに行きます」
奈良江は出てきた。自分に暴力を振るってきた父親の方へ歩いて行く。鎌智は抑えられた男を力で振りほどき、奈良江を止めようとする。だがすぐに三人がかりで、捕まえられてしまう。
「待て奈良江! 行くな!」
このままだと、総理は何も変わらず同じ事を繰り返す。鎌智は引き止めようとするが、奈良江は止まってゆっくりと振り向くと、悲しそうに笑った。
「……ありがとう鎌智……もう……一人で……戦う」
奈良江は父親である総理の元へ再び歩いて行く。そうだったんだ。奈良江は既に決断していた。鎌智と音音を巻き込まないで、一人で戦うと覚悟したんだ。